ヘーゲルに学ぶ

アクセスカウンタ

zoom RSS ニーチェとヘーゲル(2)

<<   作成日時 : 2017/03/24 16:57   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 生起を脱し、運命を脱することにおいて、生起が在り、運命がある。ヘーゲルのように、絶対他者としての神の超越を認めないで、しかも他となって同語反復とならない立場を貫こうとするとき、全くそれは循環的でしかない。その循環的性格の契機を担っているものは、キリスト教的なものとギリシア的なものと近代的なものという三つのものである。ゴルゴダと運命と主観である。この三つのものの歴史的所与において絶対精神を捉える論理は展開されている。三つのものは互に覆い覆われ、貫き貫かれる関係において循環している。しかし、近代的主観の崩壊がここに既に暗示されているにも拘わらず、敢えて自己確信を得て「諾」を言おうとするところに『精神の現象学』の持つ迷路的性格がある。このことは「かくあった」と「力への意志を」とを、永劫回帰で統一しようとしたニーチェに通じるものがある。「生起したことはむしろ仕事となり、このことによって存在、最後のものは意志されたものでもあり、したがって喜ばしいのである」。というヘーゲルの言葉を読むと、そこには運命との和解が語られていることに思い至る。
 ニーチェは「『かくあった』は意志の歯ぎしりであり、最も孤独な憂いである」とか「意志は遡って意欲することは出来ない」とか「時間が背進しないこと、それは意志の怒りである」とか同じような言葉をいくつも語っている。そこには『悲劇の誕生』で言う所の「ただ信じられるだけで、形象に凝縮されないあの力」が感じ取られる。更にこれはシレノスの言葉「一番良い事はどうしてもお前の手に入り得ない。それは生まれて来なかったこと、何ものの存在しないことである。だがお前にとって次に良い事は今すぐ死ぬことだ」に通じている。誰もこの無気味なものを越えることは出来ない。だがこれから目を逸らすことも生に対する態度ではない。そのとき悲劇的精神は亡びてしまうだろうと考えられるからである。だからこれは、叙情詩人の自我がそこから響いて来ると言われる存在の深淵に連なっている。
 そのような意味での「生起」は同時に必然性を持ったものと考えられている。「我々は、全ての必然的なものを我々の考え方において固定させようとする場合、何物をも真理自体と言ったのではなく、我々にとっての真理と言ったまでのことである。つまり経験を根拠として我々を-可能ならしめる-現存在を言ったまでのことである」。つまりそれは真理自体ではないのだから、無垢の真理というようなものではない。既に我々にとっての真理であるのだから、当然我々がそれに対し或る態度において立っていることになる。そこにはいつも可能性がある。「全ての生起の無制約的必然は何も強制を含むものではない」と言われるのはそのためである。それは必然と受け取られることにおいて必然なのである。だから「必然性は事実ではなく、解釈である」と言える。「あらゆる生起の解釈的性格。出来事自体は存在しない。生起するものは解釈するものによって解釈され総括された現象の集まりである」ということになる。
 だから生起の外来的超越性というようなものは認められていない。生起とは結局それを生起とする我々の解釈だということになる。つまりそれは基礎づけ得ない思想なのである。だから「生成の世界は厳密には把握され得ないし、認識され得ないであろう」。そこに純粋内在の態度を固く守りながら、生起に出会っている人間の態度が語られている。だから「全てが生成であると仮定されるならば、認識は存在への信仰に基づいてのみ可能である」と言われるのである。これで、存在の解釈的性格は、認識による存在への信仰と考えられていることがわかる。認識は同時に存在への肯定によって担われていると言えよう。「存在する全てのものはそれ自体に諾を語っている」。そういう意味で、もちろん実在論的な意味においてではなく、「よろしい」を引き受けることにおいて「在る」とされるような意味での肯定がそこにある。
 したがってそこでは「必然が自由のとげと幸福に戯れている」ような意味で存在が語られている。しかしそのとき大切なのは否定することを、肯定することから分離することを心得ていない態度に注意することである。求められているのはディオニュソス的態度である。だから「生起の中には苦の秘密もまた安らっていなければならない」。こう見てくると、肯定は同時に否定を伴ってそれであることが分かる。こうして「生成の無罪」、「生起の無罪」が語られるのである。それは否定的なものを含まないものではない。それは、死の事実を忘れることにおいて成り立つアポロン的なものに対する批判を含んだ肯定である。ここに「運命愛」の言われる理由がある。「或る哲学者が到達し得る最高の状態、それは現存在に対しディオニュソス的に立つことである。これに対する私の公式は運命愛である」。「最高の力を得るための先駆的着想が運命愛、永劫回帰という極端な形式である」。この運命愛がすなわち永劫回帰の肯定である。運命愛とか永劫回帰とか言うのは「かくあった」ことを肯定することである。「かくあった」限りでその由来を私の中に持たない。それを同時に私のものとして引き受けることである。存在がそのようなものであるということは、そのようなものとして私が欲するということと同時にある。それは「刹那の国に腰を下ろす」ことである。刹那において永遠を肯定することである。「永遠の相の下に浄福を讃えること」である。ここに、あることと欲すること、刹那と永遠、創ることと創られることの同一性が範疇論的にではなく、超越論的に捉えられている。こうしてここに、神なき永遠が讃えられ、循環が進んで引き受けられる。この循環はそれ自体なる存在の循環ではなく、よしと肯定され引き受けられることにおいて成り立つ循環である。これを名づけて「根拠の輪」、「自ずから回り出す輪」というのである。それは自ら回る輪ではあるが、同時に回される輪である。しかも何人もこの輪から抜け出すことは出来ない。その輪の外に理念を掲げることは敗北でしかない。というのは、そのとき現実と自己は否定されているからである。こうしてここにも循環の円があった。否定を内に含む肯定があった。彼岸の否定による純粋内在があった。ヘーゲルとニーチェの違いはどこにあるのだろうか。
 元来、ヘーゲルは神を認めるのに対して、ニーチェは認めないとされ、ヘーゲルが個の否定を説いたのに対し、ニーチェは絶対の個を主張したと言われている。さらに一方が巨大な体系家であったのに対し、他方は体系を持たない思想家であったと言われる。その他二人の違いをあげると色々なことが出てくるであろう。そうしたことは論を進める間に自ずと明らかになるであろう。ところで、ニーチェは刹那と永遠の対向的緊張の立場に立つことにおいて、両者の同一を逆説的に敢えて肯定した。だから運命愛という和解が説かれるにしても、それは極度の緊張の場においてであったと言えよう。そこでヘーゲルの和解が知による肯定であったのに引き替え、ニーチェの和解は意志による肯定であったと言える。それが緊張を説く思想となっている理由であろう。けれども、だからと言ってヘーゲルに緊張の問題がなかったと断ずることは出来ない。知による和解と言っても、同時にそれは創造的主観の前提に担われていた。だからそれは同時に行為的、意志的なものをその中に持っている。結局、意志と言い知と言っても、本質的な相違であるよりは、むしろ程度の相違であるように考えられる。そこで二人の相違の問題は内容的なものであるよりも、より多く態度の問題であると言えよう。このことを考えるために、ニーチェのヘーゲル批判に触れてみることにする。
 折にふれ色々な場所でニーチェはヘーゲルについて語っている。がそれらは結局次の二点に帰着するように思われる。
 1)ヘーゲルは神を肯定しているから、無神論の到来を遅らせたものであった。が、その肯定は「道徳的な神」を超えるという形で行われている。その点でスピノザ、ゲーテに連なるものとして、全存在と生命を神化し直観し思弁することの中に、平安と幸福を見つけようとしている。全ては全体の中で初めて救われ、善であって正しいものとして現れる、という信仰によって、自己を一つの全体に形成しようとしている。だからオプティミストであった。この点から見る時、叙事詩的文化の哲学者であって、抒情詩的文化すなわちディオニュソス的文化の哲学者ではなかった。その意味でロマン主義者であった。
 2)ドイツ精神がヨーロッパを支配するのに、ヘーゲル哲学は大きな役割を果たしているが、これは「矛盾が世界を動かしている。全てのものは自己自身に矛盾している」という思想に起因する。その意味で「ヘーゲルにあっては全てのものが無価値な灰色である」ことになる。「思うにヘーゲルは、全く味気ない極めて冷酷な事物について、酔っ払ったような彼一流のやり方で語る。そういう技術によって主として外国に影響を与えた」という。この点から見るとヘーゲルはペシミストである。
 そこで「我々ドイツ人は全てへーゲリアンである。仮に一ヘーゲルがいなかったとしても」という言葉は、今言った二つのことを兼ねているのがドイツ人であるという意味であろうか。この相異なる二つの方向が、独特な方法で統一されていることは「ゴシックな神への反逆」であるという。ここにヘーゲルの中にある相反する二面が簡潔に表現されている。そこにヘーゲル的なものによって表現されたドイツ的なものに対するニーチェの反発と共感が同時に語られている。今ヘーゲルについて言われたことが、別の形でニーチェについても言われ得ることを、ニーチェは知っていたのではないかと言えよう。そこで問題は改めて態度の問題として出てくることになる。この態度の問題とは結局前に言った緊張の問題である。ニーチェが緊張の場に立っていることは改めて指摘する必要はない。ヘーゲルにおいてそれが問われるとき浮かび上がってくるのは、自己外化、自己疎外である。ニーチェのあげた矛盾の問題である。
 これまで自己外化、自己疎外については殆ど触れなかったが、これはヘーゲルの中心問題の一つである。「実体は主体である」というとき、それは、実体が自己否定において初めてそのものであるという意味であった。これを自己自身であろうとして自己自身でないという形で表現し、その否定的性格において実体を語るとき、実体は自己外化に陥ることなしには、それ自身であり得ないということになる。神が死んだということは、この自己外化のことに他ならない。
 ニーチェは必然とか運命とかをしきりに言うが、それで悪無限を説いたのではない。だから「できごと」の持つ必然性は、実は解釈された必然性なのであって、それ自体にそうなのではないという。必然を必然として受け取り肯定することによって、あるのだと考えることになる。力への意志とはそういうことを言ったものである。必然、運命を、それは私がそのように欲したものだとすることにおいて肯定して行く。だからそれは運命愛になる。これは必然の肯定の場を、そのつど新たに経験して行くヘーゲルの意識とよく似てる。運命という蛇の頭を噛み切るとき、そこに無を感じたニーチェのように、ヘーゲルにとっても、存在は無なのである。純粋存在が無規定だから無だというあのことを言っているのではない。むしろ存在の根拠は本質であるが、その本質が無なのだという、あのことを指しているのである。歴史は死の場所であるという、あのことを指しているのである。しかし無はそうであることにおいて肯定されている。だから愛による運命との和解を語り得たのである。ここに両者は共に回帰を説く。だから両者ともに超越的なものを認めない。超越的なものから来る命令を、理念を、道徳という形で、極度に排したのがニーチェであるが、カント・フィヒテ的な形での道徳性を、精神の最高段階に置きながら、同時にそれを極度に排撃しようとしたのもヘーゲルである。また心の徳が、世の成り行きによって嘲笑し去られるのを指摘したのもヘーゲルである。その他二人は、共にアポロン的なものとディオニュソス的なものとの対立を、ギリシア劇において指摘している。
 結局、「神は死んだ」ということを、両者においてどのように考えるかに、問題は帰着すると言えよう。ヘーゲルがゴルゴダを言うとき、その意味は、歴史の場が「実体は主体である」ことにおいてしか成り立ち得ない、歴史の場は神そのものの場ではない、実体そのものの場ではないということであった。だから歴史において神は死ぬ。ニーチェが「神は死んだ」というとき、その意味はプラトン哲学と結びついたキリスト教が、神を彼岸的理念の世界としてしまった、だからこの神は理念的世界という偶像であるにすぎない。その意味で人間が自らの創ったものの前に自ら躓いているものに他ならない、そういう形で「神を殺してしまった」ということである。だから神は「現にいない」、西欧人にとって生活の根拠であった神がいないとき、彼らはどのようにして生活するのか、というのがそのニヒリズムであり、そこに見つけられた生き方、存在の在り方が「力への意志」であった。こう考えてくると二人には、違いがあってないということになる。
 ニーチェは、近代という自らの属する時代と強く対決しようとした。がこの点で、ヘーゲルが、自らの属する時代の、疎外において没落していく姿を詳しく描いたことは、ニーチェとどのような関連をもつのであろうか。重ねて言うが、ヘーゲルは無神論者ではない。それはカントとフィヒテが無神論者ではなかったように、そうではない。が、神を信じるとはっきり言ったカントとフィヒテが、共に教会と衝突したのに、どうして無神論への可能性を含むヘーゲルにこのことが起こらなかったのだろうか。このことを人々は不思議に思わないらしい。

      *  *  *

 伝統的なヨーロッパ・キリスト教の「神の死」をめぐって、ヘーゲルとニーチェの下した結論は、よく知られているように、正反対である。ヘーゲルの場合、抽象的な実体としての神が死ぬ。神自身の自己否定はイエス・キリストの誕生となる。神の子たるイエスの十字架上の死は三日後に甦ったことによって否定され克服される。ヘーゲルは「神の死」を「全て永遠なるもの、全て真なるものは存在せず、否定そのものが神の内にあるという最も恐るべき思想である」と述べているけれども、そして、この思想が、ギリシア哲学から継承した「苦しまない神」という伝統的な古代・中世のキリスト教の神観念とは極めて異質なものであるにも拘わらず(キリスト教神学の歴史の中で神の本質的なアパティアはキリスト教神学におけるプラトン的公理であり、神受苦説は拒否されていた。その結果、伝統的なキリスト論は、キリストの受難を直視することに対して心理的な障害となったのであり、それだけドケティズム<仮現論・グノーシス>に接近しやすかった、と言われる。なぜなら、ドケティズムから見て、イエスは実際に受難を受けたのではなく、ただそのように見えただけであり、また実際に神に見捨てられて死んだのではなく、ただそのように見えただけなのであるから)、この神の死は、むろん単なる神の死滅に終わるものではない。復活によって、「神の死」は完全に克服され、死の死が成就されるわけである。
 これに対してニーチェの「神の死」は「神は死んだ」、「神は死んだままであり続ける」(『悦ばしき知識』)という。キリスト教の神は、ニーチェにおいて完全に死んでいて決して甦らない。「この恐るべき出来事はなおまだ途中でぐずついている。それは人間どもの耳にはまだ達していないのだ。電光と雷鳴には時が要る。星の光も(我々の目に達するまでには)時を要する」。ニーチェがこの文章を書き留めたのは1882年。それから100年以上経った今日では、この言葉は、世界中に普及した言葉となっている。
 「神の死」という概念がこの二人の哲学者の中で、その哲学の形成にとって非常に重要な意味をもっていることは等しく認めねばなるまい。その点でニーチェの無神論は、そもそもそのようなことへの顕わな無関心を示すことが時代の風潮だと見なされている現代の無神論とは全く異なったものと言わねばならない。けれども依然としてヘーゲルとニーチェの場合、その結論は正反対である。そうした二人の思想をこの言葉をめぐって比較することにはどんな意味があるのか。ヘーゲルとニーチェをこの点に関して主題化する主旨は何か。それは両者が等しくこの言葉によって近代という歴史的時代の人間と思想の在り様を簡潔に示しているからである。そしてそれを克服する方法において際立った相違を見せているからである。
 
 ヘーゲルにおいて神の死は近代の宗教を特徴づける基本的感情である。『精神の現象学』において神の死が、事柄として語られる最初の箇所は、「自己意識の自由」の「不幸な意識」を論じるコンテキストにおいてである。この不幸な意識は、周知のように、ヘーゲル批判という観点からキルケゴールがその生涯を通じて固執し続けた立場である。けれどもヘーゲル哲学にとっても不幸な意識すなわち神の死は、その哲学の根源となる原体験であったことは否定できない。歴史的に見れば不幸な意識は、古代社会の崩壊、すなわちギリシアの人倫の世界の崩壊よりローマ帝国への移行期に現れた意識である。それはストア主義やスケプシス主義と並んで、ローマ法の抽象的な普遍主義を現実的精神として、その上に形成された、一つの社会的勢力にまで成長したキリスト教の始まった時代である。だからテキストのこの箇所は明らかに古代末期から中世を扱っている。にも拘わらず、不幸な意識は神の死の形を取って、近代の宗教がそこに根を置く特別な根本感情を示していると言える。なぜなら、ストア派の意識やローマ法の抽象的人格と近代社会における純粋透見あるいは啓蒙の意識を同類のものとみなし、この箇所の不幸な意識を近代的な自己意識、その宗教感情の根底にある神の死の感情に読み替えることが出来るからである。その点において、ニーチェの言う神の死が近代文化に対する批判として語られる視点とヘーゲルのそれとは異なる、ということができよう。
 ヘーゲルはその青年時代のいわゆる『神学論文』においては、後年のニーチェ(1880年以降)と同じように、ギリシア思想に依拠しながら、キリスト教、とくにその源流となったところのユダヤ教に対する厳しい批判的姿勢を堅持している。それはニーチェのキリスト教批判を先取りするような内容を持っている。とりわけ、キリスト教が生に敵対する理想を掲げ、現世の価値を転倒してひたすら神の中に生きようとするとき、自然はその神聖さを奪われ、この世の生は軽蔑される。このようなキリスト教の現世否定に対する批判において、両者の間には驚くべきほどの一致が認められる。
 ところが周知のように、キリスト教へのこのような批判的視点からのヘーゲル自身の転換が明らかになる。『キリスト教の精神とその運命』(1798-99年)において、カント的な道徳的宗教の立場(それに基づく実定的な宗教としてのキリスト教に対する批判)が否定される。そしてこの場合の実定性はカント哲学の観念性に対する批判として積極的な意味に解しなければならない。ヘーゲルがキリスト教の歴史的出来事の事実性(実定性)を否定して存在論によって抽象化し概念化したというヘーゲル批判は、ヘーゲルのキリスト教理解の一面だけを強調しただけにすぎないからである。さらに、ディルタイのヘーゲル解釈以来有名になった、「愛による運命との和解」が説かれるようになる。同時に、このようなキリスト教理解に準拠してギリシア宗教(これは『精神の現象学』においては芸術宗教という概念に変えられるけれども)をも否定的に越えた絶対宗教・啓示宗教としてのキリスト教への洞察が獲得されていく。その場合、『ヨハネ伝』のロゴスの受肉という概念、神が人として啓示されるという教義がヘーゲルのキリスト教理解の中心となり、ニーチェとの決定的な相違が生まれる。
 ニーチェの場合、「キリスト教は、それが成長してきた地盤からのみ理解されねばならない、・・・キリスト教はユダヤ的本能への反対運動ではなく、その本能の徹底そのもの、この本能の恐怖を注ぎ込む論理において一歩を進めた結論である」(『アンチクリスト』)という。ヘーゲルにおいては、ユダヤ教にないキリストの復活によって神の死が越えられる。それゆえニーチェの神の死の概念と比較することによって、ヘーゲルの思想の中核となる部分が見えてくるであろう。
 
 それではニーチェのキリスト教批判はヘーゲルのキリスト教理解から見たならどのように評価されるであろうか。『精神の現象学』の中の自然的宗教、芸術宗教、啓示宗教という宗教の三段階論から考えてみたい。結論を先取りしていえば、ニーチェの解するキリスト教とは、主としてヘーゲルのいう自然的宗教に該当する側面を示しており、ヘーゲルの解するキリスト教、すなわち啓示宗教としての絶対宗教の段階には達していないように思われる。むろんヘーゲルの論理からみて、啓示宗教としてのキリスト教といえども、自然的宗教や芸術宗教の側面をその構成契機として含んでおり、その限りニーチェのキリスト教批判は的外れではないが、その本質には及んでいないと言わねばならない。
 『精神の現象学』において、宗教の即自的形態である「自然的宗教」は、「芸術宗教」の定式、すなわち「自己が絶対実在である」を換位した形、「絶対実在が自己である」と表すことができよう。大自然の中で人間が、己の弱さ、微小さ、儚さ、有限性を自覚し、巨大にして崇高なる宇宙的実在の中に溶け込んでしまっているからである。まさしく自己は無に帰し絶対実在が自己となる。
 ところでこの絶対実在は「自分の対象の前でたじろいで退く精神の自己意識に対する主人という形式」をとって現れる。この専制的な権力の前で人間精神の個々の意識は消え失せてしまう。自然的宗教の中で「光の宗教」についてヘーゲルは次のように述べている。「この光は没自己的なものであって、個々人の確信を自分の内に含んでいるものではなく、むしろ個々人を支配する権威であり、個々人はその中で消滅してしまう」。自然的宗教において、絶対実在に対して取るこのような人間の態度は、後年、『宗教哲学講義』において、ペルシアの「光の宗教」の礼拝の説明の中にも見られる。この態度は、同時に、ユダヤ教がその主に対する態度にも対応していることが指摘されている。また「光の宗教」の現実的精神は主-奴関係に立脚しているものであると。
 自然的宗教における現世否定や彼岸への憧れ、絶対者への帰依は、ニーチェの場合、ユダヤ教において、したがってまたその遺産を受け継いだキリスト教において、生に敵対し、生を否定する原理になったと考えられる。なぜなら、人間に向かって一切の規範を措定する絶対的な唯一神を創出することによって、生命の意味の重点は、生そのものの中にではなく生の彼岸へと押しやられ、現存在の価値は倒錯されるからである。また現世における自己が自己を捨てて彼岸の絶対実在へ一体化しようとするからである。
 かくして神の中に生きるということは、ニーチェによれば、生の意志に対して敵意が告知されることであり、生の諸条件に反抗してこれと対立する概念を作り出すことである。この点の認識において「ユダヤ人は世界史の中で最も注目すべき民族であり」、「最も呪われた民族」である(『アンチ・クリスト』)といわれる。ユダヤ人の意識の中にニーチェは、生のあらゆる幸福が借財であり、不幸は全て罪の報い、神への叛逆に対して神から加えられた罰である、という考え方をみる。ユダヤ教の精神と運命に対するニーチェの批判は、青年時代のヘーゲルのそれと一致するのだが、はるかに徹底している。
 さらにニーチェは、このような現世否定の宗教のもつ心理的な、否、病理的な基底にまで立ち入ってその心情を解剖し、キリスト教道徳がその根において、「道徳における奴隷一揆」(『道徳の系譜』)、「高貴な道徳に対するルサンチマン道徳による復讐」(『アンチ・クリスト』)であるという。
 自然への没入、絶対者への帰依が自然的宗教の心情に含まれる一面を示していることは、むろん否定できない。けれども彼岸への憧れや自然との一体感はルサンチマンではないし奴隷道徳でもないと我々は考える。また絶対実在は自己であるとする自然的宗教の立場をそのままキリスト教であるとして批判することは、ヘーゲルのキリスト教理解からみれば的外れである。「キリスト教はプラトン主義の民衆版だ」(『善悪の彼岸』)と解される場合のキリスト教とは純然たる彼岸信仰であり、まさに自然的宗教のレベルを越え出るものではない。絶対実在をそのまま神とする立場、カント的にいえば、物自体の対象的認識を認める悟性の形而上学の立場を、ヘーゲルはカントと共に越えたところに、カントとは異なった神存在に関する自らの問題を設定したのである(古い存在神学の根本概念や証明方法を、ヘーゲルは、カントと同じように却下している。だから同じく存在神学と名づけられるのに十分値するヘーゲルの体系は、存在神学の新しい根拠づけではあってもその古い形式を義認することにはならないのである。この古い形式こそ、ヘーゲルから見ても、すでにカントによって決定的に破壊された形式であった)。かくして「絶対実在は自己である」という自然的宗教の立場を出ないキリスト教を前提した上でこれを攻撃したニーチェのキリスト教批判は、心理的にも論理的にも見当外れであったと言わねばならない。むしろあの激烈なキリスト教批判へとニーチェを駆り立てたものが何であったか、その理由を明らかにすることの方が重要であろう。
  
 ヘーゲルはルター派に所属する教会の信徒として、晩年においても「哲学を通じて全面的にルターの考え方に堅く立っている」(ヘーゲル56歳)と書き誌している。ハレの神学者トルックが後期オリエントにおける思弁的三位一体論の成立に関する歴史的研究を発表した際、それについての批判的な注意を促した私信の中の言葉である。前記の文章に続いてヘーゲルは、「私はこの根本的な教義(三位一体論)に関して外的な歴史的説明方法だけで事足りるとは決して考えておりません」と述べている。ヘーゲル弁証法とキリスト教三位一体論との関りを示唆する言葉ではあるが、それはさておき、プロテスタント・ルター派としてのヘーゲルの立場は極めて明快である。更にまたヘーゲルは「ルター教会においては、主観性と個人の確信とはそのまま真理の客観性であり」、「主観性はこの真理の中で自由になる」と述べている。いうまでもなく、ルターに始まる宗教改革の運動がフランス革命と共に、近代的人間の理性と自由の確立にとって世界史的意味をもつ出来事であった、というのがテュービンゲン神学校以来のヘーゲルの確信である。
 ニーチェもまた、よく知られているように、ルター派の牧師を父とし、牧師の娘を母として、生粋のキリスト教の家庭に育てられた。5歳の時に父を失い、母や伯母、祖母たちに囲まれて成長していった。幼いニーチェの生活環境の中で優勢であった深い宗教性は、妹エリザベートの伝記によれば(伝記による限り、ニーチェのあの激烈なキリスト教攻撃がどのようにして生れたかを納得させるような伝記的事実を見つけ出すことは難しい。ただニーチェが文献学者として聖書を読んだこと、聖書の文献学的真理を研究することとそれを信仰することとを明確に分離したことから始まったように思われる。その点でレーヴィットの次のような指摘は理解できる。「ニーチェのギリシア人崇拝に含まれているアンチ・クリスト教的目標は、彼が古典文献学の出であることからの一つの帰結であり、我々文献学者の企画の中で既に用意されている」と。1865年、21歳のニーチェはボン大学で文献学の聴講手続きをとり、神学の方は手続きをしなかった。1869年の初め頃、このことについて次のような手記を残している。「しばしば憧れをもって逃げ込んだ私の研究は、福音書批判と新約聖書の典拠研究という文献学的側面に向けられていた。当時の私はまだ、歴史とその研究が或る種の宗教的問題と文献学的問題に直接の解答を与えることが出来ると想像していた」。それはニーチェが、あらゆる若い学者と同様に、洗練された文献学者の狡猾な遅鈍さで、比類なきシュトラウスの著作(『イエスの生涯』)を味わい尽したと後になって述べている、その当時のことであった。同じ頃ニーチェはエリザベートに次のように書き送っている。「ここに至って今や人間の行く道が分かれる。お前が魂の安逸と幸福を追求しようとするならば、信ずるがよい。お前が真理の徒であろうとするなら、探究するがよい。この両極の間には、多くの中途半端な立場がある。だが重要なのは主要目標なのだ」。)、決して強制されたものではなく崇高な形での自然な献身を生きた模範として教えられたという。けれども反対に、レーヴィットは、若いニーチェの論文や詩に現れている宗教性が最初から借り物で無理をしたようなものであったと立証したポーダッハのニーチェ研究を紹介している。
 ヤスパースは、アンチ・クリストへと変貌して行ったニーチェのキリスト教経験の特異性を次のように述べている。ニーチェは、幼い時から躾けられ、熱心に学習してきたキリスト教の<かくあらねばならぬ>という、いわば要請としてのキリスト教と、牧師の家庭に育ち自分の周りで見たキリスト教の実態との甚だしいギャップに苦しめられたのではないか。「ニーチェは自分がキリスト教徒たちに対して近い関係に立ち、プロテスタントの牧師の家系に属することをかけがえのないことだと感じてはいる。だがキリスト教徒たちが概ね完全なキリスト教徒でないことを意識すると、この近さが別の意味を持ってくる」。すなわち要請と現実との甚だしい乖離は、キリスト教に対してそのラディカルな変革を迫る原動力となる。何らの交渉もなく並存している場合を除けば、この乖離に対する批判は、キリスト教内部における変革か、あるいは、キリスト教そのものの破壊をもたらすか、のいずれかであろう。前者の道をとったのがキルケゴールであり、後者がニーチェである。
 ニーチェは自己自身の経験を一般化して、ドイツにおける深刻で重大な懐疑主義が、むしろ、プロテスタントの牧師の子弟の間に多数輩出した点に注目する。そしてドイツの哲学者や学者のあまりにも多くのものが牧師の子弟として牧師というものを見て来た結果、もはや神を信じなくなったこと、ドイツの哲学は、一言で言えば、宗教的な人間や二流どころの聖者、農村や都市の全ての牧師、それに加えるに大学の神学教授など、これらの人々に対する不信の念の表明であることをあからさまに公言する。
 「ドイツ哲学が根本において何であるかを捉えるためには、テュービンゲン大学神学寮という語を発しさえすればよい。それは狡猾な神学である。・・・シュヴァーベン人はドイツで最も上手な嘘つきであり、彼らは無邪気に嘘をつく」(『アンチクリスト』)。盤石の重みをもってヨーロッパ社会に君臨するキリスト教の伝統的な価値観に1人だけで、「ハンマーをもって」立ち向かおうとするニーチェの力はどこから出てくるのか。それについてニーチェは次のように述べている。「そもそもキリスト教の神に打ち勝ったものが何であるかは我々の目には明らかである。それはキリスト教道徳そのもの、いよいよ厳しく解された誠実性の概念であり、学問的良心にまで、また一途な知的廉潔にまで、翻訳され昇華されたところのキリスト教的良心という懺悔聴聞僧的な鋭さであった」(『悦ばしき知識』)。「かくして教義としてのキリスト教は己自身の道徳によって没落した。かくして今や道徳としてのキリスト教もまた没落せざるを得ない。この出来事の入り口に我々は立っているのだ。キリスト教的誠実性が一つ一つ結論を引き出していった後、最後に、最強の結論を、すなわち己自身に対立する結論を引き出す」(『道徳の系譜』)。

 キリスト教自身による伝統的なキリスト教の否定、すなわち「プラトンの民衆版」と解された彼岸信仰としてのキリスト教の否定というニーチェの激しいキリスト教批判は、ヘーゲルの宗教論からみれば、芸術宗教の段階に相当する、と我々は考える。なぜなら、ニーチェのキリスト教の否定は近代的人間の主体性と自由という原理がキリスト教によってもたらされた歴史的産物でありながら、そのことが必然的に実体としての神の死を招来するのであるが、それは、ヘーゲルにおいて、自然的宗教の否定、あるいはカントと共に、悟性的実体としての神存在を否定する議論と重なるからである。更にこの歴史的プロセスを、ヘーゲルは、自然的宗教(絶対者が主体である)より、芸術宗教(主体が絶対者である)への弁証法的な展開として捉えているからである。「芸術の宗教を介して精神は、実体の形式から主体の形式の内へと歩み入ってしまっている」とヘーゲルは言う。言うまでもなくキリスト教は「絶対宗教」としてこの芸術宗教を否定的に越えたところに位置づけられる。
 芸術宗教すなわちギリシア宗教は、精神の形態を彫像として、祭祀として、また喜劇として創り出す。実体としての神は死ななければならない。それによって実体が主体となることは、神的実在が人間になることである。その始まりをヘーゲルは、ギリシアの彫像の制作の中に見ている。主体に含まれている「創り出す」、「働き」、および「自己意識」の三つの条件は、自然的宗教から区別された芸術宗教の特徴である。その働きが極限にまで主張されたとき、内なる働きと外なる実在とは統一されて「自己」へと移行し、そこに喜劇が出現する。喜劇の精神においてあらゆる実在は沈み込んで、「軽やかな心」が現れる。そしてこの軽やかな心を言い表す命題が「自己とは絶対実在だ」ということになる。
 ニーチェの場合を考えてみよう。「ぎりぎり厳格に考えて、そもそもキリスト教の神に打ち勝ったものは何であったか」(『道徳の系譜』)とニーチェは自問して、『悦ばしき知識』の357節の文章を繰り返しいる。批判の結果そこに残ったものは何か。それをヘーゲル流に言い換えれば、不動の実在、絶対実在の形をとって自己に迫り対立して来るものを全て否定して、もはや一切の対象意識を喪失してしまった「この自己意識」である。
 かくして絶対実在を自己として、あるいは同じことだが主体として同化していく歩みの中に、すなわち、芸術宗教の立場そのものを貫いていく歩みの中に、一方において神の死を告知しながら、他方、軽やかな心、ユーモアの心をもって、ニーチェは「悦ばしき知識」を謳い上げる。「・・・とは言っても、この差し当たっての影響は(神の死の影響は)、我々にとっての影響は、人々が予期するかもしれないのとは反対に、悲しむべきもの、暗鬱なるものでは決してなく、むしろ筆舌に尽くし難いような或る新しい光明、幸福、安心、晴朗、鼓舞、曙光といったものである。・・・事実我々哲学者であり、自由な精神であるものは、古い神は死んだという報知に接して、まるで新しい曙光に照らされでもしたような思いに打たれる」と(『悦ばしき知識』第5書)。かくして我々は、我々の前に再び開かれて来る新しい水平線への感謝と驚嘆と予感と期待とに変えられていく。そしてニーチェ自身は、ギリシア芸術宗教の一方の雄ともいうべき哲学者ディオニュソスの最後の弟子であり、永劫回帰の教師でもあることを自認するようになる(『偶像の黄昏』)。ヘーゲルもまた芸術宗教の成り立つ究極的な境位が喜劇とユーモアにあることを見ていた。芸術宗教における軽やかな心は、「完全に自分を確信しながら、無制限の喜びに、極度にまで自由に自分自身を享受することに、到達してしまっている」のである。
 我々はヘーゲルの見ていた啓示宗教はこのような芸術宗教、ひいてはディオニュソス教の立場を越え出ていると考える。要するに、ニーチェのキリスト教理解はヘーゲルのいう啓示宗教、絶対宗教、すなわちキリスト教のレベルには、つまり自然的宗教と芸術宗教とを否定的に越えてこれを総合し統一した立場には到達していないと見るのである。

 ヘーゲル対ニーチェという主題設定の意味を我々は以下のように考える。
 (1)神は、神を己の主体として己の中に呑み込んでしまった人間によって殺される。人間の主体性と自由との確立というキリスト教から生れた思想は神の死を媒介にしている。神の死が近代の宗教の、よってもってそこに基づいている根本感情と見なされる限り、ヘーゲルもまたこの感情を不幸な意識の痛ましい感情としてよく知っていたのである(『信仰と知』)。ただヘーゲルが、そこに近代の始まりを見ていたのに対し、ニーチェは近代の終わりを見ていたと言えよう。だからまたニーチェから見れば、ヘーゲルは、「存在するものの神的性格を、とどのつまり、我々の第六感、すなわち歴史的センスの力を借りて説得しよとする大いなる試みによって、無神論の到来を遅らせた責任者として大物だった」(『悦ばしき知識』)ということになる。キリスト教の終わりをヘーゲルは新しい始まりだと錯覚したのだから。
 ヘーゲルは神の死を、古代・中世のキリスト教神学における「神は死ぬことが出来ないとする有神論的概念」の枠を破って主張した。神の死という最も恐るべき思想を、この痛ましい苦悩を否定的契機として内蔵する弁証法によって論理化し、死からの復活によって示される新しいキリスト教(歴史的にはプロテスタンティズムという実定宗教)と近代精神との関わりを肯定的に捉える。宗教改革、啓蒙主義、フランス革命の思想の三つは、理性と自由の概念によって統合されて近代精神を形成する根幹となる。これに対してニーチェの神の死は、近代的な価値の没落すなわちニヒリズムを象徴する事件である。「悦ばしき知識」は、近代の終焉をニヒリズムとして経験した「我ら怖れを知らぬもの」が未来をラディカルに肯定する超人の教説となる。
 (2)ヘーゲルがカントの道徳神学の立場を批判的に越えて、キリスト教の実定性を承認したとき、すでにカント的な実践理性によって要請された神という考え方は克服されていたと言えよう。歴史的事実の根源性が理性に先立って与えられているからである。人間の意志によって神が最高価値として措定されたのだと見なされる限り、神の神たるゆえんは否定され、殺されている。価値を基準にする思考は、初めから、存在そのものをその真理において本然のままに至らせない。価値を目指す思考の主体が人間である限り、「人間は、本然のままに存在するものという意味での存在者を取り扱うものとなる」。ハイデガーは、周知のように、近代的人間のこのような蜂起の結果として、ニーチェの神の死(我々人間が神を殺したのだ)を解釈している。
 ニーチェがそれによって「悦ばしき知識」を獲得し、幸福なる意識を享受した、このような人間的蜂起の裏側では何が起こっていたか。それをヘーゲルは「不幸な意識」と呼んだのである。不幸な意識とは、近代的人間の主体的に自立した意識の中に潜んでいる意識、ヘーゲル的に表現すれば「即自的かつ対自的に存在するはずだと思っている自己確信に含まれている悲劇的運命」である。神の死、不幸な意識、あるいは自己意識の挫折の後に来るものは、ヘーゲルにおいて、むろん超人ではなく精神である。不幸な意識は己を越えて、幸福なる意識へ(ニーチェのように)進むのではなく、精神へと生成する。そしてこの精神は『精神の現象学』の末尾において絶対精神のゴルゴダをもって終る。絶対知の完成された形態が神の国の実現として、あるいは絶対的に成就された永遠の知として終わらないで、なにゆえにゴルゴダでなければならないか。
 (3)ヘーゲルはこの箇所で「歴史と現象知の両者を合わせたものが概念的に把握された歴史であるが、両者は絶対精神の想い出を、絶対精神のされこうべの場を形づくっている」と述べている。絶対精神が想い出すされこうべの場とは、言うまでもなくイエス・キリストが十字架に架かって刑死したゴルゴダの丘のことである。それは絶対精神の辿る歴史的運命(否、摂理というべきかもしれない)を予示している。「神はキリストを栄光あらしめ、み国に移そうとしたもうた時、かえってそれとはまったく正反対に死なしめ、辱しめ、地獄におとしたもうたのである」というルターの十字架の神学の考え方を、ルター派のヘーゲルは絶対精神の歴史的運命として理解していたのであろう。絶対精神の哲学はまた十字架の哲学ということができよう。キルケゴールが非難の俎上に乗せたヘーゲル哲学とはおよそ異質なヘーゲル像である。
 このようにしてヘーゲルにおける神の死とは、抽象的な実体としての神の死(神の即自的な死)、イエス・キリストの十字架上の死(神の対自的な死)、そして絶対精神のゴルゴダ(神の即自的かつ対自的な死)、という弁証法的な構造をもっているということが出来るであろう。これはあまりにも思弁的な、また形式的な解釈かもしれないが、少なくとも、単なる実体的な神の死とその心理的な解釈のみに止まったニーチェの神の死の概念に比べ、ヘーゲルはより深い神の真実を、したがってまた人間の真実を捉えていたのではないであろうか。
































月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
ニーチェとヘーゲル(2) ヘーゲルに学ぶ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる