アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
ヘーゲルに学ぶ
ブログ紹介

zoom RSS ブログ 新着記事

タイトル 日 時
絶対知成立の三つの局面
 元々ヘーゲルには本来の哲学に先立って、暫定的に哲学することは過ちだという考えがあった。ところが哲学体系が自己完結的なものになり切ってしまえば、まだその体系の境地、すなわち学にまで高まっていない意識は、体系の外に取り残されてしまう。そこで意識を体系にまで高める梯子が必要になる。この梯子は体系という母屋の内部なのか、外部なのか。ここで梯子とは『精神の現象学』のことである。「序文はいらない」とすれば、「現象学もいらない」ことになる。ヘーゲルはそれを「学の体系、第一部、精神の現象学」として公刊した。そ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/10/20 10:27
近代国家の成立と歴史の終り
 現実の世の中におけるのと同様に、観念を相手にする哲学史の世界でも、いつもひどく苛められがちな哲学者あるいは哲学書というものがあるらしい。ヘーゲルの『歴史哲学』などその最右翼と言うべきものであろう。これまでにも、ウェーバー、ラッセル、ポッパー、ケルゼンと言った、思想界でその名を知られた大家達から罵詈雑言を浴びせかけられてきた。何かそこにはとんでもなく非科学的なものがあり、しかもそれが自由を抑圧するような邪悪な政治体制と結びついているということに一方的にされてしまうのである。そのような批判の中には... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/10/15 15:00
歴史哲学 ゲルマンの世界 要約(4)
 こういう現実的で、明瞭な意識に基づく普遍的諸規定、自然の諸法則と、正しくまた善なるものの内容とを人々は理性と呼んだ。そして啓蒙とは、これらの法則を人々に承認させることを意味した。この啓蒙はフランスからドイツに入り、そこに新しい観念の世界が出現した。そこで、今や宗教的な信仰とか、既成の法律とか、特に国法などの権威の絶対的基準は、その内容が精神そのものによって自由にはっきりと現実的に洞察されるということにあった。ルターは、すでに精神的自由と具体的宥和との真理を掴み、人間の永遠的規定は人間そのものの... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/10/12 09:53
歴史哲学 ゲルマンの世界 要約(3)
 封建制度の弱体化と共に国王が大きな権力を持つようになるにつれて、国王はこの権力を支配欲のために用い始め、百年戦争(1339-1453年)が勃発した。国王は絶えず外国に向かって征服戦争を試みた。その費用負担を背負わされた都市は、これに反対を唱え出したから、国王は彼らを鎮めるために重要な特権を与えたのである。  法王はこの不和、騒乱に乗じて、その権威の拡張に努めたが、国家形成の関心は極めて強く、法王が新しい十字軍を人々に呼びかけても無視された。皇帝ルートヴィッヒはアリストテレスや聖書やローマ法を... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/10/10 09:41
歴史哲学 ゲルマンの世界 要約(2)
 人間は教会から絶縁されると共に、また一切の神聖なものからも絶縁されてしまった。僧侶が一方の人間と他方のキリスト及び神との間の媒介者であるから、俗人はその祈りの中で直接に神と面接することは出来ず、ただ媒介者を通じてのみ、すなわち贖罪者、故人、完全になった者、つまり聖徒を通じてのみ神と交わり得るにすぎないからである。ここに聖徒の崇拝が始まり、同時に聖徒とその伝記に関する多くのお伽話や偽説が生じた。東方においては、ずっと以前から偶像崇拝が行われ、長い間の争いの末に承認されるようになっていた。だが、彫... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/10/03 14:26
歴史哲学 ゲルマンの世界 要約(1)
 ゲルマンの精神は新世界の精神である。新世界の目的は、自由の無限な自己規定としての絶対的な真理の実現にある。すなわち、その絶対的形式そのものを内容とするような自由の実現にある。言い換えると、ゲルマン諸民族の使命はキリスト教的原理の担い手となるにあった。精神的自由の原則、宥和の原理は、これらの民族のまだ囚われのない素朴な精神に委ねられることになったのである。そこで、世界精神に奉仕するためのこの民族の課題は、真の自由の概念を宗教的実体としてもつのみでなく、進んで世界の中に、これをその主観的自意識の中... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/09/28 11:39
歴史哲学 ローマの世界 要約(2)
 神が三位一体であることが知られるとき、初めて神は精神として認識される。この新しい原理は世界史転回の基軸である。歴史はここに終わると共に、またここから始まる。「時満つるに及びては、神はその御子を遣わし・・・給えり」(ガラテヤ書 4-4)。これは自意識が精神の概念に属する諸契機にまで高まり、絶対的な意味で、これらの契機を把握しようとする要求を感ずるに至ったという意味に他ならない。ギリシア精神「汝自身を知れ」は精神の意識ではあったが、それはまだ自然の要素を本質的な成分とするような精神の意識であった。... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/09/21 14:03
歴史哲学 ローマの世界 要約(1)
 ナポレオンはかつてゲーテと悲劇の性質について語った時に言った。近世悲劇と古代悲劇との本質的相違は、もはや近世人はどうにもならない運命をもつことはなく、古代の運命に代わって政治が現れたという点にある。だから政治は悲劇に代わる新しい運命として、個人が屈服せざるを得ない威力として使用されねばならない、と。ローマの世界は、まさにこの種の威力であった。それは、人倫的個人を鎖につなぎ止めておくと共に、全ての神々と、全ての聖霊とを世界支配のパンテオン(万神廟)に集め、もって抽象的普遍性を作り出すために選ばれ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/09/16 11:12
歴史哲学 ギリシアの世界 要約(2)
 ギリシアの神々の持つ偶然性と特殊性とに関しての外的起源は、一面ではこれは地方的な観念から来る。地方神は、その地方の特有の意識とそれぞれの環境とに応じて、それぞれ違った性格を持っている。特殊性の生ずる第二の源泉は自然宗教であって、これに関する叙述もギリシア神話の中に保存されている。原始の神話の保存の問題は、上に考察したあの密儀に関して来る。このギリシア人の密儀は、その真相のよく分からないものであるだけに、何か深いものがありそうに思われて、いつの時代の人々にも好奇の目をもって見られたものであった。... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/09/11 14:07
歴史哲学 ギリシアの世界 要約(1)
 [ギリシアの世界への推移]エジプトの精神はどの面から見ても、個物の中に幽閉されており、いわば動物的な姿をとって堅く個物の中に閉じこもっていた。しかし、また同時に、そこに無限の衝動を蔵していて、その個物の中で一方の形態から他方の形態へと動き回り、蠢き回っているのであった。しかし、それでもまだ、この精神が普遍的なものとなり、高次の存在に高まるということにはならなかった。というのは、その精神は普遍的なものに対しては、いわば盲目だったからである。またそれかといって、その精神が自分の内面に帰って行くとい... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/08/29 16:03
歴史哲学 東洋の世界 要約(2)
 [ペルシア]ペルシア王国から初めて、我々は歴史の関連の中に踏み込む。ペルシア人は最初の歴史的民族であり、ペルシアは今はない最初の国である。中国とインドとがいつまでも停滞性を持ち続け、今日に至るまでも自然的な植物的生存を営んで来ているのに反して、この国土は終始、発展と変革とに出会った。だが、このような発展と変革こそ歴史的状態を意味している。このペルシアにおいて初めて自ら光り輝き、他を照らすところの光が現れるのである。というのは、ゾロアスターの光こそ、初めて意識の世界に属するものであり、すなわち他... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/08/25 16:57
歴史哲学 東洋の世界 要約(1)
 東洋の世界では、精神はまだ内面性に達していないために、一般に単に自然的な精神形態として現れるにすぎない。外面的なものと内面的なもの、法律と道徳とが、まだ一体となっていると同じく、宗教と国家ともまた一つになっている。政体は概して神政政治であるから、ここでは神の国は世俗の国であると共に、世俗の国こそ、そのまま神的なものである。しかし東洋においては、我々が神と呼ぶものは、まだ意識されてはいない。なぜなら、我々の神は超感性的なものへの高揚の中に、初めて現れるものだからである。また東洋では、人間は法律の... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/08/21 14:48
歴史哲学 序論 要約(3)
 ゼウスは元来、それ自身において確乎としたもの(思想、精神の原理)を打ち立てることによって時間(クロノス)の貪食に止めを刺し、その無常な流転を堰き止めたのであったが、こういうようになってくると、このゼウスの一族そのものもまた、今度は食い尽くされてしまうことになる。しかも、それはまさに彼らを産んだところのその力によって、すなわち思想、認識、推理などの原理によって、あるいは色々の根拠に基づいて洞察をやるという行き方、根拠を要求する行き方(原理)によって滅ぼされることになったのである。  時間は感性... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/08/16 15:37
歴史哲学 序論 要約(2)
 国家の詳細な展開は法哲学の中で述べるはずである。だが、ここで指摘しておかねばならないことは、国家に関する種々雑多な誤謬が行われていて、それが既定の真理として通用し、先入見となっているということである。我々は、その誤謬の二、三を、歴史の目的に関係するものだけについて述べておくことにする。  まず第一に、人間は本性上、生まれながらにして自由であるが、人間が同時に必然的に入り込む社会と国家との中では、この自然的な自由は制限せられざるを得ない、という見解である。人間が自然のままに、本性上生れながらに... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/08/09 16:28
歴史哲学 序論 要約(1)
 一般に、歴史的考察には、(1) 根本的歴史(資料的歴史)(2) 反省的歴史 (3) 哲学的歴史の三種がある。  (1)に関しては、ヘロドトス、トゥキュディデスなどの歴史家が、自分の体験した外的現象を内的観念に移し入れたものであり、それは彼らの体験したことに限られる。もちろん彼らも他人の報告や物語を頼りにする。しかし物語、伝記は、このような根本的歴史からは除かれねばならない。なぜなら、それらはまだ混沌としたもので、自分の存在、自分の行為についての自覚を持たない民族のものだからである。作者の教養... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/08/05 10:05
歴史と『精神の現象学』(2)
 『現象学』は、経験的意識から絶対知への向上の過程である。このことは、この著作への序論が示しているように、最初の意図からしてそうなのであるが、さらに後から書かれた序文においても、ヘーゲルは『現象学』をこうした形式のものと考えている。「個人をその無教養の状態から知にまで導くという仕事は、一般的な意味で理解されねばならなかったし、したがって、普遍的な個人(自分を意識する精神)をその教養の過程において考察しなければならなかった」。しかし経験的意識から絶対知へのこの向上が可能になるのは、この経験的意識の... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/08/01 10:30
歴史と『精神の現象学』(1)
 『現象学』を研究する前に避けることの出来ない問題がある。『現象学』は人類の歴史であるのか、あるいは少なくともこの歴史の哲学であろうとしているのか。すでに超越論的観念論の体系においてシェリングは極めて一般的な言葉で歴史哲学が解決しなければならない問題を提起している。『現象学』とこうした歴史哲学との異同をはっきりと知るためにはシェリングの体系が含んでいる様々の指示(なぜならそれらは単に指示でしかないから)を改めて取り上げて見ることは無駄ではあるまい。  シェリングは歴史の超越論的可能性の問題を自... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/07/29 10:55
『精神の現象学』の構造
 『エンチュクロぺディー』が構成する体系は、論理、自然、精神の三部分だけしか含んでいないが、この体系の中に入ることが出来るためには、1807年の『現象学』は自分を制限しなければならなかった。事実、体系の中では、それは精神と宗教の章を失っている。こうした変貌は、まずはニュルンべルグの『予備学』の中に、ついで『エンチュクロぺディー』の中に現れている。我々はこの変貌の詳細を追い、その理由を明らかにするだろう。  ニュルンべルグのギムナジウムの校長としてのヘーゲルは、微妙で難しい教育の仕事に当面するこ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/07/26 11:31
『精神の現象学』の意味と方法
 『現象学』の序論は、序文とは逆に、著作と同時に考えられ、最初に書かれたものである。それは文字通り、この著作の始めの三部門(意識、自己意識、理性)への導入部であり、またその不可欠の部分をなし、問題を定立し、更にそれを解くための方法を明確にするものである。ヘーゲルがこの序論においてまず第一に明らかにしていることは、彼にとっては認識の問題がどのように措定されるかといった問題である。第二に『現象学』は、自然的意識が学へと発展する教養の道程であるということである。彼はこうした意識の進展の過程の必然性と共... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/07/21 11:15
実存主義と文学(4)
 ラスコーリニコフは自己無化に陥った時、自らの形而上学的悪としての罪性を認めた。このことは彼の夢(老婆の夢、エピローグにおける神秘的夢)によっていっそう明白となってゆくが、この夢の問題はドストエフスキーの創作する人神思想の体現者の意識現象に特有な意味をもっている。それは、全く別の方向からではあるが淫蕩漢スヴィドリガイロフにも顕著に表れている。彼もまた、目的さえ定まれば道徳的悪業は許容されるとする点で、ラスコーリニコフの分身であるが、彼はこれを、本能と欲情とをもって女性を凌辱するために用いる。奸計... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/07/16 16:25

続きを見る

トップへ

月別リンク

ヘーゲルに学ぶ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる