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自己疎外的精神 教養(4)
 まず、追従の言葉は、高貴なる意識のこれまでの外化が成就し得なかったもの(国権の現実化)を成し遂げることになるであろう。今や、言語は、普遍と個別、実体と自己といった両極を媒介するものとなるのである。言語は、両極の各々を、それぞれの正反対なるものとして定立し、それぞれをそれ自身に還帰させるのである。抽象的なる普遍である国権は、自分自身に還帰し、個別的な自我、決定を下す意志となるであろう。高貴なる意識は、自分の純粋なる対自存在を外化し、この外化と交換に、実体の現実性(即ち財冨)を受け取ることによって... ...続きを見る

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2018/05/19 11:21
自己疎外的精神 教養(3)
 外化という言葉は、ホッブスやロックやルソーのような政治的思想家の中に、すでに存在していたものである。彼らは、様々に対立した形においてであるが、自然的な自己の外化の問題を考察していたからである。ヘーゲルは、法的状態を自然権の直接的な承認として、最も一般的な形式において考察したが、事実、このような法的状態から出発するならば、我々は、人格が、いかにして、自分の権利の全てを、あるいは、その幾らかを放棄し、また、この放棄が、いかにして、社会生活の条件となるのかを問わねばならない。社会契約を規定したルソー... ...続きを見る

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2018/05/09 14:15
自己疎外的精神 教養(2)
 第七の点は高貴な意識との関係において下賤な意識-分裂した意識にとって承認が可能であるかということであるが、この問いに対しては然りと答えることが出来るようである。その理由は次のごとくである。一、一見すると、富めるものが与えるだけであって、クリエントの方はただ受け取るだけであるようであるが、しかしクリエントも対自存在を受け戻すと言われているのである以上、クリエントの方でもやはり何らかの奉仕(『ラモーの甥』の主人公の場合には道化役を演ずるにすぎぬにしても)をなし、また阿諛の言葉を呈して然る後に初めて... ...続きを見る

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2018/05/07 09:58
自己疎外的精神 教養(1)
 疎遠になるという語に伴う表象を決めたのは、新約聖書「エペソ書」 2-12-3 の「さきには(汝ら異邦人には)キリストなく、イスラエルの民籍に遠く、約束に属する諸々の契約に与りなく、世にありて希望なく、神なきものなりき。されど前に遠かりし汝ら今、キリスト・イエスにありて、キリストの血によりて近づくことを得たり」とあり、「コロサイ書」 1-21-2 には「汝ら、もとは(異邦人にして)悪しき業を行いて、神に遠ざかり、心にその敵となりしが、今は神、キリストの血の体をもて、その死により、汝らをして己と和... ...続きを見る

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2018/05/04 10:11
法的状態(2)
 人倫的世界では個人と実体は直接的な生きた統一を持っていた。この統一はいま生命を失った。そこでこの統一が精神のない共同体となって、新たに現れて来た。それがこれから問題になる法状態である。この共同体は、人倫的世界と違って個々人の実体であるようなものではないから、ここでは個々人は各自の個別的な自立存在という形で自己となり実体となっている。つまり普遍的なものは多数の個人というアトムに分散してしまったのである。普遍は死んだ精神となり、平等性となり、全ての人間は各人として、人格として考えられるようになった... ...続きを見る

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2018/04/30 13:35
法的状態(1)
 所論は第四章への対応において展開せられており、そうしてこの展開には第七章啓示宗教が対応している。    第四章Aにおいては、承認の純粋な概念が掲げられて、これの実現が差し当たっては一方的たらざるを得ぬところから、承認のための生死を賭しての戦いを通じて主奴関係に至ったが、この関係における奴の形成の運動によって、Bの自己意識の自由が得られ、この自由の諸形態としてストア主義とスケプシス主義と不幸な意識とが展開せられた。しかし以上は全て意識の諸形態の立場からする論であった。  これに対して第六章に... ...続きを見る

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2018/04/30 09:18
人倫的世界と人倫的行動(5)
 青年を全体の力として承認するのは、国家が一つの民族として個体性を得て、他の個体性(国家)に対する時のことである。つまり戦争においてのことである。戦争とは、人倫的実体の本質的契機を保つために、人倫的自己存在をあらゆる定在から絶対に自由にするために、行われるものである。だから戦争は、私有権や人格などの自立に対する否定的な力である。この否定的な威力が全体を維持する威力となる。その時、女性の讃美するもの即ち若者がこの威力つまり破滅の原理となって、妥当することになる。とすれば、人倫的共同体の存在と精神的... ...続きを見る

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2018/04/26 08:47
人倫的世界と人倫的行動(4)
 クレオンは、ためらうことなくポリュネイケスを断罪している。クレオンの中には、内面の葛藤は存在しない。アンチゴネは、なおいっそう躊躇しない。ということは、彼女は、自分が為そうとしていることに十全に一致しているということである。彼女は、神々の掟に属しているのである。古代悲劇において、躊躇が現れる時には、それは道徳的な葛藤ではなくして、行為を前にしての弱さでしかないのである。オレステスも、自分の父の復讐のために自分が成し遂げなければならない行為については、もはや論議しはしない。彼が何を為すべきかを知... ...続きを見る

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2018/04/25 09:51
人倫的世界と人倫的行動(3)
 死とは、個人が普遍的なるものの中に移行することである。単なる生命にすぎない自然においては、類は個人を超越するものであるから、死の否定は、外面的な否定であるように思われる。個人自身の死をもたらすものは、その個人自身ではないのである。だから、死は自然的な否定なのである。「死とは、自然的な否定性であり、存在するものとしての個別者の運動なのであって、この運動において、意識が自分自身に還帰して、自己意識となることはないのである」。したがって、死は、この精神的な世界における純粋なる自然の事実として存在する... ...続きを見る

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2018/04/21 15:29
人倫的世界と人倫的行動(2)
 [三 二つの掟の相互移行 その媒語]  移行のことは先にしばしば言及せられていたが、ここでそのことが総括せられている。この際の基本的命題は人倫的世界の「全体は全ての部分の静けき均衡である」ということである。それぞれの部分が「おのが郷の精神」という自分独自の精神を持っており、したがって全体化されて満足を得るためには、自分の外へ出なくてはならぬようではあるが、しかしどの部分も満足をこのような仕方で求めることはない。それはそもそもどの部分があるのも全体との静けき均衡においてのことだからであり、おの... ...続きを見る

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2018/04/19 10:26
人倫的世界と人倫的行動(1)
 表題の「真実な精神」というときの真実とは、無媒介の真実態である。人倫の Sittlichkeit は Sitte に由来するものであり、これは習俗としていわゆる第二の自然であるが、ここには人倫の自然性があり、この自然性のゆえに、人倫は現象学のおいてはイエナ前期ともベルリン時代の法哲学とも違って、より精神的な道徳性よりも下位のものとされている。  本文はAの概観である。ただ c に関しているのは、第二段が「経験」のことに言及してから後のことであって、他は全て a と b とに関する。しかしこの... ...続きを見る

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2018/04/16 11:30
精神に関する章の序論(2)
 直接的なる精神・自己自身とは疎遠なる自己疎外的精神・自己自身を確信する精神という三段階におけるこの世界の弁証法的発展は、古代世界(ギリシアとローマ)・近代世界(封建制からフランス革命まで)・現代世界(ナポレオンの世界とヘーゲルの時代のドイツの世界)という世界の歴史の三時代に対応しているが、こうした世界の弁証法的発展は、解釈上の重大な難点を提起せずにはおかないものなのである。なぜヘーゲルはこの精神の発展を古代ポリスにおいて始めているのか。この精神の発展の中に本当に歴史的な発展を見るべきなのか、そ... ...続きを見る

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2018/04/03 14:02
精神に関する章の序論(1)
 第六章において叙述せらるべきものは、意識の諸形態であると同時に世界の諸形態でもあるところのものであるが、この際、世界というのは、けだしフランクフルト時代の「イエスの宗教」が「ヨハネ伝」1-9 の「彼は世に来れり」の「世」即ちコスモスを解していみじくも言ったところの「諸々の人間的な間柄と人間的な生活との全体」であろう。現象学においては世界精神と関係づけられて、そのもとにある個人によって摂取せられて有機化せらるべくして十分にはそうなっていないものとしては世界は有機化されていない自然と呼ばれていたが... ...続きを見る

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2018/04/02 11:38
即かつ対自的に実在的であることを自覚している個体性(6)
 例えば、各人は真実を語るべきであるという義務を立てた場合を考えて見よう。これはこの場の意識の確信からすれば、そのまま妥当する定言命法であるはずである。しかしこの命法が妥当するためには、各人は予め何が真実であるかを知り確信していなければならない。したがってこの命法は、各人はその時々の真実についての自分の知と確信とに従って真実を語るべきである、という意味だと言うことになる。この命法を主張している人倫的意識も、元々そういう意味で言っていたのだ、と説明するであろう。つまりこの確信はこのような条件を付け... ...続きを見る

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2018/03/24 11:28
即かつ対自的に実在的であることを自覚している個体性(5)
 行為的理性が自己の真実に出会ったということは、快楽や心の法則や徳という、死んだ現実との対立において立てられた目的としての即自的なるものが、単なる抽象と幻像にすぎないということであった。それは元々この場の意識の前提であった己を範疇として確信するということの帰結である。範疇と考えるということは、自己意識と存在との単一な統一を真実として確信しているということである。観察する理性や行為的理性は、この確信の実現を求めて、存在の中に自己意識を見つけ出そうとして、物に自己を求めたり、自己意識を存在の形式の中... ...続きを見る

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2018/03/22 14:52
即かつ対自的に実在的であることを自覚している個体性(4)
 元々、個人が自己自身であろうとすることが本来の志向であった。が、このことに即して彼はすでに、個人としての自らを超えているのであった。逆に個人であることを捨てることにおいて、個人は甦って来る。事そのものという流動的自己同一の中においてすらそうである。ここに誠実の言われる根拠がある。誠実というものは元自己同一の確信だからである。この項に語られている誠実は事そのものの自己同一性にいることである。全ての契機の流動的交替が、それにも拘わらず自己同一を保つことの確信である。がそれが交替であるところに、一つ... ...続きを見る

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2018/03/19 16:21
即かつ対自的に実在的であることを自覚している個体性(3)
 もし我々が精神の現象学における意識の態度の様々の形式を始めから回顧するならば、我々は次のことに気づくであろう。即ち我々が次第に即自存在の非対象化と、自己意識の普遍化とへ近づいているということに気づくであろう。意識の態度は、始めは物に対するものであったし、次には仕事に対するものとして現れた。最後には事そのものに対するものとなり、ヘーゲルはここで観念論について語ることになるのである。ところがこの即自の非対象化と相補的な関係にある事態について強調しておかねばならない。対象が精神的になればなるほど、ま... ...続きを見る

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2018/03/16 10:03
即かつ対自的に実在的であることを自覚している個体性(2)
 世界の直接的な享楽であれ、心情の法則であれ、徳であれ、個体の理想がいかなるものであるにせよ、世間はこの理想に対立するものであるから、個体はこの世間に反抗することになったが、こうした個体の次に、ヘーゲルは即自対自的に実在する個体を考察している。もはやこの個体は実在を克服すべき抵抗とは認めない。彼は一挙に世界の只中に存在し、自分自身を表現することしか欲しないのである。彼の目的は実在する世界の否定なのではない。目的それ自身が世界に所属しており、逆にこの世界は個体の世界なのである。だから本質的なことは... ...続きを見る

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2018/03/13 11:25
即かつ対自的に実在的であることを自覚している個体性(1)
 即かつ対自的に実在的であることを自覚している個体性というのは徳の世路に対する敗北から生れたものである。諸々の天賦、諸々の能力という善かつ真なるもの、あるいは即自的に普遍的なものは徳の演説や説教を待つことなくして世路の内にすでに実現していることが分かり、個体性はもはや世路と戦うのではなく世路の内に安住するようになったから、個体性は即自的なものと対自的なもの、普遍的なものと個別的なもの、客観的なものと主観的なものとの相互浸透(ただし各項の運動による動的な統一)である。これが当面の個体性が即かつ対自... ...続きを見る

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2018/03/09 11:19
理性的自己意識の己れ自身を介する現実化(4)
 こうしてこの場の意識は、この転倒から逃れるために、この普遍的秩序が死んだ必然性ではなく、個人的意識の生んだものであることは認めながら、この個人を自分とは無縁で、偶然的な個人だと言い張り、そのため、秩序は狂信的な僧侶、遊蕩にふける暴君、そしてこの両者から受けた辱めの腹いせに自分より下の者を辱め弾圧する役人などの恣意即ち普遍的正義ではなく、個人的感情となって不正になるのだと主張する。こうして自らはこの不正と闘う心の法則に立つ高潔な個人性即ち普遍的正義の体現者であると自負することになる。しかしこの美... ...続きを見る

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2018/03/06 11:25

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