フィヒテ 1804年の知識学 (1)

 1804年の知識学は、絶対者に関するシェリングとの論争の結果生じたとも言えるが、にも拘わらずこの叙述は1801年の知識学に多くの点で近似しており、或る意味これの新しい記述でもある。1794年、1797年、1801年の三つの叙述は、絶対者の観点についてますます高い制約へ上り行くもので、1801年の叙述に到って第一者、絶対者の中において最高制約を獲得する。しかし、被制約者から制約者への遡源と並んで、フィヒテはなおもう一つのやり方を知っており、これを彼は、1804年の知識学において種々に示すのである。即ち制約から被制約者への前進である。彼はプロティノスを思わせるように、この二つの道を上り道(Aufstieg)と下り道(Abstieg)として往々対立させながら、1804年の知識学を、下り道、即ち最高の一者から多様を導来するものとしているのである。
 確かに我々は、1804年の知識学を見るとき、その叙述形式が1801年の知識学と全く趣を異にしているのに気づく。即ち1801年の知識学においては、まず知を取り上げて、これが制約としての絶対知へ遡り、更にそこから絶対者へ迫るという上り道が取られている。これに対して、1804年の知識学においては、直ちに絶対者に出発点が取られる。それは既に1801年の知識学において、絶対者の概念が明白に定立された以上、ここでは再び上り道を繰り返す必要を認めず、専ら下り道において、絶対者から現象を導来する点に関心が向けられるのである。 かくて1804年の知識学の中に、下り道の意図を指摘することは容易である。しかし綿密に検討するならば1804年の知識学では、このような意図にも拘わらず実際にはそれを遂行することはなく、徹頭徹尾絶対者の内部構造を追究している。第一部「真理論・理性論」十四講、第二部「現象論・仮象論」十四講、全ニ十八講の中の第ニ十七講の終わりに至って、理性の本質に触れ、これに「理性のこの自己定立は、それ自身理性によって生じる」という自体存在的な側面と、「理性は理性としてそれの現存在(Dasein)の根拠である」という、自ら発現して現存在、即ち現象となるという側面とを指摘して、しかも、後者を以て現象の発生の解明に他ならないとして、現象学の意図を次のようにまとめる。即ち「端的に一切が真であり、確実である。しかしそれは理性に存するように、ちょうどその通りに、必然的な現象及び表現として真であり、確実であるのであって、決して理性自体としてそうなのではない。それは理性の表現においてより他には理性に至らないのである。我々の洞見の真理性と確実性とがよって依存する課題は、一切をその連関において見、この連関においてこれを発表するということである。現象が<ある>ということは、それが絶対的理性の自己現象作用、自己表現作用として考えられるときに真であって、後者の附加語なくしては真ではない。理性がかくかくに例えば内的に自由であるとして現象するということは、それがただ内的に必然的なものとして、現実に存在するものとして現象するという限りにおいて真であって、この附加語なくしては真ではない、等である。・・・絶対的現象、或は発生は定立された。これを導来しまたこれから導来する法則も同様に定立された。今やただ導来を始めればよいのである。・・・ここでは現象の第一の根本差別を、一切の他のそれ以下の現象の差別を差し置いて定立した。・・・しかしこの仕事を詳細に研究するには時間がないので、簡単に厳密に主要点をただ一つの講義において徹底する。」他はないとして、実際には最後の第ニ十八講の後半が現象の導来に当てられる。そうなれば1804年の知識学においては下り道は十分には展開されていないと言わなくてはならない。
 即ちフィヒテ自身1804年の知識学は、現象の導来をなすものではなく、むしろ「私はこの知識学の講義が第一哲学として見られることを欲するものであるから、私はこれの限界を守るであろう」と言って、知識学が「存在(Sein)そのもの」を問題とすることを明らかにし、更には自らの知識学の「第二部に入って以来」と称する箇所においてさえも、現象の導来は「知識学の第二義的な仕事にすぎないのであって、我々はここにこの原理の原理を定立するという、遥かに高い仕事をしている」というのである。
 しかしまた1804年の知識学においては、現象の導来が全く無視されているわけでもない。フィヒテ自身、第一部から第二部への移行をしばしば明言しているところからも、彼の意図が少なくともこの方向に向かっていたことは否定できない。知識学の上り道においてフィヒテは、1801年の知識学を越えて絶対者そのものへ迫り、1804年の知識学において一点に到達し、これにおいて感性界と超感性界とが彼に可視的となり、そして感性界は意識において唯一絶対的存在が分裂せる世界となり、更に我々が無神論論争の信仰体験以後、その最も明らかな形式において、1804年の知識学の中に、新しい知識学をもつとき、それは現象の概念の中にその中心点をもっているのである。即ち上り道を必ずしも1801年の知識学に止めず、これを1804年の知識学にまで及ぼし、ここにおいて初めて究極点が達成されたと共に、同時にこれからの下り道にも注目されるのである。そうすれば1804年の知識学を次のように位置づけられよう。
 即ち1801年の知識学と1804年の知識学とは、絶対者を究明するものであるという点においては類似するが、究明する態度が異なる。1801年の知識学では絶対者が専ら知からの上り道において追求され、そこでは主として絶対者の否定的、超越的側面が明らかにされた。これに対して1804年の知識学では、端的に絶対者そのものが取り上げられて、その内部構造が究明されると共に、特に現象学の意図を含むことによって、絶対者の肯定的・内在的側面が、否定的・超越的側面と相即的に論究される。従って現象学そのものの詳細な展開は、ここではなお保留されて、その後の通俗著作に委ねられることになる。即ち1804年~5年冬学期の講義『現代の特徴』、1805年夏学期の講義『学者の本質及び自由領域におけるその現象について』、1805年~6年冬学期の講義『浄福生活への手引き』である。これらの著作は全体において1804年に知識学で獲得したのと同じ地盤の上に立ち、1804年の知識学において単に暗示されていたものが一層強烈に出現している。1801年の知識学においては、要点は貫徹と融合との内的統一の原理に存したとすれば、1804年の知識学の徴表は絶対者の分裂を掲げ、他面なおそこに存在論を指摘したものである。

 フィヒテはニ十八講からなる1804年の知識学の最初の四講を序論とし、これにおいてまず知識学の大体の概念を与え、従来の哲学に対する知識学の優越せる特性を明らかにしている。
 そもそも知識学とは何であるか。「知識学は疑いもなく可能的な哲学体系の一つであり、哲学の一つである」。それでは哲学とは何か。「疑いもなく、真理を叙述することである」。ならば真理とは何か。「我々はまず真理として妥当ならしめないものが何であるかを考えて見さえすればよい。それは、そうでもあり得、またこうでもあり得るものである。即ち見解の多様性と変易性である。ゆえに真理とは、見解の絶対的統一性と普遍性とである。・・・ここで『見解の』を除去すれば・・・哲学の本質は・・・あらゆる多様性を絶対的統一に還元することである」。それでは更に絶対的統一とは何か。それは「その対立を自らの中に所有している真なるもの、不変なるもの自体である」。そして「還元するとは、まさに哲学者自身の持続的洞見において還元することである。即ち彼が統一によって多様を、多様によって統一を交互的につかむこと、換言すれば、彼にとって統一=A(絶対者)がかかる多様の原理としてつかまれ、また逆に多様が、それの存在根拠からして単にAの二次的原理としてつかまれ得ることである」。それはまた「一切を一者において、一者を一切においてつかむ」ことであるとも言える。
 ところで彼によれば歴史上の多くの哲学体系は、結局「何を各体系が統一として、唯一真実なる完結せる自体として定立するか」という点において区別される。もちろん自体とは絶対者のことに他ならない。従って「哲学の課題は、絶対者の叙述として表現されることができる」。しかし真の統一原理はただ一つ存するはず。従って当然これを原理とする、ただ一つの真の哲学が存すると言わねばならない。「絶対者は一つであるから、真の絶対者を、その絶対者としない哲学は、絶対者を決して所有しないのであって、それは一つの相対者を所有しているのである」。そしてフィヒテは知識学こそ真の絶対者を所有する唯一の哲学に他ならないと言うのである。
 それならば、更に知識学が唯一の真なる哲学であるゆえんはどこにあるのか。その絶対者が真の絶対者であるゆえんのものは何であるか。フィヒテは言う。「従来の哲学は、いかなる統一原理をもっていたであろうか。・・・私は言う。カントに至るまでの全ての哲学から、明瞭に知られる限りにおいては、絶対者は存在に、死んだ物に、物として定立された。物が自体であるとされてきた。・・・しかし誰でも思惟せんと欲するならば、あらゆる存在は全くこれについての思惟或は意識を定立するものであることを、従って単なる存在は常に存在に対する思惟という第ニ面に対する第一面であって、従ってそれは一つの根源的な、より高く分裂の一項であることを悟るであろう。かかる分裂は、自ら省みざる、平凡に思惟する人々に対してのみ消失するのである。従って絶対的統一は存在にも、存在に対立する意識にも定立されることはできず、また物にも物の表象にも定立され得ずして、むしろたった今我々によって発見された、両者の絶対的統一と不可分離性との原理の中に定立され得るのである。そしてこの原理は同じく我々が見たように、同時に両者の分裂の原理である。この原理を我々は純粋知、知自体、従って決していかなる客観にも関せざる知と名づけようと思う。なぜなら客観に関する知は知自体ではなく、その存在のために、なお客観性を必要とするであろうから。純粋知は意識と区別される。意識はたえず存在を定立して、従って単に一つの半分にすぎないからである。・・・知識学を未だ全然知らない人にとっては、全く新しいものであり、また既に知識学を知ってる人に対しても、おそらくは新しい光において出現せしめられるものは・・・ほんとうに思惟しさえすれば、一切の存在は、端的に存在についての思惟、或は意識を定立するという洞見であり、従って存在は分裂の一項であり、一つの半分であって、思惟は他の半分であるということ、それゆえに統一は一方の半分にも他方の半分にも定立されることはできず、むしろ両者の絶対的紐帯=純粋知そのものに、ゆえに何ものについてでもない知に定立されなくてはならないということ、・・・或は真理と確実性そのものに定立されなくてはならないという洞見であった」。
 このようにして存在と思惟、物と表象という相対立する二つの項の根底において、両者を統一すると共に分かつゆえんのもの、両者を越えて包むより高い原理を純粋知と名づけるとき、フィヒテはこれの最初の発見者としてカントの名をあげ、彼を超越論的哲学の創始者となす。知識学もその根本原理を物と意識とを包む統一にあるとなす点においてカント哲学と異ならない。ただ従来多くの人々が、知識学は絶対者をいわゆる思惟或は意識と名づけられるものに定立する、と考えてきたのは、知識学を知らないものと言わなくてはならない。
 例えばシェリングである。彼は1801年10月3日付のフィヒテ宛の手紙の中で「見照から出発するという必然性は、あなたを、あなたの哲学と共に、全く制約された系列に封じ込めるものであり、そこでは絶対者に関しては、何ものも見出されることはできません」と述べている。周知のようにフィヒテとシェリングとの手紙による論争は、1799年から1802年まで続くのであるが、フィヒテはついに自分の哲学はシェリングには理解されなかったとした。シェリングは、スピノザや全ての独断論者がなしたように、幸運にも絶対者を量的形式の下に実存在せしめるものに他ならないとフィヒテは言う。「私の新しい叙述(1804年の知識学)において絶対者は、それが絶対者であるという、まさにその理由で(これには何らの述語も、知或は存在、両者の無差別という述語も与えられないが)、かかる絶対者が根底におかれねばならない。これは、それ自身において、理性として自らを現わし、自らを量化し、知と存在とに分裂し、そしてこの形態において初めて、知と存在との、無限に異なる同一性となり、かくて初めて一にして全が成立するものである。しかしこれもスピノザのように全に至るために一を失うのでもなく、一をもつために全を失うのでもない」と言う。このようにしてフィヒテは、自らの絶対者が単なる意識でもなく、また単なる物でもなくて、相対立する意識と物とを越えて、これを自己の中に包むものであることを強調するのである。
 ところでフィヒテは、このような知識学は、その本質においカント哲学に相通じると言う。しかしもとよりそれはカント哲学に頼って自らの立場の真理性を保証せんとするものではない。むしろ逆である。カント哲学が真理であれば、知識学は一層深い真理であるとするのである。思うにフィヒテは単なるカント学徒でもなければ、その追従者でもない。もちろんフィヒテの出発点が、内容的にはシュトゥルム・ウント・ドランクであり、形式的にはカント哲学である以上、カントに追従する側面もないわけではない。例えば1794年の知識学における理論と実践の区別や範疇の演繹、更には経験の基盤に立って、その純粋なる根拠へ遡源せんとする態度等に、それが見出される。しかし彼は、その根本精神そのものにおいては、当時においてさえも、自らの独立性を確信していた。即ち彼は1794年の知識学において「我々の観念論は・・・彼(カント)の観念論よりも数歩進んでいる」と断言する。そしてこの確信は一貫して変わっていない。1797年の『第一序論』においては「私の体系は、カントのそれと異なったものではないと私は前から言ってきた。そして再びここでそれを言う。その意味は、私の体系は事がらの同一の見解を含んでいるのであるが、しかし体系の方法においては、カントの叙述からは全く独立であるという意味である」と述べている。ここで「事がらの同一の見解」というのは、もとより、カント哲学と知識学とが、同一内容のものであるということではなくて、むしろいずれも単に独断論的に物に依存することなく、却って自我を根底に置くという、哲学の「精神」において同一であるという意味である。そして「体系の方法」において、カントから独立であるというのは、カントにおけるいわゆる三つの絶対者に対して、彼が唯一の根本原理を定立した点を指していると思われる。かくて彼は、カント的な外観を脱し切っていない『全知識学の基礎』に対しては、早くから、その叙述形式の不適当な点を気にかけ、1797年には、これについて「私の印刷された知識学(1794年の知識学)は、それを書いた時代の跡と、時代に従える哲学の方法の跡とを、あまりにも多くもっています」とその手紙で述べたと言う。かくて『第二序論』においては、知識学は、その根本原理において、いかなる哲学からも独立であるという確信を表明して、「ある権威を盾にして、その下に逃げ込むということは、知識学もその著者も採らぬところである」と言い、カント哲学について、「知識学の著者が、知識学は、カントの学説と完全に一致するものであり、十分に理解されたカントの学説以外の何ものでもない、という序言を掲げて出現したのは、それゆえに、自らの学説を推挙するためという理由とは全く別な理由に基くのである」と述べ、「私は、私が自分特有の仕方でそれを見出した後に、初めてカントの諸著作の中に、一つの優れた、かつ私自身と一致する見解を見出したのである」というのである。以てフィヒテの独立不羈な態度で哲学しゆく精神を察すべきである。
 そしてこの確信は、1804年の知識学においては、一層はっきりと示される。彼は知識学を「カントから独立なる私の思弁」と言い、カントについては「知識学の唯一の隣人であるカント哲学」と述べている。隣人というのは、自我を根底とする態度において、両者の立場が共通することを示すに止まり、原理そのものの深さのそれではない。むしろ原理においては、カントを遥かに超えていることが含意されているのである。それはいかなる意味か。
 フィヒテは「一切の超越論哲学は、絶対者を存在にも意識にも置かないで両者の紐帯、即ち真理と確実性そのもの=Aに定立する」という。従って絶対者は「一切の現象を超越し、・・・絶対的に自体的であって、存在でも思惟でもなく、むしろA/D・Sである」。即ち絶対者Aは思惟Dと存在Sとを越えて、これを包む底のものである。ここまで徹底するのでなければ、真の超越論哲学ということはできない。そして既に触れたように、これの最初の完成者がカントであった。しかし厳密に検討するとき、カントもまた一つの欠陥を免れない。「カントは絶対者を、知識学が定立したように、その純粋なる独立性そのものにおいてつかまないで、むしろこれをその三つの根元的変様XYZの共通な根本規定、ないし属性としてつかんだのである」。即ち「『純粋理性批判』においては、感性的経験が彼にとって絶対者(X)であった」そして『実践理性批判』においては「第二の絶対者たる道徳界(Z)」が示され、『判断力批判』においては「この極めて意義深い書物の中で、特に意義ある部分たる、その序論において、超感性界と感性界とは、一つの共通な、しかし全然探究すべからざる根において連関しているに違いない、という告白が現れたのである。この根が第三の絶対者=Yであろう」。このようにフィヒテはカントに三つの絶対者を指摘する。
 しかしここに一つの疑問が生じる。もともとカントにおいては『判断力批判』における絶対者は、超感性界と感性界とを結合するものであったし、当然、両者とは異なった次元において、両者を結合する一層深い原理でなくてはならない。そうすればフィヒテが、これを両者と並ぶ第三の絶対者とするのは、カントを曲解せるものではなかろうか。フィヒテは「否」と答える。「なぜなら、このYが探究することのできないものであるとすれば、それは(XとZとの)連関を含んでいるかもしれないにしても、少なくとも私はかかる連関として、これに徹底することはできないし、また二つの並立項を、これから生じるものとして、間接的に理解することもできないからである。それらを把握しなければならないとすれば、私はこれを直接に、即ち絶対的に把握せざるを得ない。かくして私は常に前後を通じて、依然として三つの絶対者に分裂されたままである」。かくてカントにおいては結局、真の唯一絶対者は捉えられていないと言わなくてはならない。
 これに反して「知識学の本質は、まさに感性界と超感性界とが相連関する根、カントにとっては探究すべからざるものであった根を探究し、次いで二つの世界を実際に概念的に唯一の原理から導来するという点に存する」と言う。この言葉からしても、理論と実践とを統一するより高い原理の探究に、フィヒテの意図が存することは明らかである。知識学は、その究極的原理たる絶対者を、カントのように単に探究すべからざるものとして放置するのではない。「知識学自身の格律は何ら不可解なものをも認めず、何ものも不可解としないというところにある」。そしてたとえ絶対的に不可解なものを認めなくてはならない場合においても、知識学はそれを「絶対的に不可解なものとして把握する。そうすると、つまり、それは理解されたのであって、その際には絶対的理解作用が始まったということができるであろう」。かくてフィヒテは毅然たる独立性を以て、知識学が従来の哲学と類比されるべきでないのはもとより、カント哲学をも越えるものであることを強調するのである。

 さて上のように知識学においては、思惟と存在、表象と物との究極的統一としての絶対者は「知自体」「純粋知そのもの」「真理と確実性そのもの」と称せられるが、これはカントにおけるように単に「三つの絶対者の共通の根本規定及び属性」ではなくて、「絶対的独立性」であり、「実際に全く対自的に存在する実体」である。そして絶対者のもつこの独立性と対自存立という特性は、知識学が一貫して保持するところのものである。まず独立性は思惟と存在、表象と物という対立からの独立性、これを越え、これに束縛されないという超越性を意味する。フィヒテは、このことについて次のように言う。「私は順々に表象することを諸君に要求する。そうすれば、諸君は・・・これらの規定の中に、客観とその表象とを所有する。ところが私は更に言う。諸君は一体、全てのこれらの規定の中において知らないのであるか。知としての諸君の知は、客観のあらゆる相違性にも拘わらず、自己同一なる知ではないか。諸君が要求されたことを実行したならば、諸君は確かにこの疑問に然りと答えるだろう。それと同じく、確実に、知は客観のあらゆる相違性にも拘らず、従って客観の全き抽象において(=A)なお残留するものとして、即ち実体的に、客観のあらゆる変化において、絶えず自らに等しいものとして、従って自らにおいて全く不変なる質的統一として会得され示されるのである。・・・従って、全く先天的に、この知は自己自身によって、あらゆる主観と客観とから独立な、対自的に存立し、自己自身に等しいものとして会得される。・・・ただ客観のあらゆる変異性から独立であるのみならず、これなくしては存しない主観のそれからも独立であって、従って主観的ならざる知は端的に不変であり、自己自身に等しいのである」。そうすれば主観と客観との対立する場面を越えているという、絶対者の独立性は、当然、主観と客観との変易性からも独立なものとして、不変不易にして自己同一でなくてはならない。変化と推移とが時間の中に存するものの性質であるとすれば、不変と自己同一とは、単に時間の中における変化と推移との否定としての不変と持続ではなくて、むしろ時間を越えた意味における不変と自己同一でなくてはならないであろう。そしてこのような在り方がまた自体存在に他ならないのである。
 フィヒテは更に絶対者の内部構造を示そうとして「一体何がこの質的統一の中に存するのか」と問い、この解決のために「知のこの本質が内的に構成されなくてはならない。或は同じことであるが知は自らを構成しなくてはならない」という。フィヒテによれば知が自らの内面を明らかにすることは知の自己構成である。知は単に主観と客観との対立の場面を越えて超然と静止しているものではなく、自ら働いて自らを構成する活動である。知においては、かく働くことがそのあり方である。働くとあるが同一である。そしてこれがまた同時に知の自覚でもある。なればこの事態をフィヒテは「この構成において知は全く疑いもなくあり、そしてそれがあるところのもので知りつつあり、そしてそれがあるところのものを知るものとしてある」というのである。
 この命題の中には重要な事がらが含まれている。第一には知のあり方は構成作用という働きにおいて存するということであり、第二には知は自らのあり方を知っており、しかもかく知っているということが知の本質である。知は自覚的に自ら働く底のものである。ところでこのような働きと自覚との統一は、既に『基礎』以来一貫する知識学の原理には他らない。かくてフィヒテは「ゆえに知識学と自己自身をその本質的統一において表現する知とは同一である」と言うのである。そうして知のこのような構成的にしてかつ自覚的な構造は、また「発生(Genesis)」と名づけられる。「根源的、本質的な知は構成的であり、従って自己自身において発生的である。即ちこれが根源的知、あるいは明証自体であろう。即ち明証自体はかくして発生的である」と言われる。発生は単に無媒介的に事実性に捕らわれて、それから脱却し得ない知ではなくて「一切の事実を超越し・・・客観的なもの、外来的なもの」を全て抽象したところの「知の自立存在」であり、そしてこれに媒介されて「変易一般が、しかも端的にそのものとして根拠づけられる」のである。かくてそれの明証は単なる「事実的な明証」ではなく、「発生的明証」であり、まさにそれは知識学のみよくするところである。従ってフィヒテは自身を以て次のように言う。「現実の諸学問の中には、事実的に明証な原理以外のいかなる原理も決して存在しない。これに対して知識学は全く発生的な明証を導き入れ、そこから初めて事実的な明証を導来せんと欲するのであるとすれば、知識学は内的にその精神と生命の上から言って、全く今日までの一切の学的使用から異なっているということが明らかである」。
 さて以上のようにしてフィヒテは知識学の根本原理である純粋知ないし対自存立について、その構造を概観して後「知識学はなおこの内的な質的に不変易な存在を実際に構成しなければならない」と言う。ここに示された存在が1801年の知識学において出現した絶対者ないし存在に通じるものであることは言うまでもない。
 周知のように1800年以前においては、存在は専ら経験的存在を意味していた。例えば『第二序論』においては「知識学にとっては、存在は全て必然的に感性的な存在である。なぜなら知識学は概念全体を感性の形式から初めて導来するのであるから」と言われている。フィヒテは無神論論争期において、絶対者に対しては存在を頑強に拒否した。これに対して1801年の知識学以降においては、存在が絶対者として登場し、知識学の中心概念を形成するに至るのである。ここでは存在によって経験的なものが基礎づけられる。かくてフィヒテは言う。「そして知識学はかくするや否や、第二項たる変易を同時に構成するに至るであろう」。我々はここに使用された「同時に」という語を軽々しく看過してはならない。存在の自己構成と変易の構成とが、同時的であるとはいかなる意味であるか。もとより存在の自己構成は、超時間的な働きである以上、ここに使用された「同時に」が経験的時間系列における同時を意味しないことは言うまでもない。そうすれば、超時間的な存在の自己構成が、同時に変易の構成であるということは、超時間的存在と時間的変易との特異な相即構造を示すと言わなくてはならない。即ち存在は、もとより独立性としては一切の時間的変易から離れ、これを越えているが、しかし他面においてはまた変易をあらしめるものとして変易に内在しているのでなくてはならない。変易を越えるのみならず同時に変易の中に顕現するところに存在の本性が考えられなくてはならない。我々はここに「同時に」を以てしか表現できない存在のもつ超越性と内在性との特異なニ重構造を看取することができる。
 もとよりこのニ重構造の真の意味は「我々が実際に構成を遂行する場合にだけ明白になるのであって、これは全く知識学そのものの範囲に属することであり、決して一時的な報告ではない」とすれば、序論の範囲においては、もちろんニ重構造の単なる輪郭が示されるに止まるのはやむをえない。しかしなお我々はフィヒテがそこで存在の構造に触れる簡単な叙述の中に重要な点が含まれていることを見落とすものではない。彼はそこで二つの段階において存在の構造を究明していると言える。第一は、知識学は点において立っているのではなく「むしろ知識学はAにおいて立っているのではないか」という問いに対して解答を与える段階であり、第二は「中心的な重要な点をできるだけ、なお一層明らかにするために」探究をすすめる段階である。
 まず第一段階においてフィヒテは次のような図式を示している。Aは絶対者であり、Aと接した点・はこの絶対者がカントの三つの絶対者XYZ、或は存在と思惟S-Dの対立に分離する働きを示す。ところがフィヒテはまた直ちにAを統一と言い換え、点・を多様とも言い換えている。しかし点を多様という場合は、点が直ちに経験的多様に等しくされたのではなく、むしろ点は絶対者から多様への展開の力、ないし通路を意味していると考えなくてはならない。このように見て初めてフィヒテが間もなく点を更に「分離の原理」或は「分裂」と言い換え、更に「分裂の点」とも言うゆえんが理解できるのである。
 さてもとよりこの図式は絶対者AがXYZ、或は思惟と存在との究極的統一として、これを超越すると同時に内在するというニ重構造をもつことを意味していることは明らかである。しかし解明のためにこの図式において一応Aと点とを引き離して見るとどうなるであろうか。それは統一作用と多様化作用、超越性と内在性とを引き離すことである。この場合には「Aはそれだけでは客観的であって、従って内的に死んだものである」と言わなくてはならない。絶対者の超越性は、それだけ引き離しては無意味であって、それは常に内在性と相即しなくてはならない。「それはそのように、いつまでもあるべきではなく、発生的となるべきである」と言われるゆえんである。しかし反面また点もそれだけでは無意味である。「点は単に発生的である。単なる発生は元々無である」。単に多様化する働きだけでは盲目にすぎない。それは自覚的とならなくてはならない。そのためには内在的な多様化の働きは、それ自身多様化することもなき統一の超越面と相即しなくてはならない。かくてフィヒテは「ここには単なる発生ではなくて絶対的に質的なAの発生が要求される」というのである。かくてAと点とは相即的に一如とならなくてはならないものであって、ここに先に「同時に」を以て現わされた知のニ重構造の本質が存するのである。
 これをフィヒテはまた「有機的統一」と称し、「ある見解、即ち知識学の総合的見解においては、分裂はまさに統一と同様に絶対的でなくてはならない」と述べるのである。そして「統一に止まっているならば我々は変異に出てくることはない」と言い、この有機的統一を見落とした代表的な例としてスピノザに触れている。即ち「この点は・・・実に知識学の重要なる特性であって、知識学を例えばスピノザの体系と区別せしめるところのものである。スピノザも絶対的統一を定立せんと欲するのであるが、この統一から多様への橋を架けることを知らない。他面、彼は多様を所有していてもそこから統一へ来ることができない」と言っている。
 このようにして第一段階においては、存在のニ重構造を一層明らかに確立したわけである。結局「知識学は分離と統一との二つの原理の間に、同時に両者を滅却しながら、また両者を定立しながら存在する」のであって、その立場は本来、超越論哲学である以上「それは分離も統一をも見出すのではなく、一挙にして両者を創造する総合である」と言わなくてはならない。
 これに対して第二段階においては「これよりも一層高い点を得るために」論点が進められる。そのためにフィヒテは改めて問う。「知識学の絶対的統一とは何か」と。答えて言う。「それはAでも点でもなくて、両者の内的有機的統一である」。この問答の形式そのものは前と何ら異なるところはない。ところがフィヒテはここで改めてかかる「記述」を問題にする。そして「この記述の成分は何であるか」と問うのである。記述の成分はもちろん概念的理解であるが、しかし概念の働きはフィヒテにおいては、直観的・生命的なるものを固定し分析する作用である。それはいわゆる思惟として存在に対立しこれを把握するものに他ならない。いわば概念は全く変異的なものに関係すると考えられる。それならば変異を越えた統一そのものは本来概念によってはつかまれないもの、非概念的なものと言う他はない。「さて、非概念的なものは=不変的なものであり、概念は=変異である」とフィヒテが言うゆえんである。
 もとよりここでの「非」概念的というのは、単に概念以下のものでもなければ、概念を全く否定するものでもない。むしろそれは概念を越えていることを意味する。そして真に概念を越えるものは、また同時に概念を支えこれをあらしめるものである。そうすれば非概念的なものは概念を全く退けるものではなく、むしろ逆に概念とのつながりにおいて、初めてその本質が明らかにされ得るであろう。即ち最高原理としての統一について第二に言えることは「概念と非概念的なものとの必然的な一致と非分離」である。即ち「絶対的に不可解なるものが、ただそれだけで存立するものとして会得されるべきであるならば、概念は滅却されなければならない。また概念が滅却されるためには、それは定立されなくてはならない。なぜなら、ただ概念の滅却においてのみ非概念的なるものは会得されるからである」。概念は滅却されるために定立されなくてはならない。即ち概念の滅却が概念定立の目標でなくてはならない。概念が存在を把握できないと言う場合、この把握できないという否定的事態を示すものは、概念の外にはあり得ない。もとより非概念性そのものは概念から生じると言わねばならない。このような連関において非概念的、不可解なものは不変易であり、概念は変易であるとして区別されると共に、また両者は相即すべきものでもある。ここに非概念の「非」のもつ特有なる意義が存在するであろう。かくて非概念的なものと概念とが不可分であるように、不変易と変易も不可分でなくてはならない。フィヒテが「不変易なものが会得されるためには、それは変易に来たらなくてはならない」と言うゆえんである。概念の否定たる不可解性は概念なくして考えられず、むしろ概念そのものから由来すると言うべきである。かくして概念を滅却する当のものは、積極的には「絶対的明証」「絶対性」或は「純粋存立そのもの」などと呼ばれる。
 かくて第三にフィヒテは上のことは次の問題の考察によって極めて重大なものとなると言う。それは即ち「純粋な、独立な知自体とは何か」という問題である。これに対する解答は既に明らかなように、知の内的本性を構成することによって与えられる。「即ち明証による概念の滅却、従って不可解性の自己産出は、この知の内的性質の生きた構成である」。そしてこの不可解性自身は、一面、消極的には概念の否定から生じると共に、他面、積極的には内的な明証から生じると言える。「かくて絶対者の全性質と、絶対者には性質のみが与えられることが出来たということとは知から由来するのである。絶対者は自体では不可解ではない。なぜならそういうことは何らの意味をもなさないことだからである。概念がそれに対して力を試みるときにのみ絶対者は不可解であるのであり、またこの不可解が絶対者の唯一の性質である」。即ち絶対者を不可解となすのは、概念的理解との関係において、これを否定することを意味する以上、概念を離れて、それ自体における絶対者は不可解とさえ言われないであろう。不可解と言うときそれは既に概念の力の及ぶ限界を越えたものとして理解されたことを意味する。
 このように「不」は概念的理解の限界を示す消極的意味をもつと共に、それはまた「実体性」の概念によって積極的意味を獲得する。フィヒテは「この実体性は、これだけは少なくとも概念の滅却の後に現れるのであるから、概念から生じないということは正当である」と言う。実体性が概念の滅却の後に現れると言うのは、もとより時間的な後を意味するものではなくて、それはむしろ概念の彼岸という意味である。しかもそれは時間的変易的な経験的世界を越えた彼岸の領域を、単に消極的に指示するものではなくて、むしろこれを積極的に定立する意味をもつ。そしてここにおいては概念に代わって「直接的明証」が実体性を捉える。
 かくして積極的に直接的明証によって捉えられる実体性は更に「純粋なる光」とも呼ばれる。フィヒテは言う。「概念はそれの限界を見出し自ら限界づけられたものとして把握し、その完成された自己把握は、まさにこの限界の把握である。我々の頼みも命令もなしに、何ものも越えることなき限界を洞見は必ず認めるのであり、そしてこの限界の彼岸に唯一の純粋な生きた光があるのである」。かくてフィヒテは「今や我々は光自身において絶対的実在性を有するのである」と言い、また「このようにして純粋な光は、存在ならびに概念の唯一の中心点として、唯一の原理として徹底されているのである」と言う。ここにおいて光はただ概念を越えた原理であるのみならず、また概念の根拠ともなされている。概念の根拠であるとは、ひいては概念によって構成される変易的世界の根拠であることを意味する。
 そして最後に、第四にフィヒテは以上の事がらをまとめて「その原理において、我々によってつかまれることのできない知における一切の実在性の運載者としての不可解なるものは、絶対的にただ不可解であるとしてのみ思惟されるべきもので、それ以外には何ものとしても思惟されるべきものではない。それには決してその上に何らかの秘密の性質を与えるべきではない」と言う。
 結局この第二段階において、フィヒテは知識学の根本原理としての絶対者について、一層高い点を明らかにする意図を以て、概念との関係を手がかりとしつつ、絶対者は概念的理解の領域を越えた不可解なものであること、しかもこの「不」は単に消極的に概念の否定を意味するのみならず、他面、積極的には、それ自身の絶対的な純粋対自存立をもつ光であり、これがまた概念をも成立せしめる根源であることを主張する。このように見るとき、第二段階においても、絶対者のニ重構造が、より一層深く追求されていると言うことができる。
 このようにしてフィヒテは序論的講義において、知識学が従来の一切の哲学体系に卓越するゆえんを、これが相対立する意識と存在とを越えて包む絶対者を定立する点にあるとなし、この絶対者に超越性と内在性とのニ重構造を認めるのである。

 さて我々は序論的講義の中にフィヒテの存在のもつ超越性と内在性とのニ重構造を指摘した。本論の究明するところも存在のこのような特性に他ならない。しかもこの講義はプロティノスやヨハネ神学的な傾向とも連なって広汎多岐に渡っていよいよ深く展開されている。その論述の全体を追っていくことは当面の意図ではない。むしろ我々はそれにおける存在の根源的な構造を追究するのである。
 フィヒテはここで知識学の立場を明らかにするために実在論と観念論とを対立させつつ、その相互否定の闘争を通じて、両者を越えて包む立場としての知識学に至ろうとする。この部分は1804年の知識学前半の中心部分を形成する。それは結局、実在論と観念論との対立の彼岸に、超越即内在的な根本原理を見出そうとするものである。それは実在論と観念論との此岸、中道とも言える。
 ところで元々フィヒテにおける観念論と実在論との対立は、根本的には思惟と存在との対立に基くものであったとすれば、純粋に自体的な存在はまずかかる関係の抽象において、客観性が放棄された後に初めて出現するのでなくてはならない。それは思惟と存在との対立の彼岸において、これを越えた原理を獲得することに他ならない。そこでフィヒテは「関係からの抽象における純粋存在は何であるか。・・・この存在は全く自己から、自己において、自己によってである。この自己は対立としてではなく、純粋に内的に考えられ、定立された抽象でもって把握されたものである。・・・それはスコラ的な仕方で表現すれば、純粋作用における存在であり、かくて両者即ち、存在と生命、生命と存在は互に貫通し、相互に没入して、同一のものであり、この同一の内的なものが唯一なる存在である。・・・存在は、生命と存在との自己の内に閉じられた単体であり、これは自己から外出することは出来ない」と言う。
 存在が「自己から、自己において、自己によって」であるということは、それが一切の対立の彼岸において、これを越えた自体的な存在であることを示している。そして、この超越性がまた「純粋に内的」なあり方とされる。「内的」とはいわゆる外に対する内ではなく、むしろ内外の対立関係を越えた自体性を意味する。従ってフィヒテがこれについて更に「これは十分に把捉され得るものであり、また例えば私は内奥においてこれを把捉することを意識している」と言うとき、この「把捉」も「意識する」も対象的なるものの概念的把捉や、客観の意識を意味するものではないことは言うまでもない。むしろそれは一切の対立を絶して、主体の内奥において存在と面々対応する、否、これに没入する姿を意味しなくてはならない。後に彼が「特に我々は絶対者を生き実行するのでなければ、決して絶対者を捉えることはできない」と言うように、そこにおいて「存在と生命」とが相互に「貫通し没入する」と言われるゆえんがある。
 更にかかる主体と存在との相互貫通は単に静的な精神状態ではなくて、むしろ動そのものであり、否、動と静との対立を越えて包む純粋な境地でなくてはならない。これが「純粋作用における存在」のもつ含蓄であろう。従ってこの存在について更に「この唯一の存在にして生命たるものは、それ自身の外にあり得るものでもなければ、探究され得るものでもない。それの外には何ものもあり得ない。全く端的に、ニ或は多は生じないのであって、むしろ、一のみが生じる。なぜなら存在は自己によって自己の中に閉じられた統一をもっており、そこにそれの本質が存するからである」と言われて、ここに一が指摘されるとき、この一もまた単に多に対立するものではなくて、いわゆる一と多との対立を越えて両者を包むような一でなくてはならない。従ってそこでは「ニ或は多は生じない」と言われるとき、この「ない」は単なる多の否定ではなく、多を肯定し或は否定するような対立的立場を越えていることを意味する。ここから存在はまた「単体」と称せられるのである。
 更に「存在は言葉によって名詞的に考えられる場合には、文字通り作用における存在ではあり得ず、直接に生命そのものの中にはあり得ない。しかしそれはただ動詞的存在である。なぜなら全ての名詞的存在は全く意味なき客観性であるから」と言われる場合においても、この動詞的存在は単に名詞的存在ないし客観性と同一の地盤において、これに対立して考えられるものではなく、これを越えた動そのものでなくてはならない。フィヒテが「名詞性と客観性とを放棄する」と言うのも、上のような対立的地盤を越えることに他ならず、そしてこのように悟性的な名詞と動詞との対立を越えたところを、彼はまた「理性」とも名づけるのである。
 彼が後に理性について「理性自身が生きるのである」と言うとき、この「生きる」は単なる生と死との対立を越えた場面における、生死一如の生そのものであり、また「さて、この現実的な生命性と実存在とにおいて、直覚しつつ端的に自己を形成するところに、純粋なそれ自体において明瞭な透明な光(=理性)が、あらゆる客観化的直覚を超越して、自身、それの根拠として存立する。かくて今や主観と客観との間の間隙を全く満たし、従って両者を滅却するのである。この自己造成がまさに内的な生命と活動である」とも言うゆえんが明らかになる。けだし、ここには一切の主客の対立を超越し、これを否定する理性の本質が端的に語られているからである。さればフィヒテが存在を理性として示した先の説明に続いて次のように述べる真意も自ずから理解される。「逆に直接に生きるものは存在である。なぜなら存在のみが生きるのであるから。それは全く不可分の一として存し、自身の外にあることもできず。自己自身からニへ外出することもできない」。ここでは「直接に」と「不可分」という表現が存在の超越性を端的に示している。「直接に」は単に「間接に」に対立するのではなく、また「不可分」も「可分」に対立するのではなく、これらの場を越える意味を含んでいなければならない。このように考えるとき、存在はいわゆる思惟と存在との対立を越えた、彼岸における自体的なあり方をもつものであることが明らかである。
 ところがフィヒテは存在のこのようなあり方を直ちに「純粋作用における存在」「動詞的存在」として、その本質を活動性に置いていることは重要である。それは1794年の知識学が絶対的自我の本質を活動性そのものとなしたように、思惟と存在との対立の彼岸にある存在が、単なる静的なものではなくて動と静とを包む生命的な活動に他ならないことを示すものであろう。フィヒテは「単なる存在については・・・それは自己より、自己から、自己によって直接に存在においてあるということ、従ってそれは自己自身を構成するものであり、ただこの自己構成作用においてのみあるということが直接に明瞭になったのである」とも「自己において、自己から、自己によって=実在的な自己構成」とも言って、存在が自己構成の活動であることを示し、また「全一者である光、或は理性、或は絶対的存在は、自己を構成することなくしては自己をかかるものとして定立することはできず、またその逆が成り立つ。従ってその本質においては両者、即ち存在と自己構成、存在と自己に関する知とが合致し、全く一つであるということが明らかである」と述べて、存在の自己構成と自己定立、更にはその自覚が一つであるとしている。
 そうすれば我々はここに初期知識学以来一貫する根本原理の規定を指摘することができる。1794年の知識学においては、絶対的自我について「我は端的にある。即ち我はあるがゆえに端的にあり、我は我があるところのもので端的にある。そして両者が自我に対して」と言われて、ここでは「ゆえに」を以て示される「自由」ないし「活動」と、「もの」を以て示される「存在」とが、「自我に対して」という自覚の立場と一つにされた。
 かかる活動と存在と自覚の合一としての絶対的自我は、1801年の知識学においては、「読者は絶対者を次の二つの徴表において考えることができる。一つにはそれが端的にあるところのものであり、自己自身の上にかつ自己自身の中に変化動揺なしに確乎として安住し完成されかつ自身において完結されている。一つにはそれは自己自身から自己自身によって全ての外的影響なしにあるがゆえにそれがあるところのものである。・・・我々は前者を絶対的定立、静止的存在などと名づけることができ、後者を絶対的生成或は自由となづけることができる」と述べて、絶対者における存在と活動との二面を示すと共に、これが「絶対知」において自覚的に合一するゆえんに言及している。
 そして今や1804年の知識学において絶対者の自体的な超越面と共にそれの有する活動性に注目するのである。そうすれば我々はこの絶対者のもつ活動性がいわばそれの内在面として自らにおいて一切の現象を基礎づけるゆえんの下り道の活動性に連なるものであることを予想することができる。例えばフィヒテが「本来的な真なる見照或は光は実在的な創造に伴わなくてはならない。そして存在と見照とは、既に前に同一なるものとして洞見されたのであるからして、本来的な真なる光そのものが、内在的な創造或は絶対的な依(Von)である」と言うとき、ここでは明らかに創造ないし依という存在の下り道の方向が語られると共に、同時にこれに見照という自覚が与えられていることを見落としてはならない。そしてこれらの相即性が存在の本質構造を形成するのである。
 











































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