『精神の現象学』執筆の経緯(2)
(9)現在伝わっている現象学のテキストは、どのような仕方でヘーゲルがはじめの構想から離れていったかを、また、どのように経験の学から現象学が成立したかを、示しているであろうか。
ところで、前述のフォス宛書簡草稿の空白になっている箇所に現象学の絶対知の段階に関する構想をしたためた断片があるが、これによると、すでに人倫の段階において絶対知に移ることになっている。だから精神の章に移ったときにすでに絶対知は成立することになる。
しかし、ヘーゲルにおいて精神の現象学という表現が史料的に確認されるのは、1806年の冬学期の講義題目を彼が大学当局に届け出た同年8月頃に始まるから、この前半は二重の書名の内では、精神の現象学ではなく、意識の経験の学であったようである。しかもこの冬学期の講義題目の一部は精神の現象学によって先立たれた論理学と形而上学、あるいは思弁哲学、すなわち学の体系、やがて公刊されるその第一部によって、というのであるが、この題目は精神の現象学が体系の第一部ではなく、そうであるのは、これを序論として含む論理学と形而上学からなる思弁哲学であることを示している。だから、ましてフォス宛書簡当時の構想にしたがって書かれた意識経験の学は体系の第一部ではなく、それへの認識論的序論であり入門であった。
ところで5章の量はもはや序論のものではないが、こうなったのには二つの原因が考えられる。第一はシェリングの形式主義を打破しようとする意図がヘーゲルをしてすでに序論において事柄(ザッへ)そのものへ躍り込ませたということであり、第二は知らず知らずのうちに歴史性の見地が入り込んで来たということである。
歴史性の見地が明確に出現するのは、精神の章からである。この段階はギリシア-ローマ-中世より近世-現代(ロマンティーク)と言うように、全く歴史的順序で展開されており、宗教の章に至ると、歴史性の見地は更に東方的時代にまで及んでいる。また本文より後に出来た序文においてはヘーゲルは精神史的反省という立場から自分の哲学体系を正当化しようとしている。しかし前半でも知らず知らずのうちに歴史性の見地は入り込んでいる。これが比較的顕著になるのは、第4章自己確信の真理からであって、ここで展開されるストア主義-スケプシス主義-不幸な意識という系列はもちろん歴史的変遷を越えて普遍的意義をもつ意識段階として考察されているに相違ないとしても、ストア主義とスケプシス主義とがそれぞれの史的形態から分離し難いものであることは明らかであり、また不幸な意識も中世キリスト教を取り上げたものであることはその内容からして疑いを容れる余地はない。第5章理性の確信と真理のAという第一段階はルネサンス以後の科学の発展を取り上げたものである。もっとも、この見方からすると、有機体の観察や人相術や頭蓋論が異常に詳しいが、これは一面においてはすでに序論において事柄そのものに躍入しようとしたことに原因をもつと同時に、他面においてはヘーゲルとしては現代的関心の見地から詳論したのである。そうして第二と第三の段階は観察に対する実践(ただしなお個人的)の問題という観点からルネサンス以後の変遷を跡付けたものという意義をもっている。
さらに第1章と第2章と第3章あるいはAの意識においては歴史性はいっそう表面から姿を消しているけれども、第1章感覚が存在から始まっているのは哲学史がパルメニデスの存在(エオン)から始まるのに応ずることであり、第2章知覚において諸々の性質(アイゲンシャフト)をもつ物(ディング)の成立を見るのはアリストテレス(近代ではスピノザ)における実体(ウーシア)の立場にあたっており、第3章悟性において実体そのものが力となり、諸々の性質がその発現となるのは、ライプニッツに代表される近代哲学における「実体は力である」という見方に応ずることを指している。そうしてこの力学的な見方は実体性の範疇の立場が因果性の立場に転ずることを意味するが、この立場がすでに第2章知覚において出現していた対自と対他との相即を通じてさらに相互性の範疇の立場に転ずるのは、ライプニッツにおいて、またカントにおいて相互作用の立場が同時に全体性の立場に転換するのに応じている。そうしてこの立場を通じて、A意識がB自己意識に移るのは、全体性あるいはむしろ無限性の立場をとれば、対象を意識することも自己を意識することに他ならないとして、フィヒテ哲学に移ることを指している。
このようにしてすでに前半において歴史性の立場が入り込んでしまったが、これはこの立場がヘーゲルにとって本質的であることによると共に、やはり講義が影響している。1805年の冬学期にはヘーゲルは初めて哲学史の講義を行った。同年の5月の決意を11月12月にも実行していたのは往復書簡によって明らかであるが、この頃には彼は哲学史を講じつつあったのである。ストア主義-スケプシス主義-不幸な意識という系列はこの講義の途上で形成されたものであろう。
1805年の5月のフォス宛書簡に際してヘーゲルが哲学体系第一部として企てたことは哲学知への認識論的序論を含んでいた。彼にとって哲学知とは主客の対立を統一づけた絶対知であるが、これはむろん俗耳には入らぬものである。しかし俗耳には入らぬものであっても、哲学は哲学として別箇の境地に住むというのがイエナにおいてもヘーゲルが最初にとっていた立場であった。これを示しているのは、哲学的批評の論文であって、ここでヘーゲルは悟性や常識との関係において「哲学の世界はそれ自体転倒された逆さまの世界である」と言い、また哲学は公教的なものでなく秘教的なものであると発言している。しかし、これでは理性の哲学としては失格であることに思い至って、彼は常識から絶対知にまで登る梯子(精神の現象学序文)を架けようとし、かくて認識論的序論が必要になった。しかし認識論的序論と言えば、彼に影響するところの多いカントの感性-悟性-理性の系列を独自の立場から展開するというようなこととならざるを得ない。実際、感覚から知覚を区別して独立させるならば、カントの系列から第1章、第2章、第3章および第5章とが得られるのである。しかし形式主義を打破せんとして彼はすでに事柄そのものの内に躍り込んだし、また哲学史を講じた関係もあって歴史性の立場が序論の内に入り込んでしまったが、このことはまた彼にとっては意識がただ認識のみを事とする理論的なものに留まらず、これと不可分離に実践的なものであることをも意味している。ここからして、第4章自己確信の真理あるいはB自己意識が生まれてくる。こうしてすでに前半が稿の進むにしたがって量的にも実質的にも認識論的序説の枠を破ってしまった。
そこで自ずと構想に変化をきたした。すでに歴史性の見地は秘かに入り込んだし、またこれに連関して意識は理論的であるに留まらず、実践的である。実践的であるとすれば、道徳(人倫)と宗教とを度外視して絶対知の成立を説くことはヘーゲルとしては出来ないことである。ここにフォス宛書簡草稿の空欄にしたためられていた構想は捨てるしかなくなる。しかも歴史-道徳-宗教はヘーゲルが青年時代から得意とした境地であり、イエナ期に入ってもすでに多くの準備がなされている。こうして認識論的序説の枠から次第に遠く離れてしまい、また意識の経験の学という書名も不適切となった。そこでカントがランベルト(1728-77年)から得て一時は主著『純粋理性批判』の名とさえしようとし、また『自然科学の形而上学的基本原理』において実際に用い、この書を通じてヘーゲルも熟知している現象学という名を採用して(この書を熟知していたことは『差異論文』によって明らかである)書名を精神の現象学とし、これをもって体系の第一部とし、この見地から序文を書くに至ったもののようである。
ヘーゲルは、最初の幾つかの章では、意識が行う経験の叙述という枠を厳密に守っている。しかしもちろんこの叙述の中に哲学史研究が入り込んでくる。叙述の厳密さがすぐに失われる。叙述は長くなり、ストア主義、懐疑主義といった具体的な歴史の形態が登場する。
「自己自身の確信と真理」の内に、すなわち「自己意識」の内に、(最初の構想に従えば)全体の転換点が存在する。ここですでに精神の概念は獲得されている。いま意識はそれに加えて、精神が何であるか、この絶対的な実体が何であるかを経験しなければならない。意識は、精神であるという自己の本質を把握することによって、絶対知そのものの本性を表わし示すであろう。最終的に普遍的な自己意識に至る「承認をめぐる戦い」は、イエナ時代の精神哲学のテーマであった。本来は普遍的となった精神の叙述の後に、すぐ現実的あるいは客観的精神の叙述が続くことになっていたのではないだろうか。イエナの精神哲学では実際、普遍的自己意識の後すぐ「民族の精神」、つまり現実的精神が続いている。現象学ではしかし、『イエナ体系構想Ⅰ』においてのように普遍的自己意識の真理は、絶対的意識として規定されない。1805年初夏の断片においてそうであるように絶対知としても規定されない。そうではなく理性として規定される。そしてヘーゲルは、すでに力と悟性についての叙述の中で、理性の最初の、したがってなお不完全な現象について述べ、同時に、そのより完全な現象への注目を促している。
普遍的な自己は、神と人間との間の和解として、不幸な、キリスト教的な意識である。この意識はそれ自身の不幸から逃れることができない。一方、章の見出しとなっている理性は、カントの根本概念である。ヘーゲルは、理性を普遍的な自己意識の真理として定立することによって、同時に、ドイツ観念論をキリスト教的信仰の真理として定立する。それはドイツ観念論の自己了解に合致している。しかし、ヘーゲルは直ちにカントやフィヒテが考えるような理性を批判する。この理性は、実在性を自己の外にもつ抽象的な理性だからである。抽象的であるがゆえに、統覚の統一に対して物自体が、あるいはフィヒテの場合には、自我に疎遠な障害が並立する。『エンチュクロぺデイー』(437節補遺)においてヘーゲルは、理性が『論理学』の最後の段階に、つまり理念に対応する、とはっきり述べている。しかし、ここでもまたヘーゲルは、普遍的な自己意識の真理として理性によって獲得される意識と客観との統一が、なお形式的であり、抽象的である点に注意している。この統一は整合性という空虚な一致を基礎づけるにすぎず、まだ内容に満ちた整合性としての真理性という一致を基礎づけるには至っていない。それゆえヘーゲルは理性を自己実現の道へと連れ出す。自然および自己意識の観察、精神への生成を通して理性は自己を実現する。そして最終的には自己を精神を越えて高め、宗教を絶対知へと高める。純粋理性は、ただ、経験的意識との、実践的理性との、人倫および宗教との、そして歴史全体との統一においてのみ展開され得る、というのがヘーゲルの見解であった。理性への道程もまたヘーゲルは、理性が、全実在であるという意識の確信であることを、ただ単に主張するためにではなく、これを証明するために、展開したのであった。
理性の実現に関する章は、経験の学において当初から構想されていたのか、という問題が残り続ける。しかしこの章は、基本的には、ヘーゲルが緒論で展開している構想によって要求されている。ヘーゲルは、経験の学について、そして現象学についても、その一つ一つの形態が体系の各々の要求に対応する、と主張している。意識の形態(感覚的確信、知覚、悟性)は客観的論理学の諸要素に対応する。自己意識は、主観的論理学に対応する。もちろん、叙述が歴史への関連づけによって柔軟なものになるために、ここでの対応はもはや他の部分ほど厳密ではないのであるが。自然と主観的精神に対応する諸形態がこの後に続かねばならなかった。これらの形態が理性の章で現れる。
ローゼンクランツが報告しているように、1806年夏学期の実在哲学に関する講義の中でヘーゲルは、自然の叙述に際して、現象学の内容を大きく関与させた。彼は思い込みに対して、自然の側から、空間と時間の中で個別的となった存在を対応させた。悟性に対しては自然の普遍的法則を、理性に対しては生命、有機的存在を対応させた。自然の観察が意識にとって可能になるのは、しかし、それが理性となって後のことである。もっとも思い込みも知覚も、理性の活動の一つの有り様には違いはないが。最初に現れる単純な意識は、たしかに、論理学で論じられるカテゴリーを持ち合わせている。しかし自然科学のカテゴリーを持ち合わせてはいない。このためにヘーゲルは後に(『エンチュクロぺディー』418節注)、感覚的確信の章ですでに「ここ」と「今」が、すなわち、論理学にではなく、自然哲学に属するカテゴリーが論じられていることに対して批判を行ったのである。したがって、自然に対してヘーゲルがどのような意識の形態を対応させているか、ということから解るように、個々の章の区分は、現象学執筆中のヘーゲル自身にもまだ明確になっていなかったのである。現象学の中でもうすでにヘーゲルは、最初の幾つかの章の叙述が有する制限を明らかにしている。自己意識の章に登場するストア主義、懐疑主義、不幸な意識は、ローマの法状態の中で、法の形式主義の中で、「教養」としての疎外の中で実現されるところのものを、ただ非現実的な思想の形において有するにすぎない、ということをヘーゲルは指摘している。もちろんヘーゲルが、自己意識の章の執筆の時点においてすでにこの制限を意識していたかどうかは、問題として残る。
自然と自己意識の観察からはいかなる意識の形態も成立しないという点が、我々の注意をひく。さらに生成する精神が自己を展開する際に通過する諸形態が、直接的な人倫としての精神がとっくの昔に解体されてしまっている末期的な時代の諸形態であるという点に対して、ヘーゲルははっきりとした弁明を行わなければならない。これらの諸形態は、精神の章で論じられる道徳性の形態からそれほどはっきりと区別されないのである。理性の章は総じて全体の枠から著しく外れている。周辺的な事柄に関する部分の、度を超えた長さだけではない。ヘーゲルは、意識、自己意識等々の形態に対して、それらが時間(歴史)の中に分かれて位置を占めることを要求する。意識、自己意識、精神、宗教の諸形態はこの要求を満たす。これらの形態のもとには歴史の展開を想定することができる。しかし理性の形態に対してはそれを想定することが出来ない。理性の章だけがヘーゲルの要求を満たしていないのである。この章が置かれる位置もまた著しく変化している。現象学の目次によれば、この章はCの第1章であるのに対し、ニュルンベルク時代の最初の意識論の中ではA部の第3の、そして最後の章である。
理性の章の後で初めて『現象学』(というのは経験の学は今やもう現象学となっているのだから)は、ヘーゲルが当初自己意識の章の中に置いたかの地点に到達する。本質と現象が一致し、精神が自己を、自己自身を担う絶対的な本質として示す地点である。しかし精神は自己をさらに展開しなければならない。精神の諸形態は、「実在的な精神であり、本来の現実性であるという点において、また、ただ単なる意識の形態ではなく、同時に世界の形態でもあるという点において、先行する諸形態から区別される」。
(10)異常に長くなった理性の章においてヘーゲルの当初の構想は最終的に破綻する。自己意識の叙述においても既に完全な厳密さにおいて保持されていたわけではないが、著作の重点(重心)は、純粋に量的にみてもそうであるが、最終的に精神と宗教の章に移る。ヘーゲルが著作の重点を置き替えたのに応じて、1806、7年の冬学期の講義予告の中に精神の現象学という名称が初めて登場する。
さてヘーゲルは、精神と宗教の章に至って、著作全体の構成にも修正を加える。彼は最初の三つの形態を意識の章にまとめる。それに続く章には、自己意識および理性という見出しを与える。各章の見出しは、緒論で展開された、確信(知)と真理という概念を用いてはもはや表現されない。これらの概念で表現された見出しは、自己意識を著作全体の重点として明示する。すなわち自己意識は、自己自身の確信の真理と名づけられる(理性の章の見出しにおいて確信と真理とは再び分かれる)。著作の重点が精神と宗教へと移され、意識の経験の学が精神の現象学となった後にヘーゲルは確信と真理の概念を見出しから省いたのである。
現象学の最後の部分、および序文においてヘーゲルは、彼の著作の理念について新しい解釈を提示している。それを明らかにするためには、経験の学の理念と現象学の理念の相違を、その間に生じた根本概念の変化を浮き彫りにすることによって、叙述するのが適切な方法であろう。例えば経験の概念は現象学の後半では幾らか背景に退いている。経験の概念は、もはや厳密に、緒論において展開された意味において用いられていない。意識のなす経験についてよりも、むしろ精神の経験について論じられている。そして精神の経験として考えられているのは、精神が自己自身を疎外し、この疎外から自己を回復することによって、自己を経験する運動である。意識の概念は精神の概念によってより高められるのである。さらに例えば弁証法は、緒論および初めの章においてどのように考えられ、また最後の部分と序文でどのように考えられているのか。現象の概念は最初の部分では何を意味し、また例えばフランス革命が精神の現象として登場する後半の章では何を意味しているのか。ヘーゲルは歴史について緒論ではどのように語り、また最後の部分ではどのように語っているのか。
(11)学への道程としての現象学は、それ自身すでに学であり、しかも学の第一部である。直接的な実在のエレメント、すなわち精神の直接態としての意識のエレメントにおいて自己を展開するからである。直接的なものは、まだ自己への還帰ではないところの始まりである。精神の直接態としての意識は、現象学においては、体系の中でのように、まだ媒介されていない。その直接態において始まりとして定立されている。1813年の『論理学』の第一巻ではヘーゲルは、なお、現象学が絶対的な始まりである、と考えている。しかしハイデルベルク時代の『エンチュクロぺディー』の第36節では次のように言われている。意識の歴史は現象学において確かに概念の展開として叙述される。しかし、意識は同時に、絶対的始まりではなく、哲学の円環の一つの構成要素である、と。現象学が体系の先取りであることが明らかにされる。その進展の方法もまた先取りである。方法の必然性は論理学の中において初めて展開される。
年老いてからのヘーゲルは、現象学から体系の第一部という表示を取り除いた。1812年の段階ではヘーゲルは現象学を論理学の前提としている。もっともそこで既に現象学で展開される学の概念が、論理学自身の内部でも生み出されることを強調しているのであるが。『論理学』の第一巻の改訂(1831年)の際には彼は、現象学について極めて曖昧に語っている。現象学を事実として前提する一方で、現象学の不必要性をもまた指摘する。『エンチュクロぺディー』の中ではヘーゲルは現象学をはっきりと体系全体から除外する。『エンチュクロぺディー」の三つの部分は、その各々が相互に媒介し合う一つの推論を形成する。したがってこの閉じた体系は導入を必要としない。しかしヘーゲルは、宗教哲学においてはなお、絶対者を展開する二つの道としての現象学と『エンチュクロぺディー』について論じている。
多くのヘーゲル主義者たちは現象学を体系というまとまりの中から除外しようとした。今日再び、ヘーゲルの体系は現象学、論理学、実在哲学から構成されているという主張が聞かれる。ヘーゲルが一義的に処理し、構成することができなかったものが、そのような仕方で規格化された体系にまとめられ、平板化されてしまう。ヘーゲルの思考の過程に現れた断絶や緊張は覆い隠される。体系全体の統一性がヘーゲルにおいて(彼もまた一思想家であって、決して論破されることのない世界哲学者ではあり得ない)常に問題であり続けてきたことを人は見ようとしない。現象学は、それによって体系が結合される、根源的推論の一つの在り方を叙述するという主張もまた退けられねばならない。『エンチュクロぺディー』においてヘーゲルは、現象学からはっきりと距離を置いており、根源的推論が、『エンチュクロぺディー』の最後の数節で、叙述された際に、現象学のことが考えられていた、ということは到底あり得ないからである。それだけでなく現象学は、それ固有の規定からして、根源的推論において要求されていることを果たし得ない。つまり、現象学は体系の各部分を統合することができない。それらが現象学ではその真の在り方において現れないからである。現象学が叙述する絶対知の外化は、なお不完全である。外化は自己自身の確信と、対象との関係を表現しているが、対象の方は、まさに、関係の内にあるということによってなお完全な自由を手にしていないからである。外化はただ意識のエレメントにおいてのみなされているにすぎない。外化は、確信として、対象を常に自己への関係において保持し、しかもそれを自己の限界として所有する。しかしなおそれを完全に自由にはしていない。自己の限界を知るということは、結局、自己を犠牲にするということを知る、ということを意味する。完全な外化は、意識が対象を、自己への関係から解き放つということの内に、また意識が、自己を完全な自由の中で取り戻すことが出来るように、自己を犠牲にするということの内に存在する。絶対知の完全な外化は論理学および実在哲学へ、それと共にまた自然と歴史における偶然性へと行き着く。それに対して現象学においては、自然ではなく、ただ自然の観察が、歴史ではなくただ歴史の概念的に把握された組織だけが登場する。また、純粋な論理学ではなく、ただ論理学の諸契機だけが、意識の諸形態の内に閉じ込められた形で登場する。
忘れてならないのは、ヘーゲルが現象学の執筆の時期においてのみ形態を問題にし、それ以後はもはや問題にしなかった、という点である。この点についてはH・グロックナーが繰り返し強調しているし、また最近ではH・シュミッツが論じている。後のヘーゲルは、現象学の形態を外面的として捉えている。1813年の版の『論理学』第一巻では、現象学における意識は、具体的な対象としての精神であり、現象する精神としての意識は、自己をその直接性と具体性から、純粋な知へと解き放たねばならない、と言われている。1831年の版では、現象学における意識は、具体的な、しかも外面性に捉われた知としての精神であり、現象する精神としての意識は、自己をその直接性と外面的具体性から純粋な知へと解き放たねばならない、と言われている。
『エンチュクロぺディー』(13、14節)においてヘーゲルは次のように述べている。哲学史は、思惟のエレメントにおいて体系であるところのものが、外面性のエレメントに移されたものに他ならない、と。以前には現象学のために留保されていたものが、今ここでは歴史的な思索によって遂行されている。つまり、学への道程は、今やこの歴史的な思索によって叙述される。それは例えば、宗教の内容を概念の内へと高めるべき時代が到来しているといったことを、また例えば、近代の哲学は、真理を客観的思想として叙述することを目的としているといったことを明らかにする(『エンチュクロぺディー』24節以下)。そして全歴史は、絶対知をあらゆる知の究極的な真理として明示する。ヘーゲルは、とりわけ『哲学史』の中で、現象学の表現に極めて近いと感じられる表現を用いている。学への道は様々な形態の段階を経て学へと通じている。その道自身がすでに学である、等々の表現である。
後期のヘーゲルにおいて現象学は、主観的精神の哲学の一節に簡略化されてしまっている、と言われるとするならば、そこでは真理のせいぜい半分が言い表されているにすぎない。ヘーゲルの現象学の理念は、この節に、というよりもむしろ、ヘーゲルの歴史に対する思索の中に、また、体系の外面性として把握される歴史の叙述の中に移されているからである。
ヘーゲルは、近代の、とりわけカントの試みの基盤の上に、新しい形而上学を展開しようと試みた。ただ彼は、哲学の究極的な概念を、カントやフィヒテが行ったように(彼の見解によれば)、単純に主張したり、前提したりするのではなく、弁証法的に概念相互から導出し、基礎づけようとした。1803/04年の冬学期に彼は、「論理学および形而上学、すなわち超越論的観念論」の講義を予告している。つまり、彼は、論理学および形而上学を超越論的観念論と同一視している。この時期に彼は、ローゼンクランツの証言によれば、論理学と形而上学の講義の導入部分において、意識の経験の概念を展開している。経験の概念の緒論もカントへと立ち戻っている。しかもただ単に論争という点からだけでなく。あらゆる総合判断の最高原則に関する問いの中で、つまり超越論的論理学の頂点で、カントは真理を、自明なことのように、客観との一致として規定する。認識は、経験によってこの一致を確認する。経験が認識に客観的な実在性を付与するのである。ア・プリオリな総合判断は可能である。なぜなら経験一般の可能性の制約は、同時に、経験の対象の可能性の制約でもあるからである。ヘーゲルはここから始める。彼は認識の実在性を吟味し、概念と対象、知と真理とが一致し、また、概念が客観的実在性を獲得して、実現された概念となるような究極的な経験が、いかにして存在し得るかを問う。ヘーゲルは、『論理学』(形而上学)が展開され得る以前に、弁証法的な運動の中で、あるいは歴史の中で、意識の経験が純化されていなければならない、ということを示す。
求められている究極的な経験の可能性に関する問いは、また、後の観念論の立場からは、知的直観の可能性に関する問いとしても表現され得る。そしてもしカントの構想力がこの知的直観であるとすれば(思弁的観念論の解釈によればそうなのであるが)、ここで構想力の可能性が問われる。ヘーゲルはイエナ時代の著作である『信仰と知』において次のように語る。「この構想力は、一面では主観一般となり、他面ではしかし客観となるところの、そして根源的には両方であるところの、根源的に二面的な同一性として、理性自身に他ならない。・・・ただ経験的意識の領域の中に現象するものとしての理性である」。ヘーゲルは、理性を単に経験的な意識としてだけではなく、同時に運命をはらんだ、人倫的、宗教的な精神として、そしてそれと共に絶対知として把握する。この絶対知の、様々な意識の形態における現象の叙述が精神の現象学、つまり、意識の経験の学がそれへと変化していった当のもの、に他ならない。現象学においてヘーゲルは構想力ないし知的直観を、その現象の有り様に従って具体的に把握する。したがって把握された絶対者もまた同様に具体的であり、それゆえ決して、すべての牛が黒く見える夜ではあり得ない。
ヘーゲルは現象学において、カントの思想を一つの全体へと組織し、そしてカントを乗り越えながら、あらゆる精神的な伝統に立ち向かい、その成果を、一つの命題の中に凝縮して把握する。すなわち、実体は主体とならねばならない、という命題の中にである。ヘーゲルは単なる理性を、内容と精神を含んだ理性から区別することによって、同時に、空虚な整合性を真理から区別する。このようにして彼は、形而上学の可能性についての問いを、自らの思索の過程の出発点であった、精神、運命、歴史をめぐっての様々な考察のために開け放つ(それに展開の場所を与える)。もちろん最終的にはヘーゲルは、真理を再び整合性の点から捉え直す。現象学において、まさに、絶対知がその対象と完全に一致することを、すなわち整合的であることを示す。絶対知において精神はそれ自体が対象であり、それは、一切の曖昧さを残すことなく、自己をどこまでも明瞭に認識する。現象学は、ただ不完全な精神だけが運命に見舞われることを、すなわち、その精神の内においてのみ明瞭さと同時に隠蔽が存在することを示さねばならない。
現象学の理念は、ヘーゲルが、イエナ時代初期から彼の生涯の終わりに至るまで、つねに新たに、多くの労苦と共に問い続けた思想である。ヘーゲルがこの思想を展開しようとした著作、すなわち現象学は、その構想に関して、また全体系におけるその位置に関して、常に問題であり続けた。一義的に、首尾一貫して仕上げられなかった思想、しかし一人の思想家が彼の生涯を通して、多くの労苦と共に問い続けた思想は、決して無用な思想ではあり得ない。我々がヘーゲルの現象学の理念を考察の対象としようとする時、我々はヘーゲルの思想を一つの思惟の過程として見なさねばならない。つまり、たえず新たに始まりを持ち、そして思索者が幾度かは倦み疲れ、問題から離れて行くことさえある思想として見なさねばならない。この思考の過程においてヘーゲルは、カントを求めて、つまり形而上学的な、あるいは形而上学以上の、すなわち最初にして最後の哲学的な問いがいかにして、換言すれば、いかなる、エレメントにおいて可能であるか、という問題をめぐって歴史的な意識を再生することを求めて格闘する。そして、ヘーゲル以後の時代の思想もまた、ヘーゲルの根本問題としてのこの問いによって動かされているがゆえに、創造的な思想家はいつも繰り返し現象学に戻りゆくのであり、現象学の解釈の歴史もまた、関心を惹き起こさずにはおかないアクチュアリティに満ちているのである。
ところで、前述のフォス宛書簡草稿の空白になっている箇所に現象学の絶対知の段階に関する構想をしたためた断片があるが、これによると、すでに人倫の段階において絶対知に移ることになっている。だから精神の章に移ったときにすでに絶対知は成立することになる。
しかし、ヘーゲルにおいて精神の現象学という表現が史料的に確認されるのは、1806年の冬学期の講義題目を彼が大学当局に届け出た同年8月頃に始まるから、この前半は二重の書名の内では、精神の現象学ではなく、意識の経験の学であったようである。しかもこの冬学期の講義題目の一部は精神の現象学によって先立たれた論理学と形而上学、あるいは思弁哲学、すなわち学の体系、やがて公刊されるその第一部によって、というのであるが、この題目は精神の現象学が体系の第一部ではなく、そうであるのは、これを序論として含む論理学と形而上学からなる思弁哲学であることを示している。だから、ましてフォス宛書簡当時の構想にしたがって書かれた意識経験の学は体系の第一部ではなく、それへの認識論的序論であり入門であった。
ところで5章の量はもはや序論のものではないが、こうなったのには二つの原因が考えられる。第一はシェリングの形式主義を打破しようとする意図がヘーゲルをしてすでに序論において事柄(ザッへ)そのものへ躍り込ませたということであり、第二は知らず知らずのうちに歴史性の見地が入り込んで来たということである。
歴史性の見地が明確に出現するのは、精神の章からである。この段階はギリシア-ローマ-中世より近世-現代(ロマンティーク)と言うように、全く歴史的順序で展開されており、宗教の章に至ると、歴史性の見地は更に東方的時代にまで及んでいる。また本文より後に出来た序文においてはヘーゲルは精神史的反省という立場から自分の哲学体系を正当化しようとしている。しかし前半でも知らず知らずのうちに歴史性の見地は入り込んでいる。これが比較的顕著になるのは、第4章自己確信の真理からであって、ここで展開されるストア主義-スケプシス主義-不幸な意識という系列はもちろん歴史的変遷を越えて普遍的意義をもつ意識段階として考察されているに相違ないとしても、ストア主義とスケプシス主義とがそれぞれの史的形態から分離し難いものであることは明らかであり、また不幸な意識も中世キリスト教を取り上げたものであることはその内容からして疑いを容れる余地はない。第5章理性の確信と真理のAという第一段階はルネサンス以後の科学の発展を取り上げたものである。もっとも、この見方からすると、有機体の観察や人相術や頭蓋論が異常に詳しいが、これは一面においてはすでに序論において事柄そのものに躍入しようとしたことに原因をもつと同時に、他面においてはヘーゲルとしては現代的関心の見地から詳論したのである。そうして第二と第三の段階は観察に対する実践(ただしなお個人的)の問題という観点からルネサンス以後の変遷を跡付けたものという意義をもっている。
さらに第1章と第2章と第3章あるいはAの意識においては歴史性はいっそう表面から姿を消しているけれども、第1章感覚が存在から始まっているのは哲学史がパルメニデスの存在(エオン)から始まるのに応ずることであり、第2章知覚において諸々の性質(アイゲンシャフト)をもつ物(ディング)の成立を見るのはアリストテレス(近代ではスピノザ)における実体(ウーシア)の立場にあたっており、第3章悟性において実体そのものが力となり、諸々の性質がその発現となるのは、ライプニッツに代表される近代哲学における「実体は力である」という見方に応ずることを指している。そうしてこの力学的な見方は実体性の範疇の立場が因果性の立場に転ずることを意味するが、この立場がすでに第2章知覚において出現していた対自と対他との相即を通じてさらに相互性の範疇の立場に転ずるのは、ライプニッツにおいて、またカントにおいて相互作用の立場が同時に全体性の立場に転換するのに応じている。そうしてこの立場を通じて、A意識がB自己意識に移るのは、全体性あるいはむしろ無限性の立場をとれば、対象を意識することも自己を意識することに他ならないとして、フィヒテ哲学に移ることを指している。
このようにしてすでに前半において歴史性の立場が入り込んでしまったが、これはこの立場がヘーゲルにとって本質的であることによると共に、やはり講義が影響している。1805年の冬学期にはヘーゲルは初めて哲学史の講義を行った。同年の5月の決意を11月12月にも実行していたのは往復書簡によって明らかであるが、この頃には彼は哲学史を講じつつあったのである。ストア主義-スケプシス主義-不幸な意識という系列はこの講義の途上で形成されたものであろう。
1805年の5月のフォス宛書簡に際してヘーゲルが哲学体系第一部として企てたことは哲学知への認識論的序論を含んでいた。彼にとって哲学知とは主客の対立を統一づけた絶対知であるが、これはむろん俗耳には入らぬものである。しかし俗耳には入らぬものであっても、哲学は哲学として別箇の境地に住むというのがイエナにおいてもヘーゲルが最初にとっていた立場であった。これを示しているのは、哲学的批評の論文であって、ここでヘーゲルは悟性や常識との関係において「哲学の世界はそれ自体転倒された逆さまの世界である」と言い、また哲学は公教的なものでなく秘教的なものであると発言している。しかし、これでは理性の哲学としては失格であることに思い至って、彼は常識から絶対知にまで登る梯子(精神の現象学序文)を架けようとし、かくて認識論的序論が必要になった。しかし認識論的序論と言えば、彼に影響するところの多いカントの感性-悟性-理性の系列を独自の立場から展開するというようなこととならざるを得ない。実際、感覚から知覚を区別して独立させるならば、カントの系列から第1章、第2章、第3章および第5章とが得られるのである。しかし形式主義を打破せんとして彼はすでに事柄そのものの内に躍り込んだし、また哲学史を講じた関係もあって歴史性の立場が序論の内に入り込んでしまったが、このことはまた彼にとっては意識がただ認識のみを事とする理論的なものに留まらず、これと不可分離に実践的なものであることをも意味している。ここからして、第4章自己確信の真理あるいはB自己意識が生まれてくる。こうしてすでに前半が稿の進むにしたがって量的にも実質的にも認識論的序説の枠を破ってしまった。
そこで自ずと構想に変化をきたした。すでに歴史性の見地は秘かに入り込んだし、またこれに連関して意識は理論的であるに留まらず、実践的である。実践的であるとすれば、道徳(人倫)と宗教とを度外視して絶対知の成立を説くことはヘーゲルとしては出来ないことである。ここにフォス宛書簡草稿の空欄にしたためられていた構想は捨てるしかなくなる。しかも歴史-道徳-宗教はヘーゲルが青年時代から得意とした境地であり、イエナ期に入ってもすでに多くの準備がなされている。こうして認識論的序説の枠から次第に遠く離れてしまい、また意識の経験の学という書名も不適切となった。そこでカントがランベルト(1728-77年)から得て一時は主著『純粋理性批判』の名とさえしようとし、また『自然科学の形而上学的基本原理』において実際に用い、この書を通じてヘーゲルも熟知している現象学という名を採用して(この書を熟知していたことは『差異論文』によって明らかである)書名を精神の現象学とし、これをもって体系の第一部とし、この見地から序文を書くに至ったもののようである。
ヘーゲルは、最初の幾つかの章では、意識が行う経験の叙述という枠を厳密に守っている。しかしもちろんこの叙述の中に哲学史研究が入り込んでくる。叙述の厳密さがすぐに失われる。叙述は長くなり、ストア主義、懐疑主義といった具体的な歴史の形態が登場する。
「自己自身の確信と真理」の内に、すなわち「自己意識」の内に、(最初の構想に従えば)全体の転換点が存在する。ここですでに精神の概念は獲得されている。いま意識はそれに加えて、精神が何であるか、この絶対的な実体が何であるかを経験しなければならない。意識は、精神であるという自己の本質を把握することによって、絶対知そのものの本性を表わし示すであろう。最終的に普遍的な自己意識に至る「承認をめぐる戦い」は、イエナ時代の精神哲学のテーマであった。本来は普遍的となった精神の叙述の後に、すぐ現実的あるいは客観的精神の叙述が続くことになっていたのではないだろうか。イエナの精神哲学では実際、普遍的自己意識の後すぐ「民族の精神」、つまり現実的精神が続いている。現象学ではしかし、『イエナ体系構想Ⅰ』においてのように普遍的自己意識の真理は、絶対的意識として規定されない。1805年初夏の断片においてそうであるように絶対知としても規定されない。そうではなく理性として規定される。そしてヘーゲルは、すでに力と悟性についての叙述の中で、理性の最初の、したがってなお不完全な現象について述べ、同時に、そのより完全な現象への注目を促している。
普遍的な自己は、神と人間との間の和解として、不幸な、キリスト教的な意識である。この意識はそれ自身の不幸から逃れることができない。一方、章の見出しとなっている理性は、カントの根本概念である。ヘーゲルは、理性を普遍的な自己意識の真理として定立することによって、同時に、ドイツ観念論をキリスト教的信仰の真理として定立する。それはドイツ観念論の自己了解に合致している。しかし、ヘーゲルは直ちにカントやフィヒテが考えるような理性を批判する。この理性は、実在性を自己の外にもつ抽象的な理性だからである。抽象的であるがゆえに、統覚の統一に対して物自体が、あるいはフィヒテの場合には、自我に疎遠な障害が並立する。『エンチュクロぺデイー』(437節補遺)においてヘーゲルは、理性が『論理学』の最後の段階に、つまり理念に対応する、とはっきり述べている。しかし、ここでもまたヘーゲルは、普遍的な自己意識の真理として理性によって獲得される意識と客観との統一が、なお形式的であり、抽象的である点に注意している。この統一は整合性という空虚な一致を基礎づけるにすぎず、まだ内容に満ちた整合性としての真理性という一致を基礎づけるには至っていない。それゆえヘーゲルは理性を自己実現の道へと連れ出す。自然および自己意識の観察、精神への生成を通して理性は自己を実現する。そして最終的には自己を精神を越えて高め、宗教を絶対知へと高める。純粋理性は、ただ、経験的意識との、実践的理性との、人倫および宗教との、そして歴史全体との統一においてのみ展開され得る、というのがヘーゲルの見解であった。理性への道程もまたヘーゲルは、理性が、全実在であるという意識の確信であることを、ただ単に主張するためにではなく、これを証明するために、展開したのであった。
理性の実現に関する章は、経験の学において当初から構想されていたのか、という問題が残り続ける。しかしこの章は、基本的には、ヘーゲルが緒論で展開している構想によって要求されている。ヘーゲルは、経験の学について、そして現象学についても、その一つ一つの形態が体系の各々の要求に対応する、と主張している。意識の形態(感覚的確信、知覚、悟性)は客観的論理学の諸要素に対応する。自己意識は、主観的論理学に対応する。もちろん、叙述が歴史への関連づけによって柔軟なものになるために、ここでの対応はもはや他の部分ほど厳密ではないのであるが。自然と主観的精神に対応する諸形態がこの後に続かねばならなかった。これらの形態が理性の章で現れる。
ローゼンクランツが報告しているように、1806年夏学期の実在哲学に関する講義の中でヘーゲルは、自然の叙述に際して、現象学の内容を大きく関与させた。彼は思い込みに対して、自然の側から、空間と時間の中で個別的となった存在を対応させた。悟性に対しては自然の普遍的法則を、理性に対しては生命、有機的存在を対応させた。自然の観察が意識にとって可能になるのは、しかし、それが理性となって後のことである。もっとも思い込みも知覚も、理性の活動の一つの有り様には違いはないが。最初に現れる単純な意識は、たしかに、論理学で論じられるカテゴリーを持ち合わせている。しかし自然科学のカテゴリーを持ち合わせてはいない。このためにヘーゲルは後に(『エンチュクロぺディー』418節注)、感覚的確信の章ですでに「ここ」と「今」が、すなわち、論理学にではなく、自然哲学に属するカテゴリーが論じられていることに対して批判を行ったのである。したがって、自然に対してヘーゲルがどのような意識の形態を対応させているか、ということから解るように、個々の章の区分は、現象学執筆中のヘーゲル自身にもまだ明確になっていなかったのである。現象学の中でもうすでにヘーゲルは、最初の幾つかの章の叙述が有する制限を明らかにしている。自己意識の章に登場するストア主義、懐疑主義、不幸な意識は、ローマの法状態の中で、法の形式主義の中で、「教養」としての疎外の中で実現されるところのものを、ただ非現実的な思想の形において有するにすぎない、ということをヘーゲルは指摘している。もちろんヘーゲルが、自己意識の章の執筆の時点においてすでにこの制限を意識していたかどうかは、問題として残る。
自然と自己意識の観察からはいかなる意識の形態も成立しないという点が、我々の注意をひく。さらに生成する精神が自己を展開する際に通過する諸形態が、直接的な人倫としての精神がとっくの昔に解体されてしまっている末期的な時代の諸形態であるという点に対して、ヘーゲルははっきりとした弁明を行わなければならない。これらの諸形態は、精神の章で論じられる道徳性の形態からそれほどはっきりと区別されないのである。理性の章は総じて全体の枠から著しく外れている。周辺的な事柄に関する部分の、度を超えた長さだけではない。ヘーゲルは、意識、自己意識等々の形態に対して、それらが時間(歴史)の中に分かれて位置を占めることを要求する。意識、自己意識、精神、宗教の諸形態はこの要求を満たす。これらの形態のもとには歴史の展開を想定することができる。しかし理性の形態に対してはそれを想定することが出来ない。理性の章だけがヘーゲルの要求を満たしていないのである。この章が置かれる位置もまた著しく変化している。現象学の目次によれば、この章はCの第1章であるのに対し、ニュルンベルク時代の最初の意識論の中ではA部の第3の、そして最後の章である。
理性の章の後で初めて『現象学』(というのは経験の学は今やもう現象学となっているのだから)は、ヘーゲルが当初自己意識の章の中に置いたかの地点に到達する。本質と現象が一致し、精神が自己を、自己自身を担う絶対的な本質として示す地点である。しかし精神は自己をさらに展開しなければならない。精神の諸形態は、「実在的な精神であり、本来の現実性であるという点において、また、ただ単なる意識の形態ではなく、同時に世界の形態でもあるという点において、先行する諸形態から区別される」。
(10)異常に長くなった理性の章においてヘーゲルの当初の構想は最終的に破綻する。自己意識の叙述においても既に完全な厳密さにおいて保持されていたわけではないが、著作の重点(重心)は、純粋に量的にみてもそうであるが、最終的に精神と宗教の章に移る。ヘーゲルが著作の重点を置き替えたのに応じて、1806、7年の冬学期の講義予告の中に精神の現象学という名称が初めて登場する。
さてヘーゲルは、精神と宗教の章に至って、著作全体の構成にも修正を加える。彼は最初の三つの形態を意識の章にまとめる。それに続く章には、自己意識および理性という見出しを与える。各章の見出しは、緒論で展開された、確信(知)と真理という概念を用いてはもはや表現されない。これらの概念で表現された見出しは、自己意識を著作全体の重点として明示する。すなわち自己意識は、自己自身の確信の真理と名づけられる(理性の章の見出しにおいて確信と真理とは再び分かれる)。著作の重点が精神と宗教へと移され、意識の経験の学が精神の現象学となった後にヘーゲルは確信と真理の概念を見出しから省いたのである。
現象学の最後の部分、および序文においてヘーゲルは、彼の著作の理念について新しい解釈を提示している。それを明らかにするためには、経験の学の理念と現象学の理念の相違を、その間に生じた根本概念の変化を浮き彫りにすることによって、叙述するのが適切な方法であろう。例えば経験の概念は現象学の後半では幾らか背景に退いている。経験の概念は、もはや厳密に、緒論において展開された意味において用いられていない。意識のなす経験についてよりも、むしろ精神の経験について論じられている。そして精神の経験として考えられているのは、精神が自己自身を疎外し、この疎外から自己を回復することによって、自己を経験する運動である。意識の概念は精神の概念によってより高められるのである。さらに例えば弁証法は、緒論および初めの章においてどのように考えられ、また最後の部分と序文でどのように考えられているのか。現象の概念は最初の部分では何を意味し、また例えばフランス革命が精神の現象として登場する後半の章では何を意味しているのか。ヘーゲルは歴史について緒論ではどのように語り、また最後の部分ではどのように語っているのか。
(11)学への道程としての現象学は、それ自身すでに学であり、しかも学の第一部である。直接的な実在のエレメント、すなわち精神の直接態としての意識のエレメントにおいて自己を展開するからである。直接的なものは、まだ自己への還帰ではないところの始まりである。精神の直接態としての意識は、現象学においては、体系の中でのように、まだ媒介されていない。その直接態において始まりとして定立されている。1813年の『論理学』の第一巻ではヘーゲルは、なお、現象学が絶対的な始まりである、と考えている。しかしハイデルベルク時代の『エンチュクロぺディー』の第36節では次のように言われている。意識の歴史は現象学において確かに概念の展開として叙述される。しかし、意識は同時に、絶対的始まりではなく、哲学の円環の一つの構成要素である、と。現象学が体系の先取りであることが明らかにされる。その進展の方法もまた先取りである。方法の必然性は論理学の中において初めて展開される。
年老いてからのヘーゲルは、現象学から体系の第一部という表示を取り除いた。1812年の段階ではヘーゲルは現象学を論理学の前提としている。もっともそこで既に現象学で展開される学の概念が、論理学自身の内部でも生み出されることを強調しているのであるが。『論理学』の第一巻の改訂(1831年)の際には彼は、現象学について極めて曖昧に語っている。現象学を事実として前提する一方で、現象学の不必要性をもまた指摘する。『エンチュクロぺディー』の中ではヘーゲルは現象学をはっきりと体系全体から除外する。『エンチュクロぺディー」の三つの部分は、その各々が相互に媒介し合う一つの推論を形成する。したがってこの閉じた体系は導入を必要としない。しかしヘーゲルは、宗教哲学においてはなお、絶対者を展開する二つの道としての現象学と『エンチュクロぺディー』について論じている。
多くのヘーゲル主義者たちは現象学を体系というまとまりの中から除外しようとした。今日再び、ヘーゲルの体系は現象学、論理学、実在哲学から構成されているという主張が聞かれる。ヘーゲルが一義的に処理し、構成することができなかったものが、そのような仕方で規格化された体系にまとめられ、平板化されてしまう。ヘーゲルの思考の過程に現れた断絶や緊張は覆い隠される。体系全体の統一性がヘーゲルにおいて(彼もまた一思想家であって、決して論破されることのない世界哲学者ではあり得ない)常に問題であり続けてきたことを人は見ようとしない。現象学は、それによって体系が結合される、根源的推論の一つの在り方を叙述するという主張もまた退けられねばならない。『エンチュクロぺディー』においてヘーゲルは、現象学からはっきりと距離を置いており、根源的推論が、『エンチュクロぺディー』の最後の数節で、叙述された際に、現象学のことが考えられていた、ということは到底あり得ないからである。それだけでなく現象学は、それ固有の規定からして、根源的推論において要求されていることを果たし得ない。つまり、現象学は体系の各部分を統合することができない。それらが現象学ではその真の在り方において現れないからである。現象学が叙述する絶対知の外化は、なお不完全である。外化は自己自身の確信と、対象との関係を表現しているが、対象の方は、まさに、関係の内にあるということによってなお完全な自由を手にしていないからである。外化はただ意識のエレメントにおいてのみなされているにすぎない。外化は、確信として、対象を常に自己への関係において保持し、しかもそれを自己の限界として所有する。しかしなおそれを完全に自由にはしていない。自己の限界を知るということは、結局、自己を犠牲にするということを知る、ということを意味する。完全な外化は、意識が対象を、自己への関係から解き放つということの内に、また意識が、自己を完全な自由の中で取り戻すことが出来るように、自己を犠牲にするということの内に存在する。絶対知の完全な外化は論理学および実在哲学へ、それと共にまた自然と歴史における偶然性へと行き着く。それに対して現象学においては、自然ではなく、ただ自然の観察が、歴史ではなくただ歴史の概念的に把握された組織だけが登場する。また、純粋な論理学ではなく、ただ論理学の諸契機だけが、意識の諸形態の内に閉じ込められた形で登場する。
忘れてならないのは、ヘーゲルが現象学の執筆の時期においてのみ形態を問題にし、それ以後はもはや問題にしなかった、という点である。この点についてはH・グロックナーが繰り返し強調しているし、また最近ではH・シュミッツが論じている。後のヘーゲルは、現象学の形態を外面的として捉えている。1813年の版の『論理学』第一巻では、現象学における意識は、具体的な対象としての精神であり、現象する精神としての意識は、自己をその直接性と具体性から、純粋な知へと解き放たねばならない、と言われている。1831年の版では、現象学における意識は、具体的な、しかも外面性に捉われた知としての精神であり、現象する精神としての意識は、自己をその直接性と外面的具体性から純粋な知へと解き放たねばならない、と言われている。
『エンチュクロぺディー』(13、14節)においてヘーゲルは次のように述べている。哲学史は、思惟のエレメントにおいて体系であるところのものが、外面性のエレメントに移されたものに他ならない、と。以前には現象学のために留保されていたものが、今ここでは歴史的な思索によって遂行されている。つまり、学への道程は、今やこの歴史的な思索によって叙述される。それは例えば、宗教の内容を概念の内へと高めるべき時代が到来しているといったことを、また例えば、近代の哲学は、真理を客観的思想として叙述することを目的としているといったことを明らかにする(『エンチュクロぺディー』24節以下)。そして全歴史は、絶対知をあらゆる知の究極的な真理として明示する。ヘーゲルは、とりわけ『哲学史』の中で、現象学の表現に極めて近いと感じられる表現を用いている。学への道は様々な形態の段階を経て学へと通じている。その道自身がすでに学である、等々の表現である。
後期のヘーゲルにおいて現象学は、主観的精神の哲学の一節に簡略化されてしまっている、と言われるとするならば、そこでは真理のせいぜい半分が言い表されているにすぎない。ヘーゲルの現象学の理念は、この節に、というよりもむしろ、ヘーゲルの歴史に対する思索の中に、また、体系の外面性として把握される歴史の叙述の中に移されているからである。
ヘーゲルは、近代の、とりわけカントの試みの基盤の上に、新しい形而上学を展開しようと試みた。ただ彼は、哲学の究極的な概念を、カントやフィヒテが行ったように(彼の見解によれば)、単純に主張したり、前提したりするのではなく、弁証法的に概念相互から導出し、基礎づけようとした。1803/04年の冬学期に彼は、「論理学および形而上学、すなわち超越論的観念論」の講義を予告している。つまり、彼は、論理学および形而上学を超越論的観念論と同一視している。この時期に彼は、ローゼンクランツの証言によれば、論理学と形而上学の講義の導入部分において、意識の経験の概念を展開している。経験の概念の緒論もカントへと立ち戻っている。しかもただ単に論争という点からだけでなく。あらゆる総合判断の最高原則に関する問いの中で、つまり超越論的論理学の頂点で、カントは真理を、自明なことのように、客観との一致として規定する。認識は、経験によってこの一致を確認する。経験が認識に客観的な実在性を付与するのである。ア・プリオリな総合判断は可能である。なぜなら経験一般の可能性の制約は、同時に、経験の対象の可能性の制約でもあるからである。ヘーゲルはここから始める。彼は認識の実在性を吟味し、概念と対象、知と真理とが一致し、また、概念が客観的実在性を獲得して、実現された概念となるような究極的な経験が、いかにして存在し得るかを問う。ヘーゲルは、『論理学』(形而上学)が展開され得る以前に、弁証法的な運動の中で、あるいは歴史の中で、意識の経験が純化されていなければならない、ということを示す。
求められている究極的な経験の可能性に関する問いは、また、後の観念論の立場からは、知的直観の可能性に関する問いとしても表現され得る。そしてもしカントの構想力がこの知的直観であるとすれば(思弁的観念論の解釈によればそうなのであるが)、ここで構想力の可能性が問われる。ヘーゲルはイエナ時代の著作である『信仰と知』において次のように語る。「この構想力は、一面では主観一般となり、他面ではしかし客観となるところの、そして根源的には両方であるところの、根源的に二面的な同一性として、理性自身に他ならない。・・・ただ経験的意識の領域の中に現象するものとしての理性である」。ヘーゲルは、理性を単に経験的な意識としてだけではなく、同時に運命をはらんだ、人倫的、宗教的な精神として、そしてそれと共に絶対知として把握する。この絶対知の、様々な意識の形態における現象の叙述が精神の現象学、つまり、意識の経験の学がそれへと変化していった当のもの、に他ならない。現象学においてヘーゲルは構想力ないし知的直観を、その現象の有り様に従って具体的に把握する。したがって把握された絶対者もまた同様に具体的であり、それゆえ決して、すべての牛が黒く見える夜ではあり得ない。
ヘーゲルは現象学において、カントの思想を一つの全体へと組織し、そしてカントを乗り越えながら、あらゆる精神的な伝統に立ち向かい、その成果を、一つの命題の中に凝縮して把握する。すなわち、実体は主体とならねばならない、という命題の中にである。ヘーゲルは単なる理性を、内容と精神を含んだ理性から区別することによって、同時に、空虚な整合性を真理から区別する。このようにして彼は、形而上学の可能性についての問いを、自らの思索の過程の出発点であった、精神、運命、歴史をめぐっての様々な考察のために開け放つ(それに展開の場所を与える)。もちろん最終的にはヘーゲルは、真理を再び整合性の点から捉え直す。現象学において、まさに、絶対知がその対象と完全に一致することを、すなわち整合的であることを示す。絶対知において精神はそれ自体が対象であり、それは、一切の曖昧さを残すことなく、自己をどこまでも明瞭に認識する。現象学は、ただ不完全な精神だけが運命に見舞われることを、すなわち、その精神の内においてのみ明瞭さと同時に隠蔽が存在することを示さねばならない。
現象学の理念は、ヘーゲルが、イエナ時代初期から彼の生涯の終わりに至るまで、つねに新たに、多くの労苦と共に問い続けた思想である。ヘーゲルがこの思想を展開しようとした著作、すなわち現象学は、その構想に関して、また全体系におけるその位置に関して、常に問題であり続けた。一義的に、首尾一貫して仕上げられなかった思想、しかし一人の思想家が彼の生涯を通して、多くの労苦と共に問い続けた思想は、決して無用な思想ではあり得ない。我々がヘーゲルの現象学の理念を考察の対象としようとする時、我々はヘーゲルの思想を一つの思惟の過程として見なさねばならない。つまり、たえず新たに始まりを持ち、そして思索者が幾度かは倦み疲れ、問題から離れて行くことさえある思想として見なさねばならない。この思考の過程においてヘーゲルは、カントを求めて、つまり形而上学的な、あるいは形而上学以上の、すなわち最初にして最後の哲学的な問いがいかにして、換言すれば、いかなる、エレメントにおいて可能であるか、という問題をめぐって歴史的な意識を再生することを求めて格闘する。そして、ヘーゲル以後の時代の思想もまた、ヘーゲルの根本問題としてのこの問いによって動かされているがゆえに、創造的な思想家はいつも繰り返し現象学に戻りゆくのであり、現象学の解釈の歴史もまた、関心を惹き起こさずにはおかないアクチュアリティに満ちているのである。
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