ヘーゲルとシェリング(1)

 1801年、近代哲学史上初めて、絶対的な形而上学のプログラムが樹立された。すなわち絶対的なものを完全に理性的に認識して体系的に解釈する理論のプログラムを、ヘーゲルとシェリングが共同で構想したのである。この構想がもつ体系的な意義、ならびにドイツ観念論が展開する中でそうした構想が成立した根拠は何であるか。こうした形而上学の傾向を適切に把握し評価し得るためには、シェリングないしはヘーゲルの初期の哲学的議論におけるどのような問題やモチーフが、そうした絶対的な形而上学を樹立させるに至ったかを論究する必要があろう。さらに、共通の構想を詳述する際に、どのような一致とどのような区別が生じたのか、その際彼らには、絶対的なもののどのような構造を根拠にして、絶対的なものを同時にスピノザ的な実体として考えるようになったのか。そして結局、どのような理由から二人が1804年以降、この形而上学的な構想を変更したのか。とりわけヘーゲルが実体の形而上学を超え、主観性の形而上学へと誘われたのか。

 シェリングは『我が哲学体系の叙述』(1801年)において、幾何学的方法を方法として受容し、内容的にはこの『叙述』やそれに続く同一性体系のための諸著作において、スピノザ的な実体および万有として絶対的な無差別の概念を考えている。とりわけ注目すべきは後にシェリングがこのスピノザ主義をもう一度変様させる点である。スピノザへ新たに遡行する体系的な動機は何か。このスピノザ主義の歴史的な背景を探求し、そして存在論的には実体として規定される絶対的同一性の独特な構造を探求すべきであろう。その際、実体としての絶対的同一性というこの概念は、スピノザの実体の構造からも、また初期シェリングが実践的な形而上学において自我の産出的な自己関係性の概念と等しいものと措定した実体の概念からも、さらに1801年までの自然哲学の基礎としての能産的自然の概念からも区別されねばならない。
 LMNの執筆が1804/05年とされてからは、1801/02年の初期の論理学・形而上学の内容と方法とが、そしてこの初期の論理学・形而上学と1804/05年の論理学・形而上学との関係が論議されるようになった。イエナ時代初めのヘーゲルにおける実体形而上学的な思想傾向が際立たされる。絶対的同一性としての実体の構造は、確かにシェリングにおいてもそうであるように、イエナ時代になってより詳細に規定されている。さらにイエナ時代に構想された幾つかの体系が、今では立ち入って基礎づけられている。それ以来、自然哲学も精神哲学も、それらがその都度体系の中でどのような意義を果たし、そしてそれらが実体形而上学の展開や変化にどのように連関するかという点で、解釈されることができるようになった。そうして今や、意識と精神についてのヘーゲルの理論は、その変容において、そして自己意識の観念論的な歴史や基礎的な形而上学との連関において、これまでよりもっと明確に発展史的に提示されるようになったのである。
 絶対的な形而上学の創始者はシェリングだという捉え方は、シェリング自身が後に、『近世哲学史についての講義』において自負し、その後ディルタイもこれを強調したこともあって、広く流布した見方であるが、しかし、創始者はヘーゲルの方であると、すでに以前から言われている。つまりシェリングはヘーゲルの新たな思想傾向を素早く捉え、そして自分の同一性体系をこの基礎の上に築き上げたのだというわけである。これに加えて、すでにラインホルトやエルトマンによって推測的に、近年は断定的に定式化されているテーゼがある。つまり、シェリングとそれにヘーゲルも、彼らの新たなイエナ時代の構想についてはバルディリやラインホルトに依存している、というのである。こうした観点は、シェリングの伝記的な記述や哲学的な発言に背く上に、フィヒテやバルディリを批判する際のヘーゲル独自の寄与を低く評価している。シェリングの言明によれば、シェリング自身はバルディリを読んだことがないという。しかもシェリングは、自分が早くから輪郭を示していた絶対的同一性や自分の同一性体系と、バルディリの同一性概念とをラインホルトが混同していることに異議を唱え、その際にヘーゲルによる絶対的同一性と抽象的な悟性の同一性の区別を引き合いに出している。『差異論文』においてヘーゲルは、確かにシェリングと協調して、バルディリの言う相対的で単に論理的な純粋思惟の同一性と、シェリングおよびへーゲル自身が首唱する絶対的同一性の構想とを、ラインホルトのように混同することは不適切だとして斥けている。したがってシェリングもしくはヘーゲルの独自の着想に対して、バルディリやラインホルトが影響を与えたとは、ほとんど考えられないのである。
 とはいっても体系の中で絶対的なものを理性的に、思弁的に認識して解明するという構想は、この論文ではテーゼの形でしか要約しないが、シェリングのそれ以前の哲学的な展開からもほとんど説明できない。シェリングは自然哲学と超越論的哲学が一体となって収斂することを要請しているが、だからといって(芸術という合一するものが反省によって書き表されるとされる芸術の哲学を、たとえ彼が時々付け加えているにしても)この収斂から理性による絶対的なものそのものの認識や展開が結果するわけではない。シェリングの初期の理解によれば、絶対的なものは哲学的反省によって把握されたり体系的に呈示されたりするものではなかった。絶対的なものを理性的にかつ体系的に認識するという問題については、シェリングがヘーゲルから刺激を受けたことは明らかである。
 こうしたプログラムは、もちろんヘーゲルにとっても新しいものであった。だがそれらは、ヘーゲルがフランクフルト時代後期の草稿で逢着した問題の解決として理解し得る。それらの草稿において彼は、哲学的な反省によって無限な生は把握され得なくなるという見解を主張していた。ただし同時に彼は、こうした無限な生について理論的にも語っている。当時ヘーゲルが精神としても考えていた無限な生は、彼にとって有限な精神や自己内反省という対立物をもっている。それゆえ無限なものを叙述するために反省諸規定を用いることが可能でもなければならない。さらに無限な生はなるほど神秘的もしくは詩的に言表されることもできる。しかしヘーゲル独自の叙述方法は理論的な展開にこそある。その際用いられた哲学的な概念や反省諸規定が、宗教的な内容に必ずしも不適合だというわけはなく、むしろ真理であることを要求し得るものだというであれば、当然の帰結として、無限で絶対的なものを理性的、思弁的に想定されなければならない。そうした認識にあっては、反省は、たとえ十分条件ではないにせよ、必要条件なのである。さらなる条件としてイエナでのヘーゲルは、まず知的直観を付け加える。それゆえ無限な生と精神を宗教の内容として把握するというこの難問から、理性による絶対的なものの認識という構想が生じてきた。この構想はフランクフルト時代の後期には完全にヘーゲルの思索の内にすでに芽生えていたのである。この思想傾向をシェリングは自分の同一性体系を形成するために、そして自分のフィヒテ批判を新たに構えるために受容し変様したのである。これと比べるとスピノザへの遡行はもっと詳細に特徴づけられるべきことではあるが、このこともシェリングおよびヘーゲルにおいて絶対的同一性が実体として規定されることもシェリングの展開から容易に説明できるのである。

 シェリングとヘーゲルの新しい着想からみた絶対的なものの内的諸規定は、純粋な理性によって完全に認識され得るし、体系的に説明可能であるから、したがって絶対的なものはそれ自身を認識しさえもするのであるから、絶対的なものの内的な構造は、理性のもつ説明可能性から、すなわち理性の方法から独立に捉えることはできない。さてヘーゲルにあっては、1801/02年の初期論理学の方法は、それだけで取り出されるなら、形而上学の方法や体系の方法とは区別できる。論理学の課題は二つの異なる局面から規定される。一方で、論理学は、形而上学から切り離された、思弁的な知に至る体系的な導入部である。他方で論理学は、ヘーゲルが体系を区分する際に注記しているように、それ自身形而上学の内在的な構成要素であって、その限りで、誤った形而上学に向けられていると共に、絶対的なものを体系的に説明する道具でもある。導入部としての論理学は、真理性を要求しても否定されるような純粋で有限な反省のアンチノミーについて、理性的に整序された展開を行うところに成り立つ。この点で、有限な自立した反省は、結局、自己自身が矛盾していることを認識する。こうして無限なものを認識する可能性は、否定的なものから証明されるとされるのである。導入部として機能するこの論理学の方法は、それが有限な反省のもつ対立的な諸規定を体系的に配置したり、これらの規定の有効性を止揚したりするものであるという点では、依然否定的なままの弁証法なのである。なぜなら、こうした弁証法の結果は、懐疑的なものでしかないからである。シェリングは『学問論』において、そういう論理学を、学問的懐疑論と言い表し、思弁的な統一を展望しつつ、反省の諸規定を展開するその方法を、弁証法と呼んでいる。こうした言い方は対話篇『ブルーノ』におけるシェリング自身の論理学構想と合致しないし、その上、シェリングがヘーゲル的な意味で思弁と反省という用語を用いているし、そして、彼が強調しているように、それまではこうした論理学がなかったのであるから、『学問論』ではシェリングは、ヘーゲルの当時の論理学構想と方法の構想とを素描している、と想定することができるのである。
 導入部としての論理学に続く形而上学、そして体系に至る絶対的なものの展開、それらの方法はヘーゲルによれば思弁である。思弁によって初めて、絶対的なものそれ自身が認識され得る。思弁は、論理学において展開された反省規定と、超越論的な、もしくは知的な直観とを総合するところに存立する。それゆえ、反省とその諸形式は、形而上学が成立するための必要条件である。と言っても、もちろん十分条件ではない。知的直観が欠けていれば、むしろ絶対的なものの認識を意味するいかなる命題も不可能になる。ヘーゲルが知的直観についてこのように把握するにあたり、とりわけシェリングから刺激を受けたのは事実である。ここでも、ヘーゲルにしてみれば不可避な反省諸規定のアンチノミーから結果するのは、肯定的な統一そのものではなくて、ただそうした統一を知的に直観するという要請であるにすぎない。してみると当時のヘーゲルは、肯定的な結果を伴う規定された否定態という方法論をまだ使いこなせていなかったのである。反省の諸概念と直観との総合を遂行する試みはすでに個々の点で変更されているが、このこととそれが挫折した状況証拠とは『人倫の体系』から見てとれる。そこでは直観と概念を相互に包摂し合いながら理念の統一に至るが、この統一の認識に際しては直観と反省的な思惟とのそうした二分法は本当のところもはや容認されないのである。
 知的直観は、それだけで見られるなら、絶対的同一性としての絶対的なものを没意識的に現前させることに他ならず、また意識において絶対的なものを構成することには反省諸規定が必ず内包されているのであるから、絶対的なものの認識可能な構造には、反省諸規定も内在していなければならない。同一性には、それが反省の概念として考えられるなら、非同一性もしくは分離が対置されている。しかしこうしたアンチノミーは、諸対立項の絶対的な同一性としての絶対的なものそのものの内に包括されているのであって、そうした同一性は、直観と反省概念との総合においてのみ、すなわち思弁によってのみ把握され得る。こうしてヘーゲルは絶対的なものが認識できることを前提として、フランクフルトで自ら構想した生という概念の統一の構造を彫琢していったのである。
 それに対してシェリングにあっては同一性体系における反省は、絶対的なものの認識にとっては何の構成的な機能も持っていない。定立、反定立、そして総合という反省の三段階は真なる方法の模像でしかないのである。彼にとって真なる方法は知的直観による思弁的な構成である。それゆえ知的直観はシェリングにとってはもはや以前のように実体としての自我の自己直観とか、天才が自らの芸術において行う自己直観ではなく、むしろ絶対的で神的なものの理性的な認識である。幾何学が特殊な図形を空間の一つの直観の中へ構成するように、哲学は特殊な認識と理念を構成して唯一の絶対的なものの普遍的で根源的な直観を、そのものとしては自己内において単純な統体性である唯一の絶対的なものの直観を作り上げる。こうした直観主義的な認識モデルや方法モデルを取ることで絶対的で単純な無差別としての絶対的なものの構造が論証的には予めプログラムされていた。そこからまたしても特殊にして有限なものを措定する必然性を理解させるというさらなる問題が生じ、さらにはこの問題が後期シェリングの絶対的なものからの有限者の頽落という理論につながっていくのである。
 シェリングとヘーゲルそれぞれで傾向を異にして構想された絶対的なもののこの構造は今や両者にとって一なる実体として考えられ、それによって存在論的なもっと厳密に言えば存在神論的な基礎を具えることになる。スピノザの実体形而上学を顧みるにあたって絶対的同一性を認識するという構想が彼らにあって前提されていることは言うまでもない。自体的に存在するものの概念である実体概念が彼らにとっては新しい体系構成を解釈するための基礎になる。こうして『更なる叙述』(1802年)のシェリングによれば、絶対的なものに関連づけられるならば、思惟する実体と延長せる実体とは一にして同一のものであり、この両者の統一が同一性体系においてはそれだけで説明されるのである。絶対的に考察されるならば純粋な実体は思惟する実体でも延長する実体でもない。この絶対的なものからは、思惟と延長は、それゆえ理念的なものと実在的なものは切り離され、次いでそれらは自然哲学と超越論哲学の中で様々な総合とポテンツにおいて叙述されるのである。『自然法論文』(1802年)におけるヘーゲルの体系草稿は、それよりももっとはっきりスピノザ的な実体概念で基礎づけられている。ヘーゲルはここで絶対的なものの統一構造を(彼はシェリングの考え方と自分自身の考え方とを結合しようと試みることによって)一と多の無差別と関係との統一と規定している。その際、関係概念は反省の規定として捉えられねばならない。それだけで把握され得るこの絶対的なものは、存在論的には絶対的で無限である実体なのである。絶対的なものの現象もしくは実在性は例の一と多の関係の二重性格によって規定されている。つまりそこでは一方では多が、また他方では一が優勢であって、そこから一面では物理的な自然が、他面では人倫的な自然が生じる。これら二つの属性のどちらもそれ自身実体を表現している。つまりそれらは一なる実体の諸規定として自然哲学と精神哲学において展開されるのである。
 だがシェリングとヘーゲルはその頃初めてスピノザを受容したのではなかった。若きシェリングはまずフィヒテの絶対的自我をスピノザの実体と同一視して、そしてその点で所産と能産性との単純な端的に存在している統一を考えたのである。『独断論と批判主義についての哲学的書簡』において彼は形而上学的に基礎づけられた観念論の倫理学に独断的な倫理学に対する優位を認める点でスピノザから身を引き離し始める。彼はフィヒテの影響を受けた時期の次に能産的自然という概念の内に基礎づけられる超越論的哲学に対して独立した自然哲学という構想を携えて再びスピノザに近づく。しかし同一性体系におけるスピノザ主義は自我にも自然そのものにも拘わらずむしろ絶対的同一性を自然哲学と精神哲学が基礎を置いている絶対的なものそのものの構造として存在論化することを意味している。フランクフルト時代のヘーゲルはフィヒテに対抗するヘルダーリンのスピノザ主義的-汎神論的な論拠に同調している。この時期の終わりごろには勿論彼は無限な生という概念の中に一なる実体の単純な存在という思想によってはもはや到底十分には把握することのできないダイナミックな関連構造を考えている。こうしてシェリングにとってと同様ヘーゲルにとってもスピノザの実体形而上学への遡行は1801年から新たな意義を持つことになる。二人にとって今や絶対的なものは実体として認識可能である。それどころか絶対的なものが理性そのものによって自らを認識するのである。しかし彼らはその点に主観性の自己関係性を見ているのではない。というのも彼らにとって、とりわけ彼らのフィヒテ批判が示しているように主観もしくは自我は有限でしかないからである。つまり単純で客観的な存在と対立している自我はむしろ彼らの当時の捉え方によれば実体という絶対的な主観-客観の同一性の内に沈められなければならないのである。
 このようにスピノザ受容に関してこのようなバリエーションがあるということは、自我と絶対的なものの特定の関係を哲学の原理とみなすどのような観念論的な原則論にあっても、超主観的な絶対的なものの形而上学の典型であるスピノザ主義と対決せざるを得なくなることを物語っている。シェリングとヘーゲルが絶対的なものを実体として構想しているにしても彼らはスピノザとはすでに違っている。というのは彼らはにとっては自己意識がその構成可能性や絶対的なものとの関係ということで独自の問題を提示しているからである。その上彼らにとってスピノザ理解はとりわけヤコービの『スピノザ書簡』とヘルダーの『神』によって刻印されている。例えば彼らは実体の本質は属性の内にのみ表現されるというスピノザの論理的-存在論的な規定を受け継いではいない。彼らにとって実体はそのものとしても把握され得るのである。属性はヘーゲルによると例えば絶対的なものの現象を表すにすぎない。ヘルダーはすでにスピノザ哲学をデカルト的な用語から純化することを要求していた。シェリングとヘーゲルにとって絶対的な実体はスピノザにとってのように、それによってのみ思惟と延長が認識できるほどに実体が完全であるために無限に多くの属性を持つわけではない。彼らの捉え方によれば絶対的なものは、むしろそれが現象する中で主観としての思惟と客観としての延長において完全に展開されるのである。だが彼らは自己原因の概念を純粋な肯定態としての無限性-概念と同様受け継いでいる。その結果有限なものは限界をもったものとしていつも否定態を含むことになる。こうして彼らによって実体は自らを超出することのない一つの実存している無限なものと理解される。この無限なものは、すでにヤコービによってそうであったように彼らにとっても汎神論の根本概念であって、とりわけシェリングは無限なものをブルーノの万有の原理によっても特徴づけるのである。万有の概念によって無限なものは宇宙論的な意義を獲得するが、この意義によって無限なものは、とりわけ同一性体系における自然哲学の基礎として勿論こうした機能に限定されるわけではないが役立つのである。
 さてシェリングはこうした絶対的な実体もしくは万有の統一という概念を、確かにヘーゲルと一致して、統一と対立との統一として、あるいは有限なものと無限なものとの、もしくは普遍的なものと特殊的なものとの統一として規定する。彼はこの統一の構造をヘーゲルから受容している。しかし少なくとも意図からすればヘーゲルと違ってシェリングにとっては(といっても彼はもちろんヘーゲルとの違いをはっきりと言葉にはしなかったが)合一されるこれら特殊な諸規定は、あの最高の統一を特徴づけるための構成的な意義を何ら持ってはいない。というのもそれらの規定は最高の統一においては区別できないほどに合一されてあるはずだからである。その限りでシェリングにとって実体および万有としての絶対的なものは自己内で単純に存在している無差別な一つの無限なものである。この絶対的なものには何も対置されることができない。それゆえ絶対的なものは統体性である。しかし同時にこの絶対的なものは有限なものにだけ適用されるべき諸々の対立や否定態を何ら自己内に含んではいず、むしろそれらの対立や否定態を超えている。それゆえシェリングはそうした絶対的なものを絶対的な無差別として、また純粋で不可分で対立のない端的に肯定的な存在として構想するのである。知的直観によってのみ認識可能な絶対的なものというこの概念はスピノザの実体というよりはむしろパルメニデス的な一なる存在の思想に似ている。この一なる存在もスピノザの一なる実体と同じように存在論的にそして同時に宇宙論的に理解され得るのである。
 ヘーゲルにとってもまた実体としての絶対的なものは自らの外部に何の対立も持たず、したがって自らを超出しない肯定的に存在している一にして無限なものである。だがヘーゲルは自己原因としてのスピノザの実体において反省諸規定のアンチノミーを、つまり原因と結果のアンチノミーを考えるのである。絶対的同一性が存在する場合は一つの実体を意味するが、この絶対的同一性はシェリングの場合と異なり、それが意識され学問の体系にまで展開されるべきであるとすれば、反省のそうしたアンチノミーを自己内に含んでいなければならない。ここで合一される相関的諸規定の関連構造はフランクフルト時代後期のヘーゲルにおける生の概念においてのように単に静的に存立しているものとみなされてはならない。イエナ時代の実体の形而上学においてヘーゲルが受容するのは、実体という単純な存在ではなく、自己原因としての実体である。これをヘーゲルは活動性と受動性とが、存在と生成とが合一されている活動的な自己産出過程と考えるのである。実体が存在するのはただ実体が自らの様々なそれぞれ対立し合ってもいる多様な諸規定へと展開する中で自己自身を産出することを通してなのである。自己原因としての実体というこの概念を構想するための基礎、そしてそうした実体を認識するための基礎は、ヘーゲルにおいては差し当たりは知的直観と反省との二分法と両者の総合である。こうした仕方では勿論ヘーゲルの念頭に浮かんでいる存在神論的な統一構造も、その後に自ら構想した普遍的精神の自己関係的な統一も、適切な形で捉えることができない。こうした必要条件に初めて正しく対処したのがイエナ時代後期にヘーゲルが構想した思弁的弁証法なのである。

 ところで上述のような違いを伴った実体の形而上学としての絶対的同一性ないしは無差別の理論は、単に自然的万有の特殊な構造を展開する自然哲学にとってだけではなく、シェリングおよびヘーゲルの精神哲学にとっても基礎になっている。その場合シェリングは概ね万有の概念を基礎にしている。彼にとって芸術は例えば美として万有を構成することである。芸術的表現の様々な可能性は彼によって古代の神話とキリスト教という決定的な発展段階をもつ宗教史の中に組み込まれる。シェリングによればキリスト教が初めて万有を歴史として把握したのである。
 ヘーゲルにとって実体が精神哲学の基盤であるのは用語法からしてシェリングより一義的である。『自然法論文』において彼は精神を実体の属性の一つとして規定する。1803/04年の体系構想では、精神はヘーゲルにとってむしろ実体そのものであり、しかも精神の理念を形而上学的に叙述する際にも、また精神哲学においてもそうなのである。この精神哲学においてヘーゲルから受容された民族の絶対的精神という観念が絶対的で単純な生ける唯一の実体として考えられる。民族精神において自己原因としての実体の活動的な自己産出が実現されることになる。というのも精神の普遍性が意識や有限な自我という個別性によって初めて実現されるが、しかし同時に精神の普遍性はそれ自身が無限なものであり得るためには、この意識や有限な自我を自らの内で止揚するからである。
 こうした文脈の中に美学についてのヘーゲルの最初の体系的な考察は位置している。これはシェリングだけではなくシュレーゲルとも交わったからに他ならない。彼によると芸術はシェリングやシュレーゲルにとってと同様に本質的に宗教的な内容を持っている。したがってその美学は、例えばカントの場合と異なり最初から内容美学や芸術の哲学なのである。その場合、哲学的な知はヘーゲルにとって、そして同一性体系におけるシェリングにとっても、幾つかの言明から明らかなように芸術家的な直観より優れたものである。ヘーゲルがイロニーの概念を受容し、後のように批判しないでその概念を用いたのは特にシュレーゲルからの影響による。ギリシアの神々はヘーゲルにしてみればその神々相互の規定性のゆえにイロニーを、すなわち限定性と神的な感性との間の矛盾を内に持っている。同様にヘーゲルはロマンティックという用語をシュレーゲル風の意味で、つまりは中世的な美的な形姿の所業を表示するものとして用いていた。とりわけヘーゲルはシュレーゲルのように、そして自らの『初期神学論集』の時とは違って個々の芸術家がそれぞれに引き継ぎつつ携わる普遍的な芸術作品の概念として神話を把握することを構想する。このため二人にあってはスピノザ主義的な捉え方が前提になっている。だがヘーゲルは中心的な問題でシュレーゲルと違っている。一つにシュレーゲルとは異なってヘーゲルは自分の美学をイエナ時代の草稿においては芸術活動や宗教活動をも包括している人倫の理論の内に位置づけていることである。美学はこれによって独立した最高の原理に則った理論ではなく、ヘーゲルの当時の人倫論の構成要素になっている。芸術を宗教から原則的に区分することも、後にヘーゲルが主観的精神の表象様式という基盤の上で絶対的精神の芸術的直観と宗教的表象とを区別することによって企てることになるのだが、それはまだなされていない。もう一つはヘーゲルが、過去の世界を復活しようとする芸術の夢想的な性格に基づいて芸術がその真理性や宗教的な要求に関しては、過去のものであると結論づけたことである。すでにヘルダーにとって神話的な芸術は過去の世界を描出するものであったし、その限りで彼にとって夢のようなものであった。ヘーゲルがすでにイエナ時代に樹立した、芸術が最高の真理であるというのは過去のことであるというこのテーゼは、とりわけシュレーゲルの夢への批判として理解することができる。シュレーゲルは前進的な普遍的ポエジーがようやく現在の真理であることを要求しているロマン派の芸術になりつつあると夢見ていたのである。それに対してシェリングは新たな現代の芸術を要請し、そして同時に同一性体系においてヘーゲルと同様に真理を把握することにかけては哲学が芸術に優位するというテーゼを首唱しているのである。
 
 シェリングもヘーゲルも彼らの共通のイエナ時代の後期以後は、実体形而上学およびスピノザ主義に関して上述の考え方に固執しなくなる。シェリングは『哲学と宗教』(1804年)において展開した、それ自体で無差別的な・一切を包括する絶対的なものから特殊な有限なものが頽落するという理論によって、スピノザ主義との新たな対決へと誘われることになる。スピノザ主義との対決はその後『自由論』において実際のものとなった。彼は絶対的なものを、もはやただ単に万有や絶対的な無差別として考えるだけではなく、むしろ生ける神としても考える。生ける神には一切の有限な存在者は単純に存立しているだけの事物としてではなく生けるものとして内在しているのであって、そして生ける神それ自身は存在者や根拠そして実存などの統一によって認識されることができる。この統一を考える中でシェリングは彼の自由論の文脈において自己原因の概念を神智学的な意味へと転換するのである。
 絶対的な主観性という概念のためにヘーゲルは、形而上学の最高の概念としての実体を、1804年以降シェリングよりはっきりと断念する。それ以後の構想はその後の彼の哲学全体にとっては決定的である。こうした決定的な変化が生じた理由は実体概念を展開することが内在的に困難であるからではなく、むしろ精神哲学が唯一の実体の形而上学において基礎づけられるような場合の精神哲学の様々な問題にある。イエナでヘーゲルは彼のフランクフルト時代の考察に結び付けることもできる精神哲学の内に、1803/04年の体系構想にあっては意識の歴史として意識論を導入する。この意識の歴史において意識の能力と仕事は、意識の内に具わっている自己関係性を実現するまで体系的に説明される。意識はここで他者と否定的に関連することによって自己内に反省し、それによって自己同等的であるような個別者として考えられている。しかしヘーゲルにとって意識は同時にその概念からして意識が自ら否定的に関連する対置されたものを自己内に含み、これによって普遍的な精神であるはずである。しかし1803/04年の精神哲学において個別的な意識が精神へと生成することを叙述するにあたりヘーゲルが示しているのは、個別的で他者に対立している意識が実体としての絶対的で普遍的な意識においていかにして止揚されるかということだけである。個別的な主観が自らの実体としての民族精神において止揚されることによって、自ら企てていた自分の自己関係性に至るとされるのはなぜかということははっきりしないままである。実体の概念を基礎としていては、この問題に答えることができないのである。
 さらになるほどシェリングと同じように絶対的なものや精神の知的な自己関係を自己直観や自己認識として主張してはいる。しかしその発生については示してはいない。それは活動的な自己産出過程として実体を規定するだけでは推し測れるものではないのである。
 ヘーゲルが精神の自己関係性の構成を問題として認識している兆しは、1803/04年の体系構想において見出される。ヘーゲルによれば、精神にとって本質的なのは単純に存立する自己同等性ではなく、他者における自己同一化の活動なのである。しかし実際に実在している精神の他在は自然である。こうしてこれを手掛かりにヘーゲルは自然を自然においては自ら対象的になり、すなわち他者でさえある精神の対象として理解する。この他在から精神は自己内還帰する。そして精神は自らを自己-他者-化のこの活動性として、そして自己内還帰の活動性として直観する。これによってヘーゲルは同一性と非同一性との同一性を絶対的なものの構造の原理として、主観的理論的にさらに展開している。つまり、様々な局面において自らを構成する活動的で自己関係的な絶対的な主観性の統一を構想することによって展開するのである。
 さて体系第一部としての純粋形而上学の内に精神哲学の観念的な基礎があるのでヘーゲルは形而上学の内へ主観性の理論を導入する。彼は客観性の形而上学を超出する。主観性の形而上学を1804/05年のLMNにおいて初めて構想する。客観性の形而上学もまたここではすでに主観性の理論へと向かう形で構築されている。認識作用の内容は客観性の形而上学では認識作用そのものであるが、これは即自的なものであると同時に活動性としての認識作用にまだ対立しているものでもある。客観性の形而上学はスピノザ主義的な唯一の実体の概念において絶頂に達する。この概念を存在の相関関係のカテゴリーだと、すなわち可能的もしくは現実的な偶有性が交替し合う相反関係の存立だと単純に理解してはならない。唯一の実体の概念はまた、形而上学的に捉えられた魂の概念と同じ意味ではない。魂はヘーゲルによって実体のままである個別的な主観性として規定される。すなわち自己内反省として回復された自己同一性として規定されるのであるが、この同一性は存在論的にはまだ観念的に措定されて交替し合う偶有性をもつ存在だと考えられている。最高の本質の実体性が意味するのは、むしろ普遍的で自己同等的であり続ける即自存在であるが、これは自らの内へと反省する個別性を、思惟を、そして個別的なものを止揚する普遍性を、つまり存在もしくは延長を実体性の属性として、すなわちヘーゲルによれば実体の専ら観念的な契機として自らに具えているのである。
 この実体は今やヘーゲルによって、宇宙論的神学の観点においては最高の本質が唯一の即自存在であるという論証を通して主観へと展開される。世界と一切の個物は最高の本質において消失する。しかしそのように消失するためには同時に実在を、といっても否定されることになる実在を前提として有している。個体的なものが最高の本質から「自らを隔別する」とか「自己内に自らを作り入れる…悪しき原理」などという表現をヘーゲルが用いること、さらには創造が本来何の肯定的な産出でもなく、否定態であるという思想、ならびにこれらの箇所での光や闇という隠喩法、これらはシェリングの『哲学と宗教』における絶対的なものからの頽落という理論をあてこすっているものだと理解できる。頽落の理論によって変容される同一哲学にしても、それはヘーゲルにしてみれば超出されるべき実体の形而上学に留まっている。有限的なもの、世界、そしてそれ自体ではその定在が無効であるような、自らを隔別している個体的なもの、これらの否定性は最高の本質そのものに内在していて、そして最高の本質をして否定的に自己関連させ、自己対象化させ、自己把握させるところの絶対的な否定態として把握されなければならない。それと共に実体の即自存在は止揚される。つまり最高の本質は自我になり、自我の構成はこのようにして明らかになるとされる。
 概念論理学的な観点でヘーゲルは次のような論証を通して実体を主観へと展開する。すなわち思惟と存在ないしは延長という属性をヘーゲルは、個別的なものと普遍的なものという概念規定によって解釈するという論証である。最高の本質はそれらの自己同等的な統一である。しかしこの最高の本質は包括的な実体として、すなわち普遍的なものとしてありながら唯一の即自存在、すなわち個別的なものでさえある。それゆえ実体は自らの属性が対立し合っていることに対して無関心なままであるわけにはいかない。つまり実体は諸々の属性において、そしてそれと共に個別性と普遍性とが対立する中にあって他者にではなく、むしろ絶対的な否定態における自己自身に関連しなければならないのである。こうして実体は包括的であってそれゆえ普遍者であるような個別的なものであり、この点で実体は個別的なものとしては同時に止揚されている。この否定的に自己関連している個別性と普遍性との統一はヘーゲルによれば自我、といってもやはりなお主観性の完成へと絶対的精神へと展開されなければならない自我なのである。ここでもまたヘーゲルの決定的な論証は、実体という自己同等的な即自存在を実体に内在しているものとして考えられるべき絶対的な否定態によって、すなわち他者にではなく実体自身に関連する否定態によって止揚するという点にある。活動性として捉えられるべきこの自己関係において関連づけられるものは、ここでは概念の諸規定であって、これらの規定自体は、ヘーゲルが論理学において叙述したように、純粋に論理学的に説明できる関係複合体である。個別性と普遍性の統一としての、他在における活動的な自己関係というこの構想の背景に、具体的普遍という
ヘーゲルの論理学的-存在論的な構想がある。具体的普遍性は、個別性と普遍性とのそうした統一として自らを実現するとされる1803/04年の精神哲学における意識の概念をも基礎づけているのである。
 絶対的主観性の自己関係性を構成するためにヘーゲルがこうした概念論理学的な議論をさらに行っていくのはもっと後のことである。彼は論理学と形而上学とを分離することを放棄する。そのような分離は一つの方法原理による一つの統一的な論証行程に背反するものだからである。だがイエナ時代のヘーゲルにとって後の時代になってもそうなのだが、主観性の構成要素の説明は、実体の形而上学に結びつけられたままであった。否定的で自己関係的な、同時に存在論的に了解されるべき主観性の統一が生成するには、必然的な契機として実体の属性における実体の単純で肯定的な同一性と自己同等性とが必要である。ヘーゲルによる実体形而上学の克服は、それ自身が形而上学である。彼の純粋主観性の理論は存在神論である。これに対して学問としての形而上学をそれと共に実体の形而上学までをも批判するならば、純粋な主観性の構造をスピノザ主義的な実体の結果において展開するわけにはいかなくなるのである。



































ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック