20代のヘーゲル (3)
『体系プログラム』の中で、体系のあらゆる理念を支える最も重要な概念は、美の理念であった。この美の理念はプラトン以来の伝統を引き継いでおり、ヘルダーリンにあっては、美の理想として描かれていた。美しいとは、根本にある統一の表現なのである。そうであれば、統一の分離によって初めて、自らを意識した自我と、それに対立する世界という関係が生まれてくる。そこから、両者の統一へ戻るために、この対立を解消しようと努めるが、それは理論によっても、実践によっても達成できず、ただ限りなく近づくことができるのみである。この目標は自然と自由、思考と行為の統一を産み出す根本の原理である、美の概念によってのみ行き着くことができる。
すでにシェリングは、『哲学の原理としての自我について』(1795年)の中で、スピノザの実体概念から出発して、根本にあるものと現にあるものとの関係を説明している。それによれば、スピノザは実体を根本概念としたが、全ての生成消滅するものの根底に純粋で変化しないものが存続しなければ、現にあるものの中に統一はないという。それは、シェリングによれば、あらゆるものが、実体における根本の統一と現象における多様を併せ持つ自我において考えられるという。自我のもつこの実体性に基いて、自我そのものは不可分のものとなる。これによって、根源にある自我は、常に自分に等しい絶対の統一と理解される。
それに対してヘルダーリンは、『判断と存在』(1795年)において、統一を保つためには根源にある統一が引き裂かれねばならないとする。自我は自我であるというとき、主語である自我と述語である自我とはまったく分離がありえないように統一されているのではない。むしろ、自我は、自我の自我からの分離によってのみありうるのである。そうであれば、自我は他者からも切り離されてはありえない。しかしその場合、自我でも他者でもないもの、つまりそこには、両者の根本にある統一が前提されている。自我と他者との対立は、根本において統一されたものの分離によって、すなわち、主語と述語の分裂によって生まれてくるのである。ヘルダーリンはこれを判断と呼んでおり、このような根本の分離から、統一への途を探っているのである。
ヘルダーリンの友人シンクレアも、『哲学の論理』(1795年/96年)で、反省が実体の分裂から生まれてくることに関連して、反省による分裂が統一を前提しているがゆえに、分離して互に対立したものを、統一の要求に従わせることが必要だとし、反省の自己否定を通して根源の統一に達することができるとする。
同じようにヤーコプ・ツヴィリングも、『すべてについて』(1796年)で、統一を反省に先行させて、実体的な統一の分裂から意識が生まれてくるとする。彼は、関係の中に非関係も含まれるから、関係と非関係は、反省が両者を関係づけることによって、互に対立し、矛盾に陥り、破棄される、つまり、関係と非関係の両者が関係の中に統合されていくという。より高いところからこれを見ると、関係とは、非関係の関係であり、これによって関係は普遍的な関係となる。これが無限なものであり、絶対的なものである。そこでまた、統一といっても、それは、分離及び統一の両者を含んでいるといえる。このように、統一と分離は一つの関係の中に引き戻されて、そこで統合されるという。
これに対してヘーゲルは、『信仰と存在』(1798年)の中で、より包括的な統一概念に基いて、統一と分離の関連を考察している。主体と客体など、二律背反の両項は、可能であるためには、合一を前提する。合一は主客分裂の立場の根源としてある。他方、合一という基準に照らしてみれば、両項は不満足なものとして現れる。それゆえ、両項は廃棄されねばならず、合一されねばならない。その限り、合一は主客分離の立場の目標としてある。このような根源的究極的立場にある合一は、証明されえず(それが証明の結論であれば依存的なものになってしまうだろうから)、信じられるのみである。この信仰対象としての合一が存在と呼ばれる。
すなわち、換言すれば、「統一とは比較がなされる基準であり、そこでは対立したままのものは不十分である」。ここからヘーゲルは、統一と対立との関連を導き出している。「対立によって制限されたものは、それだけではありえず、廃棄されなければならない。したがって、存在するためには、統一を前提していることが分かれば、対立して制限されたものを統一しなければならず、統一がなければならないことが明らかになる」。そこからさらに、対立したものは従属しているが、統一あるものは自立している、ということができる。統一あるものは、それ自身であるけれども、対立したものは、自立したものに統一を見るだけである。対立したものは自立したものに依存しているから、統一あるものへと進んでいかなければならない。ここから、統一と対立の関係を次のように表現することができる。つまり、分離したものは、統一あるものの内に自らを見出すことができる。したがって、あるものを信じるということはそのものとの分離を伴っているから、分離したものは統一あるものをあらかじめ前提しているのである。
ヘーゲルは、このようにして分離を統一に帰属させ、信仰を存在に帰属させる。存在においてのみ主語(主観)と述語(客観)の統一が把握され、存在そのものからその絶対的なあり方が捉えられるのである。このとき、彼は、統一と存在を同一視することによってヘルダーリンの合一哲学に立ち戻り、そこから独自の哲学を展開している。すなわち、いかにして存在が分裂するのかという、ヘルダーリンの『判断と存在』では答えられなかった問題を、『信仰と存在』の中で解決しようとしているのである。そしてここでは、宗教のもつ制度的側面から、反省とそれに先行する統一の関係が考えられている。ヘーゲルは、ヤコービの信仰哲学も援用しながら、ヘルダーリンの合一=存在概念を受け入れるようになった。そこから実定的信仰も、もはや他律的態度としてではなく、合一がなされるべき観点における合一ではないような、不完全な仕方での合一、つまり分裂と規定し直される。もはや自律対他律ではなく、合一対分裂が問題となる。信仰及び実定性を、存在・分裂・統一というフランクフルトの友人たちの根本概念から導き出し、さらにそこから、絶対的なものへの関係を見出すという、もっとも重要な問題が生じてくる。こうして、対立と統一との関係は、有限なものと絶対的なものとの関係として論じられていくのである。
ヘルダーリンは、美の概念を統一の原理と理解して、分離に対するその優位を確信していた。シンクレアは、この考えを引き継いで、反省を産み出す根源の分割によって根本の統一が解消することになると説明した。ツヴィリングは、関係と非関係の関係という定式において、統一と分裂が同等であることを強調していた。さらにヘーゲルは、対立するものの統一に自らを照らし出すような全体を見て、この全体を、ヘルダーリンの『判断と存在』の意味で存在と名づけている。ヘーゲルの根本問題は、ヘルダーリンと同じように、分裂を解消して根本の統一へと回帰し、失われた全体を再構築することであった。ヘルダーリンは、ヤコービの『スピノザの説について』(1785年/86年)から、無限なものと有限なものの完全な同一という神についての新プラトン主義的な理念を受け継いで、この理念をスピノザ的に実体的な統一と理解して、あらゆるものを包み込む全体とみなしている。ヘーゲルもまた、限りなく多様なものに無限なものが内在しているというスピノザ的な考えをもっていたから、この点はヘルダーリンと一致していた。
若きヘーゲルの思想の発展史において、フランクフルト時代(1797年ー1800年)とそれ以前の時代には断絶があるのではないか、ということが問題にされてきた。その例証の一つとしてあげられるのが、カントの実践理性に対する評価が、ベルン時代とフランクフルト時代とでは一変していることである。たしかに、ベルン時代までのヘーゲルの思想的努力は、キリスト教の創始者としてのイエス、実践理性の要請の思想を中心とするカントの思想、ギリシアにおける民族宗教を批判の尺度として、キリスト教の実定性の源泉を歴史的に解明し、ギリシアの民族宗教において具現しているような実定的でない民族宗教の再興の可能性を探ろうとするところにあった。その中で、とりわけカントへの徹底的な依存は、この時期のヘーゲルの思想的傾向の最も顕著な特徴をなしていた。それに対して、フランクフルト時代の論稿においては、ヘーゲルの姿勢は一変し、カントへの依存から、カントへの対決へと進んでいく。カントの義務道徳は、もはや人間の道徳的自律を体現する原理ではなく、人間や自然との生き生きとした諸関係の全体を引き裂き、分離させるものとして、憎しみをもって非難されるユダヤ教の冷酷な律法と同一視されている。このカントへの依存から、カントとの対決に象徴されるフランクフルト時代のヘーゲルの思想基盤の転換は、ヘーゲルの中に生じたいかなる変化に基いて起こったのであろうか。
ベルン時代にすでに、実定性という概念は、近代社会の特殊な性格を特徴づけるために作り出されたものであった。しかし、当時、若きヘーゲルはギリシア民主主義という非実定的な時代を近代に厳しく、しかも相反するものとして対置した。ヘーゲルの歴史哲学は、フランス革命において、また、それを通じての古代の再興が、自由の新たな時代を、つまり人間の現実的な支配の新たなる時代を成立させるであろうという革命的希望の内にあった。
しかし、常に自らの思想を、現実の中で検証するヘーゲルにとって、フランス革命に託した希望の挫折は、とりもなおさず、自らの思想の挫折であった。ヘーゲルは、1794年のクリスマスの前夜のシェリング宛の手紙に、「ロベスピエールの奴らの破廉恥極まる所業のすべて」が裁判で暴かれたことを伝えている。また、ディルタイが伝えているように、ヘーゲルを始めとする当時の若者たちにとって、カントの思想は、フランス革命の原理と同一の意味を持つものとして受け止められていた。それゆえ、1794年のテルミドールという体験を契機として、大きな転回点を迎えるフランス革命の状況が、ヘーゲルの思想的転換に大きな影響を与えたことは否定できない。
だが、当時の政治的、社会的状況が、ヘーゲルにその思想の決定的転換を促したとしても、ヘーゲルはその転換を、それ以前の自分の思想と断絶するような形で転換したのではなかった。その抽象性に気づきながらも、カントの理性の自律性の思想に発する自由の観念論にあくまでこだわろうとするヘーゲルは、彼なりにその途に決着をつけるまでは、簡単にその基盤を離れるわけにはいかなかったのである。そのようなヘーゲルに一つの方向を示唆してくれたのは、カント、フィヒテの自由の観念論から、シェリングの客観的観念論(宇宙を神的力の自然的活動として把握する体系)への転換という当時進行していた哲学運動であり、ヘルダーリンであったということができる。このような状況の中で、ヘーゲルは、すでにベルン時代の末期から、徐々に、フランクフルト時代の転換を準備していたのである。
1800年に書かれた『既成宗教としてのキリスト教の性格』の序文の改稿は、フランクフルト時代におけるヘーゲルの思想的転換がいかなるものであるかを明らかにしている。この改稿は、ベルン時代の初めに、カント的立場にたって書かれたこの論稿の本論を明らかに意識して書かれているゆえに、その転換の推移がはっきりと言い表わされている。「人間の本性という普遍的概念は、限りない変様の余地を残すものである。変様は必然的なものであり、人間の本性はいまだかつて純粋な形で現れたことはなかったということ、そのような経験を引き合いに出すことは単に間に合わせではなく、厳しく検討されうることなのである。一体全体、純粋な人間の本性とは何であるのか、ということをはっきりさせれば十分なのである。このような純粋な人間の本性というような表現は普遍的概念という意味に適応させる以外に他の意味を含んではならない。けれども、生き生きとした人間の本性というものはそれについての人間の概念とはあくまで別ものである。それゆえ、概念にとって単なる変様、純然たる偶然性、余分なものであったものが、必然的なもの、生命あるもの、むしろ唯一の自然的なもの、美しいものとなるのである。」
つまり、人間の本性という普遍的概念が歴史の場においてさまざまに変様を蒙らざるをえない必然性を示すことによって、ヘーゲルは啓蒙主義的な、あるいは、カント的な思想基盤の枠内を超える視点を確実に自分のものとしたのである。それゆえ、ヘーゲルはもはや実定性の問題を考察するにあたって、ベルン時代のような本質的に非歴史的な態度をとらない。ベルン時代の初めには、実定的なもの、すなわち歴史的なものは、一般にそれが人間の本性という普遍的概念に合致するものであるかどうかという観点から測られてきた。しかし、この改稿においては、そのような意味においてであるならば、歴史上のあらゆるものがそうであったし、また既成的であらざるをえなかったという論旨に変わってきている。
「それゆえ、いまや、宗教の実定性を計るはじめにあげた尺度はまったく別な様相を帯びてくる。人間の本性という普遍的概念ではもはや十分ではないのである。・・・したがって、この論文はキリスト教の中に既成的な教義や命令があるかどうかを追究しようという意図をもつものではない。というのは、人間の本性とか神の特性とかいう普遍的概念によってこの問いに答えようとすることは余りにも空しいことである。」そこでヘーゲルにとって新たな尺度となるものは、もはや、永遠なものとしての抽象的な理性ではなく、それぞれの時代に、さまざまな変容を受けて、生き生きした全体的な連関の中にある理性、つまり歴史の中で具体的に豊かになっていく理性である。このようなものこそ、ヘーゲルがこの時代の論稿において繰り返し用いている生(Leben)という概念の意味するものである。
フランクフルトへ移住するようになって、ヘーゲルのキリスト教論の立場は実践理性の自律から、愛の合一に転換した。この転換は断片『道徳性・愛・宗教』(1797年7月以前)に認められる。彼はこの断片の前半、すなわち、「宗教、宗教を興すこと」という見出しの前の箇所では、対立物を廃棄する実践的統一が多様に対立する理論的統一に優位するというカントーフィヒテ的立場を述べ、そこから、現実的なものを乗り越える、理想への信仰としての、実践的信仰を述べていた。だが後半では一転して、実践的統一を、客体への恐れ、客体からの逃避、合一への恐れと否定的に評価し、理論的統一と実践的統一に対して第三の、主体と客体の合一としての愛を対置するようになる。「理論的総合はまったく客体的になり、主体に全く対立している。実践的活動は客体を無化し、全く主体的である。ただ愛においてのみ、ひとは客体と一つになり、客体は支配することも支配されることもない」。ここに明らかにヘルダーリンからの影響が認められる。というのはヘルダーリンは、既述のように、フィヒテの絶対的自我の概念に客体への依存の契機の欠如を認め、そして人間の二つの傾向の葛藤を、愛によって克服したからである。
ただ愛の合一は、ここでは差し当たり理論的活動と実践的活動に対置される人間の世界に対する態度の一つとして捉えられたにすぎない。しかしヘルダーリンにおいては、合一は、主客の分裂を前提とした、認識と行為の根源及び目標として位置づけられ、「存在」と呼ばれた。合一のそのような理解はヘーゲルにおいても、やがて断片『信仰と存在』(1797年12月以降)で認められるようになる。
「人間の本性それ自身の中には、我々の意識の中にある人間の行為よりもさらに高い存在があるということを承認すること、そしてその存在の完全性の直観を生命の生き生きした精神となそうということ、また、この直観にそのまま、つまり他の目的と結び付けることなく、時代とか配慮とか感情などを捧げようという要求が存在する。」
さて、ヘーゲル自身の中にその基準の根本的転回が起こるとともに、その実定性の概念もベルン時代とは大きく変わる。もはや、単に偶然的なもの、一時的なものという性格がそのものの実定性を構成するものではない。この時代のヘーゲルにとって、実定的なものとは、「偶然的な事柄が偶然的なままで、永遠なものと考えられること」を意味するようになる。つまり生き生きとした生命的連関を喪失したものが実定的なものとみなされるようになる。
フィヒテは言う。「神の理念は、我々自身のものの疎外化、すなわち主観的なものの、我々の外部にある存在者への転移に基いている。」この考えを引き継いで、ベルン時代初期のヘーゲルは、人間本性そのものの最高善への可能性をもとに、道徳性として発現する人間の主体性を批判の尺度として、既成宗教の客観性を批判することを自己の課題とした。そうした思想の内部において、たしかに彼は人間の主体性という名のもとに、心胸ー愛ー衝動という感性的契機と、カントの意味での道徳性ー定言命法ー義務のリゴリズムという理性的契機との相克に悩まないではなかったが、その両者がともに人間の主体性として把握される限りで、主体性を尺度とする批判的立場を貫徹することができたのであった。この論点は、主体性ー自律道徳に対するに客観性ー他律道徳という対立を前提として、ベルン時代後期の実定性批判の立場に引き継がれていった。すなわち、ここでもやはり、彼は人間の本性の内に道徳性ー宗教性への素質があるという前提に立っていたのである。
フランクフルト時代の初期に、彼はユダヤ教、とくにアブラハムに姿をとった人間の自己疎外を理論化した。そこでは、自己的なものが他者的なものになり、主体的なものが客体的なものになっている。しかもその客体(神)はその主体(信者)の客体(信仰対象)であっても、我々にとっては主体(疎外された人間性)であるが、信ずるものは、神を主であり主体であり、自分をその支配下にある客体として感じてもいる。当然この場面では、自己(自律性)と他者(他律性)、主体と客体、能動と受動という単純なニ元論は成立しない。それらは相互に転化する。しかもこの論理からすれば、人間が当為を自己の存在に対して超越的な、つまり規範的理念として定立すること自体、人間の自己疎外としか言いようがない。ゆえにカントの道徳律も他律的である。だとすれば、自他、主客の素朴なニ元論を前提とした実定性批判は、根本から考え直されなければならない。この時以来、彼の再三再四に亙る実定性の再定義の試みが始まる。
実定性概念と疎外概念との理論的撞着に気づくに到る経過と、その結果をはっきりと示しているのは、論稿、『道徳性・愛・宗教』(1797年7月以前)である。その書き出しにおけるヘーゲルの意図は、道徳性の概念を実定性の概念から救い出そうとするところにあったのであろう。彼はまず、これまでの自分の実定性概念を要約している。「実践的なものが理論的に存在している信仰、根源的に主体的なものがただ客体として存在している信仰、主体的なものとなりえない客体的なものの表象を生と行為の原理とする信仰、これが実定的と呼ばれる。」彼は理論的・対・実践的というカント的な対立項を用いて、「実践的活動は与えられた多様に統一を持ち込むのではなく、統一そのものなのである。理論的統一は多様なものなしでは空虚で無意味である。ただそれとの関係においてのみ考えられる」というが、本当はこうした領域の区別の問題ではないことは明らかである。今、問題なのは実践的なもの(道徳)の領域それ自体の内部での客体化(自己疎外)なのである。ヘーゲルは道徳性の概念とは何かと自問する。道徳性それ自体が客体をもつではないか、それでは道徳性は実定性なのか。いや違う、客体をもつには違いないが、「理論的な概念の客体と同じ意味で客体をもつものではない。道徳的概念の客体は常に自我だが、理論的概念の客体は非我である。」 いやまて、自我(主体)が客体として存在することは今述べた定義からすれば当然、実定的なのだ。したがって自我の客体化という枠の中で実定性(疎外)と道徳性を区別しなければならない。「道徳的概念の客体は、自我の一定の規定であるが、これは、概念となるために、認識されるために、客体となりうるために、自我に対して別の風に規定され対立させられ、自我の偶有性としてのみ見なされ、今認識している自我からは排除されている。」そして「こうした仕方で生じたのではない道徳的概念、活動なき概念が実定的概念なのである。」これは実定性の新しい定義である。主客の対立に代わって、主体が客体化される仕方に区別があるというわけである。しかしこれならばアブラハムの信仰もまた実定的ではないことになりかねない。そこで新たに「現実的なものの超出」と「客体的活動の無限者との合致」という要求に実践的信仰のありかを設けて、第三の定義として、「この超出と合致の要求が与えられているとき、信仰は実定的である。この要求が与えられるのは、ある威力的、支配的な客体(権威)によるしかない」というのである。つまり、信仰を、現実の多様を超出して無限の統一に一致しようとする主体的努力とみて、この努力が威力的な他者から課せられるところに実定性を見ようとする。これは自発的に隷属するのは隷属ではなく、命ぜられたものが自発的に服従するのは自発的ではない、と言っているようなものである。
結局は、俗に言えば、「当人の気持ち次第」とも言えようか。ヘーゲルの言葉で言うと「我々が神格の摂理に帰している道徳的目的においては、我々はその神格の、それ以外の我々に識られない本質へと反省(自己疎外)しているのではなく、ここで我々は、その活動がその限りでは自我の活動であると判断しているのである」となる。自我を信仰していると判断しながら神を信ずれば実定的ではないというのである。これは神を信じていると思いつつそこに自我の影を見出して医すことのできない苦悩にあえぐ不幸な意識の裏返しにされたものとも見える。ヘーゲルは完全に自分の行き詰まりを感じとった。新しき宗教として人間的な宗教を創始することそれ自身が、新しき疎外に終わるのではないか。少なくとも道徳宗教はかかるものではないのか。
これ以上ヘーゲルの困惑の軌跡を追う必要はあるまい。ここでヘーゲルはこれまでの主体性の擁護という立場から一転したかのごとく、客体からの遁走を極端な主観性の立場として、無限の客体への服従に対置し、主客の根源的統一の立場にたどり着くのである。「主体と客体、自由と自然とが、自然が自由であり、主体と客体とが不可分であるように合一したものと考えられるところ、そこに神的なものがある。」
実は主客の統一を原理としたところで、この問題に最終的解決が与えられるものではないことは当のヘーゲルが熟知していた。その統一そのものが、再び信ぜられたる意識内容か、客体的な所与かという問題が生じる。『道徳性・愛・宗教』のすぐ後の『信仰と存在』ではこの点を問い進めてヘーゲルはさらに困惑を深めている。この問題は、一般化して言うと、主客の統一そのものが主体的か客体的か、となる。この点を自覚的に問い深めて、真の統一を求めたのが、イエナ期における同一哲学である。しかし、ヘーゲルの思索の歩みは、この同一哲学から、さらに観念論へと進む。あたかも主客の主体的統一の立場を再び選ぶかのごとくである。青年期に見せたこのたゆたいは、さらに大きな渦を描いて行くのである。
生の概念は、ヘーゲルのフランクフルト時代において、体系全体を構成する中心的理念である。断片『愛』は、初稿(1797年)と改稿(1798年/99年)からなり、愛の概念は、初稿では分離に対立した純粋な一致を意味しているが、改稿では、分離を経て再統一するものを意味するようになる。
ヘーゲルは、『愛』の初稿の中で、愛を未発達の統一と理解して、生との関係を次のように説明している。「真の一致も、本当の愛も、生きたものにしかありえない。それは、あらゆる対立を投げ捨て、・・・引き離すことも引き離されることもないから、制限されたものではない。愛は、感情ではあるけれども、しかしそこでは、愛するものと愛されるものとは区別されないから、対立することもなければ、愛されたものが別のものと捉えられたり、対象となることもない。愛とは、生きたものの感情である。生きたものとして、愛するものは一つなのである」。愛の内では制限することもされることもないから、有限なものはありえないといえる。それは、愛するものと愛されるものとが区別されないような、純粋な感情なのである。そこからはあらゆる対立が排除されているから、愛とは、生きたものが一つであるような生き生きした感情であり、同一であるという一体感である。そうであれば、生きたものとは、制限や対立を自分の内に包みこむような全体としては理解されていない。
これに対して、『愛』の改稿の中では、愛を発展した統一と理解して、生との関連の中で次のように説明している。「愛は感情ではあるが、しかし個別のものではない。個々の感情は、生の部分にすぎず、全体ではないから、そこから、生は分裂によって多様な感情へと分散して、多様なものの全体において自分を認めることになる。愛においては、この全体は、分散した多くのものを集めたものではない。そこでは、生そのものが自らをニ重にして、統一することによって自らを見出す。生は、未発達の統一から出発して、形成過程を経て、完成した統一へと円環をたどるのである」。初稿の中では愛そのものは対立を排除していたが、改稿では、生は多様なものから切り離されることなく、多様なものの中へと溶け込んでいく。生は自らをニ重にするが、にもかかわらず、愛の中に自分を見出して自らの統一を保持するのである。
しかしヘーゲルは、すでに初稿の中でも、生が発展していく過程を、一体的な生をもつ植物から敵対的な生をもつ動物を経て、人間の生へと至る発展の過程として描いている。このような理解は、ヘルダーが『人類史の哲学の構想』(1784年ー91年)の中で語っていたことに対応している。
これに対して、『愛』の改稿では、生の発展を図式的に説明して、未発達の統一から分離を経て再統一へ至る過程と見なしている。したがってそれは、初稿とは違って、統一と分離を統合するものとして次のように表現することができる。「生の芽生えは、分散して、対立へ向かっていく。生は、発展の過程において、分離して豊かなものとなり、全てを取り戻すことになる。そこで今では、一体のもの、分離したもの、再統一したものなのである」。このように、ヘーゲルは、改稿の中では、生の過程を統一・分離・再統一として描き出している。それによって、初稿にあるような自然史的な理解は背後に退いて、単に比喩としての役割にすぎなくなっている。
また、改稿の中では、三つの段階からなる生の発展がはっきりと描かれる。生の概念は、そこでは、未発達の統一・分裂・完成した統一の三つの契機を含む全体を意味している。その限りで生は、統一と対立を統合したもの、つまり、区別を含んだ統一と見なされる。このように、有機的な構造をもつ生には、統一と多様がその本質的な契機として属している。したがって、生は、両者の統一として、対立と多様によって自らを形成し、再生産する全体と理解されるのである。
たしかにヘーゲルは、『愛』の初稿では、生のもつつながりを愛の概念によって説明して、統一を愛するものに限定している。「愛による一致は完全なものであるが、それは、愛するものにだけ生まれてくる」。しかし、そうであれば、「そこから、多様なものが対立することにもなる」。そこで、『愛』の改稿では、愛による統一が、愛するものと愛されるものとの生きた連関の中で捉え直される。「愛による一致が完全なものであるのは、分離したものが対立しているからである。一方が愛するものであり、他方が愛されるものだから、分離したもののいずれも、生の中の一部なのである」。したがって、生きた全体が統一をなしうるのは、全体が統一ある状態に止まっているからでなく、統一そのものが分離して、対立することによって、そこから自らを形成していくからなのである。生とは、統一にも対立にも止まることなく、むしろ、統一から出発して、それを否定して対立へと進み、そして再統一へと至る過程なのである。そこでまた、このような生の発展過程から、次の段階へとさらに進んで行くような、弁証法的な思考方法も生まれてくるのである。
カントによれば、法律に従うことは自らを奴隷にすることであり、道徳に従うことは自らを自由にすることだという。だが、ヘーゲルからすれば、両者はこのように区別されるものではない。たしかに、道徳が生まれつき人間に備わるものであっても、しかしそれは、感覚という特殊なものに対立しているから、道徳が普遍的なものとなって支配すると、感覚という特殊なものを抑えつけることになる。これによって、道徳は制限するものへと転化しているのである。そうであれば、法律と道徳の違いは、「法律は外から支配するが、道徳は内から支配する」という点にあることになる。ここから、ヘーゲルは、普遍と特殊を対立させるカントの道徳法則ではなく、生の中で対立を解消して統合するイエスの法の精神によって、分裂を統一へともたらそうとする。彼は、カントを手がかりにして分裂の解消を試みる。
ヘーゲルは、1798年8月10日から、カントの『人倫の形而上学』の第一部、法律論の形而上学的原理と、第二部、道徳論の形而上学的原理の抜粋を作り始め、それに詳しい註をつけていたという。まず、国家と教会の関係について言及し、カントの考えを次のように要約している。「国家と教会は互に邪魔をしてはならないし、互に関与してはならない」。そして彼は、カントが道徳的なものと感覚的なものを分けて自然に基く傾向を抑圧しているという。 生の概念が習俗と規範を支えて社会組織を形成しているのであれば、正義とはこの全体を貫く法秩序である。しかしカントは、これを道徳から区別して、道徳においては義務が同時に行為の動機でもあり、それに対して、法律とは制限の総体であり、その制限のもとで個別の意志が自由という普遍的な法則に統合されるという。このように、カントの法律論においては実定法が基準になるが、この基準そのものは、人間にとって外的で強制的なものとして現れてくる。そこでヘーゲルは、合法と道徳というカントが分離した二つの概念を、生の概念の中へと取り戻そうとする。それによって、カントが法律論の中で付随的に扱ったにすぎない国家と宗教の関係が、ヘーゲルにとっては最も重大な問題となって現れてくるのである。
すでに、啓蒙主義は、国家の権力と宗教上の信仰の分離を要求していた。国家の政策は、もはや教会に支持される必要がなかったのである。ヘーゲルも、ベルン時代には国家と教会の分離を主張してはいたが、古代のポリスを理想とした国家像と近代国家の姿をまだ区別していなかった。彼は、ヘルダーの影響のもとに、神話を通して宗教が民衆に浸透していく古代ギリシアを模範としていたのである。そしてフランクフルト時代にも、ヘルダーリンの影響のもとに、古代ギリシアのポリスを目標としている。ここでは、共同体の中での自然と自由の合一が主題となる。しかしヘーゲルは、『ドイツ憲法論』の中で複数の宗教をもつ近代国家を受け入れることによって、イエナ時代の後期に至って、国家と教会を再び結び付けることに苦心するのである。
ヘーゲルの見るところ、近代国家は所有の原理に基いているから、国家の課題は所有の権利を市民に保証することにあるといえる。しかし、このような近代国家は、古代ポリスの人倫的共同体を解体することにもなる。教会のほうでは、制度化された実定信仰を専制政治に従えようとして、神聖なものを彼岸に追い出してしまった。したがって、ヘーゲルの『カント註釈』が示しているのは、国家と教会の分離と同じように、近代における法律と人倫がもたらす問題である。このような分離を、ヘーゲルは、単に宗教上の寛容を支えるような差別化としてではなく、無条件に生の統一を分断するものとして見ているのである。
ヘーゲルは、無限なものを教会に帰属させて次のように述べている。「教会では、人間は全体的なものである。行動して組織を作る目に見える教会の目的は、人間にこの全体の感情を与えて保持することである」。まず、へーゲルは、教会の精神から国家の法律を切り離している。なぜなら、国家の法律は人間を制限されたものとして取り扱うが、教会の精神は人間を全体的なものとして受け入れるからである。これによって、教会の精神は国家の法律に反するのみならず、また、国家の精神にも反することになる。「教会の精神に従うとすると、全体としての人間は、国家の個々の法律に反するだけでなく、国家の法律がもつ精神全体に、つまり国家の法律の全体に反するのである」。したがって、国家と教会が併存するならば、教会はその全体を失わざるをえない。「全体としての人間が、特殊なものとして国家と教会へ分断されるならば、教会という全体は、単なる断片にすぎなくなるであろう」。そこでヘーゲルは、国家と教会が成立する地盤を探り、個人と全体を結びつけて、国家と教会の分裂を克服する途を究めようとするのである。
だが、所有という有限なものに基く国家の法律は、生という無限なものに引き戻される教会の方に対立して、またそれを制限している。この際、決定的な要因は、国家が人間を所有者へと局限してしまうことである。「国家が所有の原理をもつとき、教会の法は国家の法律に対立している。国家の法律は、一貫して限定された権利に関係しており、極めて不完全に人間を所有者と考えている」。所有という概念の背景には、近代市民のもつ個人主義を見ることができる。国家と教会が衝突すると、この対立は、教会の法を損なうばかりか国家の秩序が基く所有の原理をも廃棄することになる。また、国家のみに従ってもっぱら私的所有者としてふるまうならば、これはまさしく、国家の統一をも破壊することになるだろう。
では、国家と教会の分離は、どのようにして、またどこまで可能であるか。この問いに、ヘーゲルははっきりと答えている。「国家の原理が完全な全体であるならば、教会と国家が別のものであることはできない」。なるほど、ヘーゲルは、国家の権力が法的に規制された領域に制限され、教会が生きた精神を無限なものへ譲り渡している限りで、両者を区別している。とはいえ、国家と教会を同じ全体に関係づけることによって、両者を媒介するもである。「国家にとって念頭に置かれたもの、支配的なものは、教会にとっても、想像力が表現した生きたものとしてまさに同じ全体なのである」。そうであれば、全体としての人間が、国家と教会に属することによって並立する特殊なものへと分割されるならば、人間の全体は引き裂かれたものとなるであろう。
国家と教会がなんら関係なく併存しているのであれば、対立は避けられるように思われる。これは、カントが弁証論で採った方法である。だがこれも、ヘーゲルからすれば問題の解決にはなっていない。そこで、ヘーゲルは二つの領分のいずれにも優位を当てることなく、この矛盾を完全に解決しようと試みる。だが、ヘーゲルの『カント註釈』もカントの道徳論を批判するだけであり、新たな国家論を提示するまでには至っていない。そこにはなお、人間の内面を共同体へと統合していく概念が欠けているのである。対立の解消にあたっては、宗教及び政治の場面で対立関係を廃棄することではなく、むしろ、矛盾の構造を内側から解明していくことが必要になる。しかし、そのためには、自己否定を内部から生み出していくような、弁証法という矛盾の論理構造を解明する必要がある。これによって、ヘーゲルは、カントとは違って、矛盾そのものがより高い段階で完全な統一をもたらす途を求めていくのである。このためには、弁証法的な論理構造の展開が、さらに具体的な場面で考察されなければならない。
ヘーゲルは、『既成宗教としてのキリスト教の性格』の序文の改稿に先立って、ほぼ同じ視点のもとに、1798年夏ー秋ー1799年、もしくは1800年に『キリスト教の精神とその運命』を書いた。序文改稿がベルン時代の『既成宗教としてのキリスト教の性格』の改変を意図したものであるとするならば、この論稿はベルン時代の『イエスの生涯』の書き換えを意図したものであろう。
ここでヘーゲルは、パスカル流のアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神等、すなわち信仰の対象として歴史的に実在した人格神、いわゆる実定宗教の中の神と、アウグスティヌスの神、トマスの神、デカルトの神、スピノザの神、カントの神等の、何らかの認識の対象としての普遍的な神との統一を、換言すれば、信仰する神と認識する神との総合を、彼のいう精神の力によって、すなわち精霊の力によって論証しようと試みる。この場合、「神は精神すなわち精霊である。それゆえ、ヘーゲルの哲学的神学と神学的哲学とは、『ヨハネ伝』4-24(神は霊なれば拝するものは霊と真とをもって拝すべきなり)の唯一つの強力な注解以外の何ものでもない」というU・アセンドルフの解釈が認められるだろう。
ヘーゲルにおいて、信仰の対象としての神と、哲学者の神の統合は、一つの知の形式を生み出し、そこから『信と知』(1802年)におけるカント、ヤコービ、フィヒテの哲学への批判が結実する。それはカントの理性宗教、ヤコービの信仰哲学、フィヒテの理想主義を離れて、生と愛を説くキリスト教という実定宗教と結び付いた、ヘーゲル自身の立場からの、同時代の哲学に対する批判、すなわち直観と悟性、信仰と知とのニ元論という悟性的な反省哲学への批判なのである。『フィヒテとシェリングの哲学体系の差異』(1801年)や『人倫の体系』(1802年)など、友人シェリングに近い立場に身を置きながら、漸次その影響を脱して、ヘーゲル独自の思索を築き始める端緒が、ここから始まる。ゆえにヘーゲルのキリスト論の背後には、哲学と宗教、知識と信仰との対立や分裂を越えて、その和解を可能にする経験が隠されているのである。和解とは神と人との和解の実現であり、キリスト教的に言えば、罪からの救いである。あるいは真理の達成である。
このような和解の概念にたどり着くまでの、ヘーゲル自身の精神の危機が、青年時代のヘーゲルの思索を基本的に揺り動かしている。後に近代世界の完成形態として自覚されるまでに至ったヘーゲル哲学(K・レーヴィット)の、その初発の段階において示された一つの到達点が、「愛による運命との和解」である。この命題について、さらに立ち入って考察してみよう。
「ユダヤ人達の真の祖先であるアブラハムと共にこの民族の歴史は始まる。ということはアブラハムの精神が、彼の子孫のあらゆる運命を支配した統一性であり、魂だということである。この精神は、それが様々な力と戦うのに応じて、あるいはそれが暴力や誘惑に屈して、自分本来のものでない生き方を受け入れることによって自らを汚した場合、それは様々の形態をとって現れるのであるが、こういう形が運命と呼ばれるものである。」
アブラハムの精神から始まるユダヤ民族の信仰と歴史を一貫している悲劇的運命に対して、ヘーゲルは、嫌悪の情をもよおすだけという。「ユダヤ人の悲劇は、ギリシア悲劇とは違う。それは恐怖も同情も起きない。恐怖や同情は、美しい存在者に不可避な蹉跌の運命からのみ生じる」からである。ユダヤ人の運命は少しも美しくない。アブラハムの精神は、この美しいものからの、完全な離脱、家族、祖国、共同生活を築く愛の紐帯からの、さらに自然からの分離と断絶である。
「カルデアに生まれたアブラハムは、既に青年時代に父テラと共に祖国を捨て去った(『創世記』11-31)。いまやまた彼はメソポタミア平原において、自分の家族からさえも全く身を振り切って去ったのであるが(『創世記』12-1~4)、それは、全く誰にも頼らない独立不羈の男となり、自ら首長となるためであって、侮辱を受けたり、排斥されたりしたわけではなく、不当な仕打ちや残虐の後でもなお愛の欲求が残っていると心の痛みを感じたわけでもない。・・・アブラハムがそれによって一国民の父祖となったそもそもの最初の行動は、共同生活と愛との絆を、これまで生きてきた人間や自然と結んできた関係の全体を、引き裂いてしまう一つの分離である。彼は自分の青年時代のこの美しい諸関係(『ヨシュア記』24-22)を自分から突き放したのである。」
その捨て去り、離反した精神こそ、その後の生涯において衝突した異邦人たちとの交わりを通して、アブラハム自身を導いた精神である。それは人間や自然に対してどこまでも自分を厳しく対立させ、無限に敵意ある対象としてこれを支配しようとする意志である。「アブラハムは、家畜の群れを引き連れて果てしなき土地をさ迷った(『創世記』12-21)のであるが、彼には、この土地の一片さえ、耕作し美化することでそれに馴染み、慈しみ、自分の世界の部分として取り上げるということは考えもつかなかった」。
世界に存在する一切のものは、相互に心を通わせる共感の相手ではなく、絶対に疎隔し永遠に敵対し合う支配と隷属の対象である。だがこのような支配理念は、人間にとっては本質的に実現不可能であり、永遠の敵対関係が残るだけである。ここにアブラハムの精神に対して、彼の理想を無限の彼方へと投影した、絶対的超越神としてのアブラハムの神が現れてくる。
この神は「自然の中にあるいかなるものとも関わりをもつはずがない」、世界から隔絶した神である。アブラハムに代わって世界を屈服させ、世界から彼が必要とするものを彼に与えてやり、他者に対して彼を安全に守る理想である。「アブラハムが全世界に対して抱く侮蔑がこの神格の根」なのである。この神への絶対的隷属のもとに生きる限り、アブラハムは、その子イサクに対する愛や子孫の中に生きようとする希望を持つことさえも、神への従順を妨げることにならないかどうかと、不安に陥ったのである。後に、『恐怖と戦慄』の中でキルケゴールがした解釈、燔祭の犠牲としてイサクを捧げようとモリア山に登る、信仰の父アブラハムの、苦悩と悲哀の追体験の美しくも痛ましい記述とは際立った対照をなす解釈である。ヘーゲルによれば、かくしてアブラハムは、我と我が手でイサクを殺すだけの力がともかくも残されていることを僅かに実感できて、ようやくこの不安を鎮めることができたほどに、その実存は主なる神に圧倒されていたのである。しかしキルケゴールはそこに倫理を超える宗教、哲学を超える信仰を見たのである。
「最愛の息子を神の犠牲に捧げる」といったときの、その神への解釈は、キルケゴールとヘーゲルで決定的に異なる。あるいはパスカルとヘーゲルを決定的に分かつであろう。ユダヤ教こそヘーゲルによれば、ユダヤ人によってその荒れ果てた砂漠の地に投影された無限の対象物なのであり、この対象物が漂泊の民の生き残りの生活を魔術的に支配するのである。かくして、ヤーヴェはユダヤ民族の精神によって導かれる民族の運動を予見するための規則となり、この予見は宗教的想像力を通して摂理という異質的な力へと対象化されていく。
アブラハムの精神によって導かれたユダヤ民族の悲劇をヘーゲルはマクベスの運命になぞらえる。「マクベスは自然そのものから逸脱して、異様なものの存在に身を委ね、それを礼拝することによって、人間性の全てのものを踏みにじり、殺戮し、自分の神々からも、それらは単なる客体であり彼は奴隷であったから、ついに見捨てられ、自分自身の信仰にも躓いて打ち砕かれなければならなかったのである」。
すでにシェリングは、『哲学の原理としての自我について』(1795年)の中で、スピノザの実体概念から出発して、根本にあるものと現にあるものとの関係を説明している。それによれば、スピノザは実体を根本概念としたが、全ての生成消滅するものの根底に純粋で変化しないものが存続しなければ、現にあるものの中に統一はないという。それは、シェリングによれば、あらゆるものが、実体における根本の統一と現象における多様を併せ持つ自我において考えられるという。自我のもつこの実体性に基いて、自我そのものは不可分のものとなる。これによって、根源にある自我は、常に自分に等しい絶対の統一と理解される。
それに対してヘルダーリンは、『判断と存在』(1795年)において、統一を保つためには根源にある統一が引き裂かれねばならないとする。自我は自我であるというとき、主語である自我と述語である自我とはまったく分離がありえないように統一されているのではない。むしろ、自我は、自我の自我からの分離によってのみありうるのである。そうであれば、自我は他者からも切り離されてはありえない。しかしその場合、自我でも他者でもないもの、つまりそこには、両者の根本にある統一が前提されている。自我と他者との対立は、根本において統一されたものの分離によって、すなわち、主語と述語の分裂によって生まれてくるのである。ヘルダーリンはこれを判断と呼んでおり、このような根本の分離から、統一への途を探っているのである。
ヘルダーリンの友人シンクレアも、『哲学の論理』(1795年/96年)で、反省が実体の分裂から生まれてくることに関連して、反省による分裂が統一を前提しているがゆえに、分離して互に対立したものを、統一の要求に従わせることが必要だとし、反省の自己否定を通して根源の統一に達することができるとする。
同じようにヤーコプ・ツヴィリングも、『すべてについて』(1796年)で、統一を反省に先行させて、実体的な統一の分裂から意識が生まれてくるとする。彼は、関係の中に非関係も含まれるから、関係と非関係は、反省が両者を関係づけることによって、互に対立し、矛盾に陥り、破棄される、つまり、関係と非関係の両者が関係の中に統合されていくという。より高いところからこれを見ると、関係とは、非関係の関係であり、これによって関係は普遍的な関係となる。これが無限なものであり、絶対的なものである。そこでまた、統一といっても、それは、分離及び統一の両者を含んでいるといえる。このように、統一と分離は一つの関係の中に引き戻されて、そこで統合されるという。
これに対してヘーゲルは、『信仰と存在』(1798年)の中で、より包括的な統一概念に基いて、統一と分離の関連を考察している。主体と客体など、二律背反の両項は、可能であるためには、合一を前提する。合一は主客分裂の立場の根源としてある。他方、合一という基準に照らしてみれば、両項は不満足なものとして現れる。それゆえ、両項は廃棄されねばならず、合一されねばならない。その限り、合一は主客分離の立場の目標としてある。このような根源的究極的立場にある合一は、証明されえず(それが証明の結論であれば依存的なものになってしまうだろうから)、信じられるのみである。この信仰対象としての合一が存在と呼ばれる。
すなわち、換言すれば、「統一とは比較がなされる基準であり、そこでは対立したままのものは不十分である」。ここからヘーゲルは、統一と対立との関連を導き出している。「対立によって制限されたものは、それだけではありえず、廃棄されなければならない。したがって、存在するためには、統一を前提していることが分かれば、対立して制限されたものを統一しなければならず、統一がなければならないことが明らかになる」。そこからさらに、対立したものは従属しているが、統一あるものは自立している、ということができる。統一あるものは、それ自身であるけれども、対立したものは、自立したものに統一を見るだけである。対立したものは自立したものに依存しているから、統一あるものへと進んでいかなければならない。ここから、統一と対立の関係を次のように表現することができる。つまり、分離したものは、統一あるものの内に自らを見出すことができる。したがって、あるものを信じるということはそのものとの分離を伴っているから、分離したものは統一あるものをあらかじめ前提しているのである。
ヘーゲルは、このようにして分離を統一に帰属させ、信仰を存在に帰属させる。存在においてのみ主語(主観)と述語(客観)の統一が把握され、存在そのものからその絶対的なあり方が捉えられるのである。このとき、彼は、統一と存在を同一視することによってヘルダーリンの合一哲学に立ち戻り、そこから独自の哲学を展開している。すなわち、いかにして存在が分裂するのかという、ヘルダーリンの『判断と存在』では答えられなかった問題を、『信仰と存在』の中で解決しようとしているのである。そしてここでは、宗教のもつ制度的側面から、反省とそれに先行する統一の関係が考えられている。ヘーゲルは、ヤコービの信仰哲学も援用しながら、ヘルダーリンの合一=存在概念を受け入れるようになった。そこから実定的信仰も、もはや他律的態度としてではなく、合一がなされるべき観点における合一ではないような、不完全な仕方での合一、つまり分裂と規定し直される。もはや自律対他律ではなく、合一対分裂が問題となる。信仰及び実定性を、存在・分裂・統一というフランクフルトの友人たちの根本概念から導き出し、さらにそこから、絶対的なものへの関係を見出すという、もっとも重要な問題が生じてくる。こうして、対立と統一との関係は、有限なものと絶対的なものとの関係として論じられていくのである。
ヘルダーリンは、美の概念を統一の原理と理解して、分離に対するその優位を確信していた。シンクレアは、この考えを引き継いで、反省を産み出す根源の分割によって根本の統一が解消することになると説明した。ツヴィリングは、関係と非関係の関係という定式において、統一と分裂が同等であることを強調していた。さらにヘーゲルは、対立するものの統一に自らを照らし出すような全体を見て、この全体を、ヘルダーリンの『判断と存在』の意味で存在と名づけている。ヘーゲルの根本問題は、ヘルダーリンと同じように、分裂を解消して根本の統一へと回帰し、失われた全体を再構築することであった。ヘルダーリンは、ヤコービの『スピノザの説について』(1785年/86年)から、無限なものと有限なものの完全な同一という神についての新プラトン主義的な理念を受け継いで、この理念をスピノザ的に実体的な統一と理解して、あらゆるものを包み込む全体とみなしている。ヘーゲルもまた、限りなく多様なものに無限なものが内在しているというスピノザ的な考えをもっていたから、この点はヘルダーリンと一致していた。
若きヘーゲルの思想の発展史において、フランクフルト時代(1797年ー1800年)とそれ以前の時代には断絶があるのではないか、ということが問題にされてきた。その例証の一つとしてあげられるのが、カントの実践理性に対する評価が、ベルン時代とフランクフルト時代とでは一変していることである。たしかに、ベルン時代までのヘーゲルの思想的努力は、キリスト教の創始者としてのイエス、実践理性の要請の思想を中心とするカントの思想、ギリシアにおける民族宗教を批判の尺度として、キリスト教の実定性の源泉を歴史的に解明し、ギリシアの民族宗教において具現しているような実定的でない民族宗教の再興の可能性を探ろうとするところにあった。その中で、とりわけカントへの徹底的な依存は、この時期のヘーゲルの思想的傾向の最も顕著な特徴をなしていた。それに対して、フランクフルト時代の論稿においては、ヘーゲルの姿勢は一変し、カントへの依存から、カントへの対決へと進んでいく。カントの義務道徳は、もはや人間の道徳的自律を体現する原理ではなく、人間や自然との生き生きとした諸関係の全体を引き裂き、分離させるものとして、憎しみをもって非難されるユダヤ教の冷酷な律法と同一視されている。このカントへの依存から、カントとの対決に象徴されるフランクフルト時代のヘーゲルの思想基盤の転換は、ヘーゲルの中に生じたいかなる変化に基いて起こったのであろうか。
ベルン時代にすでに、実定性という概念は、近代社会の特殊な性格を特徴づけるために作り出されたものであった。しかし、当時、若きヘーゲルはギリシア民主主義という非実定的な時代を近代に厳しく、しかも相反するものとして対置した。ヘーゲルの歴史哲学は、フランス革命において、また、それを通じての古代の再興が、自由の新たな時代を、つまり人間の現実的な支配の新たなる時代を成立させるであろうという革命的希望の内にあった。
しかし、常に自らの思想を、現実の中で検証するヘーゲルにとって、フランス革命に託した希望の挫折は、とりもなおさず、自らの思想の挫折であった。ヘーゲルは、1794年のクリスマスの前夜のシェリング宛の手紙に、「ロベスピエールの奴らの破廉恥極まる所業のすべて」が裁判で暴かれたことを伝えている。また、ディルタイが伝えているように、ヘーゲルを始めとする当時の若者たちにとって、カントの思想は、フランス革命の原理と同一の意味を持つものとして受け止められていた。それゆえ、1794年のテルミドールという体験を契機として、大きな転回点を迎えるフランス革命の状況が、ヘーゲルの思想的転換に大きな影響を与えたことは否定できない。
だが、当時の政治的、社会的状況が、ヘーゲルにその思想の決定的転換を促したとしても、ヘーゲルはその転換を、それ以前の自分の思想と断絶するような形で転換したのではなかった。その抽象性に気づきながらも、カントの理性の自律性の思想に発する自由の観念論にあくまでこだわろうとするヘーゲルは、彼なりにその途に決着をつけるまでは、簡単にその基盤を離れるわけにはいかなかったのである。そのようなヘーゲルに一つの方向を示唆してくれたのは、カント、フィヒテの自由の観念論から、シェリングの客観的観念論(宇宙を神的力の自然的活動として把握する体系)への転換という当時進行していた哲学運動であり、ヘルダーリンであったということができる。このような状況の中で、ヘーゲルは、すでにベルン時代の末期から、徐々に、フランクフルト時代の転換を準備していたのである。
1800年に書かれた『既成宗教としてのキリスト教の性格』の序文の改稿は、フランクフルト時代におけるヘーゲルの思想的転換がいかなるものであるかを明らかにしている。この改稿は、ベルン時代の初めに、カント的立場にたって書かれたこの論稿の本論を明らかに意識して書かれているゆえに、その転換の推移がはっきりと言い表わされている。「人間の本性という普遍的概念は、限りない変様の余地を残すものである。変様は必然的なものであり、人間の本性はいまだかつて純粋な形で現れたことはなかったということ、そのような経験を引き合いに出すことは単に間に合わせではなく、厳しく検討されうることなのである。一体全体、純粋な人間の本性とは何であるのか、ということをはっきりさせれば十分なのである。このような純粋な人間の本性というような表現は普遍的概念という意味に適応させる以外に他の意味を含んではならない。けれども、生き生きとした人間の本性というものはそれについての人間の概念とはあくまで別ものである。それゆえ、概念にとって単なる変様、純然たる偶然性、余分なものであったものが、必然的なもの、生命あるもの、むしろ唯一の自然的なもの、美しいものとなるのである。」
つまり、人間の本性という普遍的概念が歴史の場においてさまざまに変様を蒙らざるをえない必然性を示すことによって、ヘーゲルは啓蒙主義的な、あるいは、カント的な思想基盤の枠内を超える視点を確実に自分のものとしたのである。それゆえ、ヘーゲルはもはや実定性の問題を考察するにあたって、ベルン時代のような本質的に非歴史的な態度をとらない。ベルン時代の初めには、実定的なもの、すなわち歴史的なものは、一般にそれが人間の本性という普遍的概念に合致するものであるかどうかという観点から測られてきた。しかし、この改稿においては、そのような意味においてであるならば、歴史上のあらゆるものがそうであったし、また既成的であらざるをえなかったという論旨に変わってきている。
「それゆえ、いまや、宗教の実定性を計るはじめにあげた尺度はまったく別な様相を帯びてくる。人間の本性という普遍的概念ではもはや十分ではないのである。・・・したがって、この論文はキリスト教の中に既成的な教義や命令があるかどうかを追究しようという意図をもつものではない。というのは、人間の本性とか神の特性とかいう普遍的概念によってこの問いに答えようとすることは余りにも空しいことである。」そこでヘーゲルにとって新たな尺度となるものは、もはや、永遠なものとしての抽象的な理性ではなく、それぞれの時代に、さまざまな変容を受けて、生き生きした全体的な連関の中にある理性、つまり歴史の中で具体的に豊かになっていく理性である。このようなものこそ、ヘーゲルがこの時代の論稿において繰り返し用いている生(Leben)という概念の意味するものである。
フランクフルトへ移住するようになって、ヘーゲルのキリスト教論の立場は実践理性の自律から、愛の合一に転換した。この転換は断片『道徳性・愛・宗教』(1797年7月以前)に認められる。彼はこの断片の前半、すなわち、「宗教、宗教を興すこと」という見出しの前の箇所では、対立物を廃棄する実践的統一が多様に対立する理論的統一に優位するというカントーフィヒテ的立場を述べ、そこから、現実的なものを乗り越える、理想への信仰としての、実践的信仰を述べていた。だが後半では一転して、実践的統一を、客体への恐れ、客体からの逃避、合一への恐れと否定的に評価し、理論的統一と実践的統一に対して第三の、主体と客体の合一としての愛を対置するようになる。「理論的総合はまったく客体的になり、主体に全く対立している。実践的活動は客体を無化し、全く主体的である。ただ愛においてのみ、ひとは客体と一つになり、客体は支配することも支配されることもない」。ここに明らかにヘルダーリンからの影響が認められる。というのはヘルダーリンは、既述のように、フィヒテの絶対的自我の概念に客体への依存の契機の欠如を認め、そして人間の二つの傾向の葛藤を、愛によって克服したからである。
ただ愛の合一は、ここでは差し当たり理論的活動と実践的活動に対置される人間の世界に対する態度の一つとして捉えられたにすぎない。しかしヘルダーリンにおいては、合一は、主客の分裂を前提とした、認識と行為の根源及び目標として位置づけられ、「存在」と呼ばれた。合一のそのような理解はヘーゲルにおいても、やがて断片『信仰と存在』(1797年12月以降)で認められるようになる。
「人間の本性それ自身の中には、我々の意識の中にある人間の行為よりもさらに高い存在があるということを承認すること、そしてその存在の完全性の直観を生命の生き生きした精神となそうということ、また、この直観にそのまま、つまり他の目的と結び付けることなく、時代とか配慮とか感情などを捧げようという要求が存在する。」
さて、ヘーゲル自身の中にその基準の根本的転回が起こるとともに、その実定性の概念もベルン時代とは大きく変わる。もはや、単に偶然的なもの、一時的なものという性格がそのものの実定性を構成するものではない。この時代のヘーゲルにとって、実定的なものとは、「偶然的な事柄が偶然的なままで、永遠なものと考えられること」を意味するようになる。つまり生き生きとした生命的連関を喪失したものが実定的なものとみなされるようになる。
フィヒテは言う。「神の理念は、我々自身のものの疎外化、すなわち主観的なものの、我々の外部にある存在者への転移に基いている。」この考えを引き継いで、ベルン時代初期のヘーゲルは、人間本性そのものの最高善への可能性をもとに、道徳性として発現する人間の主体性を批判の尺度として、既成宗教の客観性を批判することを自己の課題とした。そうした思想の内部において、たしかに彼は人間の主体性という名のもとに、心胸ー愛ー衝動という感性的契機と、カントの意味での道徳性ー定言命法ー義務のリゴリズムという理性的契機との相克に悩まないではなかったが、その両者がともに人間の主体性として把握される限りで、主体性を尺度とする批判的立場を貫徹することができたのであった。この論点は、主体性ー自律道徳に対するに客観性ー他律道徳という対立を前提として、ベルン時代後期の実定性批判の立場に引き継がれていった。すなわち、ここでもやはり、彼は人間の本性の内に道徳性ー宗教性への素質があるという前提に立っていたのである。
フランクフルト時代の初期に、彼はユダヤ教、とくにアブラハムに姿をとった人間の自己疎外を理論化した。そこでは、自己的なものが他者的なものになり、主体的なものが客体的なものになっている。しかもその客体(神)はその主体(信者)の客体(信仰対象)であっても、我々にとっては主体(疎外された人間性)であるが、信ずるものは、神を主であり主体であり、自分をその支配下にある客体として感じてもいる。当然この場面では、自己(自律性)と他者(他律性)、主体と客体、能動と受動という単純なニ元論は成立しない。それらは相互に転化する。しかもこの論理からすれば、人間が当為を自己の存在に対して超越的な、つまり規範的理念として定立すること自体、人間の自己疎外としか言いようがない。ゆえにカントの道徳律も他律的である。だとすれば、自他、主客の素朴なニ元論を前提とした実定性批判は、根本から考え直されなければならない。この時以来、彼の再三再四に亙る実定性の再定義の試みが始まる。
実定性概念と疎外概念との理論的撞着に気づくに到る経過と、その結果をはっきりと示しているのは、論稿、『道徳性・愛・宗教』(1797年7月以前)である。その書き出しにおけるヘーゲルの意図は、道徳性の概念を実定性の概念から救い出そうとするところにあったのであろう。彼はまず、これまでの自分の実定性概念を要約している。「実践的なものが理論的に存在している信仰、根源的に主体的なものがただ客体として存在している信仰、主体的なものとなりえない客体的なものの表象を生と行為の原理とする信仰、これが実定的と呼ばれる。」彼は理論的・対・実践的というカント的な対立項を用いて、「実践的活動は与えられた多様に統一を持ち込むのではなく、統一そのものなのである。理論的統一は多様なものなしでは空虚で無意味である。ただそれとの関係においてのみ考えられる」というが、本当はこうした領域の区別の問題ではないことは明らかである。今、問題なのは実践的なもの(道徳)の領域それ自体の内部での客体化(自己疎外)なのである。ヘーゲルは道徳性の概念とは何かと自問する。道徳性それ自体が客体をもつではないか、それでは道徳性は実定性なのか。いや違う、客体をもつには違いないが、「理論的な概念の客体と同じ意味で客体をもつものではない。道徳的概念の客体は常に自我だが、理論的概念の客体は非我である。」 いやまて、自我(主体)が客体として存在することは今述べた定義からすれば当然、実定的なのだ。したがって自我の客体化という枠の中で実定性(疎外)と道徳性を区別しなければならない。「道徳的概念の客体は、自我の一定の規定であるが、これは、概念となるために、認識されるために、客体となりうるために、自我に対して別の風に規定され対立させられ、自我の偶有性としてのみ見なされ、今認識している自我からは排除されている。」そして「こうした仕方で生じたのではない道徳的概念、活動なき概念が実定的概念なのである。」これは実定性の新しい定義である。主客の対立に代わって、主体が客体化される仕方に区別があるというわけである。しかしこれならばアブラハムの信仰もまた実定的ではないことになりかねない。そこで新たに「現実的なものの超出」と「客体的活動の無限者との合致」という要求に実践的信仰のありかを設けて、第三の定義として、「この超出と合致の要求が与えられているとき、信仰は実定的である。この要求が与えられるのは、ある威力的、支配的な客体(権威)によるしかない」というのである。つまり、信仰を、現実の多様を超出して無限の統一に一致しようとする主体的努力とみて、この努力が威力的な他者から課せられるところに実定性を見ようとする。これは自発的に隷属するのは隷属ではなく、命ぜられたものが自発的に服従するのは自発的ではない、と言っているようなものである。
結局は、俗に言えば、「当人の気持ち次第」とも言えようか。ヘーゲルの言葉で言うと「我々が神格の摂理に帰している道徳的目的においては、我々はその神格の、それ以外の我々に識られない本質へと反省(自己疎外)しているのではなく、ここで我々は、その活動がその限りでは自我の活動であると判断しているのである」となる。自我を信仰していると判断しながら神を信ずれば実定的ではないというのである。これは神を信じていると思いつつそこに自我の影を見出して医すことのできない苦悩にあえぐ不幸な意識の裏返しにされたものとも見える。ヘーゲルは完全に自分の行き詰まりを感じとった。新しき宗教として人間的な宗教を創始することそれ自身が、新しき疎外に終わるのではないか。少なくとも道徳宗教はかかるものではないのか。
これ以上ヘーゲルの困惑の軌跡を追う必要はあるまい。ここでヘーゲルはこれまでの主体性の擁護という立場から一転したかのごとく、客体からの遁走を極端な主観性の立場として、無限の客体への服従に対置し、主客の根源的統一の立場にたどり着くのである。「主体と客体、自由と自然とが、自然が自由であり、主体と客体とが不可分であるように合一したものと考えられるところ、そこに神的なものがある。」
実は主客の統一を原理としたところで、この問題に最終的解決が与えられるものではないことは当のヘーゲルが熟知していた。その統一そのものが、再び信ぜられたる意識内容か、客体的な所与かという問題が生じる。『道徳性・愛・宗教』のすぐ後の『信仰と存在』ではこの点を問い進めてヘーゲルはさらに困惑を深めている。この問題は、一般化して言うと、主客の統一そのものが主体的か客体的か、となる。この点を自覚的に問い深めて、真の統一を求めたのが、イエナ期における同一哲学である。しかし、ヘーゲルの思索の歩みは、この同一哲学から、さらに観念論へと進む。あたかも主客の主体的統一の立場を再び選ぶかのごとくである。青年期に見せたこのたゆたいは、さらに大きな渦を描いて行くのである。
生の概念は、ヘーゲルのフランクフルト時代において、体系全体を構成する中心的理念である。断片『愛』は、初稿(1797年)と改稿(1798年/99年)からなり、愛の概念は、初稿では分離に対立した純粋な一致を意味しているが、改稿では、分離を経て再統一するものを意味するようになる。
ヘーゲルは、『愛』の初稿の中で、愛を未発達の統一と理解して、生との関係を次のように説明している。「真の一致も、本当の愛も、生きたものにしかありえない。それは、あらゆる対立を投げ捨て、・・・引き離すことも引き離されることもないから、制限されたものではない。愛は、感情ではあるけれども、しかしそこでは、愛するものと愛されるものとは区別されないから、対立することもなければ、愛されたものが別のものと捉えられたり、対象となることもない。愛とは、生きたものの感情である。生きたものとして、愛するものは一つなのである」。愛の内では制限することもされることもないから、有限なものはありえないといえる。それは、愛するものと愛されるものとが区別されないような、純粋な感情なのである。そこからはあらゆる対立が排除されているから、愛とは、生きたものが一つであるような生き生きした感情であり、同一であるという一体感である。そうであれば、生きたものとは、制限や対立を自分の内に包みこむような全体としては理解されていない。
これに対して、『愛』の改稿の中では、愛を発展した統一と理解して、生との関連の中で次のように説明している。「愛は感情ではあるが、しかし個別のものではない。個々の感情は、生の部分にすぎず、全体ではないから、そこから、生は分裂によって多様な感情へと分散して、多様なものの全体において自分を認めることになる。愛においては、この全体は、分散した多くのものを集めたものではない。そこでは、生そのものが自らをニ重にして、統一することによって自らを見出す。生は、未発達の統一から出発して、形成過程を経て、完成した統一へと円環をたどるのである」。初稿の中では愛そのものは対立を排除していたが、改稿では、生は多様なものから切り離されることなく、多様なものの中へと溶け込んでいく。生は自らをニ重にするが、にもかかわらず、愛の中に自分を見出して自らの統一を保持するのである。
しかしヘーゲルは、すでに初稿の中でも、生が発展していく過程を、一体的な生をもつ植物から敵対的な生をもつ動物を経て、人間の生へと至る発展の過程として描いている。このような理解は、ヘルダーが『人類史の哲学の構想』(1784年ー91年)の中で語っていたことに対応している。
これに対して、『愛』の改稿では、生の発展を図式的に説明して、未発達の統一から分離を経て再統一へ至る過程と見なしている。したがってそれは、初稿とは違って、統一と分離を統合するものとして次のように表現することができる。「生の芽生えは、分散して、対立へ向かっていく。生は、発展の過程において、分離して豊かなものとなり、全てを取り戻すことになる。そこで今では、一体のもの、分離したもの、再統一したものなのである」。このように、ヘーゲルは、改稿の中では、生の過程を統一・分離・再統一として描き出している。それによって、初稿にあるような自然史的な理解は背後に退いて、単に比喩としての役割にすぎなくなっている。
また、改稿の中では、三つの段階からなる生の発展がはっきりと描かれる。生の概念は、そこでは、未発達の統一・分裂・完成した統一の三つの契機を含む全体を意味している。その限りで生は、統一と対立を統合したもの、つまり、区別を含んだ統一と見なされる。このように、有機的な構造をもつ生には、統一と多様がその本質的な契機として属している。したがって、生は、両者の統一として、対立と多様によって自らを形成し、再生産する全体と理解されるのである。
たしかにヘーゲルは、『愛』の初稿では、生のもつつながりを愛の概念によって説明して、統一を愛するものに限定している。「愛による一致は完全なものであるが、それは、愛するものにだけ生まれてくる」。しかし、そうであれば、「そこから、多様なものが対立することにもなる」。そこで、『愛』の改稿では、愛による統一が、愛するものと愛されるものとの生きた連関の中で捉え直される。「愛による一致が完全なものであるのは、分離したものが対立しているからである。一方が愛するものであり、他方が愛されるものだから、分離したもののいずれも、生の中の一部なのである」。したがって、生きた全体が統一をなしうるのは、全体が統一ある状態に止まっているからでなく、統一そのものが分離して、対立することによって、そこから自らを形成していくからなのである。生とは、統一にも対立にも止まることなく、むしろ、統一から出発して、それを否定して対立へと進み、そして再統一へと至る過程なのである。そこでまた、このような生の発展過程から、次の段階へとさらに進んで行くような、弁証法的な思考方法も生まれてくるのである。
カントによれば、法律に従うことは自らを奴隷にすることであり、道徳に従うことは自らを自由にすることだという。だが、ヘーゲルからすれば、両者はこのように区別されるものではない。たしかに、道徳が生まれつき人間に備わるものであっても、しかしそれは、感覚という特殊なものに対立しているから、道徳が普遍的なものとなって支配すると、感覚という特殊なものを抑えつけることになる。これによって、道徳は制限するものへと転化しているのである。そうであれば、法律と道徳の違いは、「法律は外から支配するが、道徳は内から支配する」という点にあることになる。ここから、ヘーゲルは、普遍と特殊を対立させるカントの道徳法則ではなく、生の中で対立を解消して統合するイエスの法の精神によって、分裂を統一へともたらそうとする。彼は、カントを手がかりにして分裂の解消を試みる。
ヘーゲルは、1798年8月10日から、カントの『人倫の形而上学』の第一部、法律論の形而上学的原理と、第二部、道徳論の形而上学的原理の抜粋を作り始め、それに詳しい註をつけていたという。まず、国家と教会の関係について言及し、カントの考えを次のように要約している。「国家と教会は互に邪魔をしてはならないし、互に関与してはならない」。そして彼は、カントが道徳的なものと感覚的なものを分けて自然に基く傾向を抑圧しているという。 生の概念が習俗と規範を支えて社会組織を形成しているのであれば、正義とはこの全体を貫く法秩序である。しかしカントは、これを道徳から区別して、道徳においては義務が同時に行為の動機でもあり、それに対して、法律とは制限の総体であり、その制限のもとで個別の意志が自由という普遍的な法則に統合されるという。このように、カントの法律論においては実定法が基準になるが、この基準そのものは、人間にとって外的で強制的なものとして現れてくる。そこでヘーゲルは、合法と道徳というカントが分離した二つの概念を、生の概念の中へと取り戻そうとする。それによって、カントが法律論の中で付随的に扱ったにすぎない国家と宗教の関係が、ヘーゲルにとっては最も重大な問題となって現れてくるのである。
すでに、啓蒙主義は、国家の権力と宗教上の信仰の分離を要求していた。国家の政策は、もはや教会に支持される必要がなかったのである。ヘーゲルも、ベルン時代には国家と教会の分離を主張してはいたが、古代のポリスを理想とした国家像と近代国家の姿をまだ区別していなかった。彼は、ヘルダーの影響のもとに、神話を通して宗教が民衆に浸透していく古代ギリシアを模範としていたのである。そしてフランクフルト時代にも、ヘルダーリンの影響のもとに、古代ギリシアのポリスを目標としている。ここでは、共同体の中での自然と自由の合一が主題となる。しかしヘーゲルは、『ドイツ憲法論』の中で複数の宗教をもつ近代国家を受け入れることによって、イエナ時代の後期に至って、国家と教会を再び結び付けることに苦心するのである。
ヘーゲルの見るところ、近代国家は所有の原理に基いているから、国家の課題は所有の権利を市民に保証することにあるといえる。しかし、このような近代国家は、古代ポリスの人倫的共同体を解体することにもなる。教会のほうでは、制度化された実定信仰を専制政治に従えようとして、神聖なものを彼岸に追い出してしまった。したがって、ヘーゲルの『カント註釈』が示しているのは、国家と教会の分離と同じように、近代における法律と人倫がもたらす問題である。このような分離を、ヘーゲルは、単に宗教上の寛容を支えるような差別化としてではなく、無条件に生の統一を分断するものとして見ているのである。
ヘーゲルは、無限なものを教会に帰属させて次のように述べている。「教会では、人間は全体的なものである。行動して組織を作る目に見える教会の目的は、人間にこの全体の感情を与えて保持することである」。まず、へーゲルは、教会の精神から国家の法律を切り離している。なぜなら、国家の法律は人間を制限されたものとして取り扱うが、教会の精神は人間を全体的なものとして受け入れるからである。これによって、教会の精神は国家の法律に反するのみならず、また、国家の精神にも反することになる。「教会の精神に従うとすると、全体としての人間は、国家の個々の法律に反するだけでなく、国家の法律がもつ精神全体に、つまり国家の法律の全体に反するのである」。したがって、国家と教会が併存するならば、教会はその全体を失わざるをえない。「全体としての人間が、特殊なものとして国家と教会へ分断されるならば、教会という全体は、単なる断片にすぎなくなるであろう」。そこでヘーゲルは、国家と教会が成立する地盤を探り、個人と全体を結びつけて、国家と教会の分裂を克服する途を究めようとするのである。
だが、所有という有限なものに基く国家の法律は、生という無限なものに引き戻される教会の方に対立して、またそれを制限している。この際、決定的な要因は、国家が人間を所有者へと局限してしまうことである。「国家が所有の原理をもつとき、教会の法は国家の法律に対立している。国家の法律は、一貫して限定された権利に関係しており、極めて不完全に人間を所有者と考えている」。所有という概念の背景には、近代市民のもつ個人主義を見ることができる。国家と教会が衝突すると、この対立は、教会の法を損なうばかりか国家の秩序が基く所有の原理をも廃棄することになる。また、国家のみに従ってもっぱら私的所有者としてふるまうならば、これはまさしく、国家の統一をも破壊することになるだろう。
では、国家と教会の分離は、どのようにして、またどこまで可能であるか。この問いに、ヘーゲルははっきりと答えている。「国家の原理が完全な全体であるならば、教会と国家が別のものであることはできない」。なるほど、ヘーゲルは、国家の権力が法的に規制された領域に制限され、教会が生きた精神を無限なものへ譲り渡している限りで、両者を区別している。とはいえ、国家と教会を同じ全体に関係づけることによって、両者を媒介するもである。「国家にとって念頭に置かれたもの、支配的なものは、教会にとっても、想像力が表現した生きたものとしてまさに同じ全体なのである」。そうであれば、全体としての人間が、国家と教会に属することによって並立する特殊なものへと分割されるならば、人間の全体は引き裂かれたものとなるであろう。
国家と教会がなんら関係なく併存しているのであれば、対立は避けられるように思われる。これは、カントが弁証論で採った方法である。だがこれも、ヘーゲルからすれば問題の解決にはなっていない。そこで、ヘーゲルは二つの領分のいずれにも優位を当てることなく、この矛盾を完全に解決しようと試みる。だが、ヘーゲルの『カント註釈』もカントの道徳論を批判するだけであり、新たな国家論を提示するまでには至っていない。そこにはなお、人間の内面を共同体へと統合していく概念が欠けているのである。対立の解消にあたっては、宗教及び政治の場面で対立関係を廃棄することではなく、むしろ、矛盾の構造を内側から解明していくことが必要になる。しかし、そのためには、自己否定を内部から生み出していくような、弁証法という矛盾の論理構造を解明する必要がある。これによって、ヘーゲルは、カントとは違って、矛盾そのものがより高い段階で完全な統一をもたらす途を求めていくのである。このためには、弁証法的な論理構造の展開が、さらに具体的な場面で考察されなければならない。
ヘーゲルは、『既成宗教としてのキリスト教の性格』の序文の改稿に先立って、ほぼ同じ視点のもとに、1798年夏ー秋ー1799年、もしくは1800年に『キリスト教の精神とその運命』を書いた。序文改稿がベルン時代の『既成宗教としてのキリスト教の性格』の改変を意図したものであるとするならば、この論稿はベルン時代の『イエスの生涯』の書き換えを意図したものであろう。
ここでヘーゲルは、パスカル流のアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神等、すなわち信仰の対象として歴史的に実在した人格神、いわゆる実定宗教の中の神と、アウグスティヌスの神、トマスの神、デカルトの神、スピノザの神、カントの神等の、何らかの認識の対象としての普遍的な神との統一を、換言すれば、信仰する神と認識する神との総合を、彼のいう精神の力によって、すなわち精霊の力によって論証しようと試みる。この場合、「神は精神すなわち精霊である。それゆえ、ヘーゲルの哲学的神学と神学的哲学とは、『ヨハネ伝』4-24(神は霊なれば拝するものは霊と真とをもって拝すべきなり)の唯一つの強力な注解以外の何ものでもない」というU・アセンドルフの解釈が認められるだろう。
ヘーゲルにおいて、信仰の対象としての神と、哲学者の神の統合は、一つの知の形式を生み出し、そこから『信と知』(1802年)におけるカント、ヤコービ、フィヒテの哲学への批判が結実する。それはカントの理性宗教、ヤコービの信仰哲学、フィヒテの理想主義を離れて、生と愛を説くキリスト教という実定宗教と結び付いた、ヘーゲル自身の立場からの、同時代の哲学に対する批判、すなわち直観と悟性、信仰と知とのニ元論という悟性的な反省哲学への批判なのである。『フィヒテとシェリングの哲学体系の差異』(1801年)や『人倫の体系』(1802年)など、友人シェリングに近い立場に身を置きながら、漸次その影響を脱して、ヘーゲル独自の思索を築き始める端緒が、ここから始まる。ゆえにヘーゲルのキリスト論の背後には、哲学と宗教、知識と信仰との対立や分裂を越えて、その和解を可能にする経験が隠されているのである。和解とは神と人との和解の実現であり、キリスト教的に言えば、罪からの救いである。あるいは真理の達成である。
このような和解の概念にたどり着くまでの、ヘーゲル自身の精神の危機が、青年時代のヘーゲルの思索を基本的に揺り動かしている。後に近代世界の完成形態として自覚されるまでに至ったヘーゲル哲学(K・レーヴィット)の、その初発の段階において示された一つの到達点が、「愛による運命との和解」である。この命題について、さらに立ち入って考察してみよう。
「ユダヤ人達の真の祖先であるアブラハムと共にこの民族の歴史は始まる。ということはアブラハムの精神が、彼の子孫のあらゆる運命を支配した統一性であり、魂だということである。この精神は、それが様々な力と戦うのに応じて、あるいはそれが暴力や誘惑に屈して、自分本来のものでない生き方を受け入れることによって自らを汚した場合、それは様々の形態をとって現れるのであるが、こういう形が運命と呼ばれるものである。」
アブラハムの精神から始まるユダヤ民族の信仰と歴史を一貫している悲劇的運命に対して、ヘーゲルは、嫌悪の情をもよおすだけという。「ユダヤ人の悲劇は、ギリシア悲劇とは違う。それは恐怖も同情も起きない。恐怖や同情は、美しい存在者に不可避な蹉跌の運命からのみ生じる」からである。ユダヤ人の運命は少しも美しくない。アブラハムの精神は、この美しいものからの、完全な離脱、家族、祖国、共同生活を築く愛の紐帯からの、さらに自然からの分離と断絶である。
「カルデアに生まれたアブラハムは、既に青年時代に父テラと共に祖国を捨て去った(『創世記』11-31)。いまやまた彼はメソポタミア平原において、自分の家族からさえも全く身を振り切って去ったのであるが(『創世記』12-1~4)、それは、全く誰にも頼らない独立不羈の男となり、自ら首長となるためであって、侮辱を受けたり、排斥されたりしたわけではなく、不当な仕打ちや残虐の後でもなお愛の欲求が残っていると心の痛みを感じたわけでもない。・・・アブラハムがそれによって一国民の父祖となったそもそもの最初の行動は、共同生活と愛との絆を、これまで生きてきた人間や自然と結んできた関係の全体を、引き裂いてしまう一つの分離である。彼は自分の青年時代のこの美しい諸関係(『ヨシュア記』24-22)を自分から突き放したのである。」
その捨て去り、離反した精神こそ、その後の生涯において衝突した異邦人たちとの交わりを通して、アブラハム自身を導いた精神である。それは人間や自然に対してどこまでも自分を厳しく対立させ、無限に敵意ある対象としてこれを支配しようとする意志である。「アブラハムは、家畜の群れを引き連れて果てしなき土地をさ迷った(『創世記』12-21)のであるが、彼には、この土地の一片さえ、耕作し美化することでそれに馴染み、慈しみ、自分の世界の部分として取り上げるということは考えもつかなかった」。
世界に存在する一切のものは、相互に心を通わせる共感の相手ではなく、絶対に疎隔し永遠に敵対し合う支配と隷属の対象である。だがこのような支配理念は、人間にとっては本質的に実現不可能であり、永遠の敵対関係が残るだけである。ここにアブラハムの精神に対して、彼の理想を無限の彼方へと投影した、絶対的超越神としてのアブラハムの神が現れてくる。
この神は「自然の中にあるいかなるものとも関わりをもつはずがない」、世界から隔絶した神である。アブラハムに代わって世界を屈服させ、世界から彼が必要とするものを彼に与えてやり、他者に対して彼を安全に守る理想である。「アブラハムが全世界に対して抱く侮蔑がこの神格の根」なのである。この神への絶対的隷属のもとに生きる限り、アブラハムは、その子イサクに対する愛や子孫の中に生きようとする希望を持つことさえも、神への従順を妨げることにならないかどうかと、不安に陥ったのである。後に、『恐怖と戦慄』の中でキルケゴールがした解釈、燔祭の犠牲としてイサクを捧げようとモリア山に登る、信仰の父アブラハムの、苦悩と悲哀の追体験の美しくも痛ましい記述とは際立った対照をなす解釈である。ヘーゲルによれば、かくしてアブラハムは、我と我が手でイサクを殺すだけの力がともかくも残されていることを僅かに実感できて、ようやくこの不安を鎮めることができたほどに、その実存は主なる神に圧倒されていたのである。しかしキルケゴールはそこに倫理を超える宗教、哲学を超える信仰を見たのである。
「最愛の息子を神の犠牲に捧げる」といったときの、その神への解釈は、キルケゴールとヘーゲルで決定的に異なる。あるいはパスカルとヘーゲルを決定的に分かつであろう。ユダヤ教こそヘーゲルによれば、ユダヤ人によってその荒れ果てた砂漠の地に投影された無限の対象物なのであり、この対象物が漂泊の民の生き残りの生活を魔術的に支配するのである。かくして、ヤーヴェはユダヤ民族の精神によって導かれる民族の運動を予見するための規則となり、この予見は宗教的想像力を通して摂理という異質的な力へと対象化されていく。
アブラハムの精神によって導かれたユダヤ民族の悲劇をヘーゲルはマクベスの運命になぞらえる。「マクベスは自然そのものから逸脱して、異様なものの存在に身を委ね、それを礼拝することによって、人間性の全てのものを踏みにじり、殺戮し、自分の神々からも、それらは単なる客体であり彼は奴隷であったから、ついに見捨てられ、自分自身の信仰にも躓いて打ち砕かれなければならなかったのである」。
この記事へのコメント