シェリングの存在神学 (2)
シェリングは形而上学的存在神学に対する批判と、消極哲学と積極哲学の区別づけを、論理的異論の上に築き上げているが、このことは、この批判の重大な欠点であり、また彼の体系構築に見られる由々しい弱点である。しかしこのような欠点を指摘することによってシェリングのような大哲学者の体系的な根本思想を片づけることができる、などと考えてはならない。むしろ我々は、どうしてこのような思想がこのように明らかに不充分な形で表明されることができたのか、と問わなければならない。
シェリングの後期哲学の原理は、「思想が存在に先立つのではなく、存在が思想の根拠なのだ」という命題に定式化することが出来る。『人間的自由の本質』以来既に、シェリングの唯一の問題は、この原理を展開し、それを理性に対して根拠づけることであった。彼はこの原理の内に、ヘーゲル及びいわゆる後期観念論者達に対する自分の根源的な独自性と自分の哲学の特殊性を見ているが、それはまったく正当なことである。後期観念論者たちといえば、彼らは自分の方ではシェリングに結びついていると思っているが、しかしシェリングの方は彼らをヘーゲル学派に属するものとみなしているのである。我々はシェリングのこの原理を厳密かつ明晰に捉えなければならない。この原理はただ単に、現実が常に、我々がその中で現実を思惟しているような概念より以上のものだということを意味しているだけでもなければ、概念からはどのような存在も導出できないということだけを言おうとしているのでもない。この原理は、どのような概念もそれ自体が、計り知れない存在を前提にしているという、非常に幅広い意味をもっている。だからこそシェリングは、観念論の展開と密接に結び付けられ、イギリス経験論やヤコービから切り離されるのである。彼の原理は、理性や概念そのものに関する言明なのであって、理性と並ぶ第二の原理とも言うべき、現実に対する理性の関係を言挙げするものではない。
シェリングをこの原理に導いていった様々な理由を、ここで充分に考慮することはできない。重要な思想家なら誰でもそうであるように、彼の場合にも、統一的な根拠に基いて初めて解決されるような多くの問題が一緒になって働いている。そうした問題の中には、確かに自由の可能性や神の人格性に関する真正な概念への問いが含まれているが、しかしそれと同じく第一の学の端緒や、自然における非合理性と根源的偶然性や、神話的宗教の本質への問いも含まれているのである。シェリングの考えによれば、こうした問いの全てが解決され得るのは、存在そのものを第一の根拠として思惟し、神の精神をも含めた精神を、この存在に対抗して措定されるポテンツとして、つまりこの存在に依存する、それゆえ副次的な存在ではあるにしても絶対的なものではないポテンツとして思惟することによってなのである。そうすることによってまさに論理的な同一哲学は、概念的に捉えられた存在、つまり理性や概念の内に閉じ込められた存在だけを思惟しようとする、単なる消極的な哲学になる。同一哲学が消極的なのは、それが単に批判的なものでしかなく、存在そのものから現実存在へ関係しなければならないという制限を取り払い、そのことによって存在そのものを制限のある領域から隔絶する、つまり聖化するからである。それは、まだ積極的な存在、現実的な存在を思惟することのない、単なる形式的な哲学である。それは実に転倒した哲学なのである。なぜなら、この哲学は(存在から出発するにも拘らず、存在を直接態の形式での概念にすぎないとするヘーゲルの論理学のように)、存在を概念から理解しようとし、従って存在を概念に依存させようとするからである。理性は、自分の最高の思想(存在そのもの)の中で立ちすくみ自らの終局に達したとき、いわば極限を迎えたとき、論理的な形式主義に基くこのような転倒を止める。その後そのすぐ次の瞬間に、理性は測り知れない存在の根源性を承認するに至るのである。存在と概念の真正な関係を保持している積極哲学にして初めて、消極哲学が本来何であるかを理解することを教えることができる。積極哲学は測り知れない存在に対して概念を復活するが、しかもそれでいてこの哲学は、ただ存在において、そして存在を通してのみ、存在に対するものとして自分を規定することができるのである。理性は、自らの終局において硬直化するのである以上、消極哲学を通して自らの脱自的本質を明らかにせざるを得ない。というのも、理性は思想から出発するが、思想は存在への門出ではないからである。こうして理性にとっての存在、即ち純粋なポテンツが理性の絶対的な限界になる。
この原理に基いてシェリングは、容易に存在論的論証を解釈することができた。つまりこの原理が、シェリングに、ほとんど無理矢理に論理的異論を展開させることになったのである。なぜなら論理的異論は、単に消極的なだけの概念哲学と、この哲学によっては決して根拠づけられることのない積極的な現実哲学とを区別するのに、全く打ってつけの異論だからである。デカルトの証明において神の概念が占めている位置からすれば、本質概念は、神そのものにおいても、神的な存在の根拠であると推測される。つまり、神は最も完全な存在者であるがゆえに、現実的に現存する、というわけである。これに対して、シェリングがスピノザのものだとみなす論証では、没概念的な存在の方がより根源的である。してみればスピノザは、概念にも存在にも共通に妥当する秩序を守っていることになる。確かにスピノザの論証は、神の存在証明だなどといえる代物ではない。神は端なる存在以上のものだからである。しかし彼は、現実的な存在の確実性を教えてくれるのであって、それによってその次に、この現実的な存在がさらに詳しく規定されて、存在する神という概念にまでなることができるのである。スピノザ自身は、なるほど神は存在であるという定義に止まっている。その限りで彼は物質的無神論を説いている。つまり彼のいう神は、神(例えば人格神)として考えられているわけではないのである。けれども、「スピノザによって、少なくとも宗教の実体(絶対的なものの現実性と存在の優位性)は救い出された」のである。それに対して、デカルトの論証は真の神概念を転倒している。この転倒こそシェリングがデカルトの論証を拒否するに至った体系的根拠なのである。シェリングはその際不適切な論理的異論を用いている。けれどもシェリングは、自分をそのように突き動かした思想を、別な形で表現することもできたはずである。つまり彼は、デカルトの論証は明瞭ではないし、それは二通りに理解できる、とも言い得たはずなのである。すなわちデカルトの論証は、一方では、最も完全な存在者という概念が必然的な存在という完全性を含んでおり、従ってそれ自身が存在することの根拠を自ら含んでいると言うことを意味する。他方では、それは、完全な存在者は純粋存在という前提を根拠にしてしか考えられないということを意味する。デカルトの論証はこの二通りのどちらかに解釈されるのである。第ニの解釈は、存在が概念に依存するということを主張するものではなく、概念を存在の制約の下に置くものである。いずれの場合も現実的な現存在への推論が重要なのであって、どちらも形式的には筋道の立った存在論的論証である。とはいえ、二つの内のどちらかが明晰に規定された神概念に基いているかとなると、これは問題である。第一の論証は存在という完全性を概念から導出しようとし、第二の論証はこの完全性を、概念が規定されるための制約として前提する。二つの内の一つだけが、それも第二の論証だけが正しいものたり得る。この区別に無頓着であるように思われる存在論的論証の定式に遭遇するとき、我々は存在論的論証がどのようにしてより正確に理解されるべきなのかという問題を予め明らかにした上でなければ、このような定式に同意してはならない。というのも、神の概念からは、もちろん神の現実的な現存在が帰結することはするけれども、しかし最も完全な存在者という合成された概念の場合には、神の現実的な現存在は神の完全性からではなくて、存在そのものから帰結するのであって、この存在なくしては神の完全性も決して考えられないからである。さらにシェリングは、このようにデカルトの論証の解釈を二つに区別することによって、存在神学に対する経験主義的批判の最も本質的な要素を顧慮したという功績を、自らに要求し得たはずである。経験主義的異論はこう主張する。存在は或る存在者の諸々の完全性の一つを成すのではなく、それゆえ最も完全なものという概念からその現存在を推論することはできない、と。自分の理論に立脚して、シェリングはこの異論に次のように答えることができたはずである。存在は確かに概念のいかなる契機でもないが、しかし概念の計り知れない前提なのだ。だからこそ、最も完全な存在者を、この前提なしに思惟することも、また不可能である。存在と完全性とは、なるほど(完全性に存在が含有されているという意味で)分析的に結び付けられているわけではないが、しかし(不可避的に共属しているという意味で)総合的に確かに結合されている。この結合から、即ち最も完全なものという思想の内にある、存在という前提から、このものの現存在を推論することはできるのである。してみれば、存在論的論証は、それが積極哲学の意味で捉えられる場合には妥当するが、しかし概念と存在の統一が消極哲学の意味で解されるなら妥当しない。シェリングはこのように返答することができたはずなのである。
ところがシェリングはこのようには語らなかった。彼は同じ思想を、論理的異論という不適切な手段によって根拠づけたのである。こうした手段では、彼は人を説得することができなかった。存在神学の近世史の成果を眼前にしている以上、我々はシェリングが自分のテキストの中で挙げている論証に対して、どれが彼独自の見解なのかを明らかにしなければならない。
ところでシェリングが論理的異論を用いているというこの事実は、我々が消極哲学を積極哲学からはっきりと区別しようとする際に残ることになる或る難点を、隠蔽するという役目を果たしている。積極哲学は、第一にア・ポステリオリな認識を含んでいるし、第二に純粋存在という概念から始まると、シェリングは何度も主張していた。しかし積極哲学の端緒はこうした断定と一致することはできない。というのも積極哲学の端緒は、消極哲学と同じく、計り知れない存在を構成的に必要なものとして取り扱うからである。そのことを最も鮮やかに示しているのが、『永遠なる真理の起源について』と『積極哲学の諸原理の別な演繹』という二つの論稿である。神は決して経験の対象ではあり得ない。従って積極哲学の神概念といえども合理的な構成を経て認識されざるを得ない。積極哲学の神学ははっきりと二つの部分に分けられている。第一の部分は神概念の合理的な演繹を含んでおり、そこで演繹される神概念においては、計り知れない存在が基礎的な規定をもち、理性というポテンツが派生的な規定をもつ。第二の部分は根源的に偶然的な創造という理論で始まる。神が有限な存在者を創造するということは、必然的なこととしてア・プリオリに証明できるわけではない。つまりポテンツ論を手段にした創造の説明には、創造の現実についての経験が先立っていなければならないのである。積極哲学は経験論だというシェリングの主張をまったく生真面目に受け取るなら、積極哲学を創造説から始めなければならなくなろう。しかもシェリング自身、『神話の哲学』の哲学的序論の終わりで、積極的な概念への問いは「合理的(理性的)な道を採っても解決」できると述べているのである。ところが先に挙げた二つと並んで、シェリングによれば、なお積極哲学の第三の基準が存在する。即ち積極哲学は徹頭徹尾現実の認識であるという基準である。この基準に、それにふさわしい根本的な意義が与えられるなら積極哲学がどんな概念から出発すべきかということの判定は、計り知れない存在に決定的に有利なように下されることになる。
シェリングは論理的異論の有効性を信じている。もしもその通りであるのなら、積極哲学の神概念から神の現実性についての確信を得ることは、もはやできないであろう。その場合には理性が現実的な存在を知る唯一の場は、「端的な」、「純粋な」存在という思想の転換点だけだということになるであろう。シェリングが存在論的論証を、実際に評価したのとは別なやり方で評価していたのであれば、積極哲学を創造説から始める可能性を排除できなかったはずである。そうすればこの転換点の代わりに、消極哲学から積極哲学への転換の一つの局面が、存在論的論証の妥当する領域として存在することになったであろう。けれども、論理的異論を含む、現存するシェリングの理論の中では、積極哲学の合理的な部分をこのように解釈することは不可能である。理性が現実の中に移行することを可能にするただ一つの思想は、積極哲学の最初の規定であると共に消極哲学の終局でもあるのだが、それこそは即ち純粋存在という根拠をもたない思想なのである。このような結論と、積極的な神概念の構成は「合理的(理性的)な道を採っても解決される」ということを容認することとは、合理的(理性的)と消極的とが同義のものと解されるべきだと言われている以上、矛盾に逢着せずにはいない。従って我々は積極哲学の合理的(理性的)部分がどのようなア・ポステリオリな認識も含んでいないと、それゆえこの部分は積極哲学の第一定義に矛盾していると、はっきり認めざるを得ないことになるであろう。この矛盾に耐えることができるとすれば、それは合理的な部分はそれでもやはり現実認識を含んでいるのだとか、この部分で哲学的な経験認識の可能性の理論的根拠づけがなされているのだと言うことによってである。なぜなら合理的な部分は神の現実的な自由の理論を含んでおり、事実性、つまり構成されることはできず、ただ経験され得るだけの全てのものに帰属する事実性は、この自由に基いてしか理解できないからである。存在論的証明に反対する論理的異論は、消極哲学が積極哲学に移行する場所をはっきりと規定することによって、このような難点を取り除いているようにみえる。しかし論理的異論は、先に挙げた積極哲学の第一と第二の部分との関係への問いに答えるべき必然性がないかのような錯覚を、我々に与えているだけなのである。
我々の探究はシェリングの後期哲学における存在論的論証の位置に向けられていた。その本質的な内実からしてこの哲学は、ほとんどあらゆる点でヘーゲルの論理学から区別される。存在論的論証についての判断という点でも、両者には架橋不可能な差異があるようにみえる。シェリングは、ヘーゲルが冷笑的に拒絶している論理的差異を承認している。けれども、もっと詳しく見てみれば、このような対照をなす表層の下に、もっと深い或る共通性があることが明らかになる。シェリングにも、存在論的論証を全面的に排斥することなど、思いもよらないことなのである。シェリングは、もし整合的であろうとするなら、積極哲学の意味で解釈される限りでの、存在論的論証のデカルト的な形式をも承認せざるを得ないはずなのである。ヘーゲルとシェリングは、必然的存在者の内の必然性の概念を、異なったやり方で規定しているだけのことである。ヘーゲルにとってこの概念は、事柄からして概念の自己規定を、従ってデカルトがそれに最も接近していたとされる思想を意味している。シェリングにとっては、この概念は、計り知れない存在という概念における必然性である。そしてスピノザこそが、この概念をそうした意味で理解し哲学の端緒に置いた人であったとされるのである。存在論的論証に関する我々の探究から明らかになってきた観点だけでは、どちらの体系構制が本質的に正しいかという点について全体的に決定を下すには十分ではない。しかし存在神学の方法に関する判断という点では、ヘーゲルの方がより首尾一貫した立場を主張している。ヘーゲルが過ったのは、カントは論理的異論を用いたと考えたときだけであり、それゆえ歴史的な問いにおいてだけである。シェリングもヘーゲル同様、カントと共に始まる伝統に連関の内に立っている。しかもこの伝統たるや、まったく基礎的な知識についてすら意識や慣習の上で深い断絶があるために、それ以前の形而上学から切り離されているのである。シェリングもヘーゲルと同じく、カント以前の存在神学における展開の実際の諸段階を知ることがなかった。ところがヘーゲルとは反対に、彼はこの欠陥に惑わされて存在論的論証に、この論証には的中しない異論を用いて不用意に対処してしまったのである。この異論は、彼でさえも、自分自身の立場を疑問に伏すのでなければその正しさを根本から認めることのできないものなのである。従ってヘーゲルとシェリングとの間で決せられるべき体系的な問題に解決を与えようとはしない場合でさえ、理論の形式的な緻密さの優劣から明らかになる説得力という点では、ヘーゲルの方に分があるのだと、言ってよいことになる。存在論的論証の推論形式に関する理論の全体を視野に収めるなら、カントとヘーゲルの、どちらを選ぶかという余地しか残されてはいない。
シェリングは、存在神学上の問題を新たな形態で自分の体系構制の中心点に据えた最後の人であった。十九世紀の半ば頃、思弁的観念論の終焉と共に存在神学もまた色褪せてしまったのである。それ以後の哲学的な時代の主要な勢力である新カント主義と実証主義によって、存在神学は、ヘーゲルの論理学と同じく当然のことのように排斥されてしまった。存在論的論証は、純粋思惟の諸カテゴリーが、それ自身に基いて或る認識に到達するのに適したものだとみなされる場合にしか、展開されることはできない。伝統的な形而上学においても、またカント以後の観念論においても事情はその通りであった。しかし概念は感覚的に与えられたものとの関係においてしか意義をもたないということが、最初から確定しているというように<概念>の概念が据えられる場合には、或る概念から現存在の確信が得られるかどうかという問いを立てることすら意味をもたない。<概念>についてのこの理論は、カントの場合には純粋カテゴリーの主観化にすら行き着く。新カント主義にあってはこの理論は、最高原理(起源)の理念性に関する一切の言明の確実性の根拠は数学的自然科学の事実にある、とされているところから帰結する。これに対して実証主義は、全ての概念は与えられた与件を秩序づける機能であるとする、概念的思惟についての理論をもっており、我々はまさにこの理論によって実証主義を定義することができる。
消極哲学と積極哲学の関係についてのシェリングの説は、それが論理的なものの優位性を全く排除している限りで、ヘーゲルの立場から隔たっている。論理的な第一者から計り知れない存在へ、という理性の方向転換(破局)が、この説の唯一の主題である。ところが、それとは別な観点のもとでは、シェリングの積極哲学は未だにまったく思弁的観念論の領域内に止まっているのである。積極哲学もポテンツ化という方法を用いている。消極哲学の理性は、初期の同一哲学の弁証法的な方法を使って、存在する純粋存在という思想にまで至る諸段階を展開してみせている。そしてその後に、この純粋存在が計り知れないものであることが証示される。ところが存在の優位性へと方向転換した後で、この同じ理性が、この存在という純粋現実態に対して再び身を起こす。「理性がこの存在に身を屈するのは外でもない。直ちに再び自分の正当性を主張するためである」。理性が身を起こすのは、存在を第一のものと考え、ポテンツをこの存在に依存させることによってである。実際、存在が全体の第一のものだとされている以上、ポテンツは存在に依存せざるを得ない。してみると、積極哲学もまたポテンツ論だということになる。積極哲学は確かにポテンツの根源性を放棄してしまっていた。そしてそのことが、積極哲学を構築する際に甚大な変更をもたらしたのである。しかし、積極哲学は、それがもつ方法によって消極哲学から区別されるのではない。前進し得る為には経験に基かなければならないとされている第二部においてすらそうである。シェリングは積極哲学の第一部で神の自由を演繹していた。ということはつまり、彼は創造の活動を根源的に偶然的なものと理解しているわけである。神が世界を創造せざるを得なかったということは証明され得ない。神を思惟するものということはむしろ、神を創造者たるに十分な、或はそれ自身たるに十分な可能性をもつものとして思惟するということを意味するのである。けれども積極哲学は、神の内にア・プリオリに創造の可能性を思惟し従ってあらゆる可能的な世界に必然的に妥当する構造を思惟する。だから、創造が現実に起こったのであるなら、哲学はポテンツ化する演繹という道を通って、創造の現実的な構造を概念的に捉えることができることになる。それを行うのが積極哲学の第二部である。神と創造の関係と同じことが、悪へと決意する人間の自由と人類の歴史の神話的な時期との関係にも当てはまる。シェリングは確かに、ポテンツ論の方法が伝える明証性を、ヘーゲルの論理学が要求する明証性から区別してはいる。ポテンツ論は、それが思惟の思惟ではなくして存在の思惟であるからには、経験を重んじなければならないし、第一歩から自然哲学の内になければならず、等しい権利をもち得るもっと多くの様々な道を進まなければならない。シェリングにとって、哲学は思考的な学科なのである。けれども、そのことは、合理的哲学と積極哲学にも同じ意味で当てはまる。従ってやり方に関しては、ポテンツ論も積極哲学も他方に負けず劣らず合理的(理性的)である。シェリングは、経験の哲学は(いやしくもそれが認識だというのなら)その方法によって哲学の根本法則と結合されていなければならないのだということを、十分弁えているのである。彼は、少なくとも形式的な意味では、「全ての認識は自らに基いて自分を規定する諸原理の体系を前提している」というヘーゲルの絶対知の要請を承認している。そのことから、次のような積極哲学の暫定的で矛盾するように見える形態が説明される。すなわち積極哲学は、内容上は存在の根源性と経験から出発し、人格性の自由と自然における根源的に偶然的なものの非合理性とを自然の対抗行為として理解しながら、しかしそれらを、やはりまさに概念的に理解し、すなわち純粋に合理的に構成的なやり方で、計り知れない存在から現出させるのである。
神の存在の存在論的証明は、もはやそれ以上問うことのできない根源的な確実性を求める哲学思想が採用してきた諸形式の内の一つである。デカルトにおけるその発端から思弁的観念論の末期に位置するその終焉までの、この証明の近世の歴史があるが、その後でもなお、以下のようなもっと大きな連関の中で、この証明の位置が規定されなければならない。
どの形態のものであれ、神の存在の存在論的証明が可能であるとすれば、それは、この証明を含んでいる体系的な哲学が以下の三つの条件を充たしている場合だけである。
(一)体系的な哲学は、厳密な意味での原理という思想を、既に捉えているのでなければならない。即ち存在しているものと思惟され得るものとの一切の、第一の根拠を問わなければならない。そしてこの根拠は単に根拠づけられるもののためにのみ存在するのではあってはならず、根拠としての自分自身によって自分を規定するのでなくてはならない。ということはつまり、神が原理である場合しか、或る原理の本質概念の内にこの原理の現存在の根拠を求めることに意味を持たせることは出来ないということである。現存在を欠いては思惟されることのできない至高者は、有限なもの一切にとっての範型的な存在者(ギリシア人達にとっての神的なもの)や、或は世界における一切の変化の第一動者(アリストテレス的な神)と区別されなければならない。それは本来無制約者という性格をもっている。従ってそれは、他のものによって「存在する」のでも、他のもののために「存在する」のでもない「存在そのもの」として理解されることもできる。絶対的なものというこの思想は古代末期の哲学において初めて見出されたが、この哲学は単にギリシア的な思想界によってばかりではなくて、同じようにユダヤ的な思想界やグノーシス的なそれによっても制約されていた。近世哲学においてこの思想に対応するのは、認識の第一原則という概念(フィヒテ)、或は精神という概念(ヘーゲル)である。こうした概念も、それ自身によって、それが現にあるがままのものであったり、また同時に、思惟可能なものの全体を措定したり、もしくは含んだりしているのである。
(二)存在神学は存在論的差異という思想を前提している。本質(本質存在)と現存在(事実存在)、原理と事実との間の区別がまだ問題になっていない場合には、或る特定の存在者の概念の内での両者の媒介を問うことにはどのような意味もない。存在論的差異は存在神学的証明の中で確かに止揚されはする。しかし、まさに止揚されるための条件として、存在論的差異が止揚に先立って問題にされていなければならない。ギリシア哲学は、或るものが存在するという事実が一体何を意味しているのかという問いを、決して立てなかった。ギリシア哲学の言葉には、純粋な事実存在を指し示すどのような語も見られない。我々にしても、現実存在や偶然的なものについて語る場合、中世初期のラテンの用語を利用しているのである。
(三)存在神学というものは、現存在とのまさにその差異が問われている本質が絶対的に規定されたものと考えられている場合にしか、展開されることはできない。従って、存在神学は純粋形相という概念を前提する。この形相はーー例えば、主観に対してなされる妥当性の要求として(新カント主義)であれ、主観がそれによって自らに対象を産み出すような思惟そのものの機能として(カント)であれ、或は合目的的な機能に従って秩序づけられた思惟そのものの機能として(ヒューム)であれーー思惟する主観との関係によって定義されていなければならない。ヘーゲル、シェリング、そしてヴァイセにとってそうであるように、あらゆる存在神学にとっても、純粋思想の内容は<これらの思想が思惟されているということ>に依存しないのだということが自明でなければならない。全ての存在神学はこの意味ではプラトン主義である。けれどもその立場を、カトリックの文献上「存在論主義」と呼ばれているものと混同してはならない。存在論主義とは、主観的な思惟と諸々の純粋な存在規定との徹底した平行関係を説くものであって、この説はヘーゲルによってすら全く受け入れられなかったはずのものなのである。
アウグスティヌスの哲学において初めて以上の三つの条件の全てが充たされる。ところがアウグスティヌス自身は、あまりに深く古代の伝統に結びつき、それと直接対決しながら思惟しているために、新しい原理をまだ純粋な形で言い表わすことができなかった。それを言い表わすことができた最初の人物こそ、彼の偉大な弟子アンセルムスだったのである。
以上の三つの基準に基づけば、なぜ或る哲学の内に存在神学的な思想が見出せないのかという問いに、いまやそのつど個々の哲学を吟味する際に答えることができる。ギリシアの思惟においては第三の前提しか充たされてはいない。これとは反対に、この第三の前提は、ヘーゲル以後の哲学がもはや容認することのない唯一の前提である。究極的なものの問題(第一の前提)はヘーゲル以後の哲学にとって、いくらこの哲学がそうではないのだと信じこませようとしているとしても、依然として決定的なものであった。そして存在論的差異(第ニの前提)はまさしくごく最近になって、最も多く論じられ最も根底的に考え抜かれている問いの内に加えられるようになったのである。けれども、それ自身で規定される形相という思想(第三の前提)は、ヘーゲル学派の終焉以後は捨て去られてしまい、それ以後ニ度と息を吹き返すことはなかった。
このことは、カントによって根拠づけられた伝統に従ったり、或はヒュームの実証主義をさらに先へと展開したりする全ての哲学にとっては、自明のことである。カントの成果は、存在神学に対する彼の批判の成果を含めて、カテゴリーの主観化にあった。新カント主義の妥当性の哲学、例えば価値(リッケルト)や起源(コーエン)の哲学は、純粋思想が明確に規定された概念であることを現実ーー純粋思惟において思惟されたり(リッケルト)、或は純粋思想によって措定されたり(コーエン)しなければならないような現実ーーとの関係においてしか認めない限りで、カントに一致するのである。妥当するものや、原理であるものは、思惟する主観にとって、或は経験的な学問にとって妥当するのであって、この関係の外部では何ものでもない。新カント主義の哲学にしてみれば、存在神学的思想は、観念論的な形態をとりながらも主観との相関関係の外部で絶対的なものを無批判に実体化するものなのである。
新カント主義は、1860年から1920年までの時代を支配してきた。それは、存在神学を再び呼び起すこともなく、過去のものとなってしまった。現代哲学は、ヘーゲルにますます接近しつつあることを、確かに自覚してはいる。しかしそれなのに現代哲学は存在神学的思想の条件を充たしてはいない。今日存在論と呼ばれているものは、かつてこの名を担っていた<第一哲学>から区別されるが、それはわけても次のような確信(もとよりこれだけに拠るものではないにしても)に拠っている。つまり、存在の意味への問いは人間の存在への問いと同時にしか答えることができない、という確信である。純粋思想は今日、記述だけを正しいものと認めようとする穏健な懐疑によって脇へ追いやられているか(人間学)、それともこの思想の諸前提に遡ってその守備範囲を越えた過重な質問を受けているか(ハイデガー)、そのどちらかであるように思われる。どちらもフッサールの現象学的哲学を継承している。というのも、既にフッサールにあって存在概念は指示構造に、即ちまず第一に生起(意味の発生)であり、派生的な諸形態において初めて意味作用となり、そして人間の主観性が自らの内で概念的に理解するような指示構造になったからである。いつであれ、或るものが「(で)ある」と語るとき、我々が何を考えているのかが問われるとすれば、フッサールに従うにしても、やはり「カテゴリー」のことを、即ち「存在」という純粋形相のことを考えていると言って答えることはできない。ところがそれによって、存在神学的思想もまた忘れ去られてしまうのである。
これまでの思惟の歴史が我々に課してきた諸問題を正しく評価しようとするにしても、我々は、形而上学的存在神学が神概念の内で考えていた本質と現存在の無差別性を、これまでとは別のやり方で再び捉えるべき努めねばならない。とはいえ、この無差別性を洞察するための定式が、神の存在の存在論的証明のそれでなければならないと言うわけではない。
一体にこの無差別性という前提を欠けばそれ自身では理解され得ないような一連の現象がある。例えば、「自我」という思想においては、意味統一を与える他ならぬ「自我性」という意味統一と自我の現存在とが常に同時に思惟されている。というのも、自我性という思想を遂行し得るのは常にただ、自分自身を、従って自らの現存在をも意識する、或る個別的な自我だけだからである。しかし、この現存在はまだ「自我という概念の内に含まれて」いるわけでも、従ってまた存在神学的に演繹されているわけでもない。善という思想においても、我々の行為を導くものであるという、善の要求の現実性が常に同時に表明されている。この思想を明晰に思惟している人にとっては、この思想こそが、我々の行為を導く善という要求が決して幻影ではないということを、同時に保証しているわけである。ところがこのことは、現存在を<必然的存在者>という思想から導出するのと同じやり方では、善という概念から決して導出されることはできないのである。してみると、存在神学の終焉という事態こそが、存在神学それ自身が哲学的思惟の長い時代を通じてそれに対して最も人を納得させるに足る答えを与え続けてきた諸々の問題を、存続させているのである。
全ての存在神学が、それ自身ぜひとも正当化を必要とする、先に述べた三つの前提をもつということは認められてしかるべきであろう。これらの前提の内のどれか一つしか受け入れられていなかったり、或は本質と現存在との無差別が考えられているのに、全ての存在神学に特徴的な布置が成立してなかったりするときには、存在論的証明に向かう痕跡や傾向をいくら探したとしても、結果はただ曖昧模糊としたものになるだけである。
純粋思想の本質や、この思想の果たし得る力への問いが消え失せてしまわない限り、存在神学は哲学の問題であることを止めたりしないであろう。純粋思想を拒む可能性を、現代は、近世の存在神学の歴史をも含んでいるあの時代よりも、もっと明確に意識するようになってきた。だが、純粋思想の限界についての知を、思惟に外部から強制的に押し付けることなど決してできはしない。思惟自分で自分を遂行しなければならないのである。唯一思惟に相応しいこの方法で、思惟は、自分が確かにこの限界を乗り越えているのか、それともその手前で終わっているのかどうかということを経験することになる。デカルトからカントへ、そしてさらにヘーゲルへと至る展開の成果であったあのニ者択一から簡単に抜け出ることは、今日でも哲学には禁じられている。多分、これまではこのニ者択一の中で決定を見ることも、これをもっと大きな全体の中に完全に包括させることも出来なかったであろう。であれば、哲学は今後もこのニ者択一の中で動かざるをえないであろう。
シェリングの後期哲学の原理は、「思想が存在に先立つのではなく、存在が思想の根拠なのだ」という命題に定式化することが出来る。『人間的自由の本質』以来既に、シェリングの唯一の問題は、この原理を展開し、それを理性に対して根拠づけることであった。彼はこの原理の内に、ヘーゲル及びいわゆる後期観念論者達に対する自分の根源的な独自性と自分の哲学の特殊性を見ているが、それはまったく正当なことである。後期観念論者たちといえば、彼らは自分の方ではシェリングに結びついていると思っているが、しかしシェリングの方は彼らをヘーゲル学派に属するものとみなしているのである。我々はシェリングのこの原理を厳密かつ明晰に捉えなければならない。この原理はただ単に、現実が常に、我々がその中で現実を思惟しているような概念より以上のものだということを意味しているだけでもなければ、概念からはどのような存在も導出できないということだけを言おうとしているのでもない。この原理は、どのような概念もそれ自体が、計り知れない存在を前提にしているという、非常に幅広い意味をもっている。だからこそシェリングは、観念論の展開と密接に結び付けられ、イギリス経験論やヤコービから切り離されるのである。彼の原理は、理性や概念そのものに関する言明なのであって、理性と並ぶ第二の原理とも言うべき、現実に対する理性の関係を言挙げするものではない。
シェリングをこの原理に導いていった様々な理由を、ここで充分に考慮することはできない。重要な思想家なら誰でもそうであるように、彼の場合にも、統一的な根拠に基いて初めて解決されるような多くの問題が一緒になって働いている。そうした問題の中には、確かに自由の可能性や神の人格性に関する真正な概念への問いが含まれているが、しかしそれと同じく第一の学の端緒や、自然における非合理性と根源的偶然性や、神話的宗教の本質への問いも含まれているのである。シェリングの考えによれば、こうした問いの全てが解決され得るのは、存在そのものを第一の根拠として思惟し、神の精神をも含めた精神を、この存在に対抗して措定されるポテンツとして、つまりこの存在に依存する、それゆえ副次的な存在ではあるにしても絶対的なものではないポテンツとして思惟することによってなのである。そうすることによってまさに論理的な同一哲学は、概念的に捉えられた存在、つまり理性や概念の内に閉じ込められた存在だけを思惟しようとする、単なる消極的な哲学になる。同一哲学が消極的なのは、それが単に批判的なものでしかなく、存在そのものから現実存在へ関係しなければならないという制限を取り払い、そのことによって存在そのものを制限のある領域から隔絶する、つまり聖化するからである。それは、まだ積極的な存在、現実的な存在を思惟することのない、単なる形式的な哲学である。それは実に転倒した哲学なのである。なぜなら、この哲学は(存在から出発するにも拘らず、存在を直接態の形式での概念にすぎないとするヘーゲルの論理学のように)、存在を概念から理解しようとし、従って存在を概念に依存させようとするからである。理性は、自分の最高の思想(存在そのもの)の中で立ちすくみ自らの終局に達したとき、いわば極限を迎えたとき、論理的な形式主義に基くこのような転倒を止める。その後そのすぐ次の瞬間に、理性は測り知れない存在の根源性を承認するに至るのである。存在と概念の真正な関係を保持している積極哲学にして初めて、消極哲学が本来何であるかを理解することを教えることができる。積極哲学は測り知れない存在に対して概念を復活するが、しかもそれでいてこの哲学は、ただ存在において、そして存在を通してのみ、存在に対するものとして自分を規定することができるのである。理性は、自らの終局において硬直化するのである以上、消極哲学を通して自らの脱自的本質を明らかにせざるを得ない。というのも、理性は思想から出発するが、思想は存在への門出ではないからである。こうして理性にとっての存在、即ち純粋なポテンツが理性の絶対的な限界になる。
この原理に基いてシェリングは、容易に存在論的論証を解釈することができた。つまりこの原理が、シェリングに、ほとんど無理矢理に論理的異論を展開させることになったのである。なぜなら論理的異論は、単に消極的なだけの概念哲学と、この哲学によっては決して根拠づけられることのない積極的な現実哲学とを区別するのに、全く打ってつけの異論だからである。デカルトの証明において神の概念が占めている位置からすれば、本質概念は、神そのものにおいても、神的な存在の根拠であると推測される。つまり、神は最も完全な存在者であるがゆえに、現実的に現存する、というわけである。これに対して、シェリングがスピノザのものだとみなす論証では、没概念的な存在の方がより根源的である。してみればスピノザは、概念にも存在にも共通に妥当する秩序を守っていることになる。確かにスピノザの論証は、神の存在証明だなどといえる代物ではない。神は端なる存在以上のものだからである。しかし彼は、現実的な存在の確実性を教えてくれるのであって、それによってその次に、この現実的な存在がさらに詳しく規定されて、存在する神という概念にまでなることができるのである。スピノザ自身は、なるほど神は存在であるという定義に止まっている。その限りで彼は物質的無神論を説いている。つまり彼のいう神は、神(例えば人格神)として考えられているわけではないのである。けれども、「スピノザによって、少なくとも宗教の実体(絶対的なものの現実性と存在の優位性)は救い出された」のである。それに対して、デカルトの論証は真の神概念を転倒している。この転倒こそシェリングがデカルトの論証を拒否するに至った体系的根拠なのである。シェリングはその際不適切な論理的異論を用いている。けれどもシェリングは、自分をそのように突き動かした思想を、別な形で表現することもできたはずである。つまり彼は、デカルトの論証は明瞭ではないし、それは二通りに理解できる、とも言い得たはずなのである。すなわちデカルトの論証は、一方では、最も完全な存在者という概念が必然的な存在という完全性を含んでおり、従ってそれ自身が存在することの根拠を自ら含んでいると言うことを意味する。他方では、それは、完全な存在者は純粋存在という前提を根拠にしてしか考えられないということを意味する。デカルトの論証はこの二通りのどちらかに解釈されるのである。第ニの解釈は、存在が概念に依存するということを主張するものではなく、概念を存在の制約の下に置くものである。いずれの場合も現実的な現存在への推論が重要なのであって、どちらも形式的には筋道の立った存在論的論証である。とはいえ、二つの内のどちらかが明晰に規定された神概念に基いているかとなると、これは問題である。第一の論証は存在という完全性を概念から導出しようとし、第二の論証はこの完全性を、概念が規定されるための制約として前提する。二つの内の一つだけが、それも第二の論証だけが正しいものたり得る。この区別に無頓着であるように思われる存在論的論証の定式に遭遇するとき、我々は存在論的論証がどのようにしてより正確に理解されるべきなのかという問題を予め明らかにした上でなければ、このような定式に同意してはならない。というのも、神の概念からは、もちろん神の現実的な現存在が帰結することはするけれども、しかし最も完全な存在者という合成された概念の場合には、神の現実的な現存在は神の完全性からではなくて、存在そのものから帰結するのであって、この存在なくしては神の完全性も決して考えられないからである。さらにシェリングは、このようにデカルトの論証の解釈を二つに区別することによって、存在神学に対する経験主義的批判の最も本質的な要素を顧慮したという功績を、自らに要求し得たはずである。経験主義的異論はこう主張する。存在は或る存在者の諸々の完全性の一つを成すのではなく、それゆえ最も完全なものという概念からその現存在を推論することはできない、と。自分の理論に立脚して、シェリングはこの異論に次のように答えることができたはずである。存在は確かに概念のいかなる契機でもないが、しかし概念の計り知れない前提なのだ。だからこそ、最も完全な存在者を、この前提なしに思惟することも、また不可能である。存在と完全性とは、なるほど(完全性に存在が含有されているという意味で)分析的に結び付けられているわけではないが、しかし(不可避的に共属しているという意味で)総合的に確かに結合されている。この結合から、即ち最も完全なものという思想の内にある、存在という前提から、このものの現存在を推論することはできるのである。してみれば、存在論的論証は、それが積極哲学の意味で捉えられる場合には妥当するが、しかし概念と存在の統一が消極哲学の意味で解されるなら妥当しない。シェリングはこのように返答することができたはずなのである。
ところがシェリングはこのようには語らなかった。彼は同じ思想を、論理的異論という不適切な手段によって根拠づけたのである。こうした手段では、彼は人を説得することができなかった。存在神学の近世史の成果を眼前にしている以上、我々はシェリングが自分のテキストの中で挙げている論証に対して、どれが彼独自の見解なのかを明らかにしなければならない。
ところでシェリングが論理的異論を用いているというこの事実は、我々が消極哲学を積極哲学からはっきりと区別しようとする際に残ることになる或る難点を、隠蔽するという役目を果たしている。積極哲学は、第一にア・ポステリオリな認識を含んでいるし、第二に純粋存在という概念から始まると、シェリングは何度も主張していた。しかし積極哲学の端緒はこうした断定と一致することはできない。というのも積極哲学の端緒は、消極哲学と同じく、計り知れない存在を構成的に必要なものとして取り扱うからである。そのことを最も鮮やかに示しているのが、『永遠なる真理の起源について』と『積極哲学の諸原理の別な演繹』という二つの論稿である。神は決して経験の対象ではあり得ない。従って積極哲学の神概念といえども合理的な構成を経て認識されざるを得ない。積極哲学の神学ははっきりと二つの部分に分けられている。第一の部分は神概念の合理的な演繹を含んでおり、そこで演繹される神概念においては、計り知れない存在が基礎的な規定をもち、理性というポテンツが派生的な規定をもつ。第二の部分は根源的に偶然的な創造という理論で始まる。神が有限な存在者を創造するということは、必然的なこととしてア・プリオリに証明できるわけではない。つまりポテンツ論を手段にした創造の説明には、創造の現実についての経験が先立っていなければならないのである。積極哲学は経験論だというシェリングの主張をまったく生真面目に受け取るなら、積極哲学を創造説から始めなければならなくなろう。しかもシェリング自身、『神話の哲学』の哲学的序論の終わりで、積極的な概念への問いは「合理的(理性的)な道を採っても解決」できると述べているのである。ところが先に挙げた二つと並んで、シェリングによれば、なお積極哲学の第三の基準が存在する。即ち積極哲学は徹頭徹尾現実の認識であるという基準である。この基準に、それにふさわしい根本的な意義が与えられるなら積極哲学がどんな概念から出発すべきかということの判定は、計り知れない存在に決定的に有利なように下されることになる。
シェリングは論理的異論の有効性を信じている。もしもその通りであるのなら、積極哲学の神概念から神の現実性についての確信を得ることは、もはやできないであろう。その場合には理性が現実的な存在を知る唯一の場は、「端的な」、「純粋な」存在という思想の転換点だけだということになるであろう。シェリングが存在論的論証を、実際に評価したのとは別なやり方で評価していたのであれば、積極哲学を創造説から始める可能性を排除できなかったはずである。そうすればこの転換点の代わりに、消極哲学から積極哲学への転換の一つの局面が、存在論的論証の妥当する領域として存在することになったであろう。けれども、論理的異論を含む、現存するシェリングの理論の中では、積極哲学の合理的な部分をこのように解釈することは不可能である。理性が現実の中に移行することを可能にするただ一つの思想は、積極哲学の最初の規定であると共に消極哲学の終局でもあるのだが、それこそは即ち純粋存在という根拠をもたない思想なのである。このような結論と、積極的な神概念の構成は「合理的(理性的)な道を採っても解決される」ということを容認することとは、合理的(理性的)と消極的とが同義のものと解されるべきだと言われている以上、矛盾に逢着せずにはいない。従って我々は積極哲学の合理的(理性的)部分がどのようなア・ポステリオリな認識も含んでいないと、それゆえこの部分は積極哲学の第一定義に矛盾していると、はっきり認めざるを得ないことになるであろう。この矛盾に耐えることができるとすれば、それは合理的な部分はそれでもやはり現実認識を含んでいるのだとか、この部分で哲学的な経験認識の可能性の理論的根拠づけがなされているのだと言うことによってである。なぜなら合理的な部分は神の現実的な自由の理論を含んでおり、事実性、つまり構成されることはできず、ただ経験され得るだけの全てのものに帰属する事実性は、この自由に基いてしか理解できないからである。存在論的証明に反対する論理的異論は、消極哲学が積極哲学に移行する場所をはっきりと規定することによって、このような難点を取り除いているようにみえる。しかし論理的異論は、先に挙げた積極哲学の第一と第二の部分との関係への問いに答えるべき必然性がないかのような錯覚を、我々に与えているだけなのである。
我々の探究はシェリングの後期哲学における存在論的論証の位置に向けられていた。その本質的な内実からしてこの哲学は、ほとんどあらゆる点でヘーゲルの論理学から区別される。存在論的論証についての判断という点でも、両者には架橋不可能な差異があるようにみえる。シェリングは、ヘーゲルが冷笑的に拒絶している論理的差異を承認している。けれども、もっと詳しく見てみれば、このような対照をなす表層の下に、もっと深い或る共通性があることが明らかになる。シェリングにも、存在論的論証を全面的に排斥することなど、思いもよらないことなのである。シェリングは、もし整合的であろうとするなら、積極哲学の意味で解釈される限りでの、存在論的論証のデカルト的な形式をも承認せざるを得ないはずなのである。ヘーゲルとシェリングは、必然的存在者の内の必然性の概念を、異なったやり方で規定しているだけのことである。ヘーゲルにとってこの概念は、事柄からして概念の自己規定を、従ってデカルトがそれに最も接近していたとされる思想を意味している。シェリングにとっては、この概念は、計り知れない存在という概念における必然性である。そしてスピノザこそが、この概念をそうした意味で理解し哲学の端緒に置いた人であったとされるのである。存在論的論証に関する我々の探究から明らかになってきた観点だけでは、どちらの体系構制が本質的に正しいかという点について全体的に決定を下すには十分ではない。しかし存在神学の方法に関する判断という点では、ヘーゲルの方がより首尾一貫した立場を主張している。ヘーゲルが過ったのは、カントは論理的異論を用いたと考えたときだけであり、それゆえ歴史的な問いにおいてだけである。シェリングもヘーゲル同様、カントと共に始まる伝統に連関の内に立っている。しかもこの伝統たるや、まったく基礎的な知識についてすら意識や慣習の上で深い断絶があるために、それ以前の形而上学から切り離されているのである。シェリングもヘーゲルと同じく、カント以前の存在神学における展開の実際の諸段階を知ることがなかった。ところがヘーゲルとは反対に、彼はこの欠陥に惑わされて存在論的論証に、この論証には的中しない異論を用いて不用意に対処してしまったのである。この異論は、彼でさえも、自分自身の立場を疑問に伏すのでなければその正しさを根本から認めることのできないものなのである。従ってヘーゲルとシェリングとの間で決せられるべき体系的な問題に解決を与えようとはしない場合でさえ、理論の形式的な緻密さの優劣から明らかになる説得力という点では、ヘーゲルの方に分があるのだと、言ってよいことになる。存在論的論証の推論形式に関する理論の全体を視野に収めるなら、カントとヘーゲルの、どちらを選ぶかという余地しか残されてはいない。
シェリングは、存在神学上の問題を新たな形態で自分の体系構制の中心点に据えた最後の人であった。十九世紀の半ば頃、思弁的観念論の終焉と共に存在神学もまた色褪せてしまったのである。それ以後の哲学的な時代の主要な勢力である新カント主義と実証主義によって、存在神学は、ヘーゲルの論理学と同じく当然のことのように排斥されてしまった。存在論的論証は、純粋思惟の諸カテゴリーが、それ自身に基いて或る認識に到達するのに適したものだとみなされる場合にしか、展開されることはできない。伝統的な形而上学においても、またカント以後の観念論においても事情はその通りであった。しかし概念は感覚的に与えられたものとの関係においてしか意義をもたないということが、最初から確定しているというように<概念>の概念が据えられる場合には、或る概念から現存在の確信が得られるかどうかという問いを立てることすら意味をもたない。<概念>についてのこの理論は、カントの場合には純粋カテゴリーの主観化にすら行き着く。新カント主義にあってはこの理論は、最高原理(起源)の理念性に関する一切の言明の確実性の根拠は数学的自然科学の事実にある、とされているところから帰結する。これに対して実証主義は、全ての概念は与えられた与件を秩序づける機能であるとする、概念的思惟についての理論をもっており、我々はまさにこの理論によって実証主義を定義することができる。
消極哲学と積極哲学の関係についてのシェリングの説は、それが論理的なものの優位性を全く排除している限りで、ヘーゲルの立場から隔たっている。論理的な第一者から計り知れない存在へ、という理性の方向転換(破局)が、この説の唯一の主題である。ところが、それとは別な観点のもとでは、シェリングの積極哲学は未だにまったく思弁的観念論の領域内に止まっているのである。積極哲学もポテンツ化という方法を用いている。消極哲学の理性は、初期の同一哲学の弁証法的な方法を使って、存在する純粋存在という思想にまで至る諸段階を展開してみせている。そしてその後に、この純粋存在が計り知れないものであることが証示される。ところが存在の優位性へと方向転換した後で、この同じ理性が、この存在という純粋現実態に対して再び身を起こす。「理性がこの存在に身を屈するのは外でもない。直ちに再び自分の正当性を主張するためである」。理性が身を起こすのは、存在を第一のものと考え、ポテンツをこの存在に依存させることによってである。実際、存在が全体の第一のものだとされている以上、ポテンツは存在に依存せざるを得ない。してみると、積極哲学もまたポテンツ論だということになる。積極哲学は確かにポテンツの根源性を放棄してしまっていた。そしてそのことが、積極哲学を構築する際に甚大な変更をもたらしたのである。しかし、積極哲学は、それがもつ方法によって消極哲学から区別されるのではない。前進し得る為には経験に基かなければならないとされている第二部においてすらそうである。シェリングは積極哲学の第一部で神の自由を演繹していた。ということはつまり、彼は創造の活動を根源的に偶然的なものと理解しているわけである。神が世界を創造せざるを得なかったということは証明され得ない。神を思惟するものということはむしろ、神を創造者たるに十分な、或はそれ自身たるに十分な可能性をもつものとして思惟するということを意味するのである。けれども積極哲学は、神の内にア・プリオリに創造の可能性を思惟し従ってあらゆる可能的な世界に必然的に妥当する構造を思惟する。だから、創造が現実に起こったのであるなら、哲学はポテンツ化する演繹という道を通って、創造の現実的な構造を概念的に捉えることができることになる。それを行うのが積極哲学の第二部である。神と創造の関係と同じことが、悪へと決意する人間の自由と人類の歴史の神話的な時期との関係にも当てはまる。シェリングは確かに、ポテンツ論の方法が伝える明証性を、ヘーゲルの論理学が要求する明証性から区別してはいる。ポテンツ論は、それが思惟の思惟ではなくして存在の思惟であるからには、経験を重んじなければならないし、第一歩から自然哲学の内になければならず、等しい権利をもち得るもっと多くの様々な道を進まなければならない。シェリングにとって、哲学は思考的な学科なのである。けれども、そのことは、合理的哲学と積極哲学にも同じ意味で当てはまる。従ってやり方に関しては、ポテンツ論も積極哲学も他方に負けず劣らず合理的(理性的)である。シェリングは、経験の哲学は(いやしくもそれが認識だというのなら)その方法によって哲学の根本法則と結合されていなければならないのだということを、十分弁えているのである。彼は、少なくとも形式的な意味では、「全ての認識は自らに基いて自分を規定する諸原理の体系を前提している」というヘーゲルの絶対知の要請を承認している。そのことから、次のような積極哲学の暫定的で矛盾するように見える形態が説明される。すなわち積極哲学は、内容上は存在の根源性と経験から出発し、人格性の自由と自然における根源的に偶然的なものの非合理性とを自然の対抗行為として理解しながら、しかしそれらを、やはりまさに概念的に理解し、すなわち純粋に合理的に構成的なやり方で、計り知れない存在から現出させるのである。
神の存在の存在論的証明は、もはやそれ以上問うことのできない根源的な確実性を求める哲学思想が採用してきた諸形式の内の一つである。デカルトにおけるその発端から思弁的観念論の末期に位置するその終焉までの、この証明の近世の歴史があるが、その後でもなお、以下のようなもっと大きな連関の中で、この証明の位置が規定されなければならない。
どの形態のものであれ、神の存在の存在論的証明が可能であるとすれば、それは、この証明を含んでいる体系的な哲学が以下の三つの条件を充たしている場合だけである。
(一)体系的な哲学は、厳密な意味での原理という思想を、既に捉えているのでなければならない。即ち存在しているものと思惟され得るものとの一切の、第一の根拠を問わなければならない。そしてこの根拠は単に根拠づけられるもののためにのみ存在するのではあってはならず、根拠としての自分自身によって自分を規定するのでなくてはならない。ということはつまり、神が原理である場合しか、或る原理の本質概念の内にこの原理の現存在の根拠を求めることに意味を持たせることは出来ないということである。現存在を欠いては思惟されることのできない至高者は、有限なもの一切にとっての範型的な存在者(ギリシア人達にとっての神的なもの)や、或は世界における一切の変化の第一動者(アリストテレス的な神)と区別されなければならない。それは本来無制約者という性格をもっている。従ってそれは、他のものによって「存在する」のでも、他のもののために「存在する」のでもない「存在そのもの」として理解されることもできる。絶対的なものというこの思想は古代末期の哲学において初めて見出されたが、この哲学は単にギリシア的な思想界によってばかりではなくて、同じようにユダヤ的な思想界やグノーシス的なそれによっても制約されていた。近世哲学においてこの思想に対応するのは、認識の第一原則という概念(フィヒテ)、或は精神という概念(ヘーゲル)である。こうした概念も、それ自身によって、それが現にあるがままのものであったり、また同時に、思惟可能なものの全体を措定したり、もしくは含んだりしているのである。
(二)存在神学は存在論的差異という思想を前提している。本質(本質存在)と現存在(事実存在)、原理と事実との間の区別がまだ問題になっていない場合には、或る特定の存在者の概念の内での両者の媒介を問うことにはどのような意味もない。存在論的差異は存在神学的証明の中で確かに止揚されはする。しかし、まさに止揚されるための条件として、存在論的差異が止揚に先立って問題にされていなければならない。ギリシア哲学は、或るものが存在するという事実が一体何を意味しているのかという問いを、決して立てなかった。ギリシア哲学の言葉には、純粋な事実存在を指し示すどのような語も見られない。我々にしても、現実存在や偶然的なものについて語る場合、中世初期のラテンの用語を利用しているのである。
(三)存在神学というものは、現存在とのまさにその差異が問われている本質が絶対的に規定されたものと考えられている場合にしか、展開されることはできない。従って、存在神学は純粋形相という概念を前提する。この形相はーー例えば、主観に対してなされる妥当性の要求として(新カント主義)であれ、主観がそれによって自らに対象を産み出すような思惟そのものの機能として(カント)であれ、或は合目的的な機能に従って秩序づけられた思惟そのものの機能として(ヒューム)であれーー思惟する主観との関係によって定義されていなければならない。ヘーゲル、シェリング、そしてヴァイセにとってそうであるように、あらゆる存在神学にとっても、純粋思想の内容は<これらの思想が思惟されているということ>に依存しないのだということが自明でなければならない。全ての存在神学はこの意味ではプラトン主義である。けれどもその立場を、カトリックの文献上「存在論主義」と呼ばれているものと混同してはならない。存在論主義とは、主観的な思惟と諸々の純粋な存在規定との徹底した平行関係を説くものであって、この説はヘーゲルによってすら全く受け入れられなかったはずのものなのである。
アウグスティヌスの哲学において初めて以上の三つの条件の全てが充たされる。ところがアウグスティヌス自身は、あまりに深く古代の伝統に結びつき、それと直接対決しながら思惟しているために、新しい原理をまだ純粋な形で言い表わすことができなかった。それを言い表わすことができた最初の人物こそ、彼の偉大な弟子アンセルムスだったのである。
以上の三つの基準に基づけば、なぜ或る哲学の内に存在神学的な思想が見出せないのかという問いに、いまやそのつど個々の哲学を吟味する際に答えることができる。ギリシアの思惟においては第三の前提しか充たされてはいない。これとは反対に、この第三の前提は、ヘーゲル以後の哲学がもはや容認することのない唯一の前提である。究極的なものの問題(第一の前提)はヘーゲル以後の哲学にとって、いくらこの哲学がそうではないのだと信じこませようとしているとしても、依然として決定的なものであった。そして存在論的差異(第ニの前提)はまさしくごく最近になって、最も多く論じられ最も根底的に考え抜かれている問いの内に加えられるようになったのである。けれども、それ自身で規定される形相という思想(第三の前提)は、ヘーゲル学派の終焉以後は捨て去られてしまい、それ以後ニ度と息を吹き返すことはなかった。
このことは、カントによって根拠づけられた伝統に従ったり、或はヒュームの実証主義をさらに先へと展開したりする全ての哲学にとっては、自明のことである。カントの成果は、存在神学に対する彼の批判の成果を含めて、カテゴリーの主観化にあった。新カント主義の妥当性の哲学、例えば価値(リッケルト)や起源(コーエン)の哲学は、純粋思想が明確に規定された概念であることを現実ーー純粋思惟において思惟されたり(リッケルト)、或は純粋思想によって措定されたり(コーエン)しなければならないような現実ーーとの関係においてしか認めない限りで、カントに一致するのである。妥当するものや、原理であるものは、思惟する主観にとって、或は経験的な学問にとって妥当するのであって、この関係の外部では何ものでもない。新カント主義の哲学にしてみれば、存在神学的思想は、観念論的な形態をとりながらも主観との相関関係の外部で絶対的なものを無批判に実体化するものなのである。
新カント主義は、1860年から1920年までの時代を支配してきた。それは、存在神学を再び呼び起すこともなく、過去のものとなってしまった。現代哲学は、ヘーゲルにますます接近しつつあることを、確かに自覚してはいる。しかしそれなのに現代哲学は存在神学的思想の条件を充たしてはいない。今日存在論と呼ばれているものは、かつてこの名を担っていた<第一哲学>から区別されるが、それはわけても次のような確信(もとよりこれだけに拠るものではないにしても)に拠っている。つまり、存在の意味への問いは人間の存在への問いと同時にしか答えることができない、という確信である。純粋思想は今日、記述だけを正しいものと認めようとする穏健な懐疑によって脇へ追いやられているか(人間学)、それともこの思想の諸前提に遡ってその守備範囲を越えた過重な質問を受けているか(ハイデガー)、そのどちらかであるように思われる。どちらもフッサールの現象学的哲学を継承している。というのも、既にフッサールにあって存在概念は指示構造に、即ちまず第一に生起(意味の発生)であり、派生的な諸形態において初めて意味作用となり、そして人間の主観性が自らの内で概念的に理解するような指示構造になったからである。いつであれ、或るものが「(で)ある」と語るとき、我々が何を考えているのかが問われるとすれば、フッサールに従うにしても、やはり「カテゴリー」のことを、即ち「存在」という純粋形相のことを考えていると言って答えることはできない。ところがそれによって、存在神学的思想もまた忘れ去られてしまうのである。
これまでの思惟の歴史が我々に課してきた諸問題を正しく評価しようとするにしても、我々は、形而上学的存在神学が神概念の内で考えていた本質と現存在の無差別性を、これまでとは別のやり方で再び捉えるべき努めねばならない。とはいえ、この無差別性を洞察するための定式が、神の存在の存在論的証明のそれでなければならないと言うわけではない。
一体にこの無差別性という前提を欠けばそれ自身では理解され得ないような一連の現象がある。例えば、「自我」という思想においては、意味統一を与える他ならぬ「自我性」という意味統一と自我の現存在とが常に同時に思惟されている。というのも、自我性という思想を遂行し得るのは常にただ、自分自身を、従って自らの現存在をも意識する、或る個別的な自我だけだからである。しかし、この現存在はまだ「自我という概念の内に含まれて」いるわけでも、従ってまた存在神学的に演繹されているわけでもない。善という思想においても、我々の行為を導くものであるという、善の要求の現実性が常に同時に表明されている。この思想を明晰に思惟している人にとっては、この思想こそが、我々の行為を導く善という要求が決して幻影ではないということを、同時に保証しているわけである。ところがこのことは、現存在を<必然的存在者>という思想から導出するのと同じやり方では、善という概念から決して導出されることはできないのである。してみると、存在神学の終焉という事態こそが、存在神学それ自身が哲学的思惟の長い時代を通じてそれに対して最も人を納得させるに足る答えを与え続けてきた諸々の問題を、存続させているのである。
全ての存在神学が、それ自身ぜひとも正当化を必要とする、先に述べた三つの前提をもつということは認められてしかるべきであろう。これらの前提の内のどれか一つしか受け入れられていなかったり、或は本質と現存在との無差別が考えられているのに、全ての存在神学に特徴的な布置が成立してなかったりするときには、存在論的証明に向かう痕跡や傾向をいくら探したとしても、結果はただ曖昧模糊としたものになるだけである。
純粋思想の本質や、この思想の果たし得る力への問いが消え失せてしまわない限り、存在神学は哲学の問題であることを止めたりしないであろう。純粋思想を拒む可能性を、現代は、近世の存在神学の歴史をも含んでいるあの時代よりも、もっと明確に意識するようになってきた。だが、純粋思想の限界についての知を、思惟に外部から強制的に押し付けることなど決してできはしない。思惟自分で自分を遂行しなければならないのである。唯一思惟に相応しいこの方法で、思惟は、自分が確かにこの限界を乗り越えているのか、それともその手前で終わっているのかどうかということを経験することになる。デカルトからカントへ、そしてさらにヘーゲルへと至る展開の成果であったあのニ者択一から簡単に抜け出ることは、今日でも哲学には禁じられている。多分、これまではこのニ者択一の中で決定を見ることも、これをもっと大きな全体の中に完全に包括させることも出来なかったであろう。であれば、哲学は今後もこのニ者択一の中で動かざるをえないであろう。
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