イエナ期ヘーゲルにおける哲学的批判の意味

 イエナ、19世紀への転換期にロマン主義の中心地として幾多の邂逅と決別の舞台になった街へ、そのロマン派が解体に臨んでいた1801年1月、7年にも及ぶ家庭教師生活に区切りをつけ、フランクフルトから遅れてきた青年がいた。G・W・F・ヘーゲル、若くして老人と綽名された青年は、30才にして漸く本格的な哲学の道を歩み出したのである。イエナでヘーゲルは、活発な執筆活動を始める。7月までに『差異論文』を成稿、10月に上梓する。更に、ブーターヴェクの『思弁哲学の端緒根拠』に対する批評を、9月15・16日の『エアランゲン文芸新聞』に発表する。加えて10月18日までに、教授資格論文である『惑星軌道論』を書き上げ、ヘーゲルはイエナ大学の私講師として、論理学・形而上学と哲学入門の講義などを行うことになる。
 年が改まり、1802年1月からシェリングと共同で『哲学批判雑誌』の発行を始める。もとより雑誌発行は、シェリングとフィヒテの間で、ラインホルト、バルディリらに対抗するべく構想されていたが、シェリングとフィヒテの決別によって、ヘーゲルが共同編集者になった経緯があった。こうして生まれた雑誌を拠点にヘーゲルは、同時代の思潮に対して哲学的批判を加えていく。ヘーゲルが哲学者としての自らを世に問うことになった哲学的批判の意味は何であろうか。

 批判が成り立つには、批判するものと批判されるものとの他に、批判という評価を下す基準が必要になる。その基準が恣意的で、一面的であるなら水掛け論に陥る。「文芸は文芸によってのみ批判され得る」と語ったのはF・シュレーゲルであった。しょせん哲学にあっても、その理念を捉えている哲学によってしか批判は成り立たない。こうして批判の対象にあって「理念が哲学の学問体系にまで仕上げられていた範囲をはっきりさせること」こそ哲学における批判の要件になる。
 「文芸や学問のどんな部門で行われるにせよ、批判は一つの尺度を必要とする。・・・美的文芸の理念が文芸批判によって初めて創り出されたものでも案出されたものでもなく、端的に前提されているのと同様に、哲学的批判においても、哲学そのものの理念は、条件にして前提なのであり、こうした理念を欠いた哲学的批判は、永遠に果てしなく主観性に主観性を対置するだけで、決して制約されたものに対して絶対的なものを立てることはなかったであろう」(『哲学的批判一般の本質』)。
 ヘーゲルは、絶対的なものを哲学において構成し得たかどうかということを、批判の基準、哲学であることの試金石とする。
 「絶対的なものが意識にとって構成されるべきである。これが哲学の課題である」(『差異論文』)。
 ヘーゲルの見るところ、哲学はその出自からしてそうした課題を背負っている。 
 「哲学がその時代から生まれるのは勿論である。そして人が時代の分裂状態を非人倫的状態と捉えたいのなら、非人倫的状態から生まれると言ってよい。といっても、それは時代の混乱に対し、人間を自らの内から回復し、時代が引き裂いてしまった統体性を獲得するためなのである」(『差異論文』)。
 時代の分裂状態ということで、統一国家のなかった当時のドイツを思い浮かべてもよい。時代が引き裂いてしまった統体性には、カントの二元論、フィヒテの自我論が想起されよう。つまりヘーゲルにとってその時代には、絶対的なものがどこにも見当たらなかったのである。加えて、ドイツの思想界は、文学的喧噪の中にあった。
 「哲学が自らに一般的な注目を引きつけたので、哲学に何ら精通することが出来ないのに、哲学にせめても外野から群がり、唸りをあげてでしゃばるような人々の群れは、ますます大きくなってしまった」。
 こうした時代思潮を批判するヘーゲルの立脚点は、絶対的なものが一つでしかあり得ないように、それを構成する哲学や理性も一つであるというところにある。
 「絶対的なものが、その現象である理性と同様に、永遠にして同一であるならば(実際そうなのだが)、自己自身を目指し、自らを認識した理性はどれも、一つの真の哲学を産出し、あらゆる時代に亙って同一の課題を解決してきたのであり、その解決も同一である」(『差異論文』)。
 「哲学がただ一つであり、またただ一つだけが可能であるということは、理性がただ一つであるということに基づいている」(『哲学的批判一般の本質』)。
 「理性の真理も美も、ただ一つであることによって、客観的な評価一般としての批判が可能になる。そして自ずから帰結することは、批判の意味があるのは、ただ一にして同一の哲学という理念が現前している人々にとってでしかないということである」(『哲学的批判一般の本質』)。
 同一の理念を目指している間でこそ、批判は成立する。理念を共有しないものにとっては、批判は決別しか招来しない。理念を欠いている似非哲学については、語るにまかせておけば自ずと無思想であることがわかる。
 例えば、一般的な見識に常識がある。
 「正や不正ということについての常識の判断は、現実の諸問題の先例の集積に則ってしか呈示されない」(『ゲルシュテッカー批評』)。
 常識は習俗を鑑み、これは正しいとか、これは正しくないとか言明する。したがってそうした見識は、人類の地域的で時代的な制約を担っており、そこでは、正しいとは何か、などという正や不正の普遍的な理念は問題にされ得ない。大衆性と平明さを持つという点に、常識の主要な功績があるとはいえ、哲学というものは、その本性上、言わば秘教的なものなのである。
 「哲学はなるほど、民衆を哲学にまで高める可能性を認識しなければならないが、哲学が民衆にまで自らを貶めてはならない。しかし今日の自由と平等の時代にあっては、教養を積んだ非常に多くの公衆は、自分には何ら欠けたところがないと思いたがる。・・・こんな時代にあっては最も美しいものや最も善きものでさえ、通俗化という運命を免れることができなかった」(『哲学的批判一般の本質』)。
 当時ラインホルトも、近世哲学の陥った主観主義の誤謬を正そうとしたが、ヘーゲルは、哲学の様々なあり方を認めたラインホルトをひっくるめて、近世主観主義の超克に向かう。
 「あらゆる哲学の原理の真の認識から、あらゆる時代に亙って唯一つのまさに同一の哲学だけが存在した、という確信が生じるだろう。したがって私が、これをもって諸君に約束するのは、新しいことばかりではなく、むしろ哲学的に努力を重ねる中で、最も古い古代のものを、本来的に回復し、非哲学の近代がこれを埋めてしまった誤解から純化する、ということである。・・・望むなら、その原理は、哲学が真の哲学の内に己を認識するかどうかという真正の哲学の試金石として通用するに違いない」(『論理学・形而上学』)。
 
 絶対的なものが見出されない時代は、自分で考えることがもてはやされた時代でもあった。たとえ哲学の理念を欠いたお喋りにすぎなくとも、思惟の独自性がしばしば強調された。こうした風潮はヘーゲルによれば、自分という檻に永劫に縛られているか、次々と救いを求めてはまたこれを放り出さざるを得ない、呪詛された者達の苦悩の姿を呈しているという。ラインホルトやフィヒテは、独自の哲学であることを主張しつつ体系を目指した。だがヘーゲルの見るところ、もし哲学の理念を捉えていたなら、独自の哲学を自称するわけにはいかなくなっただろうし、自分や主観性に制限されている思索は自己自身を粉砕せずには、体系になり得ないはずなのである。
 「哲学の本質は、独自性を主張する人々にとっては、まさしく底知れないものである。哲学に到達するためには、身体が独自性の総決算を表しているとすると、粉骨砕身飛び込むことが必要である」(『差異論文』)。
 自らの独自性を主張し、自分の正当性を強弁することは、往々にして自分という特殊性にこだわる一面的で主観的な思惟にみられる。こういう思惟がその主観性の否定を語っても、自己満足している主観性が残る。こうした論理でヘーゲルは『信仰と知』で、カント、ヤコービ、フィヒテらを批判する。本来の絶対的なものを知の彼岸に措定した点で、彼らの哲学の本質を信で一括し、制限された認識で彼らが自足したところに常識の文化の体系化を見る。そこにヘーゲルは、プロテスタンティズムの美しき主観性を経験的な主観性に変え、経験的現存在との一切の宥和を拒むプロテスタンティズムの痛みの詩を、こうした有限なもので満足する散文に変えてしまった幸福主義や啓蒙の根本性格の完成を捉えた。ヘーゲルの見るところ、ヤコービにあっては、日常的現実についての知、感性的な知覚に信仰と永遠の真理さえも限定された。それに対しフィヒテは、自我という絶対的な主観性に唯一の真理と確実性を求めた。更にカントは、人間の認識の確実性を現象界に局限した。これをヘーゲルは、カントが制限された認識の内に真理はないことを証したことによって、否定性という点で偉大だとみなし、およそ哲学というものの端緒を形作ったという不滅の功績が残されると称揚する。こうした無限性の純粋な夜から真理が立ち現われると語るヘーゲルの論理は、どのようなものであったのか。

 哲学的思索を行う際、その最初の手立てとなるのは反省的思惟に他ならない。しかし、絶対的なものが反省されたなら、それは反省の所産という主観的なものに堕し、絶対的なものであることを止めてしまう。この矛盾を哲学する思惟は解決しなければならない。反省的思惟が独り自分への反省でなくなるところに、知が成立する。したがって哲学の課題の成否は、哲学する思惟が、意識という有限性の連鎖を脱却して、自らを同一性へ、そして真なる無限性へと再構成することに掛かっていた。だが、悟性は頑迷なまでにその認識の対象を特定し、残った無限な世界を、己の関心外に置いて安住する。否、関心外に置かなければ安住できないのである。
 「悟性がこれら対立するものを、有限なものと無限なものを、相互に対立したまま同時に存立するように固定するならば、悟性は自らを破壊する」(『差異論文』)。
 理性にしてみれば、特定されたものは全体の否定態にすぎない。理性は、悟性によって対立関係に置かれた理性と感性、知性と自然、主観性と客観性などを包括することによって、対立関係を招来する悟性を否定する。
 「これらの固定された対立項を止揚することこそ、理性の唯一の関心事である。統体性は、最高の分裂からの回復によってこそ、最高に生き生きとした形で可能なのである」(『差異論文』)。
 理性は、頑ななまでに常識にこだわる悟性を、自分自身を超える自己否定の淵に誘惑するので、否定的で絶対的なものの力とか、絶対的な否定作用などと称される。すなわち、否定的理性のことである。常識からみれば、理性や思弁という哲学的思惟の世界は、転倒した世界である。しかし、この理性の否定作用の中でこそ、反省的思惟は哲学的思惟へと脱却できる。つまり、単なる反省や理屈をこねる悟性にとっては夜である生の真昼において、常識と思弁は出会うことができるというのである。
 「反省は絶対的なものに関連する限りで理性であり、その成果が知である。だがこの関連によって反省の所産は消滅する。そして関連だけが存続し、これが認識の唯一の実在性なのである」(『差異論文』)。
 常識や悟性と、絶対的なものとの間の懸隔を理性が架橋することによって、意識から思弁に到る道ができる。こうした理路は教養・形成の理であるが、これがさらに1801年冬学期の講義で論理学へと収斂していく。
 「一般的には有限な端緒から出発するという哲学的営為のこの性格に基づいて私は、諸君にこの冬講述申し上げる論理学と形而上学についての講義の中で、同時に予備学たることを鑑み、哲学的営為における有限なものから出発し、そこから、つまりそれが前もって無化される限りで、無限なものに進むことになるであろう」。
 予備学たることを鑑みというのは、絶対的なものの学へ到る準備の学だ、という意味である。そしてヘーゲルは、次のように論理学を構成する。
 「悟性もしくは反省、有限な思惟の能力は、同一性に達するように理性によって密かに駆り立てられている。悟性はその有限性において、自分の諸形式を統一しようと努力することによって、理性を模倣している。しかし悟性が生み出し得る統一は、悟性が絶対的な対立に、有限性に基づいている以上、ただ形式的な統一にすぎず、それ自身、有限な統一にすぎないのである。したがって真の論理学の対象は、次のようになろう。1)有限性の諸形式を樹てること。2)悟性の努力を叙述すること。3)結局我々は、悟性的な諸形式そのものを理性によって止揚し、こうした認識の有限な諸形式がどのような意義や形態を理性のために持っているか、ということを示さなくてはならない。したがって理性の認識は、それが論理学に即している限り、理性の否定的な認識にすぎないということになろう。私が思うのは、論理学だけがこうした思弁的側面から、哲学への緒論として役立ち得る、ということである」(『論理学・形而上学』)。
 このような論理学がヘーゲルにとって時代批判の論理になっている。『信仰と知』でヘーゲルは、次のようなトリアーデの内に無限性を総括する。1)反省や表象という有限なもの。2)有限なものに対立する無限なもの。これは有限なものにとっての無であり、ここにヘーゲルは、否定的理性の無限性、すなわち否定性を捉える。そして、カントの理性、フィヒテの自我をここに算入し、彼らの思索を、無と無限性にまでしか進み得ず、この無を突破して肯定的で理性的な認識に到ることのできない持続する意欲だとみなす。3)真の無限なもの。これが絶対的な理念、絶対的な理性であり、有限なものとそれに対立する無限なものとの同一性である。
 「批判の手によって真の哲学の根拠と基盤とが、自ずと形成され得、静かに立ち現われるであろう」と、哲学批判雑誌の新聞広告で語った自信の裏には、こうした論理が在った。ヘーゲルが、絶対的なものを構成し得ない思想に対する批判を通して絶対的なものに到る道を準備しようとしたのは、次の論述から明らかである。 
 「毎年新たに生じる哲学の諸形式を批判する真の成果が、つまりこれらの制限されたものを単に否定的に粉砕するのではなく、真の哲学に入門する道を批判によって準備することが、期待されるべきである」(『哲学的批判一般の本質』)。

 現象の認識が制限されていることを証し、その確実性を否定するところに、懐疑論の本領があった。懐疑論の境地を理性の否定的側面だと捉え、ヘーゲルはこれを評価する。
 「哲学の端緒は、通常の意識がもたらす真理を超える高揚、そしてより高次の真理の予感であるに違いないので、懐疑論は哲学への第一段階とみなされ得る」(『懐疑主義論文』)。
 しかし、日常的な真理を否定するに留まっては、知を構成したことにならない。常識を否定することが知の契機になり得るのは、肯定的な知に導かれるからであり、肯定的な知は、常識の否定を経てこそ拓かれる。『懐疑論論文』でプラトンの『パルメニデス』を真正な懐疑論と評価しつつ、ヘーゲルは悟性に対する否定作用が、しょせん規定的否定の形において理性の内に包括されていることを証す。
 「このプラトンの懐疑論が目指すのは、・・・悟性による認識の真理性を全面的に否定することである。・・・この懐疑論はそれ自身、絶対的なものを認識するための否定的側面であって、直接的に、肯定的側面としての理性を前提している」。
 制限された認識への否定作用にとって、肯定的な絶対的なものは前提されている。教養・形成の理と、論理学とが相糾われて時代批判の論理になっていた。批判にあっても絶対的なものは予め想定されている。
 「カント、ヤコービ、フィヒテの哲学において、主観性の形而上学がその形式の円環を遍歴し、・・・形成を完了した。ここに直ちに真の哲学が、これら主観性の形而上学の教養・形成から蘇生し、教養・形成の諸有限性の絶対性を無化しつつ、・・・自らを完成した現象として呈示することが外的に可能になっている」(『信仰と知』)。
 近世主観主義と単に決別したのではなく、それを自らの契機とすることで克服したところに自らの哲学を捉え、その時代批判の正当性をヘーゲルが宣している箇所である。がしかし、真なる哲学はヘーゲル自身にとって内的には可能であったのか?確かに1801年の哲学入門講義で、1)観念論もしくは論理学ならびに理念そのものの学としての形而上学、2)自然の哲学、3)精神の哲学、4)宗教と芸術の哲学という四部構成を語っていた。しかしそれはまだ、プランにすぎなかった。イエナ時代初期のヘーゲルは、哲学者として生きるのに懸命であったと思われる。1800年11月2日、ヘーゲルはイエナに行く決意を伝えるシェリング宛ての書簡で、青年時代の理想を体系化することに取り組みつつ「人間の生に立ち入るにはどんな帰路が見出せるか、自問しております」と述べていた。そして1年後、ヘーゲルは哲学入門の講義で次のように語る。
 「哲学の真の欲求が向かうのは、他でもない、哲学によって、哲学を通して、生きることを学ぶことである」。











































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