1801年「論理学と形而上学」 (2)
1801年秋に企画された「論理学と形而上学」の講義草案によると、論理学は三つの部分から構成されている。第一の部分では、反省によって有限性の諸形式が述べられる。それは本来、理性的な認識が抽象化された部分である。反省は理性的認識において相互に関係づけられているもののうち根源的な結合を見ず、それをただ一面的排他的に規定するにすぎない。その個々の規定性が有限性の諸形式であり、具体的には量、質、関係というカントのカテゴリーに他ならない。そして反省は、或る規定性を立て、それが他の規定性との対立に陥ることを見、両者を総合する。すなわち定立ー反定立ー総合という操作を行う。この反省による対立物の総合は、対立物が相互に関係づけられている理性的な認識をそれなりに模倣している。あるいは理性の努力を現わしている。その限り絶対者の反照とも言える。しかし反省がもたらす対立物の総合は、対立を根本的に除去しない形式的統一、有限的統一でしかない。そのため再び反定立と総合の操作を重ねねばならない。
第二の部分では、この反省的悟性による理性の模倣そのものが取り上げられる。それは悟性が人間精神の有機的形成に属する限りにおいて、概念、判断、推論という主観的諸形式の階梯において現れる。ここでは純粋論理学、つまり伝統的論理学の原理論が扱われ、そして最後の推論において理性的形式が暗示されていることに注意を促す。この点は就職テーゼにおいても推論(シロギスムス)がイデアリスムスの原理であると言われていた。それは推論においては判断形式では充分に示されない主語と述語との結合の必然性、つまり対立物の結合の根拠が媒語において示されると考えられるからであろう。しかし推論が通常の形式的推論である限りでは、再び悟性による理性の模倣でしかないとされる。
第三の部分では、以上の全ての有限的認識の理性による廃棄が示される。それは有限性の悟性諸形式すなわち諸カテゴリーの廃棄を示すだけでなく、推論の思弁的意味を探求し、更に学的認識の諸基礎を与える。この学的認識の諸基礎は論理学に属する限りでの理性の諸法則あるいは思弁の消極的なものと言われる。それらは通常の応用論理学すなわち論理学の方法論に属し、定義、分類、構成、証明という諸方法を扱う。
次に論理学の第三の部分から形而上学への移行が行われるが、ここでは形而上学の内容はまだ立ち入って示されていない。ただ、それは一切の哲学の原理であり、様々な哲学体系がこの同一の原理を様々な仕方で、すなわち、原理の構成諸契機のいずれかを他より優先させるという仕方で表わしていたという点が明らかにされる。具体的には、ここでへーゲルは最古の古代の哲学やカントやフィヒテの体系に言及するに留めている。また「哲学への導入」の講義草案によると、形而上学は論理学と共に理念そのものの学である。それは理念そのものの叙述を通して、理念が絶対知とどのように関係するかを解明する。その際二つの点に注意が促される。第一は、理念は極度の単純性において他の一切のものからの抽象において、その意味が述べられることである。理念の具体的な意味は、別のところで、全哲学と生そのもので与えられる。第二は、理念そのものの内容の叙述は、対立に固執する反省に陥りながらも、それを否定するという仕方で行われる。それが絶対的反省、絶対的認識であり、対立の内へと分岐するが、対立を撤回し、絶対的に廃棄する。
ここで一切の哲学の原理と言われているものは、就職テーゼで言われた理念であり、また論文『哲学的批判一般の本質及び現代哲学の状況への関係について』で言われる理性に他ならない。しかもその理性は理性の自己認識とは区別されない。確かに形而上学で扱われる理念は絶対者の理念であるが、絶対者は自己の客観性において自己を認識するというあり方をする。ちなみに後に断片『形而上学のための構成草案』(1803-04年)では、認識の理念が形而上学にとって第一のものであると言われるようになる。ともあれここで絶対知、絶対的反省、絶対的認識というのは、『差異論文』で知的直観や思弁と言われた理性の自己認識に他ならない。ただそれが、自然哲学、精神哲学、芸術・宗教・思弁において現実的内容を通して構成されるよりも前の段階で、全く抽象的な相のもとで示される。
しかもこれは哲学の理念でもある限り、その一つ一つの契機を表わしたにすぎない古代哲学やカント、フィヒテなどの哲学を通して、諸契機の全体において再構成される。このような哲学史を通した形而上学の内容の再構成という考え方は、『信仰と知』(1802年)において一部暗示された。それによると、カント哲学は全体的領域の客観的側面を、ヤコービ哲学は主観的側面を、フィヒテ哲学は両側面の総合をそれぞれ表わしている。ここから直ちに真の哲学が起こる。真の哲学はこの教養の諸々の有限性がもっている絶対性を否定しつつ、全体に服するそれらの富全体をもって同時に完成された現象として自己を表わすものである。
このような最初の論理学と形而上学の構想をへーゲルは一体いかにして獲得したのだろうか。彼は恐らく当時ドイツにおいて様々に論議された論理学と形而上学の問題に取り組み、そこから着想を得たように思われる。
まず論理学の内容と方法について、彼はとりわけブーターベックの論理学から刺激を受けたのではないかと思われる。ブーターベックは論理学を、第一に、思考一般の根本法則を扱う分析論と、第二に、概念・判断・推論における特殊な悟性規則を扱う総合論と、第三に、悟性規則の学的及び実践的適用を扱う教授法とに区分していた。へーゲルの上の論理学における三つの構成部分は、ほぼこのブーターベックの区分に依拠したと思われる。確かにへーゲルはブーターベックの論理学への書評において、蓋然的に哲学することや哲学の心理学的導入やカント的意識の焼き直しなどという点を批判していた。しかし同時に、1801年8月26日のメーメルへの手紙においてブーターベックの懐疑的方法を積極的に評価していた点が注目される。それは、ブーターベックが概念の論理的連関について包摂関係よりも並列関係を重視した点に関わる。それによると、諸概念を類と種の包摂関係で捉えたとしても、類概念そのものを論証することは(論証は一層高い概念を前提とするので)不可能である。むしろ一切の概念の論理的連関は肯定的意味と否定的意味との並行関係に基く。この並行関係においては、諸概念を選言命題の分肢にするような連関が示されるが、そこでは対立する諸概念が互に排除し合う。それゆえ、この形式では真理は専ら懐疑的に示されるしかない。これは、へーゲルが絶対者を一つの根本命題で表わすのではなく、二つの対立する命題ないし概念の二律背反で示そうとしたのと、軌を一にしていると思われる。それと同時にこの点に関してへーゲルはフィヒテの弁証法からも影響を受けたろう。概念の定立ー反定立ー総合という展開は文字通り、フィヒテの知識学における定立ー反定立(分析的方法)-総合(総合的方法)に則ったものと思う。
形而上学を含む哲学体系全体の理念は、既述のようにシェリングの理性の自己認識の原理に基くであろうが、形而上学そのものについては、内容がまだ詳しく示されていないので、その背景は必ずしも明らかではない。ただし哲学史を通して哲学の理念を構成するという部分は、恐らくシェリングから示唆されたものと思われる。シェリングは当初プラトンの神話をカント哲学によって解釈したが、後にも神話や自然科学や過去の哲学の内に自己の哲学的立場の部分的表現を読み込んでいた。例えば『自然哲学の理念』では、観念的なものと実在的なものとの同一性という原理が、スピノザ、ライプニッツのみならず自然信仰の内に、種々の仕方でであるが、共通に認められた。そこからへーゲルも理念すなわち有限者と無限者との総合という唯一にして同一の原理が種々の哲学において様々な仕方で認められると考えたのではないかと思われる。
最後に論理学と形而上学との関係について言うと、へーゲルは、上のように両者を全く別の科目とみなさず、論理学が実質的に形而上学の一部を先取りしており、論理学によって模倣された内容が形而上学によって完全に示される、その意味で論理学が形而上学によって根拠づけられると考えた。この点は、カント以後様々に論じられた論理学の形而上学による根拠づけの論議を背景としている。その点を少し振り返ってみよう。
まずカントが初めて一般論理学に超越論的論理学を対置した。一般論理学は形式的で、対象との関係を欠くのに対して、超越論的論理学(これは超越論哲学と呼ばれる形而上学に属する)は認識対象の存在と内容を解明する一種の存在論であり、それによりカテゴリーが実在性をもつことを明らかにする。このカントの存在論を一般化しようとしたラインホルトは、既述のように、矛盾律の実在的根拠を意識の事実の内に認めた。フィヒテにおいても論理学の原則は知識学の内容から抽象によって生じ、それゆえ全論理学は知識学から論証されねばならないとされた。ただしこの論理学の形而上学的根拠づけは循環の内で行われた。論理学の原則を暫定的に認めつつ、その予めの適用の結果、再び同じものが知識学の行程の内で見出される。このようにラインホルトもフィヒテも論理学の思考法則には実在的根拠が欠けており、それを根元哲学ないし形而上学によって後から補うと考えたが、ブーターベックもそのような考え方で論理学と形而上学とを関連づけた。彼によれば、まず上の論理学の第三の部分でもって論理学は根元哲学へと消失する。次に、根元哲学は論理的思考などの表象にはその根拠が欠けていることを指摘し、この根拠を主観と客観との根源的対立という実在的原理に求めた。つまり論理学が前提としていた客観は、この実在的原理によって与えられるはずだと考えられた。
これに対してバルディリは、形式論理学に実在的根拠を与える学そのものを、もはや形而上学とか根元哲学とか呼ばずに、新たに論理学と呼ぶようになる。つまりそれは、論理学の内容を単に主観的な思考形式とはみなさない、という論理学観の根本的変更に基いている。この新たな形而上学的論理学の原理は、同一なものの、同一なものによる、同一なものにおける、同一なものとしての反復可能性という形式で、私の思考以外の何ものをも思考しない思考、思考としての思考である。この思考としての思考つまり自己の思考という原理が素材に適用されることによって、客観が生じる。この客観においてまさに概念、判断、推論や量、質、関係、様相という、従来の論理学の内容やカテゴリーが成立するとされる。かくて一般論理学や物の認識はその実在的根拠を、思考としての思考という形而上学的論理学の原理によって与えられることになる。その際、根拠づけられる学と根拠の学とは、フィヒテの場合と同様に、循環関係にある。すなわち、一般論理学や物の認識が暫定的に前提され、しかる後、それが、そこで告知されるところの根源的に真なるものとしての思考としての思考によって、可能であることが明らかにされる。
へーゲルはこれらの種々の論理学の哲学的根拠づけに対していかに対応したのだろうか。まず、ラインホルトからバルディリまでに共通の考え方、すなわち暫定的な知としての論理学がその実在的根拠を形而上学的な学によって与えられるという考え方を、へーゲルは基本的に受け入れたと思われる。確かに彼は『差異論文』でラインホルト(バルディリの合理的実在論に与するラインホルト)の場合のような、先行する蓋然的仮説的な論理学によって哲学が根拠づけられるという考え方を批判した。というのは、へーゲルは、シェリングと同様に、哲学が助走を要せず、自己を自ら根拠づけること、自己と認識の実在性を形式及び内容に関して自己自身の内で根拠づけることを認めていたからである。しかしへーゲルはシェリングと異なって、哲学への助走や前提を全く退けたわけでもない。彼は自己自身から始まる哲学のために一種の前提が造られるべきだとすると・・・という可能性を認めていた。あるいは、助走を哲学の普遍的欲求の一面として、つまり哲学のいわば消極的側面として容認していた。それゆえに、上のように1801年秋の講義草稿で、反省の立場で有限者から出発する論理学を本来の論理学、形而上学への導入として企てることになったと思われる。その論理学の内容は理性的な認識の一面を捨象したものであり、理性の模倣を意味していたのであれば、まさに暫定的な知としての論理学が形而上学によって根拠づけられようとしていたと思われる。
その際、論理学の実在的根拠はもはやラインホルトの意識、フィヒテの自我の行為、ブーターベックの主観と客観との根源的対立には求められない。というのはそれら自身反省によって切り取られた絶対者の一部でしかないと考えられるからである。またバルディリの思考としての思考にも求められない。それは素材という思考とは別な原理を前提しており、それゆえ主観的なものに他ならないからである。あるいはむしろ、へーゲルはバルディリの思考としての思考の原理を継承し、そこに含まれている主観と客観との同一性を徹底すべきであると考えた。つまり論理学の実在的根拠は絶対者における自己の思考、すなわち理性の自己認識に求められよう。
しかし、そうだとすると、なぜにへーゲルは、シェリングとは異なって、絶対者の自己認識の内でなお人間の反省の先行性を認めたのだろうか。それは、結局、かのフランクフルト時代の根源的洞察に基くと思われる。そこでは、一方で人間は根源的に自然の一部であり、秘かに自然から作用を受けながら、人間の立場が相対的に独立にあり、むしろ人間の自己否定を通して自然が開示されることが認められた。それと同様に、論理学において人間的反省は既に絶対者の立場を秘かに前提しながらも、差し当たり自己自身の営みを展開し、反省の自己否定を経て、絶対者の自己認識の立場が形而上学で示される。これに反して、シェリングの絶対者の立場では人間の立場(フィヒテ的自我)は捨象されていた。へーゲルは人間の立場を含む彼自身の絶対者(自然)の理解に基いて、シェリングの絶対者の立場を受け入れようとしたために、人間の反省による導入の必要性を認め得たと思われる。
へーゲルがイエナ時代に構想した体系は、歴史的に見て行くと、次のような三つの段階を経て発展している。第一に、1801年から1803年までに執筆されたもの、例えば『差異論文』、『自然法論文』、『人倫の体系』及び『イエナ体系草稿1』(1803/04年の自然哲学と精神哲学の講義草稿)である。第二に、『イエナ体系草稿2』(1804/05年の論理学・形而上学・自然哲学の講義草稿)である。そして第三に、『イエナ体系草稿3』(1805/06年の自然哲学と精神哲学の講義草稿)、及び「学問の体系」の一部をなす『精神の現象学』である。
内容から見ていくと、イエナ時代における最初の体系は、次のような四つの部門に分けられている。第一に、客観的な実在哲学としての自然哲学であり、第二に、主観的な実在哲学としての精神哲学であり、そして第三に、主観と客観の統一としての無差別の哲学、つまり、絶対的なものの哲学である。さらに第四に、哲学への導入として悟性の有限な規定を克服する論理学と、絶対的なものの概念を展開して叙述する形而上学とである。たしかに、このような四部門からなる哲学体系の枠組みは、シェリングの同一哲学の体系に従っているともいえる。しかしへーゲルは、すでに1802/03年の『自然法論文』において、体系の枠組みを大きく変更し始めており、『差異論文』にあるような同一哲学の図式から離れていく。そして、体系の基本構想は、論理学・形而上学、自然哲学、精神哲学という三部門へと移っていくのである。
このような発展の過程は、ヘーゲルの講義予告によっても確認することができる。それによると、体系の全体は、まず初めに、論理学と形而上学、自然哲学、精神哲学、宗教哲学と芸術哲学というように四つの部門に分けられていた。そして後には、体系を構成する基本の数が、思弁哲学、自然哲学、精神哲学というように、三つに変わっていく。しかしまた、他方では、論理学と形而上学を含む思弁哲学と、自然哲学と精神哲学を含む実在哲学という二分割も残っている。
さらに、内容上の区分に従うならば、ヘーゲルは、イエナ大学での最初の講義を次の二つの領域に集中していたといえる。
まず、第一の領域は論理学と形而上学である。へーゲルの体系構想の中では、イエナ時代の初めから論理学と形而上学が中心的な位置を占めている。両者は、後にも、純粋な理念を扱う「思弁哲学」として、体系の中で最も重要な地位を保ち続けている。イエナ時代の初めの体系構想では、有限なものを対象とする論理学は、同一性の原理を確立するために思弁への導入、すなわち、思弁の立場への上昇とみなされている。それに対して、無限なものを対象とする形而上学は、思弁それ自体として理解されている。この区分によれば、論理学は、悟性によって有限なものを反省し、それを制限することになる。更にそこから、反省作用が有限なものを破壊して、それを克服することになる。これに引き続いて、形而上学は、理性に基いて、無限なもの、すなわち、絶対的なものを思弁の原理として設定する。このためにも、論理学と形而上学が共に必要とされるのである。
そして、第二の領域は自然法である。政治と宗教に関わるフランクフルト時代までの実践哲学についての研究は、自然法という第二の領域へと集約されていく。そこでは、自然の概念が、自然そのものについてだけではなく、人間及び社会全ての基礎をなしている。へーゲルが、このような自然概念から、習俗規範に基く人倫的な社会という概念を組立て、精神の哲学を形成していくのである。ここで、精神の概念が目的論的な過程を経て自分へと媒介され、この媒介の過程において実体が主体となり、絶対的なものの自己関係が表明されることになる。つまり、絶対的なものは、実体が外へ現れ出ることによって目的としての自己を実現するのである。これと共に、『精神の現象学』という体系への導入部が体系そのものの叙述に先行することになり、「学問の体系」という構想も生まれてくる。
さて、へーゲルは、イエナ時代の初めに『差異論文』(1801年)を執筆して、『哲学批判雑誌』(1802/03年)にいくつかの論文を載せている。この中で、彼は、有限なものに留まる悟性の「反省哲学」を批判するのみならず、より高い段階に照準を合わせて、無限なものへと高まる「理性の体系」を目指している。それと並んで、1801/02年の冬学期から1802/03年の冬学期に至る講義の中で、彼は、主に論理学と形而上学を取り上げている。これは、1801/02年の冬学期の講義、『哲学入門』及び『論理学と形而上学』からも分かるように、絶対的なものを理性的に認識するような「絶対的な形而上学」を構築しようとするものである。
さて、へーゲルは、思弁哲学への導入とみなしていた「論理学と形而上学」の講義を、1801/02年の冬学期、1802年の夏学期、1802/03年の冬学期に、三度に亙って連続して予告している。ローゼンクランツの伝えるへーゲルの「論理学と形而上学」の講義は、講義草稿の断片からすると夏学期ではなく、冬学期に行われたものと思われる。また、へーゲルの自筆草稿とは別に、1801/02年の冬学期の講義を聴講していたイグナツ・パウル・ヴィタル・トロクスラーという学生の筆記録も伝えられている。更に、内容から見ると、講義草稿の断片にある体系のスケッチは、『差異論文』(1801年)の中の体系構想と一致している。これらのことから、伝えられているへーゲルの「論理学と形而上学」の講義は、1801/02年の冬学期の「論理学と形而上学」の講義草稿に当たると思われる。
「論理学と形而上学」の講義草稿において、へーゲルはまず、人間の内面世界と現実の外的世界との関連を取り上げている。それによれば、外的な世界は、自らの統一を認識することもなく調和を意識することもあり得ないのに対して、人間の内面世界は、例えば「哲学者の精神」は、理性が自己を映し出すように調和を認識することが出来るという。つまり哲学は、現実の世界にある対立を内面の世界へ取り込んで解消し、調和と統一をもたらすのである。これによってまた、外的な世界は内的な世界へと媒介されるのである。このようにしてへーゲルは、外的な対立を内面化して統一し、更に、この統一を自覚へともたらそうとする。そしてこれによって、内的な結合に基く世界は生まれてくることになる。
ここからへーゲルは、具体的な例を挙げて、新たな統一が現実の世界へと生み出されていく過程を描いている。まず、新しい社会が古い社会に取って代わる移行の時期を「哲学の時代」と定めて、このときに、新たな規範が民族の精神となって新しい時代の民族に浸透していくのだという。そして、社会が進展する中で偉大な人物が登場して、向かうべき理想の段階を捉えていく。偉大な精神の持ち主とは、全体を知り、あらゆる制限から自らを解き放ち、過去のあらゆるものを一掃していくものである。このような偉大な人物は、例えば、アレクサンドロス大王がアリストテレスの「哲学の学校」から世界制覇へと向かったように、世界精神の古い形態と戦って、これを打ち破って新しい人倫の世界を形成していくのである。また、これによって「神の新たな啓示」をもたらし、民衆の信頼を集めて、その運命を担うことになる。
これに引き続いてへーゲルは、有限なものから出発する哲学の一般的な性格を考察している。当時の哲学講義は、主に「論理学と形而上学」という科目からなっていたが、彼がこの科目を取り上げるのは、古くからの権威に従うからではなく、むしろそこに教育的な効果を認めるからである。つまり、教育的な配慮から、哲学の講義を論理学という有限なものから始めて、それを否定して、形而上学という無限なものへと移っていくのである。へーゲルは、一方では、論理学を有限なものの認識と定義して、それを限界づけ、そして他方では、形而上学を無限なものの認識とみなして、そこへと認識の段階を高めていく。したがって、論理学は、無限なものの認識には達しないとしても、しかしそれは、有限なものの叙述とそれの克服によって、無限なものの認識という本来の哲学を既に準備しているのである。
へーゲルの理解に従えば、哲学とは「真理についての学問」であり、それは「無限なものの認識」あるいは、「絶対的なものの認識」を対象としている。彼は、この無限な認識を「思弁」とみなし、それに対して、有限な認識を「反省」と呼んでいる。ここでは、思弁と反省は互に対立しているが、しかし、両者は対立しているだけではない。無限な認識の中で関係づけられたものも、その統一を捨象することによって有限な認識になることができる。逆に、有限な認識として現れてきたものも、有限な形式が思弁の中で互に関係づけられることによって有限性を克服することができる。反省の立場からすれば、有限な形式は対立においてのみ認識されるのであるが、それに反して、思弁の立場からすれば、対立する有限な形式が同一のものとして立てられ、その有限性が解消されて、これによって初めて対立は克服されるのである。こうしてへーゲルは、論理学の中で、有限な形式を「思弁的な思考」の形式として把握するにいたる。
たとえ、主観的なものである「思考の主体」が、客観的なものである「思考の内容」を全て捨象しているとしても、しかしここでは、思弁の主観的な形式である悟性はその客観的な内容である理性へと媒介されることになる。つまり、これには、理性が悟性を駆り立てて有限な思考能力である反省を統一へと差し向けている、ということが暗に意味されている。逆にいえば、悟性によってもたらされた統一は、有限なものの対立に基いて単に形式的な統一をなすにすぎないから、悟性は、有限なものの内にありながらも理性を手本として、悟性のもつ諸形式を統一へもたらそうとしているのである。
このようにへーゲルは、論理学のもつ一般的な性格を説明した後に、論理学の対象を三つの段階に分けて詳しく考察している。
まず第一に、論理学は「有限なものの形式を提示する」ことから出発する。哲学が有限なものを対象として取り扱う論理学から始めるように、論理学もまた有限なものを認識する悟性から出発しなければならない。認識を構成する多数の要素は理性から生まれたものではあるが、しかし悟性は、理性のような総合の能力を持ち得ないのであるから多数の要素を集約することはできない。むしろ論理学は、「有限なものの一般的な形式あるいは法則」を対象として、これを叙述するのである。その際、有限なものの一般的な形式あるいは法則として、有限な悟性規定であるカテゴリーが考えられている。しかし、それは、単に有限なものの主観的な形式としてではなく、客観的な形式としても問題となり得るし、むしろ、理性から生まれてきたものとしては、「絶対的なものの反映」として捉えられなければならないのである。
そこで第二に、論理学は、「悟性の努力を叙述する」ことへ向かう。悟性は単に形式的な統一を生み出すにすぎなかったが、だがこのような統一を生み出すためにも、悟性は理性を模倣して、それを描き出す必要がある。へーゲルは、悟性の課題を、理性に倣って表現することとみなしている。悟性の認識は理性による無限な認識の単なる抽象にすぎないが、悟性は、理性の「原像」を「写し取る」ためにも、手本である理性を模範として常に目の前に掲げていなければならないのである。このような条件のもとで、論理学は、「有限なものの主観的な形式」、つまり、「限定された思考としての悟性」を考察するのである。ここでへーゲルは、悟性の形式が「概念・判断・推理」という段階を経て発展する過程を追っている。推理それ自身は、単に形式的な連関を表わすものである限りまだ悟性に属しているといえるが、しかしそれは「理性を模倣するもの」であるから、理性的な思考を指し示しているのである。
ここから第三に、論理学は、理性によって悟性の形式そのものを克服することに向かう。これはまた、認識の有限な形式の内に含まれている思弁の意義を、理性に対して明らかにすることである。ここで、理性の認識が否定的な認識として現れて来るのは、理性に固有な法則が論理学に留まる限り、それが思弁を否定するものとして登場してくるからである。だからこそ論理学は、否定的なものとして、哲学への導入という役割を果たすことができるのである。それというのも、論理学は、思弁の形式を完全に認識するために、それを先取りして、思弁の形式を有限なものに固定することもなく、また、反省が思弁を妨げることもないように、むしろ思弁に対して「絶対的なものの像」を掲げているのである。このようにしてへーゲルは、論理学の末尾に向けて、悟性のもつ有限な認識を理性の無限な認識へと導いていくのである。そして、この媒介において、理性による有限な認識の克服が示されることになる。
論理学の第三部は、本来の意味での形而上学への導入をなしている。ここでは、推理が思弁の意義をもつことによって、悟性の有限な形式を克服して、学問的な認識の基礎を形成するにいたる。その限りで、論理学の課題は、推理のもつ意義を理性との関連の中で明らかにして無限な認識の基礎を築くことにあるといえる。これは、理性の無限な認識と悟性の有限な認識を結合するものであるが、悟性には理性の否定的な作用として現れてくるのである。これに対して、理性の積極的側面とは、有限なものを無限なものと結びつけて、そのことによって、無限なものそのものを捉えることである。したがって、形而上学の課題は、論理学とは違って、有限なものと無限なものとの関係の中で無限なものを認識することにあるといえる。論理学と形而上学、有限なものと無限なものとの関連を、へーゲルは、1802年の夏学期の講義予告の中で、「論理学と形而上学、すなわち、反省の体系と理性の体系」というように、端的に表現している。
反省が有限なものの認識として理性に先行するのに応じて、有限な認識には、哲学の中でそれに相応しい位置が与えられる。無限なものへ至る過程からもう一度振り返ってみると、論理学の機能とは、反省が理性によって完全に排除されるのではないとしても、反省による制限を完全に破壊することにあるといえる。論理学は無限なものを目指しており、決してそこに達しているわけではないが、すでにそれを目標として掲げることによって哲学への導入としての位置を保っている。したがってそれは、一方では、形而上学とは区別された思弁への体系的な導入であり、他方では、無限なものの体系における開示として形而上学に内在して、それを構成する一部分であるといえる。反省の形式という悟性による制限を免れるためにも、へーゲルは、有限性と無限性を結びつけて、理性概念による統一を構想しているのである。これによって論理学は、「学問そのもの」である形而上学において自らの必然性を獲得することになる。
ここでへーゲルは、哲学がその「最高の原理」に達して、そこでは、あらゆる時代の哲学が「同一のもの」となって現れてくるという。この意味で彼は、一方では、有限な悟性の立場に留まる近代の「没哲学」を厳しく批判しながらも、しかし他方では、「最古のもの」との一致を確信して、「あるべき哲学の体系」を構築しようとしているのである。へーゲルは、講義草稿の結びで「懐疑主義という亡霊」を批判して、カント及びフィヒテの哲学体系を叙述する、と告げている。これは後に、『懐疑主義論文』(1802年)及び『信仰と知』(1802年)の中で実行されることになる。更にへーゲルは、体系構築の課題を、『哲学批判雑誌』(1802/03年)の中で反省哲学への批判として追求していくばかりか、またそれと同時に、『ドイツ憲法論』(1801-03年)の中では、国家の統一とそれを支える実体の喪失という問題としても主題化していくのである。
第二の部分では、この反省的悟性による理性の模倣そのものが取り上げられる。それは悟性が人間精神の有機的形成に属する限りにおいて、概念、判断、推論という主観的諸形式の階梯において現れる。ここでは純粋論理学、つまり伝統的論理学の原理論が扱われ、そして最後の推論において理性的形式が暗示されていることに注意を促す。この点は就職テーゼにおいても推論(シロギスムス)がイデアリスムスの原理であると言われていた。それは推論においては判断形式では充分に示されない主語と述語との結合の必然性、つまり対立物の結合の根拠が媒語において示されると考えられるからであろう。しかし推論が通常の形式的推論である限りでは、再び悟性による理性の模倣でしかないとされる。
第三の部分では、以上の全ての有限的認識の理性による廃棄が示される。それは有限性の悟性諸形式すなわち諸カテゴリーの廃棄を示すだけでなく、推論の思弁的意味を探求し、更に学的認識の諸基礎を与える。この学的認識の諸基礎は論理学に属する限りでの理性の諸法則あるいは思弁の消極的なものと言われる。それらは通常の応用論理学すなわち論理学の方法論に属し、定義、分類、構成、証明という諸方法を扱う。
次に論理学の第三の部分から形而上学への移行が行われるが、ここでは形而上学の内容はまだ立ち入って示されていない。ただ、それは一切の哲学の原理であり、様々な哲学体系がこの同一の原理を様々な仕方で、すなわち、原理の構成諸契機のいずれかを他より優先させるという仕方で表わしていたという点が明らかにされる。具体的には、ここでへーゲルは最古の古代の哲学やカントやフィヒテの体系に言及するに留めている。また「哲学への導入」の講義草案によると、形而上学は論理学と共に理念そのものの学である。それは理念そのものの叙述を通して、理念が絶対知とどのように関係するかを解明する。その際二つの点に注意が促される。第一は、理念は極度の単純性において他の一切のものからの抽象において、その意味が述べられることである。理念の具体的な意味は、別のところで、全哲学と生そのもので与えられる。第二は、理念そのものの内容の叙述は、対立に固執する反省に陥りながらも、それを否定するという仕方で行われる。それが絶対的反省、絶対的認識であり、対立の内へと分岐するが、対立を撤回し、絶対的に廃棄する。
ここで一切の哲学の原理と言われているものは、就職テーゼで言われた理念であり、また論文『哲学的批判一般の本質及び現代哲学の状況への関係について』で言われる理性に他ならない。しかもその理性は理性の自己認識とは区別されない。確かに形而上学で扱われる理念は絶対者の理念であるが、絶対者は自己の客観性において自己を認識するというあり方をする。ちなみに後に断片『形而上学のための構成草案』(1803-04年)では、認識の理念が形而上学にとって第一のものであると言われるようになる。ともあれここで絶対知、絶対的反省、絶対的認識というのは、『差異論文』で知的直観や思弁と言われた理性の自己認識に他ならない。ただそれが、自然哲学、精神哲学、芸術・宗教・思弁において現実的内容を通して構成されるよりも前の段階で、全く抽象的な相のもとで示される。
しかもこれは哲学の理念でもある限り、その一つ一つの契機を表わしたにすぎない古代哲学やカント、フィヒテなどの哲学を通して、諸契機の全体において再構成される。このような哲学史を通した形而上学の内容の再構成という考え方は、『信仰と知』(1802年)において一部暗示された。それによると、カント哲学は全体的領域の客観的側面を、ヤコービ哲学は主観的側面を、フィヒテ哲学は両側面の総合をそれぞれ表わしている。ここから直ちに真の哲学が起こる。真の哲学はこの教養の諸々の有限性がもっている絶対性を否定しつつ、全体に服するそれらの富全体をもって同時に完成された現象として自己を表わすものである。
このような最初の論理学と形而上学の構想をへーゲルは一体いかにして獲得したのだろうか。彼は恐らく当時ドイツにおいて様々に論議された論理学と形而上学の問題に取り組み、そこから着想を得たように思われる。
まず論理学の内容と方法について、彼はとりわけブーターベックの論理学から刺激を受けたのではないかと思われる。ブーターベックは論理学を、第一に、思考一般の根本法則を扱う分析論と、第二に、概念・判断・推論における特殊な悟性規則を扱う総合論と、第三に、悟性規則の学的及び実践的適用を扱う教授法とに区分していた。へーゲルの上の論理学における三つの構成部分は、ほぼこのブーターベックの区分に依拠したと思われる。確かにへーゲルはブーターベックの論理学への書評において、蓋然的に哲学することや哲学の心理学的導入やカント的意識の焼き直しなどという点を批判していた。しかし同時に、1801年8月26日のメーメルへの手紙においてブーターベックの懐疑的方法を積極的に評価していた点が注目される。それは、ブーターベックが概念の論理的連関について包摂関係よりも並列関係を重視した点に関わる。それによると、諸概念を類と種の包摂関係で捉えたとしても、類概念そのものを論証することは(論証は一層高い概念を前提とするので)不可能である。むしろ一切の概念の論理的連関は肯定的意味と否定的意味との並行関係に基く。この並行関係においては、諸概念を選言命題の分肢にするような連関が示されるが、そこでは対立する諸概念が互に排除し合う。それゆえ、この形式では真理は専ら懐疑的に示されるしかない。これは、へーゲルが絶対者を一つの根本命題で表わすのではなく、二つの対立する命題ないし概念の二律背反で示そうとしたのと、軌を一にしていると思われる。それと同時にこの点に関してへーゲルはフィヒテの弁証法からも影響を受けたろう。概念の定立ー反定立ー総合という展開は文字通り、フィヒテの知識学における定立ー反定立(分析的方法)-総合(総合的方法)に則ったものと思う。
形而上学を含む哲学体系全体の理念は、既述のようにシェリングの理性の自己認識の原理に基くであろうが、形而上学そのものについては、内容がまだ詳しく示されていないので、その背景は必ずしも明らかではない。ただし哲学史を通して哲学の理念を構成するという部分は、恐らくシェリングから示唆されたものと思われる。シェリングは当初プラトンの神話をカント哲学によって解釈したが、後にも神話や自然科学や過去の哲学の内に自己の哲学的立場の部分的表現を読み込んでいた。例えば『自然哲学の理念』では、観念的なものと実在的なものとの同一性という原理が、スピノザ、ライプニッツのみならず自然信仰の内に、種々の仕方でであるが、共通に認められた。そこからへーゲルも理念すなわち有限者と無限者との総合という唯一にして同一の原理が種々の哲学において様々な仕方で認められると考えたのではないかと思われる。
最後に論理学と形而上学との関係について言うと、へーゲルは、上のように両者を全く別の科目とみなさず、論理学が実質的に形而上学の一部を先取りしており、論理学によって模倣された内容が形而上学によって完全に示される、その意味で論理学が形而上学によって根拠づけられると考えた。この点は、カント以後様々に論じられた論理学の形而上学による根拠づけの論議を背景としている。その点を少し振り返ってみよう。
まずカントが初めて一般論理学に超越論的論理学を対置した。一般論理学は形式的で、対象との関係を欠くのに対して、超越論的論理学(これは超越論哲学と呼ばれる形而上学に属する)は認識対象の存在と内容を解明する一種の存在論であり、それによりカテゴリーが実在性をもつことを明らかにする。このカントの存在論を一般化しようとしたラインホルトは、既述のように、矛盾律の実在的根拠を意識の事実の内に認めた。フィヒテにおいても論理学の原則は知識学の内容から抽象によって生じ、それゆえ全論理学は知識学から論証されねばならないとされた。ただしこの論理学の形而上学的根拠づけは循環の内で行われた。論理学の原則を暫定的に認めつつ、その予めの適用の結果、再び同じものが知識学の行程の内で見出される。このようにラインホルトもフィヒテも論理学の思考法則には実在的根拠が欠けており、それを根元哲学ないし形而上学によって後から補うと考えたが、ブーターベックもそのような考え方で論理学と形而上学とを関連づけた。彼によれば、まず上の論理学の第三の部分でもって論理学は根元哲学へと消失する。次に、根元哲学は論理的思考などの表象にはその根拠が欠けていることを指摘し、この根拠を主観と客観との根源的対立という実在的原理に求めた。つまり論理学が前提としていた客観は、この実在的原理によって与えられるはずだと考えられた。
これに対してバルディリは、形式論理学に実在的根拠を与える学そのものを、もはや形而上学とか根元哲学とか呼ばずに、新たに論理学と呼ぶようになる。つまりそれは、論理学の内容を単に主観的な思考形式とはみなさない、という論理学観の根本的変更に基いている。この新たな形而上学的論理学の原理は、同一なものの、同一なものによる、同一なものにおける、同一なものとしての反復可能性という形式で、私の思考以外の何ものをも思考しない思考、思考としての思考である。この思考としての思考つまり自己の思考という原理が素材に適用されることによって、客観が生じる。この客観においてまさに概念、判断、推論や量、質、関係、様相という、従来の論理学の内容やカテゴリーが成立するとされる。かくて一般論理学や物の認識はその実在的根拠を、思考としての思考という形而上学的論理学の原理によって与えられることになる。その際、根拠づけられる学と根拠の学とは、フィヒテの場合と同様に、循環関係にある。すなわち、一般論理学や物の認識が暫定的に前提され、しかる後、それが、そこで告知されるところの根源的に真なるものとしての思考としての思考によって、可能であることが明らかにされる。
へーゲルはこれらの種々の論理学の哲学的根拠づけに対していかに対応したのだろうか。まず、ラインホルトからバルディリまでに共通の考え方、すなわち暫定的な知としての論理学がその実在的根拠を形而上学的な学によって与えられるという考え方を、へーゲルは基本的に受け入れたと思われる。確かに彼は『差異論文』でラインホルト(バルディリの合理的実在論に与するラインホルト)の場合のような、先行する蓋然的仮説的な論理学によって哲学が根拠づけられるという考え方を批判した。というのは、へーゲルは、シェリングと同様に、哲学が助走を要せず、自己を自ら根拠づけること、自己と認識の実在性を形式及び内容に関して自己自身の内で根拠づけることを認めていたからである。しかしへーゲルはシェリングと異なって、哲学への助走や前提を全く退けたわけでもない。彼は自己自身から始まる哲学のために一種の前提が造られるべきだとすると・・・という可能性を認めていた。あるいは、助走を哲学の普遍的欲求の一面として、つまり哲学のいわば消極的側面として容認していた。それゆえに、上のように1801年秋の講義草稿で、反省の立場で有限者から出発する論理学を本来の論理学、形而上学への導入として企てることになったと思われる。その論理学の内容は理性的な認識の一面を捨象したものであり、理性の模倣を意味していたのであれば、まさに暫定的な知としての論理学が形而上学によって根拠づけられようとしていたと思われる。
その際、論理学の実在的根拠はもはやラインホルトの意識、フィヒテの自我の行為、ブーターベックの主観と客観との根源的対立には求められない。というのはそれら自身反省によって切り取られた絶対者の一部でしかないと考えられるからである。またバルディリの思考としての思考にも求められない。それは素材という思考とは別な原理を前提しており、それゆえ主観的なものに他ならないからである。あるいはむしろ、へーゲルはバルディリの思考としての思考の原理を継承し、そこに含まれている主観と客観との同一性を徹底すべきであると考えた。つまり論理学の実在的根拠は絶対者における自己の思考、すなわち理性の自己認識に求められよう。
しかし、そうだとすると、なぜにへーゲルは、シェリングとは異なって、絶対者の自己認識の内でなお人間の反省の先行性を認めたのだろうか。それは、結局、かのフランクフルト時代の根源的洞察に基くと思われる。そこでは、一方で人間は根源的に自然の一部であり、秘かに自然から作用を受けながら、人間の立場が相対的に独立にあり、むしろ人間の自己否定を通して自然が開示されることが認められた。それと同様に、論理学において人間的反省は既に絶対者の立場を秘かに前提しながらも、差し当たり自己自身の営みを展開し、反省の自己否定を経て、絶対者の自己認識の立場が形而上学で示される。これに反して、シェリングの絶対者の立場では人間の立場(フィヒテ的自我)は捨象されていた。へーゲルは人間の立場を含む彼自身の絶対者(自然)の理解に基いて、シェリングの絶対者の立場を受け入れようとしたために、人間の反省による導入の必要性を認め得たと思われる。
へーゲルがイエナ時代に構想した体系は、歴史的に見て行くと、次のような三つの段階を経て発展している。第一に、1801年から1803年までに執筆されたもの、例えば『差異論文』、『自然法論文』、『人倫の体系』及び『イエナ体系草稿1』(1803/04年の自然哲学と精神哲学の講義草稿)である。第二に、『イエナ体系草稿2』(1804/05年の論理学・形而上学・自然哲学の講義草稿)である。そして第三に、『イエナ体系草稿3』(1805/06年の自然哲学と精神哲学の講義草稿)、及び「学問の体系」の一部をなす『精神の現象学』である。
内容から見ていくと、イエナ時代における最初の体系は、次のような四つの部門に分けられている。第一に、客観的な実在哲学としての自然哲学であり、第二に、主観的な実在哲学としての精神哲学であり、そして第三に、主観と客観の統一としての無差別の哲学、つまり、絶対的なものの哲学である。さらに第四に、哲学への導入として悟性の有限な規定を克服する論理学と、絶対的なものの概念を展開して叙述する形而上学とである。たしかに、このような四部門からなる哲学体系の枠組みは、シェリングの同一哲学の体系に従っているともいえる。しかしへーゲルは、すでに1802/03年の『自然法論文』において、体系の枠組みを大きく変更し始めており、『差異論文』にあるような同一哲学の図式から離れていく。そして、体系の基本構想は、論理学・形而上学、自然哲学、精神哲学という三部門へと移っていくのである。
このような発展の過程は、ヘーゲルの講義予告によっても確認することができる。それによると、体系の全体は、まず初めに、論理学と形而上学、自然哲学、精神哲学、宗教哲学と芸術哲学というように四つの部門に分けられていた。そして後には、体系を構成する基本の数が、思弁哲学、自然哲学、精神哲学というように、三つに変わっていく。しかしまた、他方では、論理学と形而上学を含む思弁哲学と、自然哲学と精神哲学を含む実在哲学という二分割も残っている。
さらに、内容上の区分に従うならば、ヘーゲルは、イエナ大学での最初の講義を次の二つの領域に集中していたといえる。
まず、第一の領域は論理学と形而上学である。へーゲルの体系構想の中では、イエナ時代の初めから論理学と形而上学が中心的な位置を占めている。両者は、後にも、純粋な理念を扱う「思弁哲学」として、体系の中で最も重要な地位を保ち続けている。イエナ時代の初めの体系構想では、有限なものを対象とする論理学は、同一性の原理を確立するために思弁への導入、すなわち、思弁の立場への上昇とみなされている。それに対して、無限なものを対象とする形而上学は、思弁それ自体として理解されている。この区分によれば、論理学は、悟性によって有限なものを反省し、それを制限することになる。更にそこから、反省作用が有限なものを破壊して、それを克服することになる。これに引き続いて、形而上学は、理性に基いて、無限なもの、すなわち、絶対的なものを思弁の原理として設定する。このためにも、論理学と形而上学が共に必要とされるのである。
そして、第二の領域は自然法である。政治と宗教に関わるフランクフルト時代までの実践哲学についての研究は、自然法という第二の領域へと集約されていく。そこでは、自然の概念が、自然そのものについてだけではなく、人間及び社会全ての基礎をなしている。へーゲルが、このような自然概念から、習俗規範に基く人倫的な社会という概念を組立て、精神の哲学を形成していくのである。ここで、精神の概念が目的論的な過程を経て自分へと媒介され、この媒介の過程において実体が主体となり、絶対的なものの自己関係が表明されることになる。つまり、絶対的なものは、実体が外へ現れ出ることによって目的としての自己を実現するのである。これと共に、『精神の現象学』という体系への導入部が体系そのものの叙述に先行することになり、「学問の体系」という構想も生まれてくる。
さて、へーゲルは、イエナ時代の初めに『差異論文』(1801年)を執筆して、『哲学批判雑誌』(1802/03年)にいくつかの論文を載せている。この中で、彼は、有限なものに留まる悟性の「反省哲学」を批判するのみならず、より高い段階に照準を合わせて、無限なものへと高まる「理性の体系」を目指している。それと並んで、1801/02年の冬学期から1802/03年の冬学期に至る講義の中で、彼は、主に論理学と形而上学を取り上げている。これは、1801/02年の冬学期の講義、『哲学入門』及び『論理学と形而上学』からも分かるように、絶対的なものを理性的に認識するような「絶対的な形而上学」を構築しようとするものである。
さて、へーゲルは、思弁哲学への導入とみなしていた「論理学と形而上学」の講義を、1801/02年の冬学期、1802年の夏学期、1802/03年の冬学期に、三度に亙って連続して予告している。ローゼンクランツの伝えるへーゲルの「論理学と形而上学」の講義は、講義草稿の断片からすると夏学期ではなく、冬学期に行われたものと思われる。また、へーゲルの自筆草稿とは別に、1801/02年の冬学期の講義を聴講していたイグナツ・パウル・ヴィタル・トロクスラーという学生の筆記録も伝えられている。更に、内容から見ると、講義草稿の断片にある体系のスケッチは、『差異論文』(1801年)の中の体系構想と一致している。これらのことから、伝えられているへーゲルの「論理学と形而上学」の講義は、1801/02年の冬学期の「論理学と形而上学」の講義草稿に当たると思われる。
「論理学と形而上学」の講義草稿において、へーゲルはまず、人間の内面世界と現実の外的世界との関連を取り上げている。それによれば、外的な世界は、自らの統一を認識することもなく調和を意識することもあり得ないのに対して、人間の内面世界は、例えば「哲学者の精神」は、理性が自己を映し出すように調和を認識することが出来るという。つまり哲学は、現実の世界にある対立を内面の世界へ取り込んで解消し、調和と統一をもたらすのである。これによってまた、外的な世界は内的な世界へと媒介されるのである。このようにしてへーゲルは、外的な対立を内面化して統一し、更に、この統一を自覚へともたらそうとする。そしてこれによって、内的な結合に基く世界は生まれてくることになる。
ここからへーゲルは、具体的な例を挙げて、新たな統一が現実の世界へと生み出されていく過程を描いている。まず、新しい社会が古い社会に取って代わる移行の時期を「哲学の時代」と定めて、このときに、新たな規範が民族の精神となって新しい時代の民族に浸透していくのだという。そして、社会が進展する中で偉大な人物が登場して、向かうべき理想の段階を捉えていく。偉大な精神の持ち主とは、全体を知り、あらゆる制限から自らを解き放ち、過去のあらゆるものを一掃していくものである。このような偉大な人物は、例えば、アレクサンドロス大王がアリストテレスの「哲学の学校」から世界制覇へと向かったように、世界精神の古い形態と戦って、これを打ち破って新しい人倫の世界を形成していくのである。また、これによって「神の新たな啓示」をもたらし、民衆の信頼を集めて、その運命を担うことになる。
これに引き続いてへーゲルは、有限なものから出発する哲学の一般的な性格を考察している。当時の哲学講義は、主に「論理学と形而上学」という科目からなっていたが、彼がこの科目を取り上げるのは、古くからの権威に従うからではなく、むしろそこに教育的な効果を認めるからである。つまり、教育的な配慮から、哲学の講義を論理学という有限なものから始めて、それを否定して、形而上学という無限なものへと移っていくのである。へーゲルは、一方では、論理学を有限なものの認識と定義して、それを限界づけ、そして他方では、形而上学を無限なものの認識とみなして、そこへと認識の段階を高めていく。したがって、論理学は、無限なものの認識には達しないとしても、しかしそれは、有限なものの叙述とそれの克服によって、無限なものの認識という本来の哲学を既に準備しているのである。
へーゲルの理解に従えば、哲学とは「真理についての学問」であり、それは「無限なものの認識」あるいは、「絶対的なものの認識」を対象としている。彼は、この無限な認識を「思弁」とみなし、それに対して、有限な認識を「反省」と呼んでいる。ここでは、思弁と反省は互に対立しているが、しかし、両者は対立しているだけではない。無限な認識の中で関係づけられたものも、その統一を捨象することによって有限な認識になることができる。逆に、有限な認識として現れてきたものも、有限な形式が思弁の中で互に関係づけられることによって有限性を克服することができる。反省の立場からすれば、有限な形式は対立においてのみ認識されるのであるが、それに反して、思弁の立場からすれば、対立する有限な形式が同一のものとして立てられ、その有限性が解消されて、これによって初めて対立は克服されるのである。こうしてへーゲルは、論理学の中で、有限な形式を「思弁的な思考」の形式として把握するにいたる。
たとえ、主観的なものである「思考の主体」が、客観的なものである「思考の内容」を全て捨象しているとしても、しかしここでは、思弁の主観的な形式である悟性はその客観的な内容である理性へと媒介されることになる。つまり、これには、理性が悟性を駆り立てて有限な思考能力である反省を統一へと差し向けている、ということが暗に意味されている。逆にいえば、悟性によってもたらされた統一は、有限なものの対立に基いて単に形式的な統一をなすにすぎないから、悟性は、有限なものの内にありながらも理性を手本として、悟性のもつ諸形式を統一へもたらそうとしているのである。
このようにへーゲルは、論理学のもつ一般的な性格を説明した後に、論理学の対象を三つの段階に分けて詳しく考察している。
まず第一に、論理学は「有限なものの形式を提示する」ことから出発する。哲学が有限なものを対象として取り扱う論理学から始めるように、論理学もまた有限なものを認識する悟性から出発しなければならない。認識を構成する多数の要素は理性から生まれたものではあるが、しかし悟性は、理性のような総合の能力を持ち得ないのであるから多数の要素を集約することはできない。むしろ論理学は、「有限なものの一般的な形式あるいは法則」を対象として、これを叙述するのである。その際、有限なものの一般的な形式あるいは法則として、有限な悟性規定であるカテゴリーが考えられている。しかし、それは、単に有限なものの主観的な形式としてではなく、客観的な形式としても問題となり得るし、むしろ、理性から生まれてきたものとしては、「絶対的なものの反映」として捉えられなければならないのである。
そこで第二に、論理学は、「悟性の努力を叙述する」ことへ向かう。悟性は単に形式的な統一を生み出すにすぎなかったが、だがこのような統一を生み出すためにも、悟性は理性を模倣して、それを描き出す必要がある。へーゲルは、悟性の課題を、理性に倣って表現することとみなしている。悟性の認識は理性による無限な認識の単なる抽象にすぎないが、悟性は、理性の「原像」を「写し取る」ためにも、手本である理性を模範として常に目の前に掲げていなければならないのである。このような条件のもとで、論理学は、「有限なものの主観的な形式」、つまり、「限定された思考としての悟性」を考察するのである。ここでへーゲルは、悟性の形式が「概念・判断・推理」という段階を経て発展する過程を追っている。推理それ自身は、単に形式的な連関を表わすものである限りまだ悟性に属しているといえるが、しかしそれは「理性を模倣するもの」であるから、理性的な思考を指し示しているのである。
ここから第三に、論理学は、理性によって悟性の形式そのものを克服することに向かう。これはまた、認識の有限な形式の内に含まれている思弁の意義を、理性に対して明らかにすることである。ここで、理性の認識が否定的な認識として現れて来るのは、理性に固有な法則が論理学に留まる限り、それが思弁を否定するものとして登場してくるからである。だからこそ論理学は、否定的なものとして、哲学への導入という役割を果たすことができるのである。それというのも、論理学は、思弁の形式を完全に認識するために、それを先取りして、思弁の形式を有限なものに固定することもなく、また、反省が思弁を妨げることもないように、むしろ思弁に対して「絶対的なものの像」を掲げているのである。このようにしてへーゲルは、論理学の末尾に向けて、悟性のもつ有限な認識を理性の無限な認識へと導いていくのである。そして、この媒介において、理性による有限な認識の克服が示されることになる。
論理学の第三部は、本来の意味での形而上学への導入をなしている。ここでは、推理が思弁の意義をもつことによって、悟性の有限な形式を克服して、学問的な認識の基礎を形成するにいたる。その限りで、論理学の課題は、推理のもつ意義を理性との関連の中で明らかにして無限な認識の基礎を築くことにあるといえる。これは、理性の無限な認識と悟性の有限な認識を結合するものであるが、悟性には理性の否定的な作用として現れてくるのである。これに対して、理性の積極的側面とは、有限なものを無限なものと結びつけて、そのことによって、無限なものそのものを捉えることである。したがって、形而上学の課題は、論理学とは違って、有限なものと無限なものとの関係の中で無限なものを認識することにあるといえる。論理学と形而上学、有限なものと無限なものとの関連を、へーゲルは、1802年の夏学期の講義予告の中で、「論理学と形而上学、すなわち、反省の体系と理性の体系」というように、端的に表現している。
反省が有限なものの認識として理性に先行するのに応じて、有限な認識には、哲学の中でそれに相応しい位置が与えられる。無限なものへ至る過程からもう一度振り返ってみると、論理学の機能とは、反省が理性によって完全に排除されるのではないとしても、反省による制限を完全に破壊することにあるといえる。論理学は無限なものを目指しており、決してそこに達しているわけではないが、すでにそれを目標として掲げることによって哲学への導入としての位置を保っている。したがってそれは、一方では、形而上学とは区別された思弁への体系的な導入であり、他方では、無限なものの体系における開示として形而上学に内在して、それを構成する一部分であるといえる。反省の形式という悟性による制限を免れるためにも、へーゲルは、有限性と無限性を結びつけて、理性概念による統一を構想しているのである。これによって論理学は、「学問そのもの」である形而上学において自らの必然性を獲得することになる。
ここでへーゲルは、哲学がその「最高の原理」に達して、そこでは、あらゆる時代の哲学が「同一のもの」となって現れてくるという。この意味で彼は、一方では、有限な悟性の立場に留まる近代の「没哲学」を厳しく批判しながらも、しかし他方では、「最古のもの」との一致を確信して、「あるべき哲学の体系」を構築しようとしているのである。へーゲルは、講義草稿の結びで「懐疑主義という亡霊」を批判して、カント及びフィヒテの哲学体系を叙述する、と告げている。これは後に、『懐疑主義論文』(1802年)及び『信仰と知』(1802年)の中で実行されることになる。更にへーゲルは、体系構築の課題を、『哲学批判雑誌』(1802/03年)の中で反省哲学への批判として追求していくばかりか、またそれと同時に、『ドイツ憲法論』(1801-03年)の中では、国家の統一とそれを支える実体の喪失という問題としても主題化していくのである。
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