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ヘーゲルに学ぶ
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知覚(1)
 感覚の対象である「このもの」は実は全ての「このもの」であって、単なる「このもの」は私念されたものにすぎない。しかるに個別を普遍において真に捉えるものが知覚である。知覚の捉えるのは物である。物は一物でありながら多くの性質を持ったものであり、また一物はそれ自体として対自的に存在すると同時に対他的にも存在するが、知覚は対象意識として同一律をもって真なるものの標準とするから、矛盾したものの一方だけを真とする。そこで知覚は必然的に錯覚でもある。なお物は対象として与えられるもので、その生成には主体の働きは... ...続きを見る

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2017/11/17 14:00
感覚的確信(3)
 感覚的確信は自らの確信の内容であるこのもの(この今、このここ、この私)が、直接的個別ではなく媒介された直接性としての一般性であることを自ら経験するのであった。「我々が感覚的なものを言い表すのも一つの普遍的なものとしてである」から、このことと言葉とは根源的な連関を持っていることになる。「我々の言っているのはこのものであるが、これは普遍的なこのもののことであり、あるいは我々が言っているのは『それが存在する』ということであるが、これは存在一般のことである。そう言っている場合に、我々はもちろん普遍的な... ...続きを見る

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2017/11/11 10:25
感覚的確信(2)
 感覚的確信は、まず対象の中に自己の真理を置いていた。対象は存在していた。それは本質であった。ところが、逆に、知は非本質的なるものであった。今や、感覚的確信は、自分の最初の設定を転換しなければならない。事実、対象がこの確信に現れたのは、直接的なるものとしてではなかった。この確信にとっては、この対象は、むしろ否定を通じて定立されたものとして現れた。この対象が存在することになるのは、他方のもの(いうまでもなく知)が存在しないからなのである。ところが、今や、この知のみが直接的なるものなのであるから、再... ...続きを見る

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2017/11/09 14:42
感覚的確信(1)
 ヘーゲルが意識に関して『精神の現象学』の第一部で述べている弁証法は、フィヒテやシェリングの弁証法とそれほど異なるものではない。素朴な意識は、自分の対象を直接的に知っている、あるいはむしろ知っていると信じているが、この素朴な意識から出発して、この意識は自分の対象を知ることによって、実際には自己を意識し、自己自身を知るのだということを示すことが問題になっているのである。この弁証法の固有の運動は、感覚的確信、知覚、悟性といった三段階で実現されるが、この運動は意識から自己意識への運動である。これに対し... ...続きを見る

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2017/11/05 15:46
キリスト教の歴史的必然性
 キリスト教の伝統には危機を乗り越え生き残るための一種独特の弁証法が働いているように思える。自分に危機をもたらしたものを自分の内に繰り入れるという生存術である。「神の死」がキリスト教を脅かす。「神の死の神学」が生れる。「社会主義」がキリスト教を脅かすと、「キリスト教社会主義」が生れる。二千年ほど前にキリスト教が生れた時、ギリシアの存在論はすでにそれを脅かしていた。しかし、やがてプラトンがキリスト教化され、やがてはアリストテレスすらもキリスト教化された。「キリスト教を維持し保全するのに努力した者が... ...続きを見る

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2017/10/31 13:55
人倫の理想の挫折と歴史哲学での回復(2)
 道徳性が「人倫、教養、道徳性」という構図に、つまり精神の第三段階に収まるという『精神の現象学』の特異性は、いかに説明されるであろうか。人倫を道徳性の上位におくというのがヘーゲルの基本発想とすれば、「道徳性」という言葉の意味がここですっかり変わってしまったのであろうか。  人倫と道徳性を対比した最初の用例と思われる『自然法論文』に当ってみよう。「絶対的人倫の本性には普遍的なものである、もしくは慣習であるということが含まれる。人倫を表すギリシア語エトスもドイツ語もこうした本性を優れた形で表現して... ...続きを見る

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2017/10/28 16:47
人倫の理想の挫折と歴史哲学での回復(1)
 近代の人間は自分の個別性を放棄し自己を犠牲にしなければ、普遍的なものと和解できない。ここにはヘーゲルの個人主義への批判がある。このような犠牲に支えられて普遍は実在性を得て、実体となる。ところが、己を棄てることが、己を支える実体的なものを私物化し、実体を実体たらしめないとすれば、実体も自己も崩壊するしかない。それが近代の教養を特徴づける疎外である。疎外を越えてこそより高次の和解が成り立つ。こうしてヘーゲルは近代社会を越える「より高次の理念」を定立する。この理念が高い分だけ、理念は現実から遊離して... ...続きを見る

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2017/10/26 10:35
絶対知成立の三つの局面
 元々ヘーゲルには本来の哲学に先立って、暫定的に哲学することは過ちだという考えがあった。ところが哲学体系が自己完結的なものになり切ってしまえば、まだその体系の境地、すなわち学にまで高まっていない意識は、体系の外に取り残されてしまう。そこで意識を体系にまで高める梯子が必要になる。この梯子は体系という母屋の内部なのか、外部なのか。ここで梯子とは『精神の現象学』のことである。「序文はいらない」とすれば、「現象学もいらない」ことになる。ヘーゲルはそれを「学の体系、第一部、精神の現象学」として公刊した。そ... ...続きを見る

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2017/10/20 10:27
近代国家の成立と歴史の終り
 現実の世の中におけるのと同様に、観念を相手にする哲学史の世界でも、いつもひどく苛められがちな哲学者あるいは哲学書というものがあるらしい。ヘーゲルの『歴史哲学』などその最右翼と言うべきものであろう。これまでにも、ウェーバー、ラッセル、ポッパー、ケルゼンと言った、思想界でその名を知られた大家達から罵詈雑言を浴びせかけられてきた。何かそこにはとんでもなく非科学的なものがあり、しかもそれが自由を抑圧するような邪悪な政治体制と結びついているということに一方的にされてしまうのである。そのような批判の中には... ...続きを見る

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2017/10/15 15:00
歴史哲学 ゲルマンの世界 要約(4)
 こういう現実的で、明瞭な意識に基づく普遍的諸規定、自然の諸法則と、正しくまた善なるものの内容とを人々は理性と呼んだ。そして啓蒙とは、これらの法則を人々に承認させることを意味した。この啓蒙はフランスからドイツに入り、そこに新しい観念の世界が出現した。そこで、今や宗教的な信仰とか、既成の法律とか、特に国法などの権威の絶対的基準は、その内容が精神そのものによって自由にはっきりと現実的に洞察されるということにあった。ルターは、すでに精神的自由と具体的宥和との真理を掴み、人間の永遠的規定は人間そのものの... ...続きを見る

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2017/10/12 09:53
歴史哲学 ゲルマンの世界 要約(3)
 封建制度の弱体化と共に国王が大きな権力を持つようになるにつれて、国王はこの権力を支配欲のために用い始め、百年戦争(1339-1453年)が勃発した。国王は絶えず外国に向かって征服戦争を試みた。その費用負担を背負わされた都市は、これに反対を唱え出したから、国王は彼らを鎮めるために重要な特権を与えたのである。  法王はこの不和、騒乱に乗じて、その権威の拡張に努めたが、国家形成の関心は極めて強く、法王が新しい十字軍を人々に呼びかけても無視された。皇帝ルートヴィッヒはアリストテレスや聖書やローマ法を... ...続きを見る

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2017/10/10 09:41
歴史哲学 ゲルマンの世界 要約(2)
 人間は教会から絶縁されると共に、また一切の神聖なものからも絶縁されてしまった。僧侶が一方の人間と他方のキリスト及び神との間の媒介者であるから、俗人はその祈りの中で直接に神と面接することは出来ず、ただ媒介者を通じてのみ、すなわち贖罪者、故人、完全になった者、つまり聖徒を通じてのみ神と交わり得るにすぎないからである。ここに聖徒の崇拝が始まり、同時に聖徒とその伝記に関する多くのお伽話や偽説が生じた。東方においては、ずっと以前から偶像崇拝が行われ、長い間の争いの末に承認されるようになっていた。だが、彫... ...続きを見る

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2017/10/03 14:26
歴史哲学 ゲルマンの世界 要約(1)
 ゲルマンの精神は新世界の精神である。新世界の目的は、自由の無限な自己規定としての絶対的な真理の実現にある。すなわち、その絶対的形式そのものを内容とするような自由の実現にある。言い換えると、ゲルマン諸民族の使命はキリスト教的原理の担い手となるにあった。精神的自由の原則、宥和の原理は、これらの民族のまだ囚われのない素朴な精神に委ねられることになったのである。そこで、世界精神に奉仕するためのこの民族の課題は、真の自由の概念を宗教的実体としてもつのみでなく、進んで世界の中に、これをその主観的自意識の中... ...続きを見る

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2017/09/28 11:39
歴史哲学 ローマの世界 要約(2)
 神が三位一体であることが知られるとき、初めて神は精神として認識される。この新しい原理は世界史転回の基軸である。歴史はここに終わると共に、またここから始まる。「時満つるに及びては、神はその御子を遣わし・・・給えり」(ガラテヤ書 4-4)。これは自意識が精神の概念に属する諸契機にまで高まり、絶対的な意味で、これらの契機を把握しようとする要求を感ずるに至ったという意味に他ならない。ギリシア精神「汝自身を知れ」は精神の意識ではあったが、それはまだ自然の要素を本質的な成分とするような精神の意識であった。... ...続きを見る

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2017/09/21 14:03
歴史哲学 ローマの世界 要約(1)
 ナポレオンはかつてゲーテと悲劇の性質について語った時に言った。近世悲劇と古代悲劇との本質的相違は、もはや近世人はどうにもならない運命をもつことはなく、古代の運命に代わって政治が現れたという点にある。だから政治は悲劇に代わる新しい運命として、個人が屈服せざるを得ない威力として使用されねばならない、と。ローマの世界は、まさにこの種の威力であった。それは、人倫的個人を鎖につなぎ止めておくと共に、全ての神々と、全ての聖霊とを世界支配のパンテオン(万神廟)に集め、もって抽象的普遍性を作り出すために選ばれ... ...続きを見る

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2017/09/16 11:12
歴史哲学 ギリシアの世界 要約(2)
 ギリシアの神々の持つ偶然性と特殊性とに関しての外的起源は、一面ではこれは地方的な観念から来る。地方神は、その地方の特有の意識とそれぞれの環境とに応じて、それぞれ違った性格を持っている。特殊性の生ずる第二の源泉は自然宗教であって、これに関する叙述もギリシア神話の中に保存されている。原始の神話の保存の問題は、上に考察したあの密儀に関して来る。このギリシア人の密儀は、その真相のよく分からないものであるだけに、何か深いものがありそうに思われて、いつの時代の人々にも好奇の目をもって見られたものであった。... ...続きを見る

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2017/09/11 14:07
歴史哲学 ギリシアの世界 要約(1)
 [ギリシアの世界への推移]エジプトの精神はどの面から見ても、個物の中に幽閉されており、いわば動物的な姿をとって堅く個物の中に閉じこもっていた。しかし、また同時に、そこに無限の衝動を蔵していて、その個物の中で一方の形態から他方の形態へと動き回り、蠢き回っているのであった。しかし、それでもまだ、この精神が普遍的なものとなり、高次の存在に高まるということにはならなかった。というのは、その精神は普遍的なものに対しては、いわば盲目だったからである。またそれかといって、その精神が自分の内面に帰って行くとい... ...続きを見る

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2017/08/29 16:03
歴史哲学 東洋の世界 要約(2)
 [ペルシア]ペルシア王国から初めて、我々は歴史の関連の中に踏み込む。ペルシア人は最初の歴史的民族であり、ペルシアは今はない最初の国である。中国とインドとがいつまでも停滞性を持ち続け、今日に至るまでも自然的な植物的生存を営んで来ているのに反して、この国土は終始、発展と変革とに出会った。だが、このような発展と変革こそ歴史的状態を意味している。このペルシアにおいて初めて自ら光り輝き、他を照らすところの光が現れるのである。というのは、ゾロアスターの光こそ、初めて意識の世界に属するものであり、すなわち他... ...続きを見る

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2017/08/25 16:57
歴史哲学 東洋の世界 要約(1)
 東洋の世界では、精神はまだ内面性に達していないために、一般に単に自然的な精神形態として現れるにすぎない。外面的なものと内面的なもの、法律と道徳とが、まだ一体となっていると同じく、宗教と国家ともまた一つになっている。政体は概して神政政治であるから、ここでは神の国は世俗の国であると共に、世俗の国こそ、そのまま神的なものである。しかし東洋においては、我々が神と呼ぶものは、まだ意識されてはいない。なぜなら、我々の神は超感性的なものへの高揚の中に、初めて現れるものだからである。また東洋では、人間は法律の... ...続きを見る

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2017/08/21 14:48
歴史哲学 序論 要約(3)
 ゼウスは元来、それ自身において確乎としたもの(思想、精神の原理)を打ち立てることによって時間(クロノス)の貪食に止めを刺し、その無常な流転を堰き止めたのであったが、こういうようになってくると、このゼウスの一族そのものもまた、今度は食い尽くされてしまうことになる。しかも、それはまさに彼らを産んだところのその力によって、すなわち思想、認識、推理などの原理によって、あるいは色々の根拠に基づいて洞察をやるという行き方、根拠を要求する行き方(原理)によって滅ぼされることになったのである。  時間は感性... ...続きを見る

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2017/08/16 15:37

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