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zoom RSS 実存主義の歴史(1)

<<   作成日時 : 2017/04/10 09:40   >>

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 実存主義は青春の思想である。青春とは子供時代に浸っていた普遍性を犠牲にする、すなわち世路の要請に答えるという特殊性へと歩み出す陣痛のようなものである。絶対知が出現した後の時代において、哲学の完成すなわち完了という黄昏の風景を認めたくない青春のあがきの生み出した思想が実存主義である。しかし美しき魂に止まってはならない。実存主義はヘーゲル哲学へと止揚されねばならない。
 人間は死すべきものであるということは陳腐な諺にすぎない。しかし平素、我々はこの真実を覆い隠して、死ぬことのない「ひと」(ハイデガー)として生きている。しかし死は所詮不可避であり、また各自私のものである。だからこの世において人間は見捨てられた孤独の状態にあり、頼りにし得るものは所詮自分だけである。そうして平素は「快原理」(フロイト)によって幸福を追求して生き、なるべく苦のことを考えないようにしているにしても、人生から苦を全く取り去るということは所詮不可能である。しかし死すべきものではあっても、生き延びようとし、苦があっても快を得ようとし、しかもいずれをも自己によって自己のためになしているのであるから、個人間にも団体間にも争いは不可避であって、たとえ儀礼や辞令のベールによって覆い隠しても、争いは厳然として実在するのである。しかし争い闘う以上、責めに陥らざるを得ぬが、責めを負うという以上、各自の完全なる孤立を越えて、その底に連帯があることになる。
 戦争のごときは人間をして最もよくこの限界状況に直面させるものである。そこでは非人間的なる残酷さが跳梁し、苦は極限に達し、絶えず死の危機に瀕するから、確かに一方では人間は不安絶望に誘われ、ニヒリズムや不条理に陥れられる。疎外感は極限に達するのである。しかし、限界状況は、他面においては人間をして己の架空ならぬ現実、仮象ならぬ真実に迫らせ、また己のよって立つ底を覗かせ、もって真実の自由と自己と連帯とに覚醒させるものである。
 ヤスパースの限界状況論も第一次大戦の体験から成熟したものである。緒戦期には昂奮と使命感との混合した熱狂のあったこと、これがやがて麦わらの火のように消えて行ったこと、以前には確実不動と思われていたすべてのものが動揺するに至ったのであって、我々の世代がカタストロフィの流れの内に投じられたのを自覚したのは開戦以後であることが自伝に語られているが、また次のように言われている。「極端なこと、限界状況が私の思索にとっては最初から源泉であった」。限界状況はヤスパースにとって交わり(コンム二カチオーン)と共に二大支柱をなすものである。ヤスパースにとっても、人間はどんな場合も状況において存在するものであり、状況と不可分の統一をなしたものである。だから人間を知るには状況を認識する必要がある。認識するのは所詮科学によるが、しかし科学は対象化し普遍化するものであるのに、人間がそこに存在するところの、すなわち現存在するところの状況はそれが出来ない。科学と技術とは意識ないし悟性の立場をとるものであるが、かかる立場いおいては認識することも、また変更することも出来ないものが限界状況なのである。それでは認識できないとしても了解することはできないか。了解を与えるものは精神である。精神の了解は必ずやある一定の価値表をもってせられるものであり、この価値表が通常人間がその中に閉じ込められているところの殻(ゲホイゼ)のようなものであるが、限界状況とはむしろこの殻を打破させるものであり、既成の価値観や観念では律し切れないものである。そこで限界状況とは悟性によって認識し得ず、精神によって了解され得ないものであるということになる。
 かくして限界状況とは不可解の謎であり、また技術によって変更しようにも処置のつかない酷薄無残の事実、偶然性と歴史的社会的条件などに制約されるという狭さとを免れぬ、ただ全くの事実である。およそ人間の具体的現実的状況に成心なしにありのままに接するときには、それは必ず限界状況としての意味をもつが、その特質を格別に際立たせるものとして『世界観の心理学』は争と死と偶然と責とを、『哲学』は死と苦と争と責とを挙げている。かかる限界状況はライプニッツが永久真理に対立する事実真理の理由に関して発した「いったい、事態はなぜこのようであって、あのようではないか」という問いに人を誘うものである。ところで限界状況のもとにおいても、人間は現に存在している。すなわち現存在しているのである。現存在している以上、当然また存在もしている。いったいヤスパースにとって究極的に言えば存在さえあればいいのであるが、この存在とはあらゆるものを包み越えるものであり、全てを存在させると共に存在させないところのものである。『哲学』においてこの書が与えようとするものは「存在の意識」であるが、存在だけでは存在の意識は成立し得ず、そのためには存在が現存在として与えられねばならない。そのときの現存在がじつは限界状況に他ならない。そこでライプニッツの上述の問いは、ヤスパースでは、「いったい、なぜ現存在があるのか」という問いになるのである。
 しかし人間は限界状況のもとにおいても現存在し、したがって存在の影を宿していることになる。そうして現存在が単なる現存在に止まらず、永遠絶対の存在を映現しているところに、ヤスパースでは歴史性が成立し、そうして限界状況の問題は歴史性の問題になる。限界状況が却ってかかる歴史性を成立させることの出来るのは、この限界が限界状況の概念として、彼方から迫って来る声なき声(良心の声)に聴従することを得させ、この意味において飛躍し超越することを得させるからである。かく現存在が単なる現存在に止まらず存在を宿し、存在の意識をもつときには、それは実存となる。だから「限界状況を経験することと実存することとは同じなのである」。実存するときには存在の確信が得られているが、これがヤスパースにとっては、絶対意識に他ならない。そうして絶対者はまた超越者でもあるから、限界状況論は『哲学』第三巻における最も重要な「超越者への実存的関係」の論をも可能にするのである。
 ハイデガーは、1915年にはフライブルク大学の私講師となったのに、17年には招集され従軍したために19年の夏学期までは講義を再開できなかった。そうして17年の頃には、フッサール風の、またアリストテレスの形而上学風の真理は現在としての存在に他ならないから、存在は時間性の地平より解明されるべきであるという主著の形式的構造はすでに成立を見ていたが、従軍して具に死の脅威に晒された。本来性の分析は思想内容には、かかる体験より生じたものであろうから、彼がヤスパースと違って、限界状況を死に限ったのも、いわれなきことではない。
 ハイデガーは時間性については独自の見解をもっている。死における、終わりにおける存在としての本来性では、現存在は自分自身の有限的な、しかし全体的な可能性にまで先駆的に決意し、これによって己を将来するのであるが、この先駆ないし将来が本来的な未来である。しかしこのような可能性は己の宿命であり、己の既存であり、将来は帰来であり先駆は取り戻しであるから、本来的未来は本来的過去と方向が異なるだけで実質的には同じである。しかし本来性においても現存在は依然として世界内存在であることを失わず、この世界は非本来性の場合と区別するために特に状況と呼ばれるから、状況においてある道具や他人を自分の前に投げて、これらと交渉することになるが、この自分の前に投げることが本来的な現在である。このような未来と過去と現在とは互いに分離され得ない連関にあるが、特に未来と過去とは内容においては同一であるが、しばらく分離して未来から始めると、有限性ではあっても全体的な自分の可能性を将来するということは己の責めを引き受けるということである。ハイデガーにあっては、それは「ひと」として世間に頽落している状態から本来的自己に覚醒すべきであるという責めであり、さらには自己が自分の根拠をもっていないということを認めるのは、根拠を永遠絶対の存在に負うているというその負い目を認めることである。しかし負い目を認めることは、宿命を引き受けることである。
 ハイデガーは現存在の存在をもって配慮(ゾルゲ)としているが、この配慮は本来的であるときには、己の死にまで先駆することである。彼の根源的時間では未来も過去も現在もいずれも脱自(エクスタシス)であるが、特に未来がそうである。脱自とは外に立つことであるが、それは死という終わりまで耐え抜くこと、極みにおいて耐え抜くとこである。しかし死とは有限的ではあっても全体的な可能性のことであるから、極みにおいて耐え抜くとは己の全力を尽くすことである。かかる意味において全力を尽くすものは己の乗り越えることの出来ない限界に撞着しているが、どうしても乗り越えることの出来ない限界はもはや自分の設けたものではなく、限界の彼方にある永遠絶対の存在によるものである。だからまた脱自によって極みにまで至るということも、自分が行くのではなく存在によってそこまで行かされているのである。かくて現存在の存在は本来的配慮において顕わになり、ここに現存在が自覚的に存在の現(ダー)たることを得るのである。
 現実には不定であるにしても、とにかく終わりが厳然としてあり、そこに至ることの出来る脱自があるというのは、個々のものには囚われずに、有限的ではあるにしても可能的全体を捉え得る自由のあることを意味する。すでに主著が「現存在とは最も本来的な存在可能に向かって自由であり得る可能性である」という所以はここにある。人間に自由があるのは、超越的存在によって自由へと投げられていることに、自由を贈られていることによるのである。自由の能動の底には受動があるのである。ただ超越的存在は、人間に己を現すと同時に隠すものであり、その啓示には常に留保が伴っていて、それ自体としては不可知であるから、自由は奈落であることになるのである。また全体といっても有限のものであり、自由といっても贈られたものとして自分のではないから、全体をもって絶対的なものとし、自由を自分のものとして自由にするならば迷いに陥ることになる。しかし自由を贈られたものとして、存在の恩寵として受け取るものは超越的存在の声なき声に聴従し応答して生きることが出来る。
 ライプニッツは『自然と恩寵との原理』の第7節において、「一体、事態はなぜこのようであって、あのようでないのか」を問うた後に、虚無は或る物よりも遙かに簡単であり理解するに容易であるから、この基本的問いに関しては、まず第一には「一体、なぜ虚無よりも或るものがあるのか」を問い、次いで第二には「一体、なぜ事物はこのように実存してあのように実存しないのか」を問うべきであるとした。だがハイデガーは、このライプニッツの見解は、存在するものを存在に優先させる偏見であるとして斥け、第一の問いを、「一体、なぜ存在するものがあるのであって、むしろ虚無があるのではないか」と表現し返して論じている。恐怖は一定の存在するものに関するのに対して、不安は存在するものの全体に関する。存在が顕わになるためには、まず存在するものが存在ではないこと、すなわち虚無であることが明かされなくてはならないが、これを行うのが不安に他ならない。
 第一次世界大戦の体験がヤスパースをして『世界観の心理学』において限界状況論を成熟させたが、その後における同様な経験が主著においてこの論を一層整備されたものとさせた。そうして呼び方は別にして、実質的にはこの限界状況論はハイデガーの主著の内にも生きている。そしてハイデガーに深く影響されたサルトルを通じて実存主義は広く世界の人心を捉え、ついにカール・ハイムが科学主義以外のものを全て実存主義と呼ぶような状況を呈したのである。しかし実存主義の系譜を辿るには、なお第一次世界大戦の影響という観点に止まる必要がある。

 第一次大戦はヤスパースとハイデガーの登場を促した他、二つの注目すべき出来事を結果した。
 第一は危機神学・弁証法神学の成立である。1919年はその創始者カール・バルトの画期的な『ロマ書註解』の出た年だからである。戦前のドイツのプロテスタント教会を支配したのはいわゆる自由神学であった。その発端はバウルやシュトラウスやフォイエルバッハのようなヘーゲル左派であって、彼らはヘーゲルにおける「絶対者は主体」の「主体」を教団と解することを通じて、やがて人間と解し、ヘーゲル哲学を無神論の方向へ発展させ、神を人にまで引きずり下ろし、人を神にまで引き上げんとした。その後、リッチェルやハルナックのときに至るまでの神学には、たとえあからさまではないにしても、超越神の信仰を無きものとし、受肉のキリストを人間と解し、人間の自由と尊貴とを高調する傾きがあった。科学と技術によるヨーロッパの文化と社会との躍進、ヨーロッパ人の世界支配、大英帝国を圧せんとするドイツ帝国の隆昌などが知らず知らずのうちに世間から離れた神学者や牧師をも支配していたのである。しかし敗戦はヤミ取引をせねば餓死するがごとく、彼らに人生の架空ならぬ現実、仮象ならぬ真実に直面させた。バルトは戦時中深くロマ書に親しみ、パウロの説く神の超越性と自由、その世界や人間に下す終末の審判など、そのまま当代にも当てはまると感じて『ロマ書註解』を書いたのである。自由神学の国際的機関誌はすでに開戦の頃から動揺を示していたが、1923年に機関誌『中間時』が創刊されるに及んで、弁証法神学・危機神学は自由神学にとって代わることになった。神をもって絶対他者とし、神と世界または人間との、また信仰と知識との、宗教と文化との限りなき質的区別を高調するのがその特徴であって、おのずと、キルケゴール復興の運動とも手を携えることになった。そうしてハイデガーの主著と時を同じくして、1927年にバルトの『教義学』が刊行され始めてから、この神学の存在は実存主義と結んで牢固たるものとなって行く。もっともバルト自身はこの年にキルケゴールや実存主義との絶縁を宣言したが。バルト、ティリヒ、ブルトマンの三人が神学的実存主義者として挙げられるのが通例であるが、最も重要なのはブルトマンである。彼はむろんバルトに深く影響されたが、同時にまたハイデガーにも影響を受けた。彼は1941年の『ヨハネ福音書』以来、キリスト教の非神話化を提唱してバルトに代わってプロテスタント教会の支配勢力となっているが、しかし非神話化によってキリスト教を彼が何に変えようとするかと言えば、ハイデガーの実存哲学(ただしゴガルテンの共同性の原理が加わる)へであるという観が深いのである。影響力の点からいえば、ハイデガーがヤスパースに遙かに勝っている一つの原因はブルトマンとの結合にある。
 第二はシュペングラーの『西欧の没落』である。近代ヨーロッパ文化は900年頃に古代文化とは全然異質なものとして誕生して20世紀にまで至ったが、19世紀以後の大衆の時代、帝国主義の時代、世界戦争の時代は、世界史の観点からすれば、ギリシア・ローマ文化のヘレニズムの時代、キリスト教・アラビア文化におけるほぼ1000年頃の実践的宿命論の時代と同時代であり、しかも没落を共にする時代である。彼の史観は、材料の点や文化類型の多様性の点などにおいて、トインビーによって補正されるべきものであるものの、その後のアメリカの勃興による西欧の地位を考えるならば予言的な意義をもつ画期的なものであった。
 ニーチェが生きたのはビスマルク時代にすぎないが、この時代に早くも彼はヨーロッパの没落を予感した。『漂泊者とその影』の第121節において、ヨーロッパが暗い過去の内に沈み、ただ三十冊の不朽の書の内にのみ生きるにすぎぬ日がやって来ると言っている。また彼は時代の頽廃を嘆き、ニヒリズムという招かれざる客がすでに戸口に立っていると叫んだ。彼の発言は祝宴の席上で弔辞を述べるようなものであって、彼は孤独であり、例外者であった。ハイデガーによると、デカルト-ライプニッツに始まる主客関係の形而上学は、表象によって存在するものを対象として定着させ、意志によってこの対象を処置せんとするものである。表象の面はヘーゲルによって一応完成したが、意志の面が顕在化しないことには近代形而上学は真に完成しない。近代形而上学のこの当然の要求に応じようとしたものが後期シェリングであり、ショーペンハウエルであるが、要求を完全に適えたものがニーチェである。彼こそは近代形而上学の完成者であって、形而上学を打破せんとしたにも拘わらず、彼は知らず知らずの内にその自己薬籠中のものとなってしまったのである。ところで近代形而上学においては、所詮は存在するものが存在に対して優位を占めることになるが、存在するものは存在ではない。科学と技術によって生きている近代人は存在するものを存在であるかのように思い込み、存在するものばかりを頼りとして生きているので、ニヒルを感じ絶望に陥るのは当然だと言うのである。
 西欧の没落は、潜在的には1830-40年の頃に始まっていた。 
 この時代がヨーロッパにおける重大な転換期であることを、ヤスパースもハイデガーも認めている。1828年、晩年のゲーテは語る。「神がもはや人類を嘉し給わず、今一度創造し直すために、全てを破壊せざるを得ぬ時がやってくるであろう」。ヘーゲルも1831年に亡くなる1週間前に『大論理学』第二版の序文末尾に「現代の関心の過剰と多面性によって否応なしに散漫になっているような外面的必然性の事情の下では、のみならず世の喧騒と現代の関心のみに汲々として麻痺し切った空想の饒舌が果たして思惟に専念する認識の冷静な寂境に耳を貸すだろうか」と嘆く。ヨーロッパのこのような精神的無力化の始まったのは、19世紀の前半のことであり、ドイツではドイツ観念論が崩壊した頃のことである。その理由として三つのものの定着があげ得るかと思われる。
 第一は産業革命のヨーロッパ全体における定着である。産業革命は1730年代のイギリスに始まり、それ以来、イギリスでは農業革命-繊維革命-動力革命-運河革命-汽車・汽船革命という経過を辿って19世紀の20年代には既に一応の完成に達していたが、しかし大陸がイギリスの影響を受容し始めるのは、平和の訪れたウィーン会議(1814年)以後のことである。フランスに7月革命が起こった真の原因は、25年にシャルル十世が国債の利息を5分から3分に引き下げ、翌年には羊毛への課税を5割にまで、鉄鋼へのそれを10割にまで引き上げるというようにブルジョアの激昂を買ったことにあるが、このことは当時のフランスにおいて産業革命の進展しつつあったことを物語っている。ドイツでは18年にプロシアが自領内に統一関税の制度を設け、34年にはこの制度はオーストリアを除くドイツ圏全体に拡大されたが、これはドイツ人が外国製品の流入を避けつつ、産業革命に懸命の努力をしていたことを示している。実際に35年にはニュルンべルグとフュルトと間の短い距離ながら鉄道が開通している。これによって1830年頃には産業革命はもうイギリスの独占ではなく、ヨーロッパ全体に定着したことを物語っている。
 第二は政治革命の定着がある。これはフランスに起こって、立憲議会から立法議会という過渡期を経て国民公会へという経過を辿ったが、しかしその後ナポレオン時代があり、またウィーン会議によるブルボン王家の復辟がある。したがって政治革命はブルジョア革命としてさえ定着していなかった。しかしウィーン会議によって平和が訪れると共に、フランスにおいても産業革命が推進されてブルジョアの勢力が向上して7月革命の勃発を招くことになり、ここに初めてブルジョア革命としてフランスにおいても定着したのである。そうして7月革命は保守的なイギリスにも波及して32年には選挙法の改正を見、それ以後イギリスも民主化されていくが、また大陸諸国にも深い影響を与えた。
 第三は近代哲学の定着である。20年代のヘーゲルはベルリンにあってドイツ文化圏に君臨した。このガイストの哲学は、人間の自由を実現せんとするものとして、デカルトに始まる近代哲学の完成である。つまり我々は自己自身を確信する精神をもっているが、そういう精神の一番深い底にあるものが神に他ならず、絶対宗教(キリスト教)とは、神が自己確信的精神の深底であるという知であり、これによって神はあらゆる人間の自己であることになる。そして、神のその実在、純粋思惟の抽象性を捨てるときには、現実の自己が神だということになり、人間が同時に神だということになる。これは主体性及び自己性を極限にまで推進したものという意味で、ヘーゲルは近代哲学を完成させたと言える。だからそれが思想界を風靡したということは近代哲学の定着を指している。これが彼が死んだ1831年以後との関係において何を意味するかというに次のことが考えられる。第一は哲学がヘーゲルにおいて敷かれていた路線を歩んで行ったということである。近代哲学は既述のように表象の面と意志の面とがあるが、ガイストの哲学には、後者に関してはなお要求され得ないものがあった。この要求を引き受けたのが後期シェリングであり、ショーペンハウエルであり、とくにニーチェである。第二はヘーゲルにおける「絶対者は主体」の主体をもって教団と解するバウル-シュトラウスのチュービンゲン学派によって自由神学の基礎が置かれ、その後、神学はこの基礎の上に発展していくということである。第三はチュービンゲン学派に媒介されて、絶対者を人間と解し、それを現実の内に定立せんとするフォイエルバッハのポジティヴィズムが生ずるということである。このポジティヴィズムは、一方では史観において自ずとコントのポジティヴィズム(実証主義)と単に名称上には止まらない吻合を示しているが、他方では定立を政治的実践とするマルクス-エンゲルスの社会主義となっていく。そうしてコントの実証主義は功利主義や実用主義となって発展していくのである。第四は哲学の科学化、技術化である。ヘーゲル以後、哲学史は哲学史学となり、宗教哲学は宗教学、宗教史学となり、歴史哲学は歴史科学となり、精神哲学は精神科学、社会科学となっていく。
 以上の三つの定着は近代ヨーロッパの対自化を意味する。ヨーロッパはもう暗夜に右往左往し辛うじて道を見出すのではなく、自覚の光に照らされた道を迅速に前進したのである。この時期にデンマークのキルケゴールが、現代は大衆、水平化、匿名、機械化、万能の価値をもつカネの時代と批判する。今日の時代批判は、原理的にはここに挙げ尽くされている感が強い。ここにはおよそ或る文化の批判は、その中心地からではなく、辺境から来るという事情があろう。バビロニアやエジプトの古高文化の批判がパレスティナの預言者によって、ユダヤ教の批判がガリラヤのイエスによって、ローマ帝国の批判がアフリカのアウグスティヌスによって、カトリシズムの批判がヴィテンベルクのルターやチューリッヒのツヴィングリによってなされたようにである。
 実存主義の先駆者キルケゴールから、一方では再び19世紀の末から20世紀初頭を、他方では彼以前の時代を見ると、次の二つの注目すべきことがある。
 第一は志向性の原理を通じて現象学ないし存在論が成立したことである。さてキルケゴールの思想が理論の立場からではなく、情調や意志の立場からなされるものであっても、そこにデカルト主義が働いていることは明らかであるが、しかし「私は考える、ゆえに私はある」と言うだけでは、あるのは私だけであってその他の何ものもないのであるから、独在論にさえなることはできない。なぜなら、独在論も哲学上のものである限り、自我以外のものにも一応の存在を認めながら、所詮実在するのは自我のみであるということを要するからである。だから単なるデカルト主義に止まるならば、キルケゴールの自己反省は感想や感慨に止まって哲学となることはできない。しかし、実際にはデカルトにおいても、自我がまずあって考える働きが生ずるのではなく、この働きによって初めて考えるものとしての自我と考えられたものとしての自我とが生じ、後者の観念が明晰判明なるものとして前者と完全なる一致を示しているのみならず、考えられた自我と、共に考えられたものとしてその他のものがあり、そうしてこれも明晰判明たる限り、絶対確実の真理であるが、ここに考えるものとしての自我があらゆるものの関係づけられる中心であり、「私が考える、ゆえに私がある」があらゆる真理の確実絶対の基礎たるゆえんがある。事態がかくのごとくであるとすれば、考えるというのは、何ものかを考えるのであるという意味において作用と内容とを区別する必要がある。これを明らかにしたのがブレンターノの志向性の原理である。彼は意識の作用に表象と判断と情意(愛憎)を区別すると同時に、いずれの場合においても意識するというのは必ずや或るものを意識し、或るものを志向することであるとして、意識作用と意識内容とを区別し、また両者の関係として志向性の原理を立てたのである。この原理によって意識にも内容があり、独自の領野のあることが明らかになった。しかし、これだけでは未だ不十分である。内容は意識の野の内にもあるものであって、はたしてその通りに実在するかどうかは定かではないからである。そこでさらに内容と対象との区別が必要である。例えば判断する場合に、作用が直接に志向し意味しているものは命題において表現されているところの内容であるが、更にこの内容に対応する対象があって初めて判断の真偽が問題となり得るごとくである。だから作用と内容との他、さらに対象が区別される必要があるが、このことを明らかにしたのがブレンターノの弟子のトワルドースキーである。かくして作用と内容の区別および関係によって意識が独自の内容と領野とを持つことになったばかりか、それはさらに内容を通じて対象とも存在とも結びつくことになる。ここにキルケゴールの、またニーチェの自己反省が哲学にまで成長する可能性を与えられた。ところで世紀末から20世紀にかけて、カトリックの側では近代主義に反抗する新スコラ主義ないし新トーマス主義があって、存在論の復興される気運が醸成されていた。カトリック教徒でもあるブレンターノの学位論文は『アリストテレスにおける存在の種々なる意味について』であるが、すでにこの論文にもトーマス主義が多分に織り込まれていた。かく意識に作用と内容とを区別し、さらに対象を区別するというデカルト主義の正当なる発展がブレンターノの弟子フッサールにおいて現象学を生むことになる。現象学は「事象そのもの」を重んずるが、この事象の成立には次の三つの還元が必要である。第一は事実から本質への形相的還元であり、第二は外在から内在への自我論的還元である。そうして内在するものとは内容と作用とであり、いわゆるノエシス-ノエマの相即である。この相即を本質直観の光に照らすとき、純粋意識の現象学が生ずるが、しかしこれだけでは独在論に終わるきらいがあるので、フッサールはさらに第三に、間主体的還元を加えて、対象の意義も恢復せんとするのであるが、ここに現象学的存在論としての哲学が可能になる。この現象学は基本的には理論哲学であって決して実存哲学ではないが、しかし事象そのものへと迫るフッサールの徹底した誠実さのゆえに、観想を難ずるハイデガーにおいても、サルトルにも、そうしてヤスパースにも消し難い影響を与えた。
 第二にキルケゴールから時代を遡ると、影響はなかったとしても、キルケゴールと思想上の酷似を示すパスカル、新スコラ主義と関連のあるアウグスティヌス、キルケゴールやマルセルが実存的思考の典型であるとしたソクラテスの弁証法などが先駆者としてあげられるが、さらにハイデガーも後期になると1950年の『林道』以来独自の存在史をもつことを示し、ヤスパースも1957年の『偉大なる哲学者たち』において哲学史を展開しようとしている。もっともヤスパースの場合には哲学史といっても東西両洋に亙るが、しばらく西欧の立場に止まるとしても、実存主義の系譜を辿るには、哲学史の全体に亙る必要があるというのが実情である。ところで哲学史には、むろんキリスト教の思想も盛られているにしても、それは端をギリシアに発するものとして根本的にはヘレニズムに属するものであるとすると、ヨーロッパ思想史の源流としては、ヘレニズムの他にヘブライズムがあるが、これと実存主義との関係はどうか。しかしこの問題を考えるには、まず実存主義の形態を区別することが必要である。
 
 さて実存哲学は、キルケゴールやニーチェの唱えたものでないのはもとより、ハイデガーの創唱したものでも、ヤスパースの創唱したものでもなく、ハイネマンが1929年に初めて刻印したものである。彼は哲学の道としては、学の哲学と生の哲学とがあるが、前者は厳密ではあっても生よりの距離を免れず、後者は生への近づきをもっていても衝動的直接的で厳密さを欠く憾みがあるにに対して、両者の中道を歩むものが実存哲学であると唱えた。そうしてハイネマンが実存哲学によって実際上、主として意味したのはハイデガーの主著における現存在の現象学的分析であったが、しかしハイデガー自身はこの名称を頑強に拒否した。しかしヤスパースが1932年の『哲学』において、さらに明確には1937年の『実存哲学』において公式に採用したことによって、この名称は定着し、さらにサルトルの『実存主義はヒューマニズムである』(1946年)によって広く世界に用いられるようになった。
 サルトルが「実存は本質に先立つ」というとき、本質はスコラ哲学のエッセンティア、実存はエキジステンティアである。前者は形相的可能的、後者は質料的現実的である。神が世界と人間とを創造する場合にも、工匠の工作の場合と同じく、まずそれらの形相が神の精神の内に内在しなくてはならないが、この形相がエッセンティアである。だからエッセンティアはまだ可能であって現実的ではなく、また質料とは無関係である。しかるに神がエッセンティアにしたがって質料を形成したとき、エッセンティアは神の精神から出て外に立つものとしてエキジステンティアとなる。このエキジステンティアにして初めて現実的であるが、しかしそれは質料的たるを免れない。かくエキジステンティアはエッセンティアに由来するだけでなく、すでに質料に宿るためにエッセンティアに比して何程か不完全である。だからスコラ哲学ではエッセンティアがエキジスエンティアに先立つのであるが、しかるにサルトルは人間は自由なものであるから、或る人間の何であるかは、自由によって決断し行為した上でなくては分からないので、エキジスタンスがエッサンスに先立つというのである。サルトルは人間が被造物であるという神学的規定を、したがってまた創造神の存在を否定して人間の自由を、自体存在に対する対自存在の自由を高調するために、この命題を立てたのである。
 しかるにヤスパースでは、キルケゴールの建徳(エルバウング)が基本になっている。教えられ学んだものも観念の上のことに止まる本質では無意義であって、現実に体現し、内的行為によって我がものとしなくてはならない。この際、現実生活の抵抗に出会うから、限界状況の苦を味わうことになるが、この苦に耐えて本質を我がものにしなくてはならない。だから主著における超越者への実存的関係は最もよく彼の立場を示している。すなわち一者と言っても多者への分裂に、帰依と言っても反抗にそれぞれ媒介されたものであるときにのみ実存的なものとなる。彼の実存的なものは、本質から実存へ、実存から本質へであって、両者のいわば間に成立するのである。
 これに対してハイデガーでは、人間が現存在として存在の現(ダー)であるのは、他の存在するものとは違って、存在するものでありながら、これから出て外に立って、存在へと超越(ただし絶対的でなく相対的有限的)しているからであり、自由であるのも、この超越によっている。しかも超越するといっても人間が自力でなすのではなく、存在の呼び声に応じてなすのであり、極言すれば超越するというよりか超越させられているのであり、自由であるといっても自由へと投げられているのであり自由を贈られているのである。彼がサルトルに対して『ヒューマニズムを越えて』をたたきつけたゆえんもここにある。
 キリスト教の関係からいうと、サルトルの哲学がキリスト教との絶縁を宣告したものであることは言うまでもない。ただし、実際絶縁できているかというと、対自存在にも対他関係を通じて、また価値観において自体存在がちらついているから、また後者より前者が生じるのは後者に破れ目が生じることによるのは、明らかに堕罪の観念によることであるから絶縁は決定的とは言い難い。
 これに対しヤスパースの哲学はキルケゴールの建徳を基本とするものであるから、キリスト教と深い関係を持ち得るものである。これに対しハイデガーの哲学はその性格からすれば、より超越的、より宗教的であるにも拘わらず、哲学化されたキリスト教、すなわちキリスト教神学以外にはヘブライズムの信仰に言及することはないから、問題を含んでいるのは、この哲学の場合であるが、この際の問題は存在という概念に究極する。
 そもそもハイデガーが哲学を志したのは、リチャードソンによると、1907年の夏休みに当時コンスタンツの高校最上級生で18歳の少年であった彼が町の牧師コンラッド・グレーベルの書棚にブレンターノの『アリストテレスにおける存在の種々の意味について』という就職論文を見出したときのことである。彼はこの書を読んで「一体、存在としての存在とは何であるか」をアリストテレスと同じく問うたのである。10年ばかり右往左往したが、この間、彼を導いたものが三つあった。一つはフッサールとの対話であり、他は再検討したアリストテレスの形而上学第9巻および二コマコス倫理学第6巻であって、これらによって真理としての存在が隠され忘却(レーテー)の内に沈んでいたものの顕わとなること、現に存在し現在するようになることであるのを知り、かくして存在が時間に結びつき、両者が同時に問題であることを知った。第三には、フッサールの思考が歴史性を無視したものであったのに対して、彼には、この現象学がデカルト、カント、フィヒテなどと結びつく一連の特定の立場であるのが明らかになったことである。だから彼の哲学は存在という概念に究極するのである。したがって、まず存在の語義を明らかにする必要がある。
 意識に作用と内容と対象とが区別され、対象が存在であるとされるとき、ことに存在がまた形相でありイデアであり本質であるとされるときには、存在は名詞と考えられがちである。しかしザインは不定形の名詞化されたものであるから、日本語の「ある」と同じく元来は動詞である。しかしザインは不規則動詞である。不規則動詞であるのは、人称と時称とのいかんによって語幹を異にし複数の語幹を混合しているからである。語幹は bheu-es-wes の三つである。bheu からは Ich bin の bin や英語 be-been-become が、 es からは Er ist の ist やギリシア語 esti やラテン語の est が、 wes からは Ich war の war や英語の was がそれぞれ出てくるのである。bheu は「天の原よりあれせまる神の命」(万葉三)の「あれる」であって、生(あ)れる、生ずる、あらわれることを意味し、ギリシア語のプュシス、プゥオーマイもこの語幹から来ており、そうして φυ- が φα- に通ずるところからして、光る、光のもとに立つ、現れるを意味する ?も生じてくる。es は「わが思ふ人はありやなしや」(伊勢物語)の「あり」にあたり、生きること生活することを意味する。wes は「天さかる鄙(ひな)に一日もあるべくもあれば」(万葉十八)の「ある」にあたり、したがって住むこと、とどまることを意味し、その不定形が名詞化されたものが Wesen (本質)であって、この用法は今日でも anwesend、abwesend において残っている。ハイデガーは『形而上学入門』においておよそこのようにザインの語原を説いているが、生(あ)れる、現れる-生きる-住む、とどまるという三様の意義が主著においても生かされていることは疑うべくもない。真理としての存在はそこでも生(あ)れること、現れることであり、現存在が世界内存在であるのも人間の生き住むのが世界においてのことだからであり、また内在は住むこと、或るものにとどまることであるとされているからである。ところで存在の意味がこのようであるとすれば、それが働きを意味し文法的に言って動詞であることは明らかである。それではこの動詞の主語は何かと言えば、むろん人間(正確にいえば世界内存在)である。この限り、存在は自動詞であるということになる。しかし究極的にはそうではない。このことは存在の歴史という概念について見れば明らかである。存在は己を人間に現わし贈るのであるが、しかし、己の全面を贈ることはなく必ずや隠し留保するところがある。そこで未だ啓示されていなかった新しい面が現れてくることによって存在の歴史は急激にエポックからエポックへと移るのである。かかる存在の歴史という概念からすると、存在が生きる-生(あ)れる-住むであっても究極的にはかかる働きをなすところのものは人間ではなくしてまさに存在自体、すなわち超越者-絶対者であり、これが働くものであることになる。だから、たとえ直接的には人間が生きる-生(あ)れる-住むという働きをなすにしても、人間は超越者によって生き生(あ)れ住むという働きをなさしめられているのである。存在は動詞でも、人間の立場からいえば能動ではなくして受動であり、超越者の立場からすれば他動詞なのである。ハイデガーは決してヒューマニストではないのである。
 ハイデガーが創造神とか被造物とかいう観念に対して、またヨハネ伝における仲立ちとしてのロゴスなどに対して否定的であることは明らかである。また最高の原因としての神、この神によって立つライプニッツやヘーゲルにおける Onto-Theo-logie としての論理学に対しても同様である。理由は、これらの観念が存在をではなくして存在するものを指すところに、またこの論理学が両者を明別しない立場をとっているところにある。しかしそうかといって、彼が必ずしもキリスト教信仰に対して反対ではないことは、『形而上学とは何か』の緒論において、コリント前書1-20にある「神は世の智慧をして愚かならしめ給えるにあらずや」というパウロの語を引用し、この世の智慧とは、22 に「ギリシア人は智慧を求む」の智慧であり、しかしてアリストテレスは「第一哲学」をもって「求められる哲学」と言っているから、ギリシア哲学でありギリシア形而上学であるが、いったい、キリスト教神学が一度でも真剣に哲学を愚かなものと決めつけたことがあるだろうかと問うている。これによって見ると、ハイデガーは決してキリスト教自身には反対ではなく、反対しているのはキリスト教神学であることが分かるが、この点では『プラトンの真理論』を取り上げる必要がある。キリスト教が神学として組織されるとき、プラトン-アリストテレスの形而上学による他なかったが、プラトンでは存在はイデアである。イデアは、もとよりこの世のものではないにしても、形であり姿であり見られたものであるから、たとえデカルトに始まる近代哲学ほどには主観への反省は強度ではないにしても、やはり表象によって主観の前に置かれて現在する対象である。そうしてイデアはむろんイデア界としての統一を形づくるにしても、もう統一的なプュシスから生(あ)れてきたという由来は忘れられているので、イデアというときには重点は、個々のイデアにある。だからイデアは対象であり、しかも対象の対象性ではなく、存在するものである。むろん個々のイデアを統一づける善のイデアがあっても、それとても、最高の原因であるから、却って存在するものたることにおいて最高度ものにすぎない。だから「プラトンの思索において形而上学の始まったことは同時にヒューマニズムの始まるゆえんである」。
 かくてハイデガーの反対しているのはキリスト教神学であってキリスト教ではないが、このことに、我々に想起されるのは出エジプト記 3-14 による「我はありてあるものなり」というヤーヴェのモーセに与えた語である。これは、ヨハネ黙示録 4-8 にある「昔いまし、今いまし、やがてきたるもの」を意味するであろうが、しかしヤーヴェのあるのはいたずらにあるのではないから、つまり創造神たることを意味するであろう。むろん創造という観念は、神の働きを陶工の工作になぞらえたものであるから、この観念では、神は存在ではなく、存在するものとなっているといえるが、これは創造がブルトマンのいわゆる神話であるからであって、この神話が表現しうべくもなくして表現しているところのものからいえば必ずしもそうではない。実際ハイデガーの存在が人間や世界に生き生(あ)れ住むのを得させる働きであり、己を人間に現わし贈り啓示しながら、常に秘めているものを残すところからしては、出エジプト記における存在としての神と少なくとも同一方向のものと言わざるを得ない。
 ヤーヴェはシナイ山においてモーセに現れてイスラエル民族に出エジプトの救いを与え、乳と蜜の流れる地に生き住み生(あ)れることを得させたが、このときにヤーヴェが己全面を啓示したのではなく、士師の時代、預言者の時代、捕囚の時代、帰還後の時代にそれぞれ新たなる啓示を与えた。しかしヤーヴェにはなお秘めたるものが残っている。これと同じように、プラトン前の時代、プラトン−アリストテレスの時代、ローマ時代、キリスト教神学の時代、デカルトに始まる主客関係の形而上学の時代などの各々において新しい啓示があることによって、存在の歴史が成立するのである。哲学者といえども自力で思考するのではなく、宗教家と同じく啓示を受け取っているのである。自己がしかじかと思考するのではなく、存在によってそう思考するように命ぜられているのであり、存在から贈られたカリスマによって思考しているのである。もっとも現代はいわゆるGe-stell の時代である。自然に対してエネルギーを供給するように強請し、また人間が相互にこの強請を行い、もう機構や装置の内に全く嵌め込まれてしまったために、かつての自然はなくなり、また誰一人として主人たり主体たるものはなく、押しなべて全ての存在するものが巨大を極める機構の内に Stelle をもつにすぎないゲシュテルの時代である。
 生きるも生(あ)れるも住むも人間のわざではなく存在のわざである。これは、ヘブライズムにおいて人間が塵、芥に等しく、何の価値をも尊さをも持たないと同じである。しかしまたそれにおけると同じように、ハイデガーは人間は存在からいわば特別に配慮を受けている。このことをハイデガーは人間と存在との相属と呼んでいる。他の存在するものと違って、人間は存在するものの全体を、すなわち存在を捉えることが出来る。人間は時間性の地平において世界を開示し、存在するものの内に内在しながら、実存し得る自由をもっているがゆえに、人間はそれぞれのものをそれぞれのものとして顕わにし、それらと交渉することができる。現存在が言葉をものにすることの出来るのも実存的であることによっているのである。しかしかかることは存在するものの秩序にはないことである。だから存在の現(ダー)として人間が存在するようになるということは、この秩序への侵入であり、それに刻み、割れ目をつけることである。だからこれこそ出来事であり、原始歴史だというのである。ハイデガーもこのようなことから現存在の神への関係が存在論的に問われ得るであろうと言っている。
 存在は己を人間に啓示しても常に必ずやなお秘めたるものを残している。だから或る時代の命運が尽きると、新たなるエポックへと転換する。いったいゲシュテルと言えども、人間の作ったものではなく、存在が作らせたものである。存在は全能である。しかし新たなる啓示をなすには、存在はやはり人間の協力を要するのである。存在は啓示にあたって人間を使うのである。贈られた全力を尽くし、限界の極みにおいて耐え抜き、しるしにおいて限界の彼方から迫って来る声なき声に聴従し得るように胸襟を開いているものにのみ新たなる啓示はある。存在が全能であるところからしてハイデガーにも予定説があるようであるが、予定説をとるものにとっては啓示と救いとはただ神のみのわざである。すなわちモネルギズムがとられるのである。しかるにハイデガーはカトリック教徒らしく穏健なシネルギズムをとって人間の協力を是認している。



 







































































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