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実存主義とモラル(3)
 「人間はいかなる人物を演ずるにせよ、必ずや自分自身を演ずるのである」(モンテーニュ『エッセイ』第1巻第20章)。このことを突き詰めると、結局は死の問題に到達する。自分自身と対面することはまた、死と対面することでもある。「我々の生涯の目標は死である。それは、我々がどうしても目指さざるを得ない対象である。凡人の持薬は、それを考えないということである」。「常に頭の中に死だけを思い浮かべていよう。そして常にそれを、その全ての形において想像の中に現前させていよう」。「死が我々を待っている場所は不明である... ...続きを見る

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2017/06/26 14:08
実存主義とモラル(2)
 「あった」は意志の歯ぎしりであり、こよなく孤独な愁いである。意志はなされたことに対し無力である。なべて過ぎ去ったものに対し悪しき傍観者である。時が遡らないのは意志の憾みである。「あったところのもの」は意志の転がし得ない岩である。「存在が永遠にまた行果であり、負目でなければならないということ、これは『存在』という刑罰における永遠なるものである」。この時間の「かくあった」に対する反感は、しかし意志の復讐そのものである。だからこの抜き難い「刑罰」にも拘わらず、意欲は非意欲となってはならない。そうする... ...続きを見る

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2017/06/23 11:45
実存主義とモラル(1)
 キルケゴールは『死に至る病』の冒頭で、人間を自己自身に関係する関係と定義した。ヤスパースはこれを実存の定義として踏襲している。ハイデガーも現存在という人間存在の規定にその定義は生かされている。『存在と時間』における現存在分析は、人間という存在は自己の存在に対して責めを負った存在であることを明らかにする。これによれば自己関係とは自己存在に対する責めの関係であり、実存としての各人は本来的な自己存在を実現すべく定められているのである。  かかる現存在分析は、ハイデガーにとって実存論的人間学を可能な... ...続きを見る

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2017/06/18 15:10
実存主義と宗教(3)
 人間存在の虚無性を認めながら、しかも自己自身の現実的な生の内に絶対性を求めようとする点で、仏教と実存主義とは共通性をもっていると言うことが出来る。しかし仏教がそれを無我と言われるような一種の自己否定、自己意識の否定によって得ようとするのに対して、実存主義がそれをあくまで自己意識の緊張の内に見ようとする点に、大きな相違があるように思われる。仏教にも実存主義にも様々の形態、様々の契機があり、それらを一々取り上げて比較すれば、様々の共通性を数えることが出来るであろう。しかし上の点は根本的な相違と考え... ...続きを見る

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2017/06/13 13:38
実存主義と宗教(2)
 エレミヤの捕囚民への手紙において、ヤハウェ宗教はユダヤ人の特権たることから独立し、ヤハウェの民たることとバビロンという外国勢力に随順することとは両立し得るものであることが示される。エレミヤの思想がいかに当時の支配的な宗教的態度から程遠い者であったかは、申命記改革者の思想と比較するとき容易に判明する。しかし、そういうエレミヤと言えども、未来の宗教的共同体として、回復したイスラエルという民族的制約を帯びた表象は免れることができなかった。自らの神託を伝達すべきイスラエル民族なくしては預言者自体が存在... ...続きを見る

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2017/06/10 09:57
実存主義と宗教(1)
 宗教の基本的な形態として殆ど各文化圏に共通に考えられるものは、トーテミズムから獣神の信仰を経て人格神の信仰へと究極する発展であろう。ただしその発展をどこまで辿るかは、民族性によるわけであるが、その典型的な例としてギリシア宗教や日本の古代信仰等があげられるだろう。そうした原始宗教全体にいえることは、文化人類学的には、それが取り合えず原始的な集団欲望の投射であるということである。食料の供給と種族の繁栄が、その種族集団の共通の願望であり、それを妨げる自然の脅威を鎮め、生産力を促進することこそ、人間以... ...続きを見る

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2017/06/05 14:46
実存主義と気分
 「デモーニッシュなもの」というドイツ語が由来する元の言葉は、ギリシア語のダイモ二オンであり、これは元々中性の形容詞である。名詞のダイモーンが概括し難い内容をもちはしても、ギリシア人たちの許で人間存在を超えた神的存在者として理解されていた点はこの言葉のもつ第一義的な意味内容である。それはまた未知の、人間に働きかける神的諸力と理解され、したがってまた人間に降り掛かる運命としても考えられた。それはよき運命としても、また禍として現れもした。だからダイモーンは、人間の守護霊として、また悪しき星としても表... ...続きを見る

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2017/06/01 14:01
実存主義と自由(3)
 自殺者は全て自己の同一性の貫徹にかけて己が生命を棄てる者である。その貫徹にかけて彼は確かに果敢なる者であり、英雄ですらある。だが、およそ生き抜くことは、本来人間にとって、絶えざる脱皮の歴史に他ならぬのではないか。その脱皮の無限の反復の中に一貫した自己の同一性を保持してゆくことが、人間の自己自身に対する誠実さというものであろう。またそこにこそ、生きることにおける謙虚と自恃の本来的な弁証法があろう。その限りにおいて、自殺者がその貫徹のために生命を棄てる自己の同一性は、この脱皮の媒介の拒否において、... ...続きを見る

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2017/05/27 11:47
実存主義と自由(2)
 パウロの自由論のユニークな点は、このような律法からの解放、つまり律法主義の自己矛盾からの解放が、本来は「聖であって、正しく、かつ善なる」律法を自己矛盾に陥らせる根源である罪そのものからの解放と結び付けて取り上げているところにある。つまりストアの自由論との比較で言えば、問題をもう一度根源に遡って捉えたところにある。「では、善なるものが、私にとって死となったのか。断じてそうではない。それはむしろ罪の罪たることが現れるための罪の仕業である。すなわち罪は、戒めによって、はなはだしく悪性のものとなるため... ...続きを見る

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2017/05/24 11:16
実存主義と自由(1)
 人はいかにいるべきか。我々は何をなすべきか。人生において最も大切なこの問いに、学問は答えを出すことはできない。それゆえに、学問は人生にとって無意義である。トルストイのこの学問批判を、ウェーバーは率直に受け止めている。しかし、限定された意義はあるとウェーバーは言う。人間社会と自然の諸現象を特定の目的に即して技術的に処理する手段を学べ、また物事を公平に見る態度を学べる。さらに明晰さへの奉仕ということがある。現代における実践には、価値相克の矛盾は不可避であり、学問は、あれかこれかを人生の中から人生に... ...続きを見る

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2017/05/20 14:14
実存主義と時代批判(4)
 ここから明らかなように対自存在としての人間は、無の只中に立つことにおいて自由である。予め自己の本質をもたないということは、人間の存在が偶然的であるということである。自己が選択した価値の真理性や決意の持続性を保証するものは何もないのである。これによって人間が自己の自由を意識するのは不安においてである。しかし不安に堪えることは重荷である。自由でしかないということは苦痛でもある。そこで人間は不安を避けようと、自己に向かって自己の自由でないことを立証し、自己の自由から眼を背けようとする。これは自己欺瞞... ...続きを見る

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2017/05/14 13:55
実存主義と時代批判(3)
 ヤスパースの『哲学』(1932年)の第一巻『哲学的世界定位』は、対象的認識の批判の書であり、哲学と科学との批判の書である。現代は科学の時代である。この科学は意識一般という「普遍妥当の知識の場所」すなわち普遍妥当の知識の成立根拠としての意識によって営まれる。しかし、科学は、現実的には、一定の立場(視点)からの、一定の方法をもっての、一定の対象についての認識であり、したがってそれは個別的諸科学である。それゆえに唯一の総体科学、全体知は存在しない。そして、一つの科学の内容からなる世界像を唯一の世界観... ...続きを見る

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2017/05/11 09:24
実存主義と時代批判(2)
 「時代の要求に従い、仕事(ザッヘ)に忠実であれ」とM・ウェーバーが言う場合の「人格」は、現代の社会心理学が、「組織人」(W・H・ホワイト)、「他人志向型」(ダヴィッド・リースマン)、「自動人形」(エーリッヒ・フロム)、「同調型」(ロバート・マートン)などの仮説で捉えようとしている大衆的人間のパーソナリティと似ていると思われるかもしれない。そこでは、官僚制化された組織のために働き、組織に帰属し、精神的にも肉体的にも組織に忠誠を誓うことによって、即物化的な大衆社会的状況の中での自己の心理的アノミー... ...続きを見る

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2017/05/06 11:27
実存主義と時代批判(1)
 我々現代人は、生の究極的理想といったものの真実性を、もはや単純に信じることはできない。この不信は現代人のいわば宿命のようなものである。この不信の根源をなしているものは、生の現実に対する畏敬の喪失であろう。生の現実に安んじてその内に埋没している我々現代人にとっては、かつての理想主義者たちの場合とは逆に、総じて理想とか理念とか呼ばれるものこそが、まさに平安無事な生の現実を脅かす危険な虚妄として感じられる。しかし、この畏敬を忘れた現代人の生が、なお生の名で呼ばれるに値するのであろうか。とはいえ、他面... ...続きを見る

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2017/05/03 09:54
実存主義の歴史(7)
 実存主義は、マルクス主義と同じ状況から出発しながら、ドグマ化されたマルクス主義に反対して、歴史の弁証法的解釈を、あくまで人間的実存のあり方に基づいて、独自の立場から試みねばならない。実存のあり方とは、自由であり、企てであり、選択であり、超出であり、自己からの脱出である。人間のこの具体的現実的な姿を見失うと、単なる事物としての人間しか、歴史に登場してこないことになる。人間は経済的諸条件によって全面的に決定されてしまうことになるし、条件反射の総計でしかないことになる。人間は何よりもまず、一つの状況... ...続きを見る

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2017/04/28 15:27
実存主義の歴史(6)
 1939年1月、ドイツはポーランドに侵入、これに対して英仏は宣戦を布告し、第二次大戦が勃発した。しかし、40年5月10日、ドイツ軍がベルギー、オランダなどの中立国に侵入するまでは、両軍の間に戦闘らしい戦闘はなく、フランス軍はマジノ線、ドイツ軍はジークフリート線を動かず、にらみ合い状態が続いた。この戦闘なき戦争の時期、これがと呼ばれる時期である。サルトルは9月2日、動員されてまずナンシー近郊に向かい、ついで10日後にアルザス地方に移送された。片目の視力のない彼は、戦闘能力なしと判断されたのだろう... ...続きを見る

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2017/04/26 14:13
実存主義の歴史(5)
 後期ハイデガーにおいては、現存在の時間性を地平にして存在一般の意味を解明しようという試みは放棄され、逆に根源的時間は自ら明らめつつ隠れる存在の生起に帰せられ、この存在の生起より現存在が見返されている。現存在の開示性は存在が人間に向かって自らを開く関係の場として存在の光となり、存在了解は現存在の投企に基づくより前に、存在によって生起し、存在に属するものとして、ひたすら自己を放下して存在の明るみに立って存在の呼びかけに聴従し、語られざる存在の言葉を語り出す存在の思索として捉えられるのである。現存在... ...続きを見る

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2017/04/22 14:01
実存主義の歴史(4)
 18世紀末から19世紀前半にかけてのドイツとデンマークにおける思想的風土として考えられるものに、ロマン主義とフィヒテ哲学がある。そして、シェリングが自己の哲学的遍歴の開始に当ってそこから学んだものは自然であり、キルケゴールがそこから学び得てマギステル論文で取り上げたものはイロニーであった。  前述したように、シェリングの自然哲学はロマン主義の中に育まれていた生きた自然への憧憬を体系化し、フィヒテの主観主義における非我としての自然を有機的活動体に置き換えることによって、自然の中に精神を見出した... ...続きを見る

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2017/04/19 16:01
実存主義の歴史(3)
 いかにしてこの歴史の中において、自分を人間とすることが出来るか。この課題に対して、もはや消費の精神は、答えることは出来ない。消費するためには、自らが所有していなくてはならないから、この精神は存在を所有に、をに還元することになる。所有し享受することにおいて、人間は初めて存在するのである。しかし、ものを享受するということは、そのものに対して何もなすべきことがない場合に起こることである。この場合には、無為なる消費者に対してのみ、ものは自分の秘密を打ち明けるということになる。しかし第二次世界大戦後の現... ...続きを見る

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2017/04/16 16:03
実存主義の歴史(2)
 近代哲学は、15世紀を中心としたルネサンスから開始される。ルネサンスにおける、それどころか、現代に至るまでのその後の世界史の歩みにとって最も重要な出来事の一つは、近代自然科学の勃興と発展であり、そうした近代的自然科学をそれとして決定づけたのは、コペルニクスの地動説であると言って差し支えないであろう。率直に言って、地動説が真理となった今日ですら、感覚的事実としては、我々が住むこの地球が毎秒平均30キロメートルの速さで運動しているとは、誰も考えないであろう。それにも拘わらず、そうした天動説に代わっ... ...続きを見る

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2017/04/12 15:02

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