スコラ哲学の一般的見地

 まず第一に我々が中世期において、即ち独立した国家建設の始めに当たって哲学に関して見出すところのものは、ローマの世界のなお貧しく残る残骸に過ぎないのである。それはその崩壊後にあらゆる点で沈淪し従って世界の文化は言わばここに突然中絶してしまったと言えるのである。かくて西欧にあっては、ポルフュリオスの手引草やアリストテレスの論理学書に関するボェティウスのラテン語の注釈や至って貧弱な摘要であるカシォドォロスのそれからの抜粋や、同様また貧弱なアウグスティヌスに帰せられる論文「弁証法論」や「範疇論」(後者はアリストテレスの範疇に関する書の義解である)以上には殆ど何も知られていなかったのである。それは哲学的思索への最初の便覧であり手引きであった。従ってそこでは最も外的な形式的な手段が用いられているのである。
 スコラ哲学全体が一色に塗りつぶされた外観を呈している。従来人々は第8世紀、否第6世紀から始まって殆ど第16世紀に到るこの神学の支配に一定の区画や段階を限ろうと努力したが、全て徒労に終わった。スコラ哲学はアラビア哲学と同様、これをその個々の体系や現象に分けることは、時代がこれを許さない。また時代が許したからとて事柄の性質が許さないのである。むしろただスコラ哲学が思想の中に現実にとった諸契機を特徴づけまた主として示す以外にないのである。スコラ哲学はその内容によって興味あるのではない。このような内容に人は立ち止まることが出来ないし、それは本来哲学ではないのである。むしろその名は本来体系(万一哲学体系というものを云々し得るとすれば)であるよりは一般的な行き方を名付けるものなのである。スコラ哲学は、例えばプラトン哲学、スケプシス派の哲学のような固定した教説ではなくて、一千年間に渉るキリスト教のなした哲学的努力を概念的に包括する極めて漠然とした名前なのである。しかしこの殆ど一千年に渉る歴史は一つの概念の内にまとめられている。この概念を我々は更に詳細に考察しようと思うのである。それは常に同一の立場、同一の原理に止っている。事実、我々の目にするものはキリスト教的信仰と一つの形式主義であって、それが自己自身の中で永遠に解体したり駆り立てられたりしているにすぎないのである。アリストテレスの書の普及は単に程度の違いを生じたのみで決して学問上の進歩を生み出さなかった。それは個々の人々の歴史ではあろうが、本来学の歴史ではない。そしてこの個々の人々とは敬虔な高貴な、並ぶものなく立ち勝った人々のことなのである。
 スコラ哲学の研究は既に用語のためだけでも困難な仕事である。スコラ哲学者の表現は言うまでもなく破格のラテン語であるが、しかしこれはスコラ哲学者の罪ではなく、ラテン文化の罪なのである。ラテン語はこのような哲学的諸範疇には不適当な道具である。なぜなら言葉に無理を加えない限りは新たな精神文化の諸々の規定をラテン語によって表現することは出来なかったからである。キケロの美しいラテン語を以てしては深い思弁に携わることが出来ない。かくてこの中世哲学が広範かつ浩瀚(こうかん)であると共に不十分なかつ恐ろしいまでの書き振りであるために、これを親しく原典に当たって知ることは何人にも期待することは出来ないのである。我々は今日なお偉大なスコラ哲学者たちについて多数の著作が残されているのを知る。それらは極めて広大なものであり、それらを研究することはなかなか些細な仕事ではない。そしてそれが後期のものであればあるだけ、益々形式的なのである。スコラ哲学者たちはただ綱要ばかりを書いていたのではない。事実例えばドゥンス・スコトゥスの書は二つ折版の書十二冊、アクィノのトマスのそれは十八冊になるのである。人は種々の著書中に抜粋を見出すであろう。主要資料であるものは、(1)、ラムベルトゥス・ダナィウス、ペトルス・ロムバルドゥスの章句集第一巻に関する彼の注釈、ジェネヴァ、1580年の序論中(それは抜粋された最良の資料である)。(2)、ロオノァ編、パリ・アカデミア所蔵アリストテレス雑纂。(3)、クラマァ、ボシュエ世界史の続篇、最後の二巻に含まれる。(4)、トマス・アクィナス、綱要(スンマ)等である。ティデマンの哲学史中にまたスコラ哲学者の抜粋あり、テネマンにおいても同様である。リクスナァはまた多数便利な摘要をしている。
 我々は筆を一般的見地に限ろう。名は、カール大帝の時代以来、二か所に限って、本山の大伽藍および大僧院における大きな学林で、一人の僧侶とくに教師となる見込みのある本山僧会員(ドムヘア)がスコラスティクス scholasticus と称したことから由来する。彼はまた自ら最重要の学問において、即ち神学に関して講義を行ったもののようである。僧院においては最も堪能の者が修道僧たちを教えた。この修道僧たちについては本来語られるところがないのである。しかしたとえスコラ哲学が現在知られているものと別のものであったとしても、神学を学的にかつ体系として講義した人々にのみその名は残るのである。かくして後期において教父たちに代わって博士たちが生じたのである。
 スコラ哲学はかくて本質的に神学であり、この神学が取りも直さず哲学なのである。神学の普遍の内容は、ただ宗教の諸表象の中に含まれているものにすぎない。しかし神学は一人一人のキリスト教徒たち、農民等々がそれぞれ我がものとしなければならない教義の学である。神学の学である性質はしばしば外的な歴史的内容、原典批判的なものの中に置かれる。即ち新約聖書のあれこれの夥しい原本があることやそれが羊皮紙に書かれるか、綿布に書かれるか、或いは紙に書かれるか、また大文字で書かれているか、何世紀から由来するものであるか等、更にはまたユダヤ人の時代観念や法王、司教、教父等の歴史が何であるか、教会会議においていかなることが起こったか等がこれである。しかし全てこれらの知識は神の本性や神と人間との関係とは関りがない。神の教説としての神学の本質的な唯一の対象は神の本性いかんであり、そしてこの内容はその性質上本質的に思弁的なので、従ってこのようなことを取り扱う神学者となるのはただ哲学者のみである。神に関する学は独り哲学のみである。それ故にまた哲学と神学とはここでもまた一つと見なされてしまう。そしてそれが区別されることが正に近世への移り行きをなすのである。即ちそのとき人は、神学にとって真ならざるものも思惟する理性にとっては真たり得ると思ったのである。これに反して中世期自身にあっては、世にはただ一つの真理のみあるということが根底となっているのである。かくてその場合スコラ哲学者の神学は、単にそれが我々の場合のように歴史的仕方で神の教等々を含むにすぎないとばかり考えてはならないのであって、事実はそれはアリストテレスや新プラトン学派の最も深玄な思弁に他ならないのである。かかるものが彼らの哲学的思索であった。ただアリストテレスにあっては幾多の優れた点がいっそう単純にかつ純粋であっただけである。そしてまた彼らにとっては全体は現実の彼方にあり、表象されたキリスト教的現実を交えて存在したのであった。
 今や我々がその只中に立っているキリスト教からして、哲学は再建されなければならない。異教においては認識の根源は没自体的思惟たる外部の自然と内的自体たる主観的自然とであった。自然も人間の自然的自体も、同様にしてまた思惟もそこでは積極的な肯定的な意味を持っていた。これら全てはそれ故に善であった。しかしながらキリスト教においては真理の根は全然別の意味を有する。それは単に異教的神々に反対の真理であったばかりでなく、また哲学に、自然に、人間の直接的な意識に反対の真理であった。自然はそこではもはや善ではなく、ただ否定的なものであり、人間の自意識、思惟、彼の純粋な自体、全てこれらはキリスト教では消極的な位置を持つ。自然は何らの妥当性もなく、また何らの興味も与えてはならない。同様その普遍法則も、自然の個々の存在がその下に集約される本質として正当の権利を認められない。大空も太陽も全自然も屍である。自然は精神的なものに、しかも精神的主観性にさえ委ねられてしまい、かくて自然の運行は到る所で奇蹟によって中断される。自然必然性をかく断念することと結びついて、またそれ以上の一切の内容、即ち上述の自然の一般者たるあの一切の真理は与えられたもの啓示されたものとなる。唯一の出発点なる自然観察はかくて認識にとって決して存在しないのである。やがてまた私が自体としてそこにあるということも同様中心的意義を持たなくなる。自体はこの直接的確実性として当然止揚されるべきであり、しかもまた他の自体の中に、それも彼岸的なものの中に沈み、そこでのみその価値を得るべきである。自己の自体がその自由を有すべき場所であるこの他の自体は、差し当たり同様普遍的形式を持たないこの自体である。それは時間空間において規定され限定され、そして同時に絶対者、即自かつ対自的存在の意味を有する。かくて自己の自体性はなるほど犠牲にされるのであるが、しかしこれに対して自意識が得るところのものは、普遍者、思惟であるというわけではない。思惟においては私は本質的に肯定的意味を持つが、それはこの者としてではなくて普遍的自我としてであり、しかも真理の内容は今や単的に個別化するので自我の思惟はなくなるのである。しかしそれと共に、全く無限の対立が合一する場所たる絶対的理念の最高度に具体的な内容が措定される。この内容こそ、意識にとって相互に無限に隔たって存するように思われるようなもの、即ち可能的なものと絶対者とを自己の内で合一する力である。この絶対者がそれ自身このものであるのはこの具体者として初めてそうなのであり、抽象としてではなく、普遍者と個別者の統一としてそうなのである。この具体的意識がまず第一に真理に他ならないのである。その他の内容もまたなぜ真であるかという理由は、私の自体に属するものとしては現れないで、没自体的に受容されるものとして現れる。もとよりそれには精神の証言が属し従ってそこには私の内奥の自体が与るのであるが、しかしながら精神の証言は総じて閉ざされたもので、自己を自己内においてそれ以上発展させない。それは内容を自己からして自ら生産することをせずして、ただこれを受容する。さらにまた、証言を与える精神はそれ自身再び個人としての私とは区別される。私の証言する精神は他者であり、私にはただ受動性の空虚な皮殻のみ残るのである。この生硬な立場の内において哲学は再び立ち現れなければならなかった。この内容の最初の加工、普遍的思想をこの内容の中に注ぎ込み働かせることがスコラ哲学の仕事に他ならない。そしてその究極するところは信仰と理性の対立となるのであった。理性は、一面において直接な確実性を得るために自然に近づき、他面またそれ本来の思惟の中に、自己よりするそれ特有の生産の中に、同一の満足を見出さんとする要求を感じたのであった。
 さて我々はスコラ哲学者たちの行き方について更にいっそう詳細に述べねばならない。このスコラ哲学的なやり方においては思惟はその仕事を経験へのあらゆる顧慮から全く離れて行うのである。現実を受け入れて、これを思想を以て規定する如きはもはや問題にならない。概念は既にこれに先立って透徹していたとはいえ、第一にアリストテレスにおいては概念は内容を進める必然性として把握されたのではなく、内容はその現象の系列において前後して受容されそこではただ知覚される現実と思想との混在が存在したのみである。第二にいわんや内容の最大部分は概念によって透徹されずして、表面的に思想の形式の中に受容される。とくにストア学派およびエピクロス学派においてそうなのである。この苦労をスコラ哲学は総じて捨ててしまう。それは現実を取るに足らぬものとして全く等閑に付し、これに対して何の興味も持たなかった。何となれば理性は自己の現実化、自己の実在を他の世界において見出すのであって、この世界において見出すのではないからである。しかし文化の全信仰はこの世界に対する信仰を再び樹立することを目指して進むのである。それにも拘わらず差し当たってはこの世界に対する興味に関係する一切の知識および行為は、全体として追い出されていた。見、聞く等々の興味に属する知識、日常の現実を落ち着いて眺めかつこれに携わることは、そこには占めるべき余地を見出さなかった。現実の一定領域をそれ自身のやり方に従って認識し、現実的な哲学に対する資料を造り出す諸々の科学も、また理念に感性的な現実在を与える芸術もその例に洩れなかったのである。同様また現実の人間の権利、即ち人間に認められてあることも社会的諸関係の中には効力を持たず、こことは別の場所において効力を有したのである。このように現実的なものが理性的性質を欠くこと、またはその現実性を現実在(ダーザイン)に有する理性的性質が欠けていることの中にこそ、他の世界において自己を保持して、理性の概念、即ち自己自身の確実性が一切の真理であるという概念とては有しない思惟そのものの粗雑さが存在したのである。
 さて引き離された思想は今や一つの内容を持つ。即ち叡智界がそれである。それは独立に成立する現実であり、これへと思想は向かうのである。この思想の態度はここでは、悟性が感性的な知覚される世界へ向かい、これを実体として根底に置きそれに確固たる対象を有しこれについて論究する時の態度に比せられる。即ち悟性はその時は本質に透徹してこれを表現する本来の哲学の独立の活動ではなくて、ただ本質の賓辞を見出すにすぎないのである。かくてスコラ哲学はキリスト教の叡智界、即ち神と叡智界に結びつけられた神の一切の出来事とを独立な対象とする。そして思想は神が不変であること、物質は永遠か、人間は自由か等々を考察する。あたかも現象し、知覚されるものについて悟性があれこれと奔走する如くである。さてここにスコラ哲学は一定の概念の無限の活動性を犠牲にしてしまったのであった。可能性と現実性、自由と必然、属性と実体等々の諸範疇は正に何ら固定せられるものではなくて純粋活動であるという性質のものである。可能的なものとして規定された或るものは、同様変じて正反対のものとなり、棄却されねばならない。そして規定は新たな区別によってのみ救われる。即ち一面から言えば棄却され、他面から言えば確保されねばならないのである。スコラ哲学者たちはその限りなき区々細分のために人の注意を惹く。この抽象的概念による諸々の規定のために、正にアリストテレスの哲学が主導的となった。ただしその全般ではなくて、アリストテレスのオルガノン、しかもその思惟法則の面と形而上学的諸概念である範疇の面とがこれなのである。画然と規定されたこの抽象的諸概念がスコラ哲学の悟性を形成する。それは自己を超えて自由に到ることも、理性の自由を捉えることも遂にできなかったのであった。
 この有限な形式とまた直接結びつけられているものは、有限な内容である。一つの規定から他の内容へと進むかかる規定は特殊的規定として総じて有限的規定である。規定はそこでは外的なものとして働き、自己を自己と結びつけるものとして働かない。かかる規定の行きつく結果としては、思惟が自らを本質的に推理するものとして振る舞うことになるであろう。なぜなら推理は形式論理的進行の仕方だからである。哲学的思索はかくして杓子定規の三段論法的推究の中に成立した。あたかもギリシアのソフィストたちが現実のために抽象的な諸概念の中を彷徨したように、スコラ哲学者たちは彼らの叡智界のために同様のことをしたのであった。前者にとっては存在が重大であり、それを彼らは半ばは概念の否定性に対して救い、半ばは正にそうすると共に概念によって正当化したのであった。同様一切の根底たるキリスト教的叡智界を概念の紛糾に対して救い、これを概念によって概念に順応して表示することが、スコラ哲学者たちの主要な仕事であった。かくてスコラ哲学の一般形式は、或る命題が掲げられ、これに対して論駁が提出され、この論駁が更に反対の推論と諸種の概念的区分によって否定されるという点に成立するのである。それ故に哲学は、正にそれが絶対本質の知すなわち神学であるが故に神学と区別されなかった(本来そうではないのであるが)のである。しかしあの神学にとってキリスト教の絶対界が現実として妥当する体系であることは、あたかもギリシアのソフィストにとって日常の現実性のそうであったと同様である。かくて本来の哲学に残されたものは何よりもまず思惟の諸法則と諸々の抽象にすぎないことになったのであった。

 スコラ哲学とキリスト教との関係

 それ故にスコラ哲学者にあっても哲学的思索はかつてキリスト教教父やアラビア人におけると同様自主性を欠くことを免れなかった。完成した教会はゲルマン諸国民の中に既にその根を下ろし、教会の憲法によって哲学的思索に制限を加えた。なるほどキリスト教的宗門団体はローマの世界に広まりはした。が特にその初期においてそれは、現世はこれを断念し、かつ現世に対して何らの勢力を得ようとするような要求は全然持たない独自の共同社会を造るか、或いはその現世に対する要求が極めて消極的で、個人たちはこの世においてただ殉教者であるにすぎないか、或いはむしろ世を捨てたかいずれかであると言うような状態に止まっていたのである。しかるに教会はやがてまた支配的となり、東ローマ西ローマの皇帝がいずれもキリスト教徒となるや、何物にも妨げられることのない公然たる存立を獲得し、現世的なるものに対する多大の影響力を有するに到ったのである。しかし政治の世界は、ゲルマン諸国民の手に落ちた。そしてこれと共に新たな形態が発生してきたが、スコラ哲学は正にこのうちに数えられるものなのである。我々はこの革命を民族の大移動として知っている。新鮮な種族が古ローマの世界に渉って注ぎ込まれ、その中に根を下ろし、かくして彼らは古代世界の残骸の上にその新たな世界を築いた。それは今もなおローマの景観が我々に与える一幅

 1、中世期における主要な要素は、この分裂この二重化されたものに他ならない。即ちその中には二つの国民と二つの国語が現れて来る。我々は従来支配を続けて来た民族、即ち独自の言葉芸術科学等を完成した先行の世界を見る。そして新たな国民はこの彼らにとって未知のものの上に座を占める。従って彼らは自己の内において分裂したままに始めたのである。我々はかくしてこの歴史においては一国民の自らなる発展を眼前に有するのではなくて、対立から出発する国民の発展、そしてこの対立を常に負うたままで、これを自己の中に取り入れ、克服しなければならない国民の発展を見るのである。これらの諸民族はかくの如くにして精神の示す道程の性質をそれ自体に現したのであった。精神とは、自己に対して前提を措定し、自然的なるものを対者として自己に与え、それから自己を切り離し、かくてそれを客観として有し、次いで初めてこの前提を彫琢形成し、かくて自己から産み出し生産して、自己内に再建することに他ならないのである。それ故にキリスト教はローマの世界ならびにビザンツの世界において教会としては勝利を得はしたが、しかし両世界共に新たなる宗教を自己の内において実証し新たなる世界をこの原理から産み出すだけの力はなかったのである。なぜならば両者いずれにも既に出来上がった性格があったからである。即ち道徳、法律、法的施設、憲法(もしそれが憲法と呼ばれ得るならば)、行政組織、技能、芸術、科学、精神的教養等、一言にすれば全てが既に完成していたのである。これに反して精神の本性に従うと言えるのは、ただこの教養ある世界が精神から生産され、この生産が相互作用により、先行者の同化によって現れ出る場合のみである。かくてこれらの征服者たちは異邦人の間に固く根を下ろしその支配者となったが、しかし同時に彼らに総じて負わされた新たなる精神の掌中に陥ったのである。一面においては支配的であったにもかかわらず、他面においては精神的なるものに対して受動的態度を取ることによってその支配に甘んじたのである。
 精神的理念或いは精神性はこの粗野な蛮人たちの心情と精神の遅鈍さの中に投げ入れられた。彼らの心はそれを以て刺し貫かれたのである。粗野な自然性はこのようにして限りなく対立するものとして理念に内在的となった。もしくは彼らの胸の中には無限の悲痛、恐るべき苦悩が燃え上がったので彼ら自身が十字架に上ったキリストとして現されるほどなのである。この自己内の戦いに彼らは耐えなければならなかった。そしてその戦の一面が彼らの哲学である。即ちそれは後に彼らの間に台頭したが、当座は与えられたものとして受け取られたのである。それはなお教養なき民族であり、しかも蛮人的遅鈍にも拘わらず心・情ともに深き民族である。この民族にやがて精神の原理が植えられ、それと共にこの苦痛、精神と自然的なるものとの間のこの戦が必然的に起こったのである。教養はここに最も甚だしい矛盾から出発し、しかもこの矛盾を解消しなければならない。それは苦痛の国である。しかしまた浄罪火の国である。なぜなら苦痛の中にあるものこそ精神であって、動物ではないからである。即ち精神は死ぬものではなくして、その墳墓から甦る。この矛盾の両面こそは本来相互関係にある。従って精神的なるものこそ蛮人を支配すべきものであるべきなのである。
 しかしながら真の精神の支配とは対立者が屈服せるものであるというような意味での支配ではない。即ち本来の即自かつ対自的精神はその交渉する主観的精神を外力に服従する奴隷的なものとして対手とすることは出来ない。なぜなら後者もまたそれ自身精神に他ならないからである。むしろその支配は、精神が主観的精神の中にあって自ら自己自身と調和しているというような位置を採らねばならない。かくして普遍者は、他方が屈服するに大して一方のみが威を振るい得るあの対立ではあるが、しかもそれは精神が支配する定めであるということによって和解の原理をすでに自己の中に含むものに他ならない。それ故にこれに続く発展はただ精神が和解として支配に到る発展である。これには、ただ主観的意識、情意、心情のみならず、また現世的支配、法律、諸制度、人間生活等々も、これが精神の中にある限り、理性的となるということが含まれている。我々はプラトンの国家篇の中に、哲学者が統治すべしとの理念を見て来た。いまや精神的なものの支配すべきことが声を高くして言われるときである。しかしこの精神的なものは、僧侶的なもの、僧侶たちが支配すべしとの意味を得てしまったのであった。精神的なものはかくして特殊な形態に、個人になった。しかし正しい意味は、精神的なものがそのものとして規定的なものであるべきだということであって、それは我々の時代に到までそうなのであった。かくて我々は例えばフランス革命においても、抽象的思想が支配すべしということを見る。この思想に則って憲法も諸々の法律も規定されるべく、この思想が人々の間の紐帯を構成すべきであり、そして人間の有する意識は、自分等の間に効力を有するものは抽象的思想であり、自由平等こそはその効力あるものでその中に主観もまた現実に関してその真の価値そのものを有するということでなければならなかったのである。
 上述の和解の一つの形式はまた、主観が自己自身内において行住坐臥そのままの自己で、即ちその思想その意志その精神的なもので満足し、従ってその意志その思惟その確信は最高の存在となり、神的なもの絶対的(即自かつ対自的)に妥当するものという規定を有するに到ることである。神的なもの精神的なものはかく私の主観的精神中に措定され、私と同一である。従って私自身が普遍者であり、ただ私の直接知る通りが妥当する。この形の和解が最も新しいしかし最も一面的なものである。なぜなら精神的なものはそこでは客観的に規定されずして、ただ私の主観性に、私の良心におけるままに把握されているにすぎないからである。私の確信そのものが究極のものと取られる。そしてそれは主観性の自己自身と行う形式的和解である。和解にしてかかる形態を有するならば、我々の以前に語った位置はもはや何の興味も惹かないことになる。それはただ過ぎ去ったもの、歴史的なものにすぎないのである。主観の内部に直接啓示されるとおりの確信が真実体であり絶対的(即自かつ対自的)存在であるなら、真実体であり絶対的存在たる神と人間との間を媒介するこの行程はもはや我々の中における要求ではなくなる。同様にしてやがてキリスト教の教説はよそ事であり、上述の人々が努力した特定の時代に属するものという位置を持つことになる。理念が即自かつ対自的に具体的であり、精神として主観と対立関係にあるというこの事実は消え失せてしまって、ただ過ぎ去ったものとして姿を現すに過ぎなくなる。その限り私がキリスト教教義の原理について言ったこと及びなおスコラ哲学者たちについて言うであろうことは、私が上に挙げた立場にたってのみ興味がある。即ち具体的に規定された理念にして初めて人の興味を惹くような立場についてであって、主観が自己自身と直接和解するような立場においてではないのである。

 2、さて我々は更にいっそう詳細に対立の性格を哲学的思索として対照して考察せねばならない。そしてその場合同時に歴史的なものを簡単ながら想起するのであるが、もとよりそれはただ主要要素だけに限るのである。第一は現世の状態における対立である。歴史に現れている対立のこの形態は、それ自体として心の精神性であるべき精神性である。しかし精神は一つである。従ってこの精神性の中にある人々の共同体が立てられる。かくて宗門団体が発生し、それがやがて外的な制度となり、我々が見て来たように、教会に拡大される。精神がそれの原理である限り、それは精神的なものとして直接普遍的である。なぜなら感覚や臆見等々における個別的存在は没精神的であるからである。教会は自己を組織化する。しかも教会は自ら進んで現世的存在へ富へ財貨へと赴き、あらゆる生(き)のままの激情をあげて自ら現世的となる。なぜならただ精神的なもののみが僅かに原理に他ならないからである。現実在なり現世的事物なりに属するものである心情と人間間のこの全ての関係とは、なおあの諸々の傾向性や欲望や激情等に従って、あの生のままの状態に従って規定される。教会はかくてただ精神的原理を自己の内に持つだけで、それが真に実在的となってはいず、従ってまたそれ以上の諸々の関係事情もなお依然として理性的となっていないのである。なぜならそれ等の諸事情は精神的原理の現世における発展以前に属するからである。現世的なものは精神的なものに適合せずしても現実在として存在し、直接自然的な現世的存在である。かくて教会は自己自身の内に直接自然的原理を身に具えるに到るであろう。有とあらゆる激情、支配欲、所有欲、暴虐、欺瞞、掠奪、殺害、嫉妬、憎悪等全てこれらの生のままの罪悪を教会は身に具えることになるであろう。そしてそれらは同様主権にも付いて離れない。かくてこの主権の支配は精神的なるものの支配であるべきはずであるにも拘わらず既に激情の支配であり、教会は現世性の原理の面でその大部分が不法極まるものであるが、僅かに精神的面で正鵠を得ていることになるのである。
 新しい宗教はそれ故に世界観を二つの世界に即ち叡智的ではあるが、しかし主観的には思惟されない世界と、現世的な世界とに分けた。そのために一般的生活も二つの部分、二つの国に分裂した。宗門的にしてかつ現世的な国に厳しく対立するものは現世的な国それ自体であり、法主、法王権および教会に対する皇帝である。それは国家ではなくて現世的支配である。前者は彼岸に存する世界であり、後者は此岸に存する世界である。二つの絶対的に本質的な原理が相互に打ち当たって砕ける。個人的意欲の世俗的な粗雑さ、その節くれだったものが最も硬化した最も恐るべき対立を生み出すのである。従って今や立ち現れる教養にとってはこの完成せざる実在性は現実的世界としてその思想界と対立し、一方の世界を他の世界の中に認めない。それは二種類の世帯、二種類の計量の標準を持ち、それを一つにしないで、一つを他から遠ざけるのである。
 宗門の国は教会として同時に日常的現実の持つ直接的な現存を欠くことはないが、現世の国は外的自然としてにもせよ意識の独特な自体としてにもせよ、その中に何らの真理も価値も持っていない。むしろ真理や価値は自分の彼岸にあるものとして、またそれから自分の中に射して来る光として、それにとっては理解すべからざる全く出来上がったものとして外から与えられる。現世の国は現世的となった精神の国に従属すべきであり、皇帝はかくて教会の代官となる。現世的なものは一面独立に身を持するが、また他と合致して従って精神的なるものを支配者として認める。
かかる対立において、まさに教会そのものの中にある現世的なものと、同様にまた現世的主権そのものにあるひたすら現世的なもの暴圧的なもの蛮的なものとのために戦が起こらずにはいないのである。しかし戦は最初はまず当然現世的なものに不利な結果とならずにはいない。なぜなら現世的なものが独立に身を持すると同程度において、それはまた他をも承認し、これに、即ち精神的なもの及びその激情に当然畏敬の念を以て付き従わねばならないからである。最も勇敢な高潔な皇帝たちが法王や枢機官や代官(レガート)や、また大司教や司教たちにまで破門され、これに対して手を拱(こまね)いているばかりで、外的権力を恃(たの)むことが出来なかった。なぜなら彼らは内心において意気消沈し、かくて常に被征服者であり、降(こう)を法門に乞わねばならなかったのである。
 さて第二に個人における道徳に関して言えば、我々は一方において宗教はかかる状態にあってはその真実高貴な美しき姿をただ少数の個々の個人においてのみ有するのを見るのである。即ち現世には死してそれから遠ざかり、感覚の中に閉じこもると共に狭い範囲に生きて宗教の世界に自己を限ることの出来るような心情の人々、例えば中世の婦人たちや修道僧やその他の隠遁者たちがこれなのである。それらの人々は精神的なものが無限に力を持つがしかも現実性を欠く状態にあるものとして心の引き締まった、緊密な内面性の中に自らを保ち得た人々なのである。ただ一つの真理が人間の中に孤立して立っていたが、精神の全現実性はなお未だそれによって透徹されていなかったのである。しかしながら他方においてはまた精神が意志や衝動や激情となってそのような孤立して緊縮した状態とは全然別な地位や拡がりを実現する要求は、むしろ当然なのである。即ち現世は現実在のいっそう拡大された範囲や個人の現実的な団結や更には現実の諸関係や行為の中に実現される理性や思想を求めることが当然なのである。しかし精神の現実化する領域である人間生活は差し当たってはあの真理の精神的領域から切り離されている。主観的道徳はいずれかと言えばただ悲痛と節欲だけの性格を持ち、人倫は正にこの脱離と諦念に終わる。そして他人に対する徳は慈悲の性格を持つが、しかも刹那的偶然的歿関係的である。現実に属する全ては、このように真理による完成を見ず、真理はただ天上のもの彼岸のものである。現実のもの、地上のものはかくして神に見放されたものであり、かくて恣意に他ならない。従って個々の少数の個人が聖であり、爾余のものは聖ならざるものである。我々はこの爾余のものの中に数えられるものとして礼拝の十五分間(つかのま)に一瞬の神聖性が移り変わり、次いで幾週もの間最も生々しい利欲や暴虐や残虐な激情の生活が送られるのを見るのである。個々人は一極端から他の極端へと奔(はし)り、最も剝き出しの無軌道や蛮的行為すなわち我意の極端からして、一切を捨離し一切の傾向性等々を超克することへと奔るのである。
 以上のことの最大の例証は十字軍従軍者たちがこれを我々に与えてくれる。神聖な目的のために彼らは出征する。しかし進軍中指揮者を真っ先に、彼らは有りとあらゆる激情に陥り、個々人は暴行蛮行の中に自己を委ねてしまう。彼らは無思慮を究め最も無謀な仕方で進軍を終えて、何千人もの人を失った後、エルサレムのほど近くに達した。彼らがエルサレムを眼にしたとき、ここで全ての者どもが懺悔し悔恨の情に胸を捕まれて額づいて祈る姿は見るも麗しいことである。しかしこれはただその進軍の途上至る所で証明された幾月にも渉る癡鈍(ちどん)や陋劣な行為に続く一瞬にすぎない。かくて彼らは感激して激しい勇気が油然と起こり、聖なる都に突撃してこれを征服し、しかる後血を浴びて残虐の限りを尽くし、野獣のような蛮行に荒れ狂った。やがてまた再び悄然として懺悔し贖われ浄められて立ち上がり、再びまた利欲と嫉妬貪欲と所有欲というあらゆる卑小極まる憐れむべき激情に身を委ね、そのくさぐさの快楽のために動き、その勇気によって得た所有を荒廃に帰せしめる。このようなことは、原理がただ抽象的原理として彼らの裡に、内心にあるに止り、人間の現実が未だ精神的に完成していないためなのである。以上のようなものが現実における対立の方式に他ならない。
 第三に宗教の内容における対立、即ち宗教意識におけるそれに関して言えば、それには種々の形態が存するのであるが、しかしここではただ最も内的なもののみを想起するに止めよう。一方には神を三位一体として認識する神の理念があり、これに対する他者は祭式すなわち個人が精神なり神なりに自己を適合し、神の国に入る確信を得る道程である。完成した教会は地上における神の国の現実態であり、従って神の国は各人に対して厳存し、各人はその中に行き、かつ生きるべきである。この制度の中に各個人の贖いが含まれる。それによって各個人はこの国の人民となり、この確信の享受に与ることが出来る。さてしかしこの贖いは、キリストにおいて神性と人間性との統一が直観されること、即ちいかに神の精神が人間においてあるべきかという形態と結合されている。かくてこのキリストはかつて在りしキリストとしてではなく、贖罪の生活は過去のものの追憶としてであってはならない。むしろ神を畏れる者が天上においてキリストを観るように、同様また地上においてもキリストは観ることの出来る対照であるべきである。これに次いで、個人がこの彼にとって対象となれるものと合一し、後者が彼と同一となるという道程が存在すべきである。神が人間として自らを示し、自らを犠牲にし、この犠牲によって神の右の座に高められるというこのキリストの説話は常に個人において、ミサの供物と称するこの最古の点において成就される。聖儀において個人が交渉を持つ媒介的なものは個人が与るべき客観的なものとして、即ち聖餅およびその享受としてミサの中に依然として常に存在するものなのである。この聖餅は一面対象的なものとして神的なものと見なされると共に、他面それは形態から言えば没精神的な外的な事物である。しかしそれこそ教会における外面性の最も深奥の点である。なぜならこの完全な外面性にある事物の前にこそ(それが享受の対象である限りにおいてではなく)膝が屈せられなければならないからである。ルターはこの仕方を改めてしまった。彼は聖餅と呼ばれるものの中に神秘的な点を保存した。即ち主観は神的なものを自己の中に受け入れるという点を。しかも聖餐は信仰の主観的な精神性の裡において食べられる限り神的であり外物であることを止めることを主張するのである。しかしながら中世の教会、カトリック教会一般においては聖餅はまた外物としても敬意を払われ、従ってもし鼠が聖餅を食べれば、鼠およびその排泄物もまた敬意を払われる。そこでは事実神的なものは全く外面性の形態をとっているのである。これが途方もない対立の中心であり、それは一面において解消すると共に、他面において完全な矛盾のままに残る。従って聖餅はなお単なる外物として固守されながら、しかも同時にまたこの高いもの、絶対者であるべしとされるのである。この外面性と結びつくものは他の側面すなわちこの関係についての意識である。そこには事実精神的なもの、真理であるものの意識が僧侶たちの所有となっているのである。かくて物としては勿論それは他のものの所有に属し、それが特異なものであるが故に他のものによってその特異なものである点を保持しなければならない。即ち他のものによって神聖なものとされねばならない。たとえそうされることが個人の外的な行動によるにすぎないにせよ、事物にこのような特異なものとしての栄誉を与えることは教会の所管するところであり、教会からして世俗一般はこれを受け取るのである。
 しかし以上の他になお主観の自己自身内における関係を考察しなければならない。即ちそれが教会に所属し、その真の成員であるということがそれである。また教会に受け入れられた後にもかく個人の教会に参与することは常に新たにされねばならない。即ちそれは彼が諸々の罪から浄化されることである。この諸々の罪悪よりの浄化にはまた、第一に、悪の何たるかを総じて知ること、第二に、個人は善および宗教的なものを欲すること、第三には、人間は生まれながらの罪深さから過ちを犯すこと等が含まれる。しかも内なる心、真正の良心があらねばならないから、犯された過ちはかくて破棄され、起こらなかったものとされねばならない。人間は常に浄められ言わば新たに洗礼を施され新たに受け入れられ、人間を拒斥する否定的なものは常に新たに取り去らねばならないのである。さてこの罪障の深さに対して、積極的な命令、律法が与えられている。従ってその結果何が善なり悪なりであるかは精神の本性からして知られ得ないことになる。かくて神の律法は外的なもの、それ故に何人かの掌中にあらねばならないものとなり、そして僧侶たちは爾余の人々と截然(せつぜん)と区別され、その結果彼らは教説の規定や並びに恩寵に達する手段、換言すれば個人が儀礼において敬虔となり神的なものに与る確実性に達する方法を専有的に知っているのである。儀礼に関連して外的所有物として恩寵に与る手段を分ち与えることが教会の所管に属していると同様に、教会はまた個人の行為の道徳的評価を掌握し、良心をも知識一般をも左右するに到り、従って人間の最も内奥の核心である責任能力は他人の手に、他の人格に移り、主観は底の底に到まで自体を失っているのである。教会はまた個人が何をなすべきかを知っている。即ち個人の過失は知られねばならない。そして他者である教会がそれを知る。罪悪は払拭されねばならない。そしてこれもまた外的な方法、罪障消滅のための寄進や断食や苦行や聖地遠征や巡礼等々によって行われる。それは最高の事物におけると同様最末端的行為においても知と意志とが自体を没却し、非精神的となり、没精神的となる一関係なのである。以上が宗教自身にある外面性の主たる関係である。それによって更に一切のそれ以上の諸規定が左右されるのである。
 
 3、以上によって今やまた哲学の内部における関係が我々にとっていっそう詳細に規定されるのであるが、しかし未開の民族においてはキリスト教はただこの外的存在の形式を有し得たのみであって、そしてこのことは本来歴史の領域に属する。なぜなら未開民族の遅鈍と恐るべき暴戻(ぼうれい)に対してはただ隷属を以て対しなければならず、かく奉仕することによって教化が成就されねばならなかったからである。かかる軛を掛けられて人類は奉仕する。人類はかかる残酷な試練をゲルマン諸国民を精神に高めるために受けなければならなかった。しかしこの残酷な奉仕も終極を持ち目的を持っている。それは無限の源泉であり、無限の弾力性であり、精神の自由がその報酬である。インド人も正にこれと同様な奉仕を行うのである。しかし彼らは救いがたい敗残の状態に陥ってしまう。即ち自然に固く結び付けられ自然と同一となるのであるが、しかし自己の内においては自然と対立しているのである。かくして知は教会の内に限られるが、またこの知自身に積極的な権威が牢固として根底をなしており、そしてこの権威こそこの哲学の主たる特徴であり、この哲学の第一の規定は従って不自由のそれである。思惟はかくして自己から出でて自己の中に基づくものとしてではなく、本質的に没自体的で与えられた内容たる教会の説教に依存したものとして現れる。そして教会の説教はそれ自体思弁的ではあるが、また外的対象の直接的現実在のあり方を自己の中に含むのである。
 神学の形式を借りて人はかく言うことも出来よう。中世期は総体的に息子の支配であって、精霊(精神)の支配ではないと。なぜなら精霊はなお依然として宗門の所有にあるからである。息子は父から自己を区別するものであり、そして区別に止るものとして把握され、従ってその中の父はただ即自的にある。しかし両者の統一にして初めて精霊であり愛としての息子である。今一時不都合ながら区別に足を止め、同時に同一を措定することを止めるならば、即ち息子は他者である。かく我々は中世が規定されているのを見るのである。従って中世期における哲学の特性は第二に絶対的な諸前提に条件づけられた思惟であり概念的把握であり哲学的思索である。なぜならそれは自由の状態にあるがままの思惟する理念ではなくて、外面性の形式を担っている。かくてここ哲学においては一般の情勢におけると同様な性格があり、それ故に私は予め具体的な性格を想起せしめたのである。事実同一時代においては常に同一の規定が刻み付けられる。かくて中世の哲学はキリスト教の原理を含む。それは、理念がその中で徹頭徹尾思弁的になっているので、何よりも最も強く思惟に向かって人を慫慂(しょうよう)するものなのである。この原理中の一面は、もし個々の人間を心と呼ぶならば理念が心を以て把握されることである。そして直接的個人と理念との同一は、息子たる媒介者がこの人間として知られる点に存するのである。これこそ心にとっての神と精霊との一致そのものである。しかしこの連関自身は、それが同時に神における神との連関であるが故に、それだけ直接神秘的であり思弁的である。かくてその中には思惟へ人を慫慂するものが含まれている。そしてこの慫慂にまず教父たち、次いでスコラ哲学者たちが従ったのであった。
 しかし第三にまた、教会の教説と世俗的人間との対立が成立し、その対立はこの未開の状態からなるほど思想によって抜け出はしたが、その健全なる良識に即して理性的状態に這い入るに到らないで、この時代の哲学的思索の仕方は形式的思惟の方向を決定するために未だ何ら具体的内容を有していないのである。我々は人間的な具体的な心情を拠り所とすることが出来、思惟し感ずる者としてその中に生きた現実を有する。かかる具体的内容は人間の思想に根を持ち人間の独立した意識のための材料となる。形式的思惟はこれに方向を定め、抽象的反省の諸々の逸脱はかかる意識に達することを目標とし、それがこの逸脱を制限してこれを人間的に具体的なものへと引き戻すのである。しかしながらスコラ哲学者たちにおいてかかる内容について何が反省されようとも、それはやがて形式的思惟である推理の諸規定によって不安定に左右される。例えば自然的諸関係、自然の法則等々に関する諸規定について現れて来るものは、未だ経験にその支柱を有せず、未だ健全なる良識によって規定されていない。内容はこの点においても没精神的なものであり、この没精神的関係は、内容がより高いものの規定へと進まねばならない限り、倒逆されて精神的なものの中へ推し移されるのである。以上三つの点がこの場合哲学的思索の一般的性格を形作るのである。
 我々は更にいっそう詳細な点に立ち入って主要要素を簡単に挙げようと思う。人々は通例スコラ哲学を860年頃を最盛期とするヨハンネス・スコトゥス・エリゲナを以て始める。それは後のドゥンス・スコトゥスと取り違えてはならない。彼の祖国はあまり明確ではない。彼がスコットランドから来たものか、アイルランドから来たものか確かではない。なぜならスコトゥスはスコットランドを指し、エリゲナはアイルランドを指しているからである。真の哲学が特に新プラトン学派の理念を以て始まったのは彼を以て嚆矢とする。ともあれそこここでアリストテレスの個々の典籍は人の知る処となっており、既にヨハンネス・スコトゥスについても同じ事情にあるが、しかしギリシア語の知識は一般に極めて限られておりかつ稀であった。彼はギリシア語、ヘブライ語およびアラビア語の知識さえ若干ながら示しているのであるが、ただし彼が如何にしてそうなるに到ったかは明らかでないのである。彼はまた特にプロクロスの説に従うアレクサンドリア学派出の後期ギリシアの哲学者たるディオニュシオス・アレオパギデス(アレオパギデスの法官ディオニュシオス)の書をも、ギリシア語からラテン語に翻訳した。即ち「天の段階組織について」及びその他がこれである。ブルッカァが「プラトン的癡愚と狂気」と呼ぶものである。コンスタンティノープルの皇帝ミカエル・バルブスは824年にルードヴィヒ敬虔皇帝にこれらの書を贈り物とした。シャルル禿頭王が永らくその宮廷に滞留したスコトゥスをしてこれらを彼のために訳せしめたものである。これによって欧州においてアレクサンドリアの哲学について若干知られるところがあった。法王はシャルル王と口論しその翻訳者のことで苦情を持ち込み、「彼は慣習上予めそれを送り承認を受けるべきであった」と難じた。その後ヨハンネス・スコトゥスはアルフレッド王の創設に係るオクスフォードの学院長として英国に住んだのであった。
 スコトゥスはまた自己の著作も書いた。それは多少の深さと洞察力とを具えている。即ち自然およびその諸々の秩序について等々がこれである。コペンハーゲンのヨルト博士はまた1823年エリゲナの著書からの抜粋を提供した。スコトゥス・エリゲナは、自由に自己から出発する代わりに新プラトン学派の行き方で語りつつ、哲学上の仕事を進める。かくして我々はプラトンやアリストテレスについては彼らの物語方の中に、新たな概念を見出ししかも哲学と対照してそれが正しくかつ深いことを愉しむのであるが、ここでは一切が既に出来上がっているのである。スコトゥスにあっては神学は未だ必ずしも聖典釈義や教父たちの権威の上に立てられていないのを常とし、教会はまた繰り返し彼の著書を拒否したのである。例えばスコトゥスにはリヨンの宗教会議から非難を浴せられた。即ち「一人の饒舌な代言壮語する人間の書が我々の手に渡った。彼は神の予見と予定を人間的な仕方で、或いは彼自らの誇示するところによれば哲学的論法を以て論じ、聖典に拠ることなくまた教父たちの権威を持ち出すこともしない。むしろ彼はこれを自己自ら弁明し、それを自分の法則に基づけ、諸々の神典や教父たちの権威に従わないのである」と。分裂は更に後期に到って初めて起こる事柄である。かくてスコトゥスが真の哲学の端緒を拓いたのであるが、しかし彼は本来スコラ哲学者には属さないのである。







































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