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zoom RSS 実存主義の歴史(2)

<<   作成日時 : 2017/04/12 15:02   >>

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 近代哲学は、15世紀を中心としたルネサンスから開始される。ルネサンスにおける、それどころか、現代に至るまでのその後の世界史の歩みにとって最も重要な出来事の一つは、近代自然科学の勃興と発展であり、そうした近代的自然科学をそれとして決定づけたのは、コペルニクスの地動説であると言って差し支えないであろう。率直に言って、地動説が真理となった今日ですら、感覚的事実としては、我々が住むこの地球が毎秒平均30キロメートルの速さで運動しているとは、誰も考えないであろう。それにも拘わらず、そうした天動説に代わってコペルニクスの地動説が真理であるということは、いったい何を意味するのであろうか。おそらくそれは、感覚的事実に基づく真理とは別の真理も存在し、しかも、そうした真理を誤たず捉える抽象思考の能力を我々人間が持っているということ、このことを意味するであろう。感覚が与える日常的確信を越えて真理を捉えるこのような抽象的思考の能力を、総じて理性と名づけてよいとすれば、コペルニクスの地動説の内には、人間の本質を理性とみなす近代的人間観の方向が、すでに開かれていると言わなければならない。コペルニクスの地動説は、一つの事変であった。たしかにそれは、聖書の権威に基づく人間の神学的優位を剥奪するものとして、教会の側から激しく非難されはした。しかし反面、地動説の勝利は、近代的観点からすれば、抽象的思考が根差す人間理性の勝利を告げるものでもあったわけである。
 デカルトの「我思考す、ゆえに我存在す」の命題の内で定着した近代的人間観は、基本的には、その後の近代哲学を貫いて、近代哲学そのものを性格づけながら、カントないしはヘーゲルまで受け継がれている。そこには人間の本質を理性とみなす人間観が一貫している。それでは、こうした近代的人間観との対決によって、実存哲学はどのように新しい人間把握を試みているのであろうか。
 キルケゴールは、『現代の批判』の内で、彼の時代を分別・反省が過剰である時代だと批判し、そこには激情と内面性が欠如し喪失していると指摘している。彼の激情・内面性とは、感性的なものをも含み込んだ上での全体的人間の最も深い生の根源であり、そこから却って歴史の進路をすら変えることのできる行動が発動しさえもするものである。もちろん彼が追求した生涯の課題は、いかにして真実のキリスト者と成るかということであった。だから彼が美的・倫理的・宗教的と辿った人生行路の三つの段階において、宗教的段階は最高最深の段階である。しかしこの宗教的段階は、倫理的段階、そして美的段階をその根底に持っている。しかも、ここで美的と訳された言葉のドイツ語 ästhetisch は、ギリシア語の aisthesis から由来し、美的というより、本来はむしろ感性的・感覚的とでも言うべき意味であり、キルケゴールの場合には官能的とさえ訳されてよい時がないわけではない。キルケゴールの宗教的・キリスト教的人間観は、根本的には、このような感性的・感覚的、いや、官能的人間観に裏打ちされているのであり、このことは、不安は言うに及ばず、退屈その他、後の実存哲学においても一つの主要なテーマとなるに至った人間存在の気分的な在り方を、彼がしばしば問題としていることとも、無関係ではあるまい。
 近代的人間観との対立を、キルケゴールにもまして際立って直接端的に打ち出しているのは、おそらくニーチェであろう。ニーチェは主観とか意識とか思考とか、ないしは理論とか判断とか、およそ近代的理性に基づく一切のものに真っ向から反対する。ニーチェにとっては、デカルト的な「我思考す、ゆえに我存在す」は、「生は滅ぶとも、真理は生きよ」ということでしかなく、それゆえ彼は、それに代えて「我生く、ゆえに我思考す」という命題を立てるであろう。ニーチェは、近代的理性の思考を生それ自身の一つの営みでしかないと見なしたのであり、しかも、彼における人間的生の根本現象は、理性とは別のものに、すなわち、精神ではなく肉体に、キリスト教的に言えば、霊ではなく肉にあった。ニーチェが拠り所とするのは、衝動・欲情・本能など、総じて肉体的なものであって、人間的生の根本現象としてのこのものを最後的に総括した言葉、それが「権力への意志」であると言うことも出来よう。だからニーチェは、「肉体と大地に対する言葉と畏敬」を説き、肉体を信ずることが精神を信ずることよりも基本的であって、肉体こそ我々に最も確実な生存の手引きを与えてくれると、繰り返し強調する。彼においては、肉体は「偉大な理性」であり、精神は「卑小な理性」でしかない。そうした肉体が卑小な理性としての精神を道具として使用することの内に、彼は人間存在の真実の在り方を探り当てようとしたのである。
 ニーチェは精神と対立する肉体を、単に肉体として賛美したわけではない。ニーチェは例えば純潔の破棄を説いたが、それは、純潔を守ることが困難な弱者にとって、却ってそれが「地獄への道」とならないためだと、彼自身が言っていることからも分かる通り、ニーチェの肉体肯定の根底では、強者だけがそれを耐え通し得る厳しさが要求されている。ニーチェはいわば肉体を精神化して、人間的生の根本現象を回復しようとしたのであり、そこから「いかにして人は在るところもののに成るか」という課題が掲げられてもくる。
 ところで、近代哲学の基本的人間観と対立する二人の人間把握が、彼らの方法論的パースぺクティブをも制約しているのは、当然のことであろう。すでに人間把握ということそのことが、それぞれに応じた人間の捉え方の手法を要求するからである。したがってここから、逆にまた、哲学に対する根本的な態度も異なってくる。それでは、彼ら二人は、哲学に対してどのような根本的態度を取っていたのであろうか。彼らの方法論的パースぺクティブはどのように開かれていたのであろうか。ここでは、実存哲学としての実存の立場の歴史的成立と関連する限りにおいて、この点を振り返って見ることにする。
 まずもって言えることは、キルケゴールにせよニーチェにせよ、彼ら二人の思想が、彼らの生涯における自己体験に深く根ざしており、その自己体験を抜きにしてはあり得ないということであろう。キルケゴールの諸著作は、全て皆、秘かにレギーネに向けて書かれたものであり、その他のことは差し置いても、レギーネとの婚約とその破棄の秘密に対して何らかの理解を持たずには、おそらく彼の著作のどの一つをも完全に理解することは期待できまい。同様のことはニーチェにも言える。例えばヴァーグナーとの出会いと訣別は、キリスト教批判にまで突き進む時代批判を呼び起こしたものとして、ニーチェの思索にとっては決定的な出来事であった。また、発狂に終わる彼の生涯が、病苦の内で漂白と孤独に暗く寂しく彩られていたことを弁えているのは、彼の思索の独自の手法を知る上で、ほとんど不可欠のことであろう。
 キルケゴールは、『不安の概念』の中で、「人生は、人が見ることさえ弁えていれば、十分豊かなものである。人はパリやロンドンに旅行する必要はない。そんなことをしても、見ることができないなら何の役にも立たないのだ」と、また「自分自身に注意しさえすれば、全ての可能的な人間の心理状態を発見するためには、観察者は、5人の男と5人の女と10人の子供で材料は十分なはすである」と言っている。またニーチェの『人間的、あまりに人間的T』の内には、「人間はどれほど己の認識で背伸びしようとも、どれほど己自身が客観的だと思い込もうとも、結局その得るところは、己自身の伝記以外の何ものでもない」とあり、さらに『曙光』の内にも、「この全哲学はあらゆる迂路を辿ってどこへ行こうとするのか。それは、・・・要するに、まさしく私の身体に最もよい事物への衝動を、いわば理性へと翻訳すること以上のことをするのであろうか。結局の所、個人的摂生に対する本能に他ならない哲学ではなかろうか。私の頭脳という迂路を通って、私の空気を、私の高所を、私の天候を探し求める本能ではなかろうか」とある。これらの引用を、先の彼らの思索がその自己体験に根差していたということと考え合わせるとき、一体そこから何が得られてくるのであろうか。
 第一に分かるのは、キルケゴールもニーチェも、その自己体験をも含めて、自己自身に最も身近なものに彼らの哲学の端緒を求めたということである。おそらくそれは、そうした最も身近なものの内にこそ、抽象化されていない人間存在の諸相が、ありのままの姿で、したがって具体的・全体的に与えられていると、彼らが信じたからであろう。しかし第二に、彼らは、具体的・全体的に与えられた人間存在の諸相を、それが与えられているままに単に受け取るというのではなく、それを「見ること」で洞察しようとし、それを「理性へと翻訳」しようとした。これが彼らの独自の哲学的手法であったと言ってよい。
 ところで、19世紀後半の哲学の主流をなしていたのは、新カント学派であった。新カント学派の内には、もともとカント哲学の内にあった認識論的傾向が優勢であったことは否定できない。しかし、例えばニーチェがすでに鋭く指摘しているように、認識は、それ自身我々の人間的生の営みの一つであるはずである。そうだとすれば、認識の成立条件を明らかにしよとする認識論的な試みは、いっそう深くは、人間的生そのものをその全面において具体的に捉えるのでなければならない。この意味でも、認識から生への移り行きは当然のことであろう。こうして、19世紀から20世紀にかけて、新カント学派に代わって、ディルタイその他によって代表されるいわゆる生の哲学が、しだいに時代の哲学の主流となり始めた。しかも、人間的生、言い換えれば生としての我々人間も、一つの存在者であり、したがって生の哲学は、新カント学派の認識論的傾向とは違って、存在論的傾向を潜めており、時代の哲学的関心もまたますます存在論へと傾いていった。一つの人間把握の試みとしての実存哲学がこのような生の哲学と結びつくのは言うまでもなく、いや、実存哲学は生の哲学の発展的継承と見なされてよく、認識論から存在論へという時代の哲学的関心の変化に答えたものですらある。
 実存哲学が歴史的に成立した条件の一つは、生の哲学にあった。だが、さらにもう一つの条件がそれに加わる。それが、フッサールの現象学である。もともと哲学は、真理を明らかにしようとする。したがって当然、哲学は、その真理へと達すべき通路を、方法を持つべきである。このような方法論的要求に答えたもの、それがフッサールの現象学であった。というのは、彼の現象学は<事象自身へ!>をモットーとするからである。ところがフッサールが、事象を意識の外から内へと翻し、それを純粋意識が体験するままに忠実に記述しようとする意識内在的な立場をとっている点には、なお依然として、理性ないしは意識にその根本的立場を置く近代哲学の残滓が見られる。フッサールの現象学的方法を継承しつつ、しかもそのような近代哲学の残滓を拭い去って、存在論そのものからの方法論的要求に全面的に答えたのが、ハイデガーに他ならなかった。そのために彼は、フッサールの現象学的方法を、生を生そのものの表現を手掛かりに了解しようとするディルタイの解釈学と結びつける。ハイデガーの『存在と時間』は、彼が現存在と術語化し、その根本機構を世界内存在と捉えた人間存在への、このような現象学的方法の適用であった。
 現象学が実存哲学の方法論的基礎になっているのは、ひとりハイデガーに関してだけではない。サルトルに関して言えば『存在と無』の副題に「現象学的存在論の試み」と添えられているのであり、ヤスパースに関して言えば、1913年彼がフッサールと個人的面識を得たとき、彼自身の意に反して、フッサールその人からその弟子として扱われ、彼のそれまでの著作の内に見られる優れた現象学的方法の適用を讃えられたと、ヤスパース自身が語っていることが想起されてよい。
 19世紀の精神的状況を方向づけているのは、一方では、近代的自然科学がもたらした機械・技術の著しい発達、他方では、それとも連関する資本主義の高進であろう。自然科学的思考は、近代哲学にも大きな影響を与え、19世紀になると、それに基づく実証主義を強力に前面に押し出すに至ったが、先に見た通り、キルケゴールもニーチェも、こうした時代の傾向には鋭く対立した。それと共に資本主義の高進も、その反面、社会的階級の分裂を激化し、フランス革命が教えた政治理念とも相まって、いわゆる下からの勢力を盛り上げた。19世紀は大衆の時代でもある。キルケゴールが実存する人間を単独者として捉えたのも、ニーチェがことごとに人間は平等ではないと強調したのも、大衆の内に埋没して、それぞれの主体性を喪失する人間の危機をそこに見て取ったからに他ならない。なるほど19世紀ヨーロッパは、自らの世紀を進歩の世紀と誇り得はしたが、それにもかかわらず世紀末には、進歩とは裏腹のデカダンスの理想が掲げられるに至ったほど、時代の精神的状況は衰退していき、二千年来ヨーロッパの精神的支柱であったキリスト教も、もはやその力を失いつつあった。だからこそ、キルケゴールは単独者を神の前に差し出して、あらためてキリスト教に生命を吹き込もうとし、これに反してニーチェは、神の死を宣告して、到来したニヒリズムを克服する新しい世界観の打開を目指したが、これら両者の相反する志向の根底にあったのは、ともに同じく、時代が襲われた人間の危機によせる深い憂慮に他ならなかったのである。
 キルケゴールとニーチェがいち早く見て取った人間の危機を、第一次世界大戦によってヨーロッパは、その伝統的な精神生活の支柱を見失い、政治的・経済的条件の変化に伴う時代の動揺と不安の内で、人々は、いやでも応でも、己自身がそれに他ならない人間存在へと向き直らざるを得ず、このような時代を生き耐えるための新しい人間把握を、ひそかに哲学に期待したのである。実存哲学は、時代のこの期待に答えようとする。例えばマルセルのように、すでに大戦の最中において、キルケゴールとすら無関係に、実存哲学的思想を形成しつつあった思想家もあったが、実存哲学が実存哲学として成立したのは、1926年にハイデガー『存在と時間』が世に問われ、ハイネマンが29年の『哲学の新しい道』で、近代から現代へと至る哲学の流れを、精神から生を経て実存に行き着いたと辿り、ヤスパースが31年の『現代の精神的状況』の内で、己が採ろうとする立場を自ら明確に実存哲学と規定したことによってであると言ってよかろう。
 また、注目されるのは、第二次世界大戦中の対独レジスタンス運動の内から、実存哲学がフランスにおいて新しい芽吹きを見せたということである。1933年から34年のドイツ留学によってフッサールとハイデガーを知ったサルトルは、大戦中の43年には『存在と無』の大著を世に問うており、その前の42年にはカミュの『異邦人』と『シジフォスの神話』が発表されている。第二次世界大戦後に関して言えば、実存主義は、戦後ただちに支配的な時代思潮の一つになったが、東西冷戦とも関連して、実存主義がマルクス主義との対決を迫られた。もともと実存主義もマルクス主義も、19世紀における人間の危機という同じ一つの事態への対処から生じたものでありながら、前者はそれを人間の主体的内面性をあくまで堅持しながら新しい人間の可能性を呼び覚ますことによって、後者は人間を類的存在としながら、それを社会革命の実践によって解決しようとする。また、戦後の自然科学の異常な進歩との関係においても、実存の立場の意義が決定されてくる。今日では、人間のあらゆる活動体制のみならず、日常生活そのものまで機械化され、現代の人間は、主体性を喪失し、人間性をすら喪失し、全面的な自己疎外の危険にさらされている。だから、たとえ今日、実存の立場に関しても、その哲学ないしは主義としての解消が主張されていようと、人間存在への関心を強いる精神的状況が続く限り、少なくとも生活感情としてはあくまで生き続けるであろう。
 たしかに、ここ1世紀の精神的状況は、実存の立場の出現を要求し、時代の歩みにつれて、そのつどこの立場の呼称を変えさせてきた。それにもかかわらず、実存哲学と呼ばれ、実存主義と呼ばれ、あるいはまた実存思想と呼ばれようとも、それらが全て結局は一つの実存の立場に帰着する限り、そこには一貫して実存概念を根本的に規定する何ものかがなければならない。それでは実存とは、その根本規定からいって一体いかなる概念なのであろうか。それに答えるためには、ここでもまたキルケゴールとニーチェへと立ち帰ってみる必要がある。
 ニーチェがその自伝『この人を見よ』の副題に選んだ一句、「いかにして人は在るところのものに成るか」は、或る意味ではニーチェの全思想の核心を言い当てていると言ってよい。問題は、在るところの自己に「成る」ということが、なぜ殊更ここで問われねばならないのかという点にある。そのような問いは、在るところの自己に未だ成り得ていない自己を前提して初めて成り立つであろう。そのような自己を非本来的自己と名づけるならば、これに応じて、その問いは、非本来的自己が、己の本来的自己に成ることを問い迫っていることになる。この点では、キルケゴールがその生涯を賭けて追及した課題、「いかにして人はキリスト者に成るか」も、ニーチェの場合と何ら変わるところがない。現実的には非本来的でしかない自己が、それにも拘わらず既にキリスト者であると言い張るなら、キリスト者は、実は、また非本来的な意味でのキリスト者でしかない。これに対して、非本来的自己がそれに成るべき本来的自己としてのキリスト者こそ、本来的意味でのキリスト者でなければならない。だからこそ彼は、誰も彼もがキリスト者として許されている時代のキリスト教界に対して、あらためて「いかにして人はキリスト者に成るか」という課題を突き付けざるを得なかったのである。
 それでは、彼ら二人においても指摘できるこの課題、本来的自己に成るということは、どのように答えられ得るのであろうか。おそらくそれは、現実的には未だそれに成り得ていない非本来的自己が、それに成るべき本来的自己へと「かかわる」ことによって、「態度をとる」ことによってでなければならない。このことは、実存という言葉の術語的使用を後の実存哲学に引き渡したキルケゴールの人間把握においてうかがうことが出来る。彼の人間把握は『死にいたる病』の本分冒頭で簡潔に示されているが、そこで彼は、人間を精神として、精神を自己として規定し、さらにその自己を、「己自身へと態度をとる関係」として規定している。このようなキルケゴールの人間把握からすれば、非本来的自己が本来的自己へと「態度をとる」こと、まさしくこの意味での関係の内に実存の本質がある。その後の実存哲学がこうした実存概念の根本規定を受け継いでいるということは、ハイデガーが『存在と時間』の内で実存に与えた規定、「現存在がそれへと各々に態度をとることができ、そして常に何らかの仕方で態度をとっている存在自身」という言葉の内でも、ヤスパースが『哲学』の内で与えた規定、「己自身へと態度をとり、そしてこのことの内で己の超越者へと態度をとっているところのもの」という言葉の内でも、これらの規定の内に含まれているそれ以上の諸問題を別とすれば、明確に読み取れるであろう。
 実存の本質がこうしたいわば自己関係にあればこそ、このことで実存の主体性が成立し、したがって実存とは、我々の一人ひとりが他に掛け替えのない単独者になることである。しかし、たとえ我々が本来的自己に成り得たとしても、その時ですら我々は日常性の内でしか実存し得ないのであり、その限り非本来的自己であることから免れ得ず、他方、非本来的自己は、日常性そのものの内にありながら、そのつど本来的自己に成り得べきである。しかも、本来的自己と非本来的自己とについての二元的な考え方は、先のキルケゴールの人間把握において既に戒められている。というのは、キルケゴールは、人間を自己として「己自身へと態度をとる関係」と規定したとき、この関係における二つの関係項に対して、この関係そのものを第三のものとみなしたが、「二つのものが、その関係へと、しかもその関係の中でその関係へと態度をとる」ときには、その関係そのものは「消極的統一」としての第三にものであるのに反して、「その関係が己自身へと態度をとる」ときに初めて、その関係そのものは「積極的な第三のもの」であると言っているからである。我々の言葉で言えば、実存するとは、本来的であるときですら、同時に日常性から免れ難いその本来的・非本来的自己を、したがって全体としての人間を、本来性の方向で絶えずそのつど回復することに他ならない。
 さらにキルケゴールは、己自身へと態度をとる関係は、己自身を措定したか、他者によって措定されたかのいずれかであると言っている。前者であるとしたのがニーチェである。ニーチェがキリスト教に代わるものとして主張した永劫回帰の思想は、ニヒリズムの極限形式に止まり、等しきものの永劫回帰として、たとえ「人間は超克されるべき或るものである」としても、人間がそれによってそうした自己措定の圏外へと超え出ることの出来るものではなかった。
キルケゴールの場合は、同じ実存の立場であっても、これと異なる。実存する全体的人間は、ここでは他者によって措定されており、したがって「己自身へと態度をとる関係」であるばかりではなく、「己自身へと態度をとり、しかも、己自身へと態度をとることによって、他者へと態度を取る関係」でもあるからである。しかし問題は、自己がそれへと態度をとる他者が、キリスト教的神、一般的に言って、神的超越者だけであるかどうかと言うことである。
 キルケゴール的実存概念を最も忠実に引き継いでいるのがヤスパースであることは、先に引用した通り、彼が「己自身へと態度をとる」ことに加えて、「そしてこのことの内で己の超越者へと態度をとっているところのもの」と規定していることからも、うかがえる。ハイデガーは、自己へと態度をとる関係を気がかりと捉え、そこに、現存在と術語化された人間の実存を見抜いたが、彼においてはこの気がかりは、結局は、人間をも含めた全ての存在者の根源である「存在」への気がかりであり、しかも彼のいわゆる存在が或る意味では神的超越者だと言って差し支えない限り、ハイデガーにおいても、キルケゴール的実存概念は彼なりに生かされていると言うべきであろう。しかし、このハイデガーにおいて、実存概念は実はすでに新しい展開を見せていた。というのは、彼における実存としての気がかりは、存在との関係に支えられた自己への気がかりであるばかりではなく、それ自身の内に、他人への気がかりと、彼自身は道具と捉える事物への気がかりとを含んでいるからである。人間は総じてその日常性から免れ難いと、先に言われた。このことは、そうした日常的生存の内で出会う他人や道具的事物へと、我々人間が気をかけざるを得ないということに他ならない。それを社会と言うなら、実存の次元は日常性の次元と異なるものではなく、自己への気がかりも、社会への気がかり、社会へと態度をとる関係において成立せざるを得ない。サルトルの実存の立場が、このような方向へと視野を拡大して行ったことは、あらためてここで言うまでもないであろう。

 ヤスパースやハイデガーの哲学の背後には、やはり敗戦国ドイツの現実があったことは否定し得ない。これに対し、サルトルが考察の中心においているフランスは当時の戦勝国であり、経済や社会の状況もドイツとは事情をことにしている。この観点からすれば、第一次大戦後の精神的状況といっても、ドイツでは実存哲学、フランスではシュルレアリズムが主潮をなし、それぞれ趣をことにしていることもゆえなきことではない。サルトルは、このシュルレアリズムとの対比において、第二次大戦後の精神的状況を論じている。
 ダダイズムの後を受けたシュルレアリズムの核心は、何よりもその否定の精神にあり、しかも、この否定の精神を徹底的な文化の破壊に結んだところにあるのである。シュルレアリストは、誰よりも教養を受けた人間たちであるから、あえて自ら自分らの文化を破壊しようとしたのである。彼らが戦うのは、ハイネの俗人であり、フローベールのブルジョアであり、彼らの父親たちなのである。もとより、外見においてもまた地位においても立派なるブルジョアたちは、絶えず自己を弁護し、自己を正当化する神話を用意している。シュルレアリズムの敵は、このブルジョアの魂の中に残っている最後の神話を崩壊させる運動であるとも言える。
 ブルジョアは労働者のように生産者ではない。また貴族のように寄生者でもない。生産手段を所有する彼らは、生産の組織と生産物の分配とを管理することには極めて勤勉なのである。勤勉ではあるが生産的ではないこうした階級を正当化する神話が功利主義に他ならない。彼らは生産者と消費者とを仲介する。彼らの存在は仲介者たるところに、すなわち中間にあるわけである。だから、至高の尊厳、窮極の目的といったものは、じつはブルジョアの関心事ではない。彼らは何よりも手段を操作する存在なのである。彼らは目的そのものを追求するのではなく、手段の系列をひたすら無限に企画するのである。だから、彼らにとっては、何よりも役に立つこと、実用的であることが大切なのである。役立てるとは、人間が事物を自分の世界に取り入れ、自分のために用立てることである。人間の世界において事物に役割を演じさせると言ってもいい。だから、この場合には、世界そのものが人間化されることになるわけである。更に言えば、宇宙が観念化されることだと言ってもよいのかもしれない。ここでは、人間は決して直接に自然と関わってるのではない。ブルジョアはダイレクトに自然に手を加える生産者ではない。彼らは労働者を介してしか自然とは関係しないのである。だから、彼らにとっては、対物関係ではなく、対人関係が重要である。ひとの気に入るとか、ひとを威嚇するとかいったことが、何よりも問題となるのである。儀礼や礼節やしつけが、彼らの行動の基準となる。もともとブルジョアの立場からすれば、人間は平等であるから、人間と人間とのあいだには何らの外的な強制や拘束は存在しないわけである。とすれば、人間関係は純粋に内的な心理的な関係となるであろう。ところが、功利主義が根源にあるとすれば、心理の主な動機は利益の他はない。したがって、人間はこうした心理的考察からのみ解明される存在となる。人間の感情や性格も、心理学的な要素の組み合わせによって構成されているかのごとくに考えられることになる。この事態は、ブルジョア社会が何らの内的なつながりによってではなく、平等なる孤立した個人の外的な関係によって構成されている事実を反映している。功利主義を軸として、勤勉なる実用主義、観念論、心理主義といったものが、ブルジョアの世界を構成しているモメントなのである。
 シュルレアリズムは、何よりもこのブルジョアの功利主義と戦うのである。だから、この派の人々はまず有用なるものを破壊しようとする。ところが、彼らは有用なものを求めるのが意識の本性であると考えているところから、彼らにとっては、意識の世界を放棄することが功利を破壊することになるわけである。意識を捨てるということは自己を放棄することであり、同時にこの自己が足を降ろしている現実を離れることでもある。だから、意識と無意識との区別、夢と現実との相違を乗り越えることが、彼らの何よりも求めるところとなるのである。「自動記述法」はまさしくこの要求に答えたものなのである。ここにおいては、もはや現実の世界の事柄は問題とはならない。彼らはいわば世界の状況を越え出るわけである。彼らは、目的を立てこれを実現しようとする生産労働などとは全く無縁である。自動記述法が実現したのは、人間自身が自己の中に持ちながら、しかもその起源も本質も知らないものを顕わにすることであった。自動記述を通じて、これが外界に現れて、我々は初めてその姿を知るのである。シュルレアリズムは、このような仕方で意識的な自己の存在を、すなわち主観性を崩壊させてしまうのである。しかし、シュルレアリズムは単に主観性の破壊に止まらず、さらに客観性をも破壊する。
 ブルジョアにとって、世界は有用であり、シュルレアリズムはこの世界を破壊しようとするが、現実には不可能である。たとえ世界全体を破壊したとしても、それは世界の一つの状態から他の状態への移行にすぎないであろう。ではいかにしたら、世界を破壊することが出来るであろうか。むしろ、個々の或る事物に即して、そこに表現されている世界の客観性の構造を消滅せしめるならば、却ってそこに世界の崩壊が感得されるのではないか。しかし不変の本質を備えた現実の事物に対して、果たしてその客観性を消滅せしめるようなことが出来るであろうか。否である。このため、逆にそれ自体の客観性を自ら崩壊せしめるように作られた架空の事物を創造することによって、シュルレアリズムはその事態を実現することになる。例えば、大理石で刻んだにせの角砂糖は明らかにこの役割を果たしている。この角砂糖が思わぬ重さを感じさせるところから、それを持ち上げたとたんに、人はたちまち角砂糖の客観的本質が自ずと崩壊するのを感ずるに違いない。同じ事態は、逆に急に浮かび上がってくるプラスチックの角砂糖にも言えるであろう。世界の堅固さはここから瓦解する。シュルレアリズムの絵画や彫刻は、世界全体がそこから流出してゆく流し穴を開けること以外には何の目的も持っていないのである。それは現実の世界への全体的不信を惹き起こすための努力なのである。こうしてシュルレアリズムは世界の客観性をも破壊し去るわけであるが、この破壊の事態はここで止まるのではない。
 思わぬ重さを啓示した砂糖は、その重さによって自ら崩壊して、その重さを大理石に送り返すであろうが、その大理石は再びその重さを砂糖に送り返すであろう。こうして事物がその不変の本性を失うことによって、外界のイマージュはその安定性を喪失するが、このとき今度は精神がそのイマージュを固定する役割を演ずる。客観的なものが自ら崩壊して、突如として主観的なものに帰ってくるわけである。しかしその次にはこの主観的なものが解体して、その後にはまた不可思議な客観性が戻って来るのである。しかしこの転換の過程においては、何一つとして現実には破壊されない。睡眠や自動的記述によって自我を、崩壊する客観性によって事物を、また異常なる意味の並置によって言葉を、それぞれ象徴的に破壊し続けてゆくのが、シュルレアリズムなのである。これは存在を無になるまで破壊するのではなく、逆に無を充実した存在によって実現しようとするわけである。これは確かに奇妙な企てである。シュルレアリズムの破壊では、現実の破壊によってではなく、逆に創造によって行われるわけである。この立場は、一方では前代未聞の一句や野蛮壮麗な絵画を芸術の世界にもたらしたが、他方ではそれが同時に現実的なものの一切を無にする企てだったのである。シュルレアリズムは、もともと矛盾しているもの、すなわち創造と破壊、生と死、過去と未来、夢と覚醒、虚構と現実、主観と客観とがまさしく融合している一点を求めている。この派の人々には、これらの相反するものが、矛盾として知覚されることのない精神の一点の存在が信ぜられているわけなのである。しかし、この一点は、対立項を融合するのであって、内面的に統一し総合するのではない。それは、ちょうどランボーが湖の中にサロンを見た地点のようなものである。こうした地点は現実の世界には存在し得ないであろう。むしろ現実には実現され得ない直観を求める緊張の中に自己を維持しようとするのが、シュルレアリズムなのである。だから、シュルレアリズム革命とは、事物の自然的な秩序を変えることよりもむしろ精神の中に一つの運動を創造することにあるのだ、とブレトン自身も言っている。この派の主張する破壊は、現実のものではなくて、じつは主観的な意図なのである。実際には世界は何も変わらない。ただ現実の働きを中止して括弧に入れられてしまうのである。シュルレアリズムの建築、絵画、詩は、永遠のエポケーを実現することによって現実を崩壊せしめながら、そこにまさしく超現実のすばらしさを出現せしめる試みなのである。それはいわば形而上学的な破壊なのである。
 こうしてシュルレアリズムは、現実を超えることによって、単にブルジョア階級だけではなく、人間そのものの条件をも超えることを求めるのである。彼らはこの人間世界のあらゆるものを放棄する。享楽も労働も彼らの関心するところではない。彼らはブルジョアのみならず、労働者とも無縁である。しかし、彼らは、この人間世界を超えたと思った時に、じつはこの世界に寄生したのである。彼らは自らこの世界のために働いてはいない。世界は逆に破壊されるためにある。そもそも彼らの存在はこの破壊の働きにおいてのみ己を維持するにすぎないのであるから、この世界がなければ、すなわちこの世界から破壊すべきものを恵まれなければ、彼らは存立し得ない。彼らはこの世界に寄生しているわけである。だから、彼らにおいては、真実の意味では行動の概念は存在しない。先にふれたように、彼らは、生と死、過去と未来、現実と想像との区別を知覚しないことを求めたが、現実の世界に活動する人間にとっては、何よりも上の区別を識別することが常に必要なのである。生産を管理し生産物を分配するブルジョアにとっても、商品を生産し階級闘争に参加する労働者にとっても、シュルレアリズムは、こうした現実の行動には無縁であるところから、無償の世界に舞い上がるのである。ここから、シュルレアリストの行動は、静寂主義と永久暴力とに結ばれることになる。彼らは現実の成否を問題としないのであるから、一方においては静寂主義に傾くと共に、他方においては、もともと何らかの企画を実現する意識的な手段を自ら放棄したのであるから、彼らの行動は衝動的なものとならざるを得ない。じじつ、彼らの行動はこうした様相を帯びている。ブルジョアにも労働者にも無縁であったのであるが、彼らの究極の願いが世界の破壊であったところから、この破壊のエネルギーが彼らに現実の社会変革を叫ばせることになった。しかし、彼らは、自らのラジカルな現実の行為が、彼らの求めた象徴的な世界破壊といかに本質を異にするかに気づいていない。それは歴史の外に位置したものの行為であり、詩的なフィクションにすぎないのである。
 シュルレアリズムの否定の精神は、そのまま19世紀の文学者の精神に通じている。現実の秩序の破壊。日常生活の超越。倹約を拒否する浪費と祝祭。だから、こうした19世紀文学の魂を第一次大戦後の世界に復活したのがシュルレアリズムであるとも言える。19世紀の文学者は、何よりも現実の一切のありのままの姿に、すなわち最も日常的なものの中に真の愚行を見出すのである。千一人の女性を籠絡することよりも、ひとつの家庭を誠実に維持することのほうが、いうまでもなく高潔であるが、それだけに絶望的な愚かさなのである。一切の感覚の組織的な錯乱を企てるよりは、そこにある椅子がひとつの椅子であるとそのまま主張することの方が、はるかに素直であるが、それだけに悪魔的な傲慢なのである。こうした考えは明らかにブルジョアへの反抗であり、その世界の否定である。
 17世紀の文学においては、作家と読者は完全に一致していた。18世紀の作家は、現実の読者として貴族とブルジョアという二つの階層を持っていた。しかし、ブルジョアが制覇した19世紀においては、もはやブルジョアの読者しか存在しなかった。このため18世紀には、貴族の特権を不快とした文学が、19世紀にはブルジョアの幸福な意識となるように求められたわけである。ブルジョアは、貴族の特権に対して戦っていた間はむしろ文学の破壊的な否定性を頼みにしていたが、権力を握って社会を支配するに至ると、文学にもその援助を求めたのである。自由の精神を根拠とする文学は、ブルジョアのイデオロギーへの奉仕を拒否して、自ら純粋な否定性として生きることを求めることになる。この時点においては、文学もイデオロギーであることは、まだ自覚されていなかった。特権を廃棄して自由を実現した18世紀文学の幸運を忘れていなかった作家たちは、誰もが文学の自律性を確かめようとしていた。貴族階級が消滅して、読者がブルジョアのみになったわけであるから、反ブルジョアの文学は原則としてはあらゆる読者に反対して書くことであった。こうして文学はあらゆる種類のイデオロギーから独立である態度を取ることになる。文学は何らの主題を持ってはならず、あらゆる素材を平等に扱わねばならない。このことは作家が時代の公平な証人となることである。彼らは自分のため神のために書くことを思いついた。これは芸術が人生から遊離することであるが、この事態がまた作家同士の作品評価によって是認されたのである。ここから内面的な主観性が絶対化され、作家の究極の拠点とされることになった。
 こうして作家はその時代その社会に対して異邦人となったわけであるが、その自分たちの姿を、彼らは旧制度の貴族社会に比することになる。彼らは自ら貴族の化身であることを自認する。ただ貴族の権威が家柄にあったのに対して、彼らは天才をもって自分たちを権威づけた。この特権に基づいて彼らは、自ら美の司祭としてあらゆる現実の責任を超えた地位を確立したのである。貴族の本質は寄生生活にあるのであるから、作家たちも同じ生活様式に徹して、自ら純粋な消費の殉教者となった。だから、彼らにおいては、芸術以外で高貴な仕事といえば、恋愛と旅と戦争しかなかった。恋愛は無用の受難であり、旅は生産と関わりない消費であり、戦争も人命と富との莫大な消耗だからである。さらには自分の人生をも破壊されるべきものとして、自らを危険にさらすことも辞さない。酒も麻薬もそのために用いられた。完全なる無用性、これこそが美なのである。19世紀文学の主潮は、レアリズムから高踏派を通じて象徴主義に至るまで、全て文学を純粋なる消費の最高の形式と見なす限りにおいては一般である。しかし、彼らはどこまでも反抗者であって、革命家ではないのである。この意味では、ブルジョアは安心していた。文学は無害なる娯楽でしかなかったのである。作家の言うことは真面目にはとられなかったのである。
 ところで、19世紀作家の反抗のエネルギーと彼らの無責任性とは、ジイドの無償の行為にその結論を見出している。無意味に紙幣を浪費する百万長者、何の理由もなく人を列車から突き落すラフカジオ。この破壊的な無責任な活動の最後の言葉は、ブルトンの次の文章に集約されている。「もっとも単純なシュルレアリストの行為は、拳銃を握り町において、できる限りでたらめに群衆に向かって発砲することだ」。これは絶対否定の精神である。この精神を徹底すれば、文学にはもはや文学自身を否定することしか残っていないことになる。シュルレアリズムの名において行われたのは、まさにそのことなのである。文学は反文学において以上に文学的であったことはないというわけになるのである。円環は完成したのである。シュルレアリズムは19世紀文学を継承し、それを徹底したものに他ならない。
 第一次大戦後の偉大なる形而上学的浪費は、歓喜の内に爆発的になされた。しかし1945年においては、なお飢えと独裁と戦争の脅威が残存していた。ヨーロッパは完全には解放されていなかった。1918年は祝祭であった。節度と節約を焼き尽くす豪奢な歓喜の火が掲げられたのだ。45年には、そうした火は自ら燃え上がることを拒絶した。18年には、贅沢はその聖なる文明の証しのように見えた。しかし、45年には、それは裏社会と手を結び、社会を崩壊させる悪となったのである。社会階層のトップには、もはや浪費の席は用意されていない。浪費するためには、身を隠し社会の外縁に逃れるしかない。もはや純粋消費の芸術は存在し得ない。
 19世紀以来の消費の文学がしだいに社会の現実と食い違っていることが目立って来るようになったのは1930年代である、とサルトルは言う。それ以前のフランス人は、ドイツの再武装にわずかに不安になっていたとはいえ、自らは坦々たる平穏の旅路にあると思っていた。科学の進歩と社会の改良は、将来の豊かな幸福を約束しているがごとくであった。しかし、30年以降の世界はどうか。世界的不況、ナチの抬頭、シナ事変、スペイン戦争。フランス人の足元は一挙に崩壊し始めたのである。彼らは、自分らが現実を離れ世界の外に出ることが出来ないことを自覚する。ミロは『絵画の破壊』を描いた。しかし、爆弾は絵画もその破壊も含めて、全てを一緒に破壊する。戦争の中で人間として存在することが問題である時に、平和な破壊が何になるだろう。フランス人は歴史の中に戻らざるを得ない。こうした事態は、思想的には悪に対する考え方の転換と対応しているのである。
 第一次大戦後のフランスの思想界は、真の意味での悪を捉えていなかった。キリスト教はもはや地獄を信じていない。罪は、神がたまたま不在であった場所に起こるにすぎない。肉の愛は道に外れた神の愛にすぎない。デモクラシーは、あらゆる意見を、デモクラシーを破壊する意見をさえも認めていた。寛容を美徳としたヒューマニズムは、もっとも愚かな考えにも、もっとも卑しい感情にも、人間の真実を認識した。悪はそれ自体で存在するのではなく、単なる見かけにすぎない。誤謬や偏見が自覚されれば、悪は直ちに消滅するのである。急進派にとっては、秩序は可能態においては常に存在し、それを発見することだけが問題なのであった。マルクス主義者は資本主義の悲惨と階級闘争の現実を知ってはいたが、個体性の絶対的な重さを理解していなかった。だから、歴史的経過のみを問題として、本当の意味での善悪を見落としてしまった。悪の概念は哲学の中からは消え、反ユダヤ主義者やファシストのような善悪二元論者の手に落ちて、現実の不都合を説明する原理となった。こうして悪の概念はその真実を喪失して、重要性を失ってしまうが、これはちょうど、哲学的イデアリズムにとっては悪が見かけでしかなかったように、政治的レアリズムにとっては悪は手段にしかすぎなかったからなのである。
 ところが、拷問が日常の事実となった第二次大戦の最中においては、悪はもはや単なる見かけではない。拷問は悪を純粋な形において出現せしめた。拷問はまさしく悪が何ものによっても償われ得ないものであることを教えたのである。拷問は何よりも没落の企てである。どんな苦痛を与えられるにせよ、口を割る瞬間を決定するのは犠牲者の方である。彼はそうすることによって自ら人間であることを否定し、卑劣さを自分に許すことによって拷問者の共犯者となるのである。逆に拷問者が相手の気力の衰えをうかがっているのは、単に求める情報を得んがためではない。拷問の正しさを、すなわち人間が鞭によってのみ扱われるべき獣でしかないことを自分に証明するためになのである。拷問は人間に人間性を認めないことである。拷問が成功すると、拷問する人間とされる人間とが一致する瞬間がやってくることになる。拷問者は、ひとりの犠牲者に即して、人間性に対する自分の憎悪を象徴的に満足させ、犠牲者の方も、自分と共に他の人間を、すなわち人間性そのものを憎むことによってしか、自己嫌悪に耐えることが出来ないからである。もし犠牲者が後に助けられ、名誉を恢復するときが来たときには、拷問者はおそらく裁判にかけられているであろう。しかし、人間性の破壊のために、二人の自由なる個人が捧げられたこの黒ミサは、誰によって償われるのか。過ぎ去った歴史のひとこまは、決して消え去ることはない。おかされた悪は何ものによっても償われはしない。しかも、たまたまこうした時代に生きたことは、生き延びた人々の責任ではないのである。いかんともし難いこうした現実の中に、根拠もなく投げ入れられているのが、人間なのである。
 しかし、対独抵抗者の大部分は殴られ、盲目にされ、殺されても口を割らなかった。彼らは悪を克服して人間的なものを再確認したのである。救いも、希望も、信仰も、証人もなく、彼らはただひとり悪と戦ったのだ。自分以外に何の証人もない冷たい夜に、血の汗を流しながら人間の苦難を舐め尽くしたことは、自分の人間としての条件を最後まで生き抜いたことなのである。人間がこうした極端な状況に投げ入れられ、人間たるの条件を全体性において生きる事態に迫られた時代が、まさしく現代なのである。ところが、もともと形而上学とは、経験とは無縁なる抽象的な概念についての不毛なる議論なのではなくて、人間の条件をその総体において捉えることなのである。だから、フランス人は相対的な歴史的状況において、形而上学的絶対を把握する事態に置かれたわけである。彼らは永遠なるものに逃避することも出来なければ、現実の歴史的過程の中に埋没してしまうことも出来ない。人間にとって問題なのは、いかにしてこの歴史の中において、自分を人間とすることが出来るか、ということなのである。



































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