ヘーゲルに学ぶ

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zoom RSS 実存主義の歴史(3)

<<   作成日時 : 2017/04/16 16:03   >>

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 いかにしてこの歴史の中において、自分を人間とすることが出来るか。この課題に対して、もはや消費の精神は、答えることは出来ない。消費するためには、自らが所有していなくてはならないから、この精神は存在を所有に、<ある>を<もつ>に還元することになる。所有し享受することにおいて、人間は初めて存在するのである。しかし、ものを享受するということは、そのものに対して何もなすべきことがない場合に起こることである。この場合には、無為なる消費者に対してのみ、ものは自分の秘密を打ち明けるということになる。しかし第二次世界大戦後の現代においては、何よりも歴史の中にあって、自分を人間と<する>ことが問題なのであるから、ここでは<ある>とは<なす>ことなのである。すなわち、自分は何をいかになすべきなのか。そうして自分が何になるのか。といったことが現代において人間であることの最大の問題なのである。この意味では、人間はなすところのものである。<なす>のみが<ある>を開示するといってもいい。人間は状況を享受することにおいてではなくして、むしろ改変することにおいて存在するのである。人間が世界を変えるという企てそのものにおいて、世界はその秘密を人間に開示するのである。人間も世界も行動の中で初めてその存在を顕わにするわけなのである。世界を変えることは歴史を作ることに他ならないが、ここでは、所有の立場が実践の立場に転換を余儀なくされているのである。歴史の中にあって、歴史を作るために行動すること。この実践がまさしく歴史的相対を形而上学的絶対に結ぶものなのである。
 19世紀の作家はブルジョアジーに反抗したが、この反抗はじつはブルジョア体制が人間性の普遍を実現し得なかった悲しみの表現であったのである。18世紀の作家は、抑圧階級(貴族)と被抑圧階級(ブルジョア)との間に立って、前者の特権に敵対し、後者に味方することによって、人間性(普遍)の実現に努力したのであるが、このことはまず抑圧者と被抑圧者に抑圧の事実を意識せしめることから始まった。現代の状況は、19世紀よりもむしろ18世紀に似ているのではないか。現代においては、悪はいかんともし難い事実であった。ところが、先の拷問者と犠牲者との関係は、まさしく抑圧者と被抑圧者とのそれである。さらにこの関係はブルジョアとプロレタリアとのそれに通じているだろう。しかし現代の作家は誰のために、誰に向かって書けばいいのだろう。抑圧階級は自己の確信を失い、そのイデオロギーの限界を感じ始めている。これに対して被抑圧階級は自分の中に閉じこもっているだけである。もともとブルジョアジーの運命は、ヨーロッパの覇権と植民地主義によって支えられていた。しかしこのいずれもが第二次世界大戦後には崩壊した。今やヨーロッパでもない、米中ロの超大国が世界の所有を論じているのである。
 こうした事態に応じて、ブルジョアのイデオロギーも崩壊していく。もともと彼らの存在を根拠づけているのは所有権である。この権利は、所有された物の力を所有者に伝播する。だからたくさんの財産を持つことは功績であり、強力なる自我の確立でもあった。功利主義が彼らの哲学となるのは、このためなのである。しかし戦火は彼らの工場を破壊しただけではない。インフレは彼らの財産をも粉砕した。もともと功利主義は節約の哲学であるが、インフレは節約を無用とする。功利主義は無意味となる。ブルジョアは自分の目的の無償性に気づいて来ることに成る。彼らはもはや自分を正当化し得ない。彼らはよるべなき世界に投げ出されているわけである。
 これに対し、労働者階級はどうであろうか。第二次世界大戦後の彼らは、政治的にも、経済的にも、技術的にも、世界における自分の位置を意識し始めていた。彼らは、20世紀のあらゆる冒険を生きた。この間に、彼らが自らが、全ての人間を抑圧から解放すべきことを学んだのである。否定性としての文学は、抑圧された彼らの怒りを反映するべきなのである。ところが今では、労働者はマスコミにコルセットをはめられ、資本家の独善的な宣伝以外には何も知らず、外に対してはいかなる窓もない社会を形成しているのである。洗脳に覆われた社会の底流に流れているものは、やはり功利主義なのである。功利主義は、絶対の自由を目的とする文学とは相反する。がんらい功利主義の国は芸術とは無縁である。そこでは芸術はプロパガンダに変わってしまう。
 ヤスパースと第二次世界大戦直後のサルトルとが相通じる点といえば、まず次のような点が気づかれるであろう。
『歴史の起源と目標』が論じている人類の目標は自由の実現である。この自由は社会主義と世界秩序と信仰を通じて現実となるのである。これは人間の正義と個人の自由とを現実の社会において調和せしめることに他ならないから、彼の願いはそのままサルトルの志向と相覆っているわけである。彼があくまでも全体主義的独裁を嫌った点は、サルトルが共産党の動脈硬化を退けた点に応じている。彼が人間の正義の要求を認めざるを得なかったのは、サルトルが社会主義を取り上げたのと一般である。しかし両者の見解の本質的な類似はじつはこうした点にあるのではない。サルトルによれば、18世紀の作家はブルジョアの出であって、ブルジョアの立場を代弁すればよかった点で、彼らは幸運であった。ところが現代の作家はブルジョアの出身でありながらブルジョアに反対し、プロレタリアの立場に立たなければならなかった。しかもプロレタリアに全面的に味方するのではなく、ブルジョアの立場も認める(個人の自由)立場に止まらざるを得ない、中立で宙に浮いた存在である。この点がじつはヤスパースと見解を同じくする点なのである。ヤスパースも自由と社会主義とを並置して、一方の見解に全面的に依存せずして、中立公正な立場に立とうとしているからなのである。ところがヤスパースは生涯、同じ立場を貫いていたが、サルトルは後期にはむしろ全面的にプロレタリアの立場に立つことに自分の立場を見ている。しかし、こうした両者の相違は、じつは第二次世界大戦直後の両者の見解に胚胎しているのである。たしかに今述べたように、大戦直後の両者の見解は大筋においては相通じていたが、その底には既に相異なる萌芽をはらんでいるのである。
 サルトルが第二次世界大戦後の状況の特質として捉えたものは、根本的には人間が世界の外に出られないという事実であり、この点の把握は人間が悪を逃れられない存在であることの自覚と結ばれていた。しかし、こうした人間把握はじつはヤスパースにおいても同断である。じじつ、彼も人間を世界の中なる存在として捉え、しかも人間の悪が人間のいかんともし難い運命であることもはっきりと自覚していた。それにこの自覚は、第一次世界大戦の敗戦国ドイツの哲学者であった彼にとっては、すでに第一次世界大戦後に確立されて以来、変わらないものなのである。ではサルトルとの相違はどこにあるのか。
 人間が状況の中に投げ入れられていることをサルトルに自覚せしめたのは、現実の悪の事実であったが、サルトルがこの事実を何よりも拷問に即して捉えたことがまず注意されねばならない。もちろん彼は悪を恐慌、ファシズム、侵略、戦争といったもので把握したのであるが、これらの悪の本質を分析したのは拷問に即してであった。拷問とは、強者が暴力を背景として弱者をもはや人間として扱わないことによって、両者いずれもが一切の人間性を崩壊せしめることになる黒ミサのことであった。だから、拷問は、強者と弱者との関係がなくては成り立たないのである。人間の非人間化が強弱の関係から捉えられたことは、人間の疎外が抑圧階級と被抑圧階級との対立の観点から把握されることに通じて来る。現代の非人間化を克服するために、サルトルが何よりも社会主義を主張したことは、社会主義という制度によって、強者と弱者との対立を制度的に消滅させめることが、おそらく人間の非人間化を崩壊せしめることになると信じたからなのであろう。
 これに対して、ヤスパースにおける人間悪は苦争責といったものに関して捉えられているが、これらの悲しき事実の核心は人間の精神の物化される点に置かれている。もとよりヤスパースは争いに即して搾取の事実をも把握している。しかし、彼はこの背景に直ちに強者と弱者との関係の存在を見るよりは、むしろ自由なる精神生活がこの搾取によって不可能にされている事実、逆にいえば、搾取されている人間が自由なる精神の発展を望み得ない事実に注目するのである。彼においては、人間の非人間化は、精神の物化において捉えられているのである。すなわち、強者と弱者との人間関係よりは、物と精神との関係が中心に置かれているわけである。物による精神の疎外が、彼の何よりの関心事なのである。だから、サルトルにおけるように、階級対立といった観点が入って来ることもない。非人間化よりも非精神化のほうが問題になっているのである。ヤスパースが、第一次世界大戦後より一貫して技術化、大衆化による個性的な精神の崩壊を憂えているのも、このゆえなのである。したって、こうした人間疎外の克服は、サルトルにおけるように制度によるよりも、あくまで人間の精神の自覚を通じて行われるべきなのである。たしかにヤスパースも社会主義を現代の問題として取り上げた。しかし、この社会主義はひとつの制度ではない。この社会主義は心構えとしてのそれなのである。
 現代の技術化大衆化は人間をさまざまな自然的制約から解放した。多くの点で民衆は初めて人間らしい生活に恵まれたと言えなくもない。しかしヤスパースの指摘するように、そのために個性的精神が崩壊したことも確かに事実である。こうなると、人間らしい政治的経済的自由と個性の喪失は相関なのである。実存的な自由はたしかに不可欠の願いである。もともと個性的な自由は、小集団の中で確立されるものであって、現代のような巨大社会においては、直接には求むべくもないのである。求むべくもないところにあえて自由を確立せんとしたところに、実存主義は巨大社会の逆である純粋な孤独に実存を結ばざるを得なかったのではないか。こうした試みは、現実の条件を無視して、時弊の克服を求めることであるが、この点についてはじつは大戦直後のサルトルにおいても同様なのである。
 サルトルにおいては、ブルジョア的自由を守りながら、階級対立による抑圧を失くすことが、彼の願いであった。たしかにブルジョア的自由は、労働者の人権や言論結社の自由を認める根拠となった。しかしこの自由は人間の自由なる活動を無制限に許すのであるから、じつはこの自由があったために現在の抑圧が生まれて来たとも言えるわけである。サルトルにおいては、階級対立は強者と弱者との関係として捉えられていたが、元来人間は現実には決して平等ではない。体力においても知力においても相違がある。とすれば、自由であればあるほど、人間の間には強弱の区別が自ずと生まれて来ることになる。ブルジョア的自由の承認と階級対立による抑圧の事実とは相関的なのである。階級的抑圧の消滅はたしかに尊い願いではある。しかし、この抑圧が生じて来た条件(無制限のブルジョア的自由)をそのまま承認しながら、ただ端的に社会主義による階級の消滅を主張したところで、これはちょうど技術化大衆化をそのままにして、独自な精神を求めたのと同じく、無理な話である。もともと抑圧なき自由は決して静的な状態において実現されるものではなく、むしろ階級闘争の只中において動的に実感されて来るものなのであって、ブルジョア的自由をただ無制限に承認するところにおいては存在すべくもないものなのである。存在すべくもないところに社会主義を求めるとなれば、いきおいその企ては観念化せざるを得なくなる。もとより現実の条件を不問にしたからといって、じつは実存主義の主張が無意味になるのではない。むしろ却ってアクチュアリティをもつ面があるのであるが。
 現代が実存を喪失したのは、単に主観的な自覚の欠如の問題のみではなくて、技術化大衆化といった社会の客観的構造にも深く由来していたように、現代の階級対立は決して単に強者と弱者との主体的な人間関係に尽きるのではなく、むしろ個々の人間がいかんともし難い客観的な現実なのである。ヤスパースは現実の客体的構造の改変を問題としなかったところから、実存の恢復をどこまでも精神の自覚に求めた。この点は晩年まで、基本的にはその時代観を変えなかった点に関係している。精神の自覚はいつの時代にも通ずる永遠の警告であるから、この主張は時代を区別する理由を持たないからである。こうして現実の変革を問題としなかった彼は、何よりも精神の自由を高しとして、ブルジョア的自由主義の立場に止まり、実質的には保守主義を守ることになった。これに対して、サルトルが、階級対立を強者と弱者との人間関係として捉えながらも、なおこれを倫理的にではなく制度的に解消する道を主張していたことは、彼が階級対立をすでに客体的構造として捉える立場に足を踏み入れていたことを示している。じじつ強者弱者の関係は、必ずしも主体的精神の関係に尽きるのではなく、まさしく客体的物的な関係をはらんでいる。腕力の強弱は、素朴な人間関係を決定するが、その強弱にはまさしく体力の問題が大きなウェイトを持っている。大戦直後のサルトルはまだこの点をはっきりとは自覚しておらず、そのため、なおブルジョアとプロレタリアのいずれにも属さぬ抽象的観念的な立場に普遍の実現を求めていた。しかし真に現実の制度の変革をもたらすのではなくては、彼のいう実践は無意味となるであろう。元々、第二次世界大戦後の思想が、単なる象徴的な世界破壊をしか意図しなかったシュルレアリズムを乗り越えなければならなかったのも、そのためであった。社会主義の実現は、個人の自覚によってではなく、組織された闘争によってのみ可能となるであろう。サルトルが、大戦直後のインテリ的な宙に浮いた立場を離れて、しだいに現実の政治を動かす党派に近づいて行くのは当然の勢いである。こうしてヤスパースが保守の立場に止まったのに対して、サルトルはあくまで革新の見地を推進することになるのである。いずれがレアルで真実な時代観であるのか。それはむしろ我々自身の問題なのであろう。

 <シェリング>
 シェリングは1843年から4年にかけてベルリンで行った講義で「哲学の第一の問いは、実存とは何か、何が実存に属するのか、私が実存を考える時、私は何を考えるか、という問いである」と述べる。実存の要請は時代の意識とどのような関係において強調されたのか。我々はまずこれをシェリングにおける現実性の概念の探求から論じていこう。
シェリングは『啓示の哲学』において当時の精神的状況ともいうべきものを描いている。快適な状況を破壊するという恐れから、ひとは事柄の根拠に注意を払うことを避け、「あるいはそれによって世界がたとえ単に習慣的にであっても、なおまとまっている道徳的・精神的諸力が、進展する科学によってとうに履えされていると発言するのを避けている」、そして「犯すべからざるものと考えられていた諸真理は、現代の意識の内にはもはや見出すことはできない」と。しかし道徳的・精神的諸力は本質的には何も失われているのではなく、諸真理も消滅したのではない。むしろ我々の意識が古くなってそれらの場所を見出すことができなくななったにすぎないのである。シェリングは言う。この古き意識は「ある他の拡張された意識に場所を開けねばならない。しかしかかる新しい意識への移行は混乱なしには生じ得ない」と。この古き意識はさしずめヘーゲル哲学である。ヴァイセ宛ての手紙で彼はこう書いている。「再び真の進歩の線へ至らんがために、我々はヘーゲル哲学を続けるのではなく、それを全く中断しそれを存在しないものとして考察しなければなりません」。そしてこの新しい意識とは、いうまでもなく実存への意識に他ならない。
 さてシェリングのヘーゲル批判の核心は次の命題に集約される。「ヘーゲルは現実性に達せねばならない」。ヘーゲルは現実性の概念を『エンチュクロぺディー』で定義している。「現実性とは本質と実存との統一が直接的となったものである」。彼はアンセルムスの神の存在の存在論的証明を批判したカントの説をも否定して、カントとアンセルムスを共に超えようとしている。当然ここではカントの有名な可能性としての百ターレルと現実性としての百ターレルが問題になる。一般に古い形而上学は、神は完全性を有するゆえに、神の本質は同時にその実存をも含むと主張した。しかし本質から実存はひねり出せない。百ターレルの本質を論ずることと、百ターレルの存在を経験することとは全く別の事柄だからである。シェリングはカントの説を賞揚する。「カントは古き形而上学を破壊するということによって、同時に全く新しい学の創始者になった」と。しかるにヘーゲルはこのカントの説を否定して、新しい衣を着るかに見せながら再び古き形而上学の道を歩んだのである。なぜなら先に見たごとく、彼にとって本質と実存とは一つであり、かつてアンセルムスによって唱導された神においてのみ本質と実存は一つであるという同一説は、ヘーゲルによって現実的な全ての事柄にまで押し広げられ、いわゆる理性即現実とされ、本質と実存はその弁証法において見事に統一されてしまっているからである。しかしシェリングはこのヘーゲルの古き道を中断し、カントによって発見された新しい学を真実の姿で示そうとする。すなわちカントによって提示された可能性と現実性との区別を、さらに新しい視野でもって「二つの全く異なった事柄」と呼び、可能性(理性)に関わる学を消極的とし、現実性(実存)に関わる学を積極的な哲学と名づけながら、ヘーゲル哲学の現実性喪失を追求していったのである。この講義を聴いたキルケゴールが、かねて関心のあった現実性という言葉をシェリングから聞くたびに心が躍ったと日記にしるしたのは決して偶然ではない。ではなぜヘーゲル哲学には現実性が欠けているのか。
 シェリングは『永遠なる真理の源泉について』において次のような説明をしている。私は一つの円を現実に描く。しかし円の本質は現実の円がどのようなものであっても少しも変わることはない。なぜなら本質は現実の円が正しくなくとも、その可能性において常に正しい円を示すべきだからである。彼にとって「本質の国はまた可能性の国である」。だから本質において捉えられた現実は真の現実ではなく、それはどこまでも可能性において捉えられた現実性にすぎない。ここに本質主義の哲学が現実性の前に挫折するゆえんがある。ヘーゲル哲学はまさにこの轍を踏むことになる。
 ヘーゲルは理性を謳歌しながら次のようにいう。「理性は実体である。すなわち理性によってそして理性において一切の現実性がその存在と存立を有するものである。理性は無限な力である」と。かくして理性は世界を支配し、全ては理性的に生起するのである。これに対してシェリングは考える。「理性はあり得る、あるいはあるであろうところのものを、ただ概念においてのみ獲得する。そして現実的存在に対してもやっぱり再び単に可能性としてのみこれを獲得するにすぎない」と。理性はものの本質を捉える。がしかし、捉えた瞬間すでにそれは可能性の国に遊ぶのであり、奇妙なことに現実性は理性の彼方へ立ち去ってしまうのである。確かに現実的なものが理性的に生起するのは人間の願いである。けれども現実的世界は、あるべき本質によって隈なく限定されてはいない。現実はどこまでも現実として「かくあるということ Dass』以外にはあり得ず、本質的な「何であるか Was」には関わらないからである。新しい学はこの単なる理性を超え出る現実性を直接取り上げなくてはならない。しかるに「ヘーゲルは、かかる存在については何も知らず、かかる概念に対して、それはいかなる場所ももたない」のである。ここに「ヘーゲルは現実性に達せねばならない」とするシェリングの主張がある。
 さてシェリングにとって真の現実性は神である。「神そのものの内にはいかなる Was もない。神は純粋な Dass、すなわち純粋な現実性である」からである。彼がヘーゲルの痛所と見たのは、この神の理論にある。急進的ないわゆるヘーゲル左派の人々も、また他方キルケゴールも、いわばヘーゲルの神学をどのように解釈していったかによってそれぞれの立場を確保したといってもよい。シュトラウスやフォイエルバッハはヘーゲル哲学の中に隠されていた無神論性を見抜き、いわゆる宗教の人間学的解釈を志向したし、キルケゴールはヘーゲル的な理性による神との普遍的な関係を逆転して、個的な実存と神との関係を論じ、知よりも信に生きることを使命とした。この意味で彼らがヘーゲルの神学思想に対してとった態度は、新しい時代への飛躍を可能にしたのである。ではこうした時代にあってシェリングはヘーゲルの神概念をどのように批判したのであろうか。
 一般にヘーゲルに寄せられる非難は「彼の説によると、神は単なる概念にすぎない」という点であるとされる。論理学が彼の哲学の要であるとき、この主張はもっともであるかのように思われる。しかしこれは間違いである。シェリングはいう、「ヘーゲルにとって神は単なる概念であるよりも、むしろ概念が神であり、概念は彼にとって、概念が神であるという意味をもっていた」と。周知のようにヘーゲルはキリスト教の三位一体論を哲学の内に取り入れている。神は段階的に自己意識的理念になり、そこから自己を自然へ放出し、この自然から自己自身に還帰して絶対精神となる概念であるとする弁証法は、そのまま父・子・精霊の三位一体論に他ならないからである。しかしシェリングはヘーゲル的な概念の自己運動を否定する。すなわちすでに見たように、概念はものの本質であり、本質によってはただその可能性が捕らえられるにすぎず、これによっては真の現実性へついに達することが出来ないからである。確かにヘーゲルが事柄の中に潜む「論理的関係をかかるものとして取り出したのは非常な功績である」。しかしシェリングによれば、それはどこまでも概念から概念への運動であり、「現行の遂行」という生の現実を動かす歴史の歯車とはならないのである。キルケゴールはヘーゲルが論理学を運動として捉えたことは功績であるとしている。しかしそれは本質(過去)の運動であり、本質という同一なものの繰り返しであるから、運動と見えたものはじつは幻にしか過ぎない。キルケゴールによると総じて「論理学の中にはいかなる運動も生じてはならない」のである。シェリングはこれを先取りするかのように言う。「概念はそれだけでは全く動かずに横たわっている」。  
 ところでこうしたヘーゲルの論理学の不備は、シェリングによると「主体なき存在」の論理にある。周知のようにヘーゲルは哲学の始源として純粋存在を置いた。しかも彼にとってこの純粋存在は可能な限り最も客観的なものであって、いかなる主体性をも全く含まない存在である。しかしかくすればいかにしてこの主体性なき存在は他者へと移行できるのか。またヘーゲルによれば、この純粋存在は無である。シェリングはこの命題の曖昧さを指摘する。この命題の意義は二通りに解釈できる。第一には純粋存在即無と解釈することができ、第二には純粋存在は無の主語(体)であると解釈できる。第一の場合は同語反復的命題であって無意義であり、第二の場合はそれが無の主体である限り、無を超えて新しいものを生成することができる。してみればヘーゲルの有・無・成の弁証法は本来第二の解釈でなければならないはずである。しかしシェリングはいう。「けれどもそうなってはいない。この命題は単に同語反復として考えられているにすぎない」と。もしそうであるとすれば無と等しい純粋存在に一体いかにして創造が可能であるのか。ヘーゲルの弁証法はここに躓く。もちろんここには思想史的な事情がある。フィヒテは自我としての主観を問題にし、若いシェリングは個的自我の外なる客観における主観を問題にした。だからシェリングに続いたヘーゲルは主観よりもむしろ客観的なものから出発する立場を採らざるを得なかったのである。しかし客観に運動はない。歴史と生命の根源はどこまでも「主体」でなければならない。かくしてシェリングは言う。「主体なきいかなる存在もない」と。 
 もちろんヘーゲルは「事柄はその始源においてはまだ存在しない」といい、「まだ」の助けを借りて現実性に達しようとしている。確かに始源はまだ現実的では「ない」のだから、それは非存在でありながらしかも常に現実へ達せんとする存在可能性であると解せられなくはない。だからあの命題をこのように解釈すれば、「無から現実的な存在への移行」は可能なのである。しかしそのためにも純粋存在は即無であってはならない。生成は無を見捨て何かであろうと意志する主体があるところにのみ現実的となるからである。またヘーゲルの根本命題は「実体は主体である」ということであった。いわゆる彼の弁証法的運動は、この主体の否定性において可能であるとされる。してみればヘーゲル哲学もまた主体性の哲学であり、現実への意志をこの命題の中に認めねばならないかのように思われる。けれどもシェリングはこれを反駁する。なるほどヘーゲルは運動の原理を確保したかもしれない。かかる原理なしに弁証法は捗らぬからである。「しかし彼は運動の主体を変えた。この主体は論理的概念であったのである」。主体が論理的概念であれば生と現実は把握されない。なぜなら「生と現実について思惟することはできるが、しかし単なる概念については思惟することも想像することもできない。ただまさに語ることができるにすぎない」からである。すなわちかかる抽象的な概念の論理的必然性において運動が生起するというのは、シェリングには奇妙なことに思えたのである。
 そこでシェリングはヘーゲル的弁証法による移行ではなく、「それに対しては名前を見出すのが困難であり、純粋に理性的な体系においては、それに対していかなるカテゴリーも存在しないところの他の移行」を説明できる「新しい学」を求めている。それは言うまでもなくローゼンクランツによって回想されたシェリングの実存哲学に他ならない。ローゼンクランツは師のヘーゲルを弁護しながらピエール・ルルーに「あなたはヘーゲルの神は単に一つの理念にすぎない、ヘーゲルの体系はただ理性をもつのみで、魂を持たない、シェリングは哲学に暖かさと魂を与え返した」というが、ヘーゲルの論理学は全体の一つのモメントにすぎず、「理性の光はなるほど人々を照らしはするが、暖めはしない」と考えるのは「陳腐」なことだと書いている。そして彼はヘーゲルがその点で偉大であった「体系と有機的全体性」の喪失が、シェリングの弱点であるとするのである。
 さてシェリングは、彼のいう消極哲学が、ただ諸対象を思惟において受け取る諸関係についてだけ論じるのに対して、積極哲学は現実的に実存するものについて論じる学であるとしている。そしてこの消極哲学は実存に関わるいわゆる実存哲学にその場を解放しなくてはならない。理性を原理とする消極哲学に対して積極哲学の出発点は、あらゆる思惟に先んじるもの、無制約的に実存するものであるという。思惟に先んじる実存とは既に見たように、思惟によっては捉えられぬ現実性であり、しかも思惟することは思惟できない思惟の主体に他ならない。思惟から出発する哲学は全てを思惟の中に引き入れる。がしかし思惟は思惟できないとすれば、結局その思惟の基礎は欠けていることになる。そこで積極哲学は、思惟よりの道を中断し、むしろ逆に投げ出されてあることとしての事実性から出発するのである。
 言うまでもなくシェリングの Dass-Sein 、すなわち真の実存も、真の現実性も神である。彼は神なき実存を説いたのではない。神こそはあらゆる存在者の根拠であり、理性はそれに対しては沈黙せざるを得ない自己の先者である。かくしてみれば、積極哲学は理性を実存のプリウスにもつのではなく、むしろ実存を理性のプリウスにもつところにその本質がある。彼はこのことを『啓示の哲学』ではっきりさせている。一体根源とは他の存在の可能性がそれに先行すれば、それは根源ではない。「オリジナルと人が名づけるものは、それが現実的であるということによって、人が初めてある概念を受け取るところのものである。すなわち現実性が可能性に先行する」と。かくして先述したカントの可能な百ターレルと現実の百ターレルとの区別は別の形でシェリングに生かされてくる。彼はカント哲学以後の発展が必然的な継続としてそこから発出する重要な箇所をカントの「純粋理性の理想」に関する論説であるとする。そしてここで着目すべきは、カントが最も実在的な個体として考えた神を、理念としてではなく、理性の理想であるという勇気と誠実さをもったということであるとしている。理念はそれだけで自己完結的ではない。理念は理想によって基礎づけられねばならない。この方向の発展が積極哲学へつながっていくのである。ここにシェリングのカントへの接近が見られる。
 しかしシェリングはカントと同一の立場に止まるのではない。彼はカントが神を実践理性の要請としたのを批判している。たしかに神は理論理性の外にある。だから理性的な理論において神を捉えることはできない。しかしシェリングは言う。神への要求は「実践理性の要請ではない。カントが欲したかかる要求がではなく、ただ個体のみが神へ導くのである」と。しかも彼にとって神こそが最も個体的なものである。彼は書いている。「一般に普遍的なものは実在しない。ただ個別的なもののみが実存する。そうして絶対的な唯一者が存在するときにのみ、普遍的な存在者が実存するにすぎない」。この線を生かせば、シェリングにもまた唯一者たる神の前に立つ個体としての人間像が浮かび上がるであろう。ここには神と人間とを結ぶ普遍的な関係があるのではなく、唯一者たる神と人間との間には、ただ実存的な人格関係があるのみであり、人格は人格を求めるという極めて直接的な関係が成立する以外にはあり得ないであろう。
 かくして神と人間との関係は、たとえそれが実践理性的であろうとも、決して合理的な関係であってはならない。神が理性的に探究できるとするのは、いわゆる有機体説としての連続観にすぎないのである。しかるに思惟に先立つ実存の立場からするとき、実存する神は常に絶対の超越でなければならない。だからシェリングが「積極哲学の超越は絶対的な超越である」とするのは当然であろう。ところで理性から神への道行きが否定され、しかも Dass の内には何ら Was を含まぬ限り、両者の間には深い溝が横たわっている。ではいかにしてこの溝は埋められるのか。それは意志によってである。シェリングは言う。「意志が介在するとき、いつも現実的なものが問題となっている」と。それゆえに神の創造は意志的であり、神の自由なる決断であらねばならない。しかしかくして創造された人間の誕生は必然的に理性の哲学をも出現するに至らしめたのである。彼はそれをこう説明している。理性は神によって贈られた。これは人間が現実的なものから解放されることである。が同時にそれは存在の砂漠への流転でもある。けれども人間はここで自己の内なる理性を行使し、ア・プリオリな認識を可能にすることができる。しかるに理性の認識は超越をではなく、むしろ内在を欲する。そこにいわゆる内在的有機体説が生じるゆえんがある。そしてこの有機体説を現わすのが理性哲学の事柄であると。理性主義の哲学はかくして全てを自己の内に内在せしめようとする。しかし、「人、おのが魂を失わば、全世界を儲くとも何の益かあらん」。シェリングは近代哲学が完成された時代に立ちながら、理性哲学の危機を説き、人間の真の幸福は人間の内なる理性によって求められるのではなく、個体がそれを欲するとしての実存者たる神に面することを説いたのである。
 しかしシェリングは常にこの実存哲学の立場に立ったのではない。実存哲学は全哲学の一側面である。彼の意図は実存と理性の哲学の統一にある。そうして後期シェリング哲学はこの線上で揺れている。ヤスパースはここにシェリング哲学のさ迷いを見た。

<キルケゴール>
 自然界と並んで道徳界も人間にとっては否定され得ない事実であるという予想から、カントは『純粋理性批判』の中で、自然の因果律と自由の因果律との二律背反を提出した。経験的現象界にのみ関わる理論理性にとっては、現象の背後にある叡知界は鎖されているが、理性の事実としての道徳律の存在が自然因果律から独立した意志の自由を認め、現象界を超えた実践理性の領域を開示することになる。自然因果律の支配する場面と、これを超えた実践的自由の場面とは、あたかも相互に背反し合うかのようにして人間の世界に現存するのである。そして、それ以降のドイツ観念論の哲学は、カントの提出したこの必然と自由との二律背反を、すなわち理論理性と実践理性との関係を巡って、問題を展開することになった。
 この問題はカントにおいては、「私は信仰に余地を残すために知を制限しなければならなかった」という告白に示されるように、必然の法則に従う知を現象界の理論的認識にのみ制限し、改めて自由の法則に従う信仰を取り上げ、これを叡知界の実践的行為の原理とすることによって、一応の解決を見た。すなわちカントは従来の形而上学が犯して来た理論理性による実践理性への越権を批判し、人間の理性の再検討に基づいて、新しい実践の形而上学を樹立したのである。ところがドイツ観念論の哲学は、このようなカントの解決を知性と信仰との二元論と見なすことによって、理論理性と実践理性とを、また現象界と叡知界とを、いかに客観的に統一して把握するかということを、自分たちの果たすべき課題としたのである。
 フィヒテは、差し当たってはカントを承けて、理論自我に対する実践自我の優位を説く。しかしそれは哲学における厳密な知識が絶対知でなければならないという考え(『知識学』の提唱)に基づいてのことであって、実践自我が理論自我を自己の内に包み入れた絶対知(理念としての自我)と見なされ、カントの二律背反は超えられることになる。認識主観としての理論自我はその対象である自我でないもの(非我=自然)の出現によって制約を受ける。ところが実践自我は非我が自我において初めて成立するものであることを見極めて、非我の阻害を乗り越えていく。非我を克服する「無限の努力」のゆえに、実践自我は自我と非我との関係をも生みだす生産的構想力をもつ。したがってフィヒテによれば、二律背反の成立根拠も、自我が非我によって制約される場合の非我の無制約性(必然)と非我が自我によって制約される場合の自我の無制約性(自由)との間に生ずる抗争にある。だが非我の自我制約は絶対自我の非我制約なしには成立し得ないのだから、二律背反は絶対自我の純粋な能動性(絶対知)において解消されるのである。
 フィヒテは非我(自然)を自我(絶対知)へと吸収することによって存在と思惟とを同一視したが、フィヒテにおけるこのような自然の位置づけを不満としたのがシェリングであった。フィヒテに後続するシェリングの自然哲学は、まずもって自然を生きた精神体として考え、自然に無制約者を見出して、客観的自然の中に叡知的精神を基礎づけようとするものである。シェリングのこの自然観が、啓蒙主義に対する反動として当時の思想界を風靡していたロマン主義から学び取られたものであることは言うまでもない。フィヒテの自然は実践自我の努力に抗する非我として、乗り越えられるべき障碍でしかない。これに対してシェリングは、自然が本来有機的生活体であり、精神そのものでなければならないと考えるのである。「自然は可視的な精神であり、精神は不可視的な自然である」。
 しかもシェリングはそれだけに止まらず、さらに『我が哲学体系の叙述』を著して、同一哲学を体系化した。すなわち自然と精神との両者の根底に端的な自己同一者を置き、それを「全ての対立がその中で結合されていると言うよりはむしろ一つであり、廃棄されていると言うよりはむしろ全く分離されていない理念」であると考えた。そして人間の世界に現れるあらゆる差別対立は、この絶対的無差別者の相対化された展相(ポテンツ)にすぎないと考えることによって、二律背反を克服したのである。
 このようにカントの提起した問題は、フィヒテの自我哲学とシェリングの自然哲学を経て、更にシェリングの同一哲学に至って一元論的に統一づけられ、哲学上の解決を見たかに思われたが、この同一哲学は直ちに二つの方向からの克服を誘ったのである。その一つは言うまでもなくヘーゲル哲学であったが、他の一つはシェリング自身による立場の変更であった。キルケゴールにおける実存思想の成立の哲学史的な背景を求めるならば、上の同一哲学に対するヘーゲルと後期シェリングとの関係が問われねばならない。
 シェリングの無差別的同一性の原理を「全ての牛を黒くしてしまう闇夜」と揶揄し、その哲学を「ピストルからでも発射するようにいきなり絶対知で始める」直観的立場と批判したのは、ヘーゲルの『精神の現象学』であった。しかしその時シェリングはすでに新しい哲学の構想を漏らしていたのである。『哲学と宗教』(1804年)でシェリングが「あらゆる対立の同一性という絶対者の記述は単に消極的な記述である」と語り、プラトンにこと寄せて、「現象する万物と神の完全性とのあらゆる連続を断ち切る」ことを、すなわち「断絶」と「飛躍」とを正面に押し出すときに、すでにそこには静態的汎神論的な同一哲学を「消極哲学」の位置に引き下ろして、新たに「積極哲学」を打ち出そうとする潜勢的萌芽が見られるのである。だがこの積極哲学が全面的に開花するに先んじて、すでにヘーゲルが自己の体系を展開してしまった。したがって後期シェリングの哲学は、ヘーゲルの理性哲学を批判しながら培われていくという運命を辿ることになったのである。
 ヘーゲル哲学の核心は合理性にある。人間の理性の論理を信頼して、弁証法を武器とする連続的体系の樹立が目論まれることとなる。現象としての存在は即自的には十全な存在であるが、理性がその背後にある本質を洞察する時に、存在は単なる仮象にすぎなかったことが露呈される。しかしこの本質も実は概念の一つの契機であることに気づくならば、存在もまた概念の別の契機であることが明らかとなり、存在と本質との背反は概念によって論理的に統一され止揚されることになる。このようにして直接的なものから順次に対立契機の否定的媒介を経て、厳密に学問的な体系が組み立てられていくのである。したがってここでは必然と自由との二律背反も、実体の交互的因果性ということで解決される。実体とは、措定された結果(存在)であると同時に措定の原因(本質)でもあるもの、すなわち存在契機がその否定である本質契機の中でもつところの自己自身との同一性である。存在の系列の中で原因を求めて遡及するするならば悪無限に陥らざるを得ない。そこで本質としての原因へと目を転ずるなら、因果の交互作用の円環が立ち現われ、因果という実体が成立する。そして実体はそれが実体として現実的であるとすれば、それはもはや概念である。真なる実体は概念なのである。世界は自己展開であり、人間の知は神の全容をカバーしたのである。理性が神の本質の認識にまで行き着いたのであり、人間の精神が絶対精神に到達することによって、神の自己認識と同じ境地へ辿り着いたのである。
 他方シェリングは、アウグステの死、カロリーネとの結婚、イエナ滞在の終止符、カロリーネの死などの一連の体験を通して、苦悶と懊悩の中から、自由と悪とを人間の現実の姿として見直すことによって、同一哲学を越えて行く。「今や、より高いあるいはむしろ本質的な対立が、すなわち必然と自由との対立が出現すべきときである」。『人間的自由の本質』でこう語り出したシェリングの意図は、論理的機械的な統一からはみ出した自由を探って、再びカントの動態的な哲学へ立ち戻ることにあった。合理性を振りかざすドイツ観念論の哲学は、その合理性のゆえに結局は人間の現実的な自由の領域を論理的必然性の世界へと融和させてしまった。だが現実の生きた人間は決して神の本質と一致してはいない。しかも同時に生きた人間にとっての生きた神は、合理化されて論理的に知られる神ではないのだ。「神から分かたれた我性的存在者たる精神」は、光と闇との、霊と肉との、その対立的葛藤の中に投げ置かれた個体である。人間の精神はヘーゲルの語るような絶対精神ではない。確かに永遠の仕方で、つまり論理的思惟に信頼して対象を捉えるという作業はある。しかしそれはあくまでの存在者の本質の洞察に止まるのであって、「なぜ一般にあるものがあり、何もないのではないか」というライプニッツ以来の存在論的問いの答え得るものではない。論理的な理性の探索するプロセスと存在可能者が存在を定立していく実存の道とは、はっきり区別されねばならないのである。
 後期シェリングがこのようにカントの二律背反に示される必然の領域と自由の領域の分離へと立ち戻って、あらためて有神論的存在論の思索を開始することにより積極哲学としての自由の哲学を展開することになったそのことが、キルケゴールの実存思想を生む一つの地盤を作っていることは疑い得ない。実際、キルケゴールの哲学もヘーゲルを批判することによりカントの立場へ戻ってあらためてそこから出発したのだ、と見る研究者も多い。かくて近代哲学とキルケゴールとの関係を尋ねるならば、キルケゴールはヘーゲル批判者として、後期シェリングの系譜につながることになる。したがって以下はシェリングとキルケゴールとの思想的関係が問題となる。
 シェリングは、前述のように存在認識を本質認知と実存洞察とに分け、本質認識にのみ終始する学を理性の学(消極哲学)と呼ぶ。理性は常に自己の内にア・プリオリな内容をもつ。が、それはあくまでも思惟の働きにかかる対象であって、積極的な存在に対しては存在可能である。存在へ移行すべきものとしてそれは非存在(メー・オン)であり、現実存在にとっては潜勢存在(ポテンツ)である。ところがヘーゲルは、このような存在可能の認識に止まる論理学の方法で、現実存在(実存)の領域へと踏み込んだがゆえに、誤りを犯したのである。
 キルケゴールのヘーゲル批判もこの論鋒と大差はない。ヘーゲルのような永遠の相のもとでの理性的認識は、本質の認識に止まるべきであり、人間の思惟の達し得るところは実存可能の域を出ない。もしそれが存在をも捉え込むものであるとするならば、それはすでに神の認識である。しかし人間の論理と神の論理との間には無限の質的差異がある。ところがヘーゲルの弁証法においては連続的量的変化が運動と考えられており、思惟の内部で存在までもが把捉されてしまう。だがこのような量的弁証法が究極の理念に至って現実化されたと考えられるところのものは、あくまでも思弁の内なる抽象的な現実性であって、そのような単に考えられた現実性は結局は可能性に止まるものであるにすぎない。それは未だ実存する主体と何の関係もない非存在なのである。
 ところでキルケゴールにおけるこのような現実性に対する非存在としての可能性の考察は、キルケゴールがレギーネとの婚約破棄(1841年)の直後にベルリンで聴いたシェリングの講義(1841/42年)のノートの中に見出すことができる。そして書簡と日記によれば、彼はシェリングによる実存の示唆とヘーゲル批判との講義(11月15日〜12月中旬)に対して筆舌に尽くし難い喜悦を覚え、それを聴くためには生命を賭けてもよいとまで言っている。(自分で丹念に整理したノートの他に、この講義の最初の部分のプリントがキルケゴールの蔵書として保管されている。また蔵書の中には『人間的自由の本質』ほか、シェリングの著書が多く含まれている)。この講義へのキルケゴールの期待はベルリンに旅立つ前からすでにあったと見てよく、たとえば『イロニーの概念』(1841年)の中にもそれをうかがうことが出来る。また『不安の概念』(1844年)では、エッシェンマイアーの批判に応えたシェリングの書『哲学と宗教』によって、シェリングの思想に質的差異を基盤とした転向が生じたことを、キルケゴールは認めている。したがってキルケゴールは自らのヘーゲル批判の姿勢の哲学的な武装化をシェリングの講義から学びとって肉づけたと考えられる。
 そこでヘーゲル的な理論哲学からの脱出が問題となるが、それをシェリングもキルケゴールも共に、可能性から現実性への移行の問題として取り上げ、主体的な倫理-宗教的課題と考える。シェリングは差し当たってこれを<除去の道>と呼ぶ方法で行うが、それは存在可能の内部で自己定立的な意志が可能性を除去することによって存在を抽出しようとすることである。キルケゴールも同様に差し当たっては実存可能性の内部での自己否定的な反省の方法、すなわち<悔恨の運動>を試みる。しかしこのような可能性の内部での否定を基盤とした運動は、結局は無限の運動に終始し、実存における自己矛盾をますます募らせるのみに終わるのである。だが、この除去の道も悔恨の運動も、ヘーゲルをそのまま踏み台とすることはできないシェリングとキルケゴールが、あらためて存在への超越をもたらさんがための可能性の整地を試みたという点で、大きな意味をもっていたのである。



























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