もともと言語論的転回は論理実証主義の経験論的主張と結びついて登場したから、一般にそれが経験論と密接な関係を有する唯名論的立場に近づくのは見やすい道理である。経験論は個別的に与えられる特殊者のみしか我々人間は経験的に知り得ず、概念や普遍や本質は唯だ名目的に言葉として与えられるだけであって、実際上の事柄としては特に感覚的に具体的に経験でき…
現代においては、まさに近代に始まった科学技術が飛躍的な発展を遂げ、人間と文化のあらゆる側面に甚大な影響を及ぼし、ほとんど全ての事柄は科学技術の思考法・処理方法によって処置されてよいし、またそうされるべきであるといった類の、安易な科学至上主義が蔓延し猖獗を究める状況に立ち至っている。まさにハイデガーが言うように全ての存在者を対象化して、…
肉体は悲し、ああ、われは、全ての書を読めぬ。遁れん、彼処に遁れん。未知の泡沫と天空のさなかに在りて
群鳥の酔いしれたるを、われは知る。このこころ、大海深くひたされて 引きとどむべき縁なし、眼に影を宿したる
青苔古りし庭園も、おお夜よ、素白の守衛固くして 虚しき紙を照らす わが灯の荒涼たる輝きも。
船出せん。帆柱帆桁を揺るがす巨…
そもそも真理自体存在するのか、存在したとしても人間に認識できるのかというような、そういう問い自体が時代遅れなものとする思想が主流になっている現代では哲学を科学に還元しようとする勢力が支配的である。イギリス経験論の流れをくむ英米系の認識論的唯名論が資本主義と科学技術よって支配されてしまった近代国家のイデオロギーとして都合がいいからだ。
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絶対者、無限なもの、永遠なもの、あるいは表象的に言えば神を承認すること、それを真理そのものとして承認することが全ての始まりであり、終わりである。そしてそのことをいかに理性に納得させるかが生涯の仕事である。
真理を知るということは人間の基本的な憧憬であり、最高の欲求である。しかも個の自由と共同体との統一は真理においてでしか成立し得…