ヤコービ(1743~1819)は、デュッセルドルフの事業家の家に生まれ、一時は家業を継ぐが、多くの文学者や思想家と交誼を育み、理性的な認識を哲学知として確証しようとするドイツ観念論の時代において、人格神を仰視しつつ、知ることよりも信じることを重んじ、哲学論争の一翼を担った。彼は若い時期にジュネーヴでフランス思想に触れ、またカントを通じ…
第ニ章 単に道徳的存在としてのみ見なされている自己自身に対する人間の義務
それは、虚言、貪欲及び偽りの謙虚(卑屈)という悪徳に対立している
[虚言について]
単に道徳的存在としてのみ見られた自己自身(自分の人格の内に宿る人間性)に対する人間の義務の最大の毀損は、真実に敵対するものとしての虚言である。故意の不実に伴う道徳的軽…
第ニ節 国際法
諸国家は、相互の外的関係において見れば、もともと法的状態になく、この状態は、どちら側の国家も事態を改善しようとはせぬのであるから、たとえ実際の戦争ではないにせよ、戦争の状態であって、相互に隣り合っている諸国家はこの状態から脱するよう拘束されている。よって内政に干渉するのではなく、あくまで外的の攻撃に対して防…
第ニ章 外的な或るものを取得する仕方について
[外的取得の普遍的原理]
さて、外的取得の原理は、私が外的自由の法則に従って、私の権力内にもたらすところのもの、次に、私の選択意志の客体として、私が実践理性の要請に従って使用する能力を持つところのもの、最後に、私が私のものたらしめようとするところのもの、である。
根源的取得の諸…
『人倫の形而上学の基礎』 要約
序論
人倫の形而上学とは、単に思弁的な動機から、ア・プリオリに実践的原則を考察するためだけでなく、道徳の正しい判定のための道案内と最高の規範になるものであり、人倫の形而上学を欠くならば、道徳そのものが様々な堕落に対して歯止めを失う。というのは、道徳的に善くあるべき事は、それが道徳的法則に適ってい…
「永遠平和のために」という言葉は、墓地などによく用いられるが、これが旅館の屋号に使われるほど、この言葉は戦争に明け暮れる時代には皮肉な言葉である。ただ実務に携わる政治家が、政治理論を机上の空論と蔑視し、国家はもともと経験の諸原則に基くと考えるならば、相手が世間に公表した意見の背後に、国家に対する危険を嗅ぎ取ったりしては、一貫した態度と…
各教会の構成法は常に教会信仰と名付け得る何かある歴史的(啓示)信仰から生じ、そしてこの信仰は最もよく聖書に基礎づけられる
神に向かって神意に適うように神に奉仕する人は、道徳的に善い行いにたえず励むことが神に奉仕していることだということを容易に確信しない。人は敬意の表明には即座に満足し、そこで人は義務が同時に神的命令である限りではそ…
第一版 序文
道徳は、自由な人間の概念にその基礎をもつから、その義務の認識も人間を超えた存在者の理念を必要としないし、、義務の履行も理性による無条件的な道徳的法則以外の動機を必要としない。道徳的法則は、その法則に従う格律の普遍的合法則性という単なる形式によって道徳に義務付け、道徳はいかなる実質的規定根拠をも必要としない。一切の目…
付録 目的論的判断力の方法論
我々は人間を、全ての有機的存在者と同じく自然目的と見なすばかりでなく、この地上における自然の最終目的と判定するに(ただし反省的判断力に対しては)十分な理由をもっているし、またかかる最終目的に関しては、自然における一切の物は理性の法則に従って目的の体系を成すものである。しかし人間の幸福、自然の最終目的は…
純粋な美学的判断の演繹
美学的判断は、普遍的妥当性を要求する限り、ア・プリオリな原理に基いていなければならない。だからその要求は、要求の合法性の立証、即ち演繹を必要とする。またこの演繹は、美学的判断が対象の形式に関する適意を判断する限り、この判断の超越論的解明に更に付け加えられねばならない。自然の美に関する趣味判断はこのようなもの…
序文
判断力は、悟性と理性とをつなぐ中間項をなす。純粋理性は、我々がア・プリオリな原理に従って判断する能力である。判断力もまた一個の認識能力として、やはりア・プリオリな原理に従って判断することを要求する。とはいえ判断力のかかる原理は、ア・プリオリな概念から導出せられたものであってはならない。ア・プリオリな概念は悟性に属するもので…
第二篇 純粋実践理性の弁証論 第一章 純粋実践理性一般の弁証論について
理性は、実践的な純粋理性としても、人間の傾向性と、有限な人間に必然的な自然的必要に基く、実践的に条件付きのものに対して、やはり無条件なものを求める。しかも意志の規定根拠としてではなくて、たとえこの根拠が道徳的法則としてすでに与えられているにせよ、純粋実践理性の…
序文
自由という概念は、その実在性が実践理性の無条件的に妥当する法則によって証明されさえすれば、思弁的理性をも含む、純粋理性の体系の要石をなす。そして思弁的理性においては単なる理念に留まり確かな支えをもち得なかった神および心の不死の概念も、自由の概念との関連において、この概念と共にまたこの概念によってその存立を全うし、客観的実在…
第三節 思弁的理性が最高存在者の現実的存在を推論する証明根拠について
我々は、もし何か或るものが実在すれば、必然的に実在するものもあることを認めねばならない。偶然的なものは、その原因をなす偶然的なものを条件としてのみ実在する。するとこの論及は、更にこの条件についても行われ、ついに偶然的でない原因、つまり無条件的、必然的に存在するよ…
第四節 絶対に解決せられ得ねばならぬ限りにおける純粋理性の超越論的課題について
超越論的哲学にとって、純粋理性に与えられた対象に関する問題で、理性によって解決せられ得ないようなものは一つもない。問いを提起せしめるところの概念こそ、問題に答えることを得しめるに違いないからである。
しかし超越論的哲学において、対象の性質に関する満…
第ニ部 超越論的弁証論 序論 [超越論的仮象について]
およそ自然の力が、自分自身の法則を自分で侵すようなことはあり得ないから、悟性が自分だけで誤謬に陥ることも、感官が自分だけで誤謬を侵すこともないだろう。その理由は、悟性が自分の法則だけに従って作用しさえすれば、その結果(判断)は必然的に悟性法則と一致するわけである。感官には…
[純粋悟性概念の一般に可能な経験的使用の超越論的演繹]
経験的直観における多様なものの合成を、覚知の綜合と呼ぶ。これによって直観の経験的意識である知覚が可能になる。覚知の総合は感性的直観の二つの形式と常に合致しなければならない。この綜合そのものがこの二つの形式に従ってのみ生じるからである。しかし空間及び時間は、形式のみならず、直観…
[超越論的感性論に対する一般的注]
我々の感性は全て物の乱雑な表象にすぎず、その表象は物自体に属するものを含んでいるが表象の雑然とした堆積物の下に埋もれていて、我々はこの堆積物を意識において判明に整理していないだけである、という見解は、感性および現象の概念を不純にするだけである。判明な表象と判明でない表象の区別は論理的区別であって…
第一版序文(1781年)
人間の理性はある種の認識において拒むことも答えることもできない問いに悩まされる運命をもつ。拒めないのは理性自身の本性によって理性に課せられているからであり、答えられないのは理性の能力を超えているからである。無制約な使用により混迷と矛盾に陥った理性は、どこかに隠れた謬見が潜んでいると推量するが、それを発見で…
[1765-1766年冬学期講義準備報告]
ここでカントは冒頭において、普通の偏見以上に度し難い上に頑固で愚かしい学校の果てしない偏見と、他の自惚れ以上に盲目で、無知以上に度し難い若い思想家の早熟な饒舌とを、教育の現状が生み出したものとして、痛烈に批判する。知識の発達は、経験から直観的判断へ進み、これから概念へ到ることでまず悟性が…